弟とアンドロイドと僕
劇場公開日:2022年1月7日
解説
阪本順治監督が豊川悦司を主演に迎え、「究極の孤独」を題材にオリジナル脚本で撮りあげた異色の人間ドラマ。孤独なロボット工学者・桐生薫は幼い頃からずっと、自分が存在している実感を抱けないまま生きてきた。そしてその不安を打ち消すため、彼は古い洋館で、自分そっくりな「もうひとりの僕」のアンドロイド開発に没頭している。そんな彼のもとに、ずっと会っていなかった腹違いの弟が訪ねてくる。寝たきりの父親や駅で出会った謎の少女など様々な者たちが交錯する中、桐生と「もうひとりの僕」の間には、ある計画があった。主人公の腹違いの弟役に安藤政信。
2020年製作/94分/G/日本
配給:キノシネマ
スタッフ・キャスト
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2023年1月21日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル
映像だけは素人感ありませんでした。
脚本が酷いのだと思います。
全く面白くありませんでした。
これまで観てきた中で1番酷いかもしれません。最後まで観るのが辛い作品でした。
2023年1月21日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD
ずっと雨天。そして主人公桐生薫は自分の脚が自分のものとは思えず、常に片脚で歩いている。学科長からも疎んじられ、頼まれた道路補修ロボット開発もおざなり。そんな桐生のもとに腹違いの弟がひょっこり。死を待つだけの父親の借金のためにと金を無心してくるのだ。
脚だけではなく、自分のアイデンティティーをも見失ったかのような桐生。安心するためか、存在意義を確立するためか、自分そっくりのロボット作りに没頭する。気持ちはわかるが、ロボット工学よりも哲学を学んだほうがまだマシな気もする。自己全否定するならば、親の遺産である土地・建物にすがるべきではないと思うし、別の生き方をするのが普通・・・だから変人扱いされてるんだね!
阪本順治監督の意図はどこにあるのか。うざったいほどの雨降り映像。少女を自転車に乗せ、住まいとなっている元産婦人科医院の一室で危ない行為。そもそも彼の亡き母親が医者だったことはわかるが、詳細が不明のまま。
アンドロイドと弟のやり取りという終盤の展開は冒頭に出てきた「ロボット三原則」の矛盾を描いたロボット映画の基本だろうけど、予算潤沢なSF作品とは違い、重苦しく、鬱陶しいテーマに置いてけぼりにされた。ただ、意識不明である父親の心の中に入っていくシーンは面白かった。タイトルも絶妙。
途中からだんだん「???」となり、ストーリーの何が何だかわからなくなりました。
一つずつのシーンは分かるんだけど、繋がってどういう意味なのかが掴めない。
観終わった後も「あれはどういう意味なのか」「これはどういうことなのか」とずっと考えてしまいます。
主人公の苦悩や口から出ているセリフはある意味、監督自身のことなんだろうなぁと解釈してますが。
雨は不快でもあるけど、部屋の中の安心感みたいなものも実感させてくれました。
昔からある映画のテーマではあるのかなぁ、と思います。
阪本順治監督も、そういう不確かさ、「存在の耐えられない軽さ」という思いを抱いておられるのでしょうか...
創作するって、自分と向き合わねばならないから、でも自分というものは変わりゆくし、そして逆にそう変われないものだし、突き詰めるほどに、わからなくなる。
物理的肉体としての自分と、見えない何かの部分の自分。心とか精神とか魂と言い換えてもいいかもしれません。
見ため的には、自分と同じアンドロイド。
見ためも性格も異なる、でも遺伝的には自分と半分同じ弟。
主人公は、アンドロイドが斬られると、痛みを感じる(これは現実にも、腕を失った人が、無い部分の腕に痛みを感じることが実際あります。)
何が自分か、という問いは、人によっては惹きつけてやまない、中毒性のある問いなのかもしれません。でもこの問いに囚われずに生きていける人にとっては、これほど愚問に感じるものもないかもしれません。
これは、『団地』も併せて観るといいのでは。自分とは、ひととき宇宙から分けられたものに過ぎない、アレもコレも、全部そう。なんじゃかんじゃ言うたところで、それだけのことじゃ。僕はいるし、いない。いないし、いる。禅です。わかりやすくは描けないでしょうが、監督はそこに挑戦したいんだなあと感じました。