LAMB ラムのレビュー・感想・評価
全285件中、241~260件目を表示
これぞ羊たちの沈黙、てか
リーアム・ニーソンの映画だったら、ここからスタート!てところで終わる。
(奪還!)
つまりエンタメ映画で分類すると何も始まらないまま終わった事になる。
この後どうやって話を展開させるか、映画学校の宿題にもってこいですね!
羊たち、犬、動物の表情があんだけ深淵で豊かなのに、
CGがスカスカで驚きを隠し切れませんでした。大減点!
んでこの格好って、つまりキリスト教が言うところの悪魔の姿をしていると言う事??
タロットの悪魔のカードもこんな感じだったような。
そして悪魔崇拝といえばイルミナティ
悪魔ちゃんの復讐(キリスト世界への)て事でよろしいですか?
深読みですね、だってそんな信心深い描写もなかったし。
じゃ、こんな山間部もイルミナティ支配しました!
て言う、めっちゃコスパの悪いデストロンの世界征服計画的な?
うーん、色々と思いを巡らす映画ではあります。
だって余白だらけなんだもん!
とりあえず家で見てたら倍速!
違和感を否定し、幸せを手に入れようとすることの不自然
予告編にネタバレ要素つめちゃった感じだけど、最後は予想できなかった。
家族と羊しかいない、アイスランドの静かで厳しい自然の中の全編にわたる不気味な雰囲気は素晴らしかった。
アダちゃんの登場は予想できていたのに、初めて全身が映るシーンはギョッとしてしまった。なかなか見せなくてうまいなあ。
ラストのマリアは不思議とスッキリしているように見えた。
アダちゃんは笑えもするし不気味でもあるしかわいくもある。
ある意味子供とはみんなそうなのか?
サッカーではなくハンドボール?
ほとんど外部の世界が描かれない中でああいうシーンにはホッとする。
実は一番共感できるのはクズかもしれない弟なのかもしれない。
アイスランド行きたい。
遠いけど言語難しいけど行きたい。
羊飼い夫婦の『スプライス』かと思ったら『パンズ・ラビリンス』でした
羊飼いの夫婦イングヴァルとマリアが飼っている一匹の雌羊から産まれたのは羊ではありませんでした、という話。“アダ“と名付けられた少女はすくすくと成長し、という辺りまではヴィンチェンゾ・ナタリ監督の『スプライス』みたいかな程度の期待をしていたのですがそれにしては様子がおかしい。ちょっとしたサスペンスはあるもののすぐに解決してしまうし、途中から物語に加わるイングヴァルの弟ペートゥルが物語をまぜかえすかと思いきや全然そんなこともない。雄大にも程があるアイスランドの牧羊地での淡々とした生活をボーッと眺めていると微かな前振りの後に訪れる唐突な展開にビックリ・・・要するに、これは説明的な描写を一切排除した『パンズ・ラビリンス』。アダはオフェリアなんですね。これはビックリしますわ。
マリアを演じるノオミ・ラパスの存在感が圧倒的ですが、それと拮抗するのが馬、羊、犬、猫といった動物達。彼らの“演技“の重厚さにも呆気に取られます。
とにかくアイスランドの風景が壮絶なので、スクリーンで観るのは大正解でした。
北欧スリラー
ボーダー、ハッチングときてこれも異形のものが出てくるけどそこに本質は無さそうな感じの作品。
とにかく情報が少なくて想像するしかない…
夫婦の間には娘がいた。
何かしらの理由で子供が作れない。
何か手術したから?流産?子供が亡くなった事でのショックでセックスレス?
とにかく時間を元に戻したいと思っている。
弟とは元々恋人関係にあった様に思う。
夫より前か後かはわからない。
母としての嫉妬からくるストレスで本当の母を殺してしまう。異形のモノと知らないふりで穏やかな家族生活が始まる。
そこへ弟登場。不穏な空気が流れ始める。
何かありそうな弟を追い出したタイミングでアレの父が戻ってくる。ワンちゃんと優しい旦那が…
弟が来たタイミングといなくなるタイミングで事が起きたのは何か引っかかる。
ただ単に因果応報な話じゃなさそうな気がするが、
これ以上はちょっと読み取れませんでした…
でも狂った母という部分ではハッチングと似てるなとも感じた。あとロケ地が美しかった。
リバーオブファンダメント
マシューバーニーの前述作品を見た時と視聴後の感覚が同じ。というのは言い過ぎだろうか?本質的には過ちを犯している白人世界もしくはキリスト教世界への警鐘だと僕は感じた。そもそも本作を見る上で、キリスト教における羊の意味合いを知っている方知っていないかでも全然受け取り方は変わるのであろうが、そもそも人間には純然たる羊飼いにはなれない。と言うことを伝えているのだと理解すると結末までの経緯もくっきりはっきりわかって味わい深いはずだ◎良い悪いは別で見ておいて損のない映画だと感想を残したい。
人間は喪失を産めるために代わりとなるものを見つけると盲目的にそれを受け入れきっちりと埋め合わせを行うが、その埋め合わせが本当に正しい埋め合わせで有るのかは見直す必要が有る。これが本作から僕が得た格言
キリスト教的なモチーフが潜んでいる不気味な超自然北欧ホラー
この映画は何かとキリスト教的なモチーフが散りばめられていたように感じました。
まず、羊と羊飼いという時点でかなりキリスト教っぽい。
さらに、主人公の名前がマリアだし、生まれた半羊半人の子どもの名前はアダ(おそらくアダム)だし、とにかくキリスト教のモチーフとして読み取れそうな要素が多く散見されていたように思います。
この映画はストーリーもかなり衝撃的でしたが、やはり作り込まれた絵画的な画作りを楽しむ作品な気がしました。
まず、左右対称のシンメトリーを意識した構図。
被写体にカメラがじわじわにじみ寄っていくような不気味なショット。
横スクロールで移動する被写体の真横にピッタリ付きながら撮影しているドリーショット。
そして、雄大な山岳を映し出した超ロングショット。
まるで美術館で展示されている絵画のように作り込まれた画作りを見ているだけでも元は取れた気がします。
最初はあれほど不気味な存在だったアダくんが、終盤に進むにつれて段々と可愛らしく見えてくるのが不思議でした。
ちょっと大人しめの男の子って言われても違和感がないレベルまでには半羊半人であることを意識しなくなっていました。
あとは何と言っても、ラストの衝撃的な登場人物。
えっ、こうゆう映画だったの?って、結構普通に度肝を抜かれたのでまだ観ていない人がいたら是非劇場でこの衝撃を楽しんでください。
家族とは?正義とは?
見なれない雄大な自然の中で、言葉少なに進むファンタジーはまるで海外の絵本のよう。だからこそ、マリアやイングヴァルの佇まいからはもちろん、羊や犬や猫の表情からも何かを読み取ろうと凝視してしまう。子を失った夫婦の過去を知り、アダの可愛さも手伝って、彼ら家族を歪ながらも幸せな形と捉えてしまう。
そして、明らかな違和感を平然と受け入れて進む展開に、観る側もどこかネジが外れてしまうのだろう。
(以下ネタバレという名の妄想)
「俺は羊と“ままごと"なんかしないぜ」なんて兄の妻に関係性を迫る弟のセリフや、何かを後悔するような素ぶりを見せる兄。アダを天からの贈り物だと濁すからこそ、その出自がミスリードされてしまう。セリフが少ないからこそ、その一挙手一投足から余計な思いを巡らせてしまう。
半人半獣。母が羊なら父は誰?
アダの手がイングヴァルからすり抜けていくシーンに「可愛そう」なんて思ってはいけない。実の父が拐われた娘を取り戻しに来たのだ。
人間じゃないから悪いやつ?
いや違う。母を殺し、羊にウールのセーターを着せ、美味しそうに食べる草を取り上げる、掴むのはいつもアダの左手。そんな自分勝手な夫婦から我が子を救ったヒーローだ。半獣界のジョン・マクレーンじゃないか。
自らの正義は、相手からすると意外と悪だったりするものだ。迷える子羊は、まるで悪魔のような見た目の父の大活躍で本来の家族のもとに帰った。妻の仇も同じ銃で討った。それだけの実にシンプルなお話が、人間のエゴと偏見によって理不尽で不条理なストーリーに変わり果てる。人って怖い。そしてその緻密な構成に拍手。
#71 人間の欲望に対する罰なのか?
冒頭は真っ暗な真冬から始まるのに、その後はずーっと白夜の世界。
最初白夜がわからなくて、こんなに明るいのになんで寝るの?って思ったもん。
その違和感は、羊の子供を自宅の部屋に連れて帰ったところから最後まで続く。
本来なら家畜として犬や猫よりも低い地位にいた羊が、主人公夫婦の感情によってのみ人間に格上げされ、それにより主人公達を違和感を感じるようになる。
大自然のなかで不自然さを表すことで世間の違和感を表現したかったのか。
【”異形・・”子を亡くした若夫婦に突然訪れた束の間の”幸せ”と、自然が産み出した人智を越えた”畏怖すべきモノ”の所業を荒涼たるアイスランドの山間地を背景に描いたダーク・ファンタジー作品。】
ー 近年の”異形”映画と言えば”ボーダー 二つの世界”(スェーデン映画)を思い出すが、北欧は長き冬により、昔からファンタジー作品が多数作られてきたのは、御承知の通りである。
トーベ・ヤンソンによる”ムーミン”も、ムーミン・トロールという異形の生き物たちを描いた作品なのである。-
◆感想
・冒頭から、台詞は暫くない。
荒涼たる雪原の中、羊の世話をするイングヴァル(ヒルミル・スナイル・グズナソン)と、マリア(ノオミ・パラス:ある意味、異形・・。スイマセン・・。)夫婦には笑顔はない。そして、画面は灰色の自然を写し出すとともに、異様な不穏感が漲っている。
ー 二人の数少ない会話から、彼らの子が亡くなっている事が分かる。そして、後半はその娘アダの墓も映る。-
・クリスマスの晩、白い羊が倒れる。扉は開いている・・。
そして、一等の羊が、”異形”を産み落とす。
ー だが、イングヴァルの表情は和らぎ、”異形”にアダと亡くした娘の名を付け、可愛がる。-
・そこに戻ってきたイングヴァルの弟ペートゥルは、”アダ”を見て驚く。(そりゃ、そーだ)そして、彼は”アダ”を連れ荒野に出て、撃ち殺そうとするが・・。
ー 今作で残念なのは、ペートゥルの位置づけが良く分からない所である。マリアに言い寄ったり、彼を何のために映画に出演させたのだろう・・。-
・”アダ”を産み落とした羊は、毎日我が子がいる部屋の前に来て鳴き続けるが、マリアは容赦なくその羊の眉間を撃ち抜く・・。
<そして、故障したトラクターを修理しに行ったイングヴァルの前に現れた、自然の産み出した”畏怖すべきモノ”。
”それ”は、無慈悲に彼を撃ち殺し、”アダ”と共に山へ戻る。
今作は、自然界には人間の知らない異形が多数いるという事を暗喩する、ダーク・ファンタジー作品である。>
■隣席の若者が、”アダ”の姿にクスクス笑っていたのが、自然の産み出した”畏怖すべきモノ”が現れた途端に、静になった事を思い出します・・。
深読みした方が良いのか?
傑作まで行きつけなかった不条理もの
なげぇ〜
気味が悪いが内容は・・・。
彼は何なんだ
アイスランドの寒々しい山間の羊飼いの夫婦に、もたらされる新しいアダ。
羊たちのシーンをじっくり魅せる冒頭以降は、羊たちの姿がない。
あの子のことを考えて殺された彼女以外売り飛ばしてしまったのか、そうも思えない。
どう生活しているやらだし。
アダはアダで水面や鏡に映る自分の容姿が両親たちと違うことに思い悩む姿も見える。
そして現れる彼。
最初、てっきり夫の方が犯した過ちの因果なのかとも思ったがさにあらず。
すごく雰囲気のよかった(妖しさや神秘性)序盤から、ありゃ、と肩透かしをくらった中盤以降。
締めも、納得することはなくても、もう少し何かなかったのかね。
アイスランドでの伝承とかがモチーフなのだろうか。それならベースがないからわかるけど。。
ワールドカップシーンだけは、若干シンパシーあった。
造形が良い
よって「件」のごとし
日本でも昔から「件」の存在が巷で噂に上る。
人面牛体の妖怪で、生まれると直ぐに死んでしまうのだが、
その際に一つの予言をし、それが必ず当たるとの言い伝え。
それにインスパイアされた
原作『小松左京』/漫画『石ノ森章太郎』で〔くだんのはは〕のような作品もあり。
もっともこちらは、牛の顔に人間の体と、
江戸時代の瓦版に描かれた姿とは真逆なのだが。
山奥に住む羊飼いの夫婦『マリア』と『イングヴァル』が、
ある羊の出産に立ち会うと、
生み落とされたのは、羊でもない、
人でもない異形の生き物。
しかし、嘗て子供を亡くしていた二人は
『アダ』と同じ名前を付け、
その者を育てる決意をする。
授乳期間を終え、二足で歩行し、
言葉も理解するようにもなり、
我が子同然に育った『アダ』を愛しみ、
幸せに満ちた暮らしが続いていた。
中途、突然訪れた、夫の弟が波風を立てたものの、
直ぐに治まり、家族は平和な日常を過ごせるはずだった、が
突然の悲劇が一家を襲う。
我が国でも、牛頭・馬頭の例があるように、
獣頭人体の存在は不吉のサインであるに違ないない。
西洋でも「サタン」の姿が、頭の両の角で描かれるように
羊頭人体は禍々しいものではないのか。
それを夫婦は知っていて、目を塞いでいたのか。
北欧で、獣人説話があるのかは知らないけれど、
本作では冒頭から、その存在が示唆され。
いつどのようなタイミングと形で姿を現すのかがサスペンスも、
今回のそれの提示のされ方は衝撃的。
思わず、ぞっとしてしまう。
とは言え、本作は
おそらく〔オーメン(1976年)〕の流れをくむものに思われ。
勿論、ディテールに地域らしい要素は混み込まれてはいるものの
斬新さには欠けるよう。
全285件中、241~260件目を表示