ある男のレビュー・感想・評価
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城戸と大祐、二人の人間の「解放」の物語
これは大祐と城戸という二人の人間の「解放」の物語であり、解放される過程、つまり彼らが彼らの人生を獲得していく過程をもっと見ていたかった。 原作は不勉強にして未読だけれど、少なくとも映画を見た限り、人間が「自分の前提」として無意識に受け入れている「ラベル」を外したらどうなるか、という思考実験をしているように思う。 人生には「社会からのラベル」と「内面のラベル」が付きまとっていて、前者は名前や家族、出身地や家族や社会での役割や経歴・学歴などで、後者は性格や能力や才能の有無、そして社会からのラベルなどを無意識かつ自己暗示的に刷り込んでいるもの。この物語は、「社会からのラベル」を交換し別人になりすましたら、という仮定のもとに構成されている。社会から勝手に与えられる外圧が完全に変わることで社会からの見る目が変わる。周りの態度が変われば、自分を無意識に縛る「内面のラベル」のひとつも消え、社会的にも内面の動きとしても自由度が高まる。その変化は、勝手に自分で設定していた性格や才能の有無などへも波及して、できること、やれること、受け入れられることが連鎖的に増えていく。だんだんと未来が開けていく実感をする。例えばSNSでは別人かと思う振る舞いができる場合があるように、「社会からのラベル」が外れることで、無意識下で縛っていた「内面のラベル」も外れていき、「自分はこういう人間だ」という枷から解放されていく。この映画は、社会から人生の前提として与えられる外圧を外せば、自由に振る舞え、それは解放であり、救いであると言っているように思う。 そして、大祐も城戸も、どちらも外圧が人間形成や人生の大部分に影響してきた人だった。その大きすぎる枷が外れたとき、得も言われぬ快感を感じたに違いない。自分を縛ってきた重い鎖から解放された人間は、別の自分をだんだんと獲得していき、それが「この人生、手放せませんねぇ」に集約される。 見事だった。 欲を言えば、その人間再生の過程、新しいラベルになじみながら、解放され、新しく生きなおす様子をもっと見ていたかった。この物語の肝が、城戸が大祐の人生にじわじわ侵食され感化されていくところだとしても。
「ある男」たち、そして田舎まんじゅうのこと
冒頭から、すーっと物語に引き込まれた。白い壁に掛かった、鏡に映る男の後ろ姿の絵。ラストシーンで再び絵が登場し、本を閉じるように物語は幕を閉じる。(同時期に公開中の「窓辺にて」と同様の時系列だ。)事故死した男•大祐(窪田正孝)の過去を追う物語と思いきや、謎を追うことにのめり込んでいく、顔のない弁護士•城戸(妻夫木聡)こそが「ある男」だと改めて感じた。 彼は、穏やかな人権派弁護士として慕われ、裕福な暮らしを手に入れている。けれども、義父の歯に絹着せぬ発言に、自分の出自を意識せずにはいられない。執拗に国籍を話題にする詐欺犯•小見浦に激昂し、ヘイトスピーチのニュースに感情を乱され、幼い息子にも声を荒げてしまう。それでいて、一番近しいはずの妻とは淡白なやり取りばかり。満ち足りているはずの生活のほころびが、次第にあらわになる。 何不自由ないはずのこの生活は、本当に満ち足りていると言えるのか。そもそも、自分で望んだ生活なのかさえ、彼にはもう分からない。大祐の過去の謎に迫り、大祐と関わってきた人々の人生に触れるほどに、彼の心は揺らぎ、何ものかに追い詰められていく。 一方里枝は、幾度かの喪失を経て、揺るぎなさを身に付ける。冒頭ではうつむき、今にも崩れ落ちそうであったのが、最後はしっかりと顔を上げてほほ笑む。中学生になった息子との、率直かつ親密なやり取りが忘れがたい。「ある男」たちより出番が少ないながら、安藤サクラの繊細な演じ分けは圧巻だった。 些細なことではあるが、城戸たちが事務所でつまむものが、どれも外側と中身で成り立つ食べ物だったのも目についた。温泉饅頭、豚まん、そしてずんだ餅。皮とあん、それぞれの美味しさだけでなく、外と中のバランスが良く、一体であってこそ美味しい。 例えるなら、里枝親子はごく普通のおまんじゅうだ。特別な食材を使っているわけでも、ネームバリューがあるわけでもない。でも、触れるとふっくらとして、手のひらに載せると程よい持ち重りがする。誰かと分け合って食べたら、きっとおいしい。とりとめなく、そんなことを考えた。
実存はどこにあるのか
タイトルが地味だけど、こう言うしかない。自分は何者か、肩書や人種や国籍や、色々なものをはぎとって本質を見つめた時、残るものは何だろう。戸籍を入れ替えて過去も名前も捨てた男が死んで、彼が本当は何者だったのかを追いかける弁護士は国籍を日本に帰化した在日3世。自分は日本人か在日か、アイデンティティはどこにあるのかと問わざるを得なくなる。個人を個人として規定するものは、内面なのか、社会的な立場や評価、戸籍などの記録か、血筋なのか。自分はこういう人間だと内面で強く思ったとしても、世間は、犯罪者の息子は犯罪者の息子として扱ってくる。だから、自分は何の罪も犯していなくても犯罪者の息子として生きざるを得ない。 戸籍を交換し、外面の肩書などを全て外した時に残るものはなんなのだろうか。「ある男」としか言いようがない存在になっても、何かが個人の証として残るものがあるのかどうか。自分に残るものはなんだろうと考えてしまった。
「唯一不可分な個人」と「自分探し」からの解放
本作「ある男」の評論を当サイトに寄稿したので、このレビュー枠では補足的なトピックについて書いてみたい。 評では原作小説を著した作家・平野啓一郎が提唱する“分人主義”に触れ、「対人関係ごとに分化した異なる人格を“分人”と呼び、それら複数の人格すべてを『本当の自分』として肯定的に捉える」と紹介した。この分人主義と対照的なのが、従来の「個人の自我が唯一無二でそれ以上分けることができない最小単位である」という考え方。この考え方に基づいて、現状の自分に何かしら不満を持っている人が、「本当の自分はこんなはずじゃない」「いつか真の自分に出会えるはず」と思い込み、“自分探し”の旅に出たりしたのだろうと想像される。だが分人主義の考え方に立てば、どんな相手といる時でも、どんな状況でも、どんな気分でも、いろんな自分があっていいのだし、それらもすべて自分として受け入れられる。映画に寄せて考えるなら、出自や戸籍にとらわれず、さまざまな人生を生きていいじゃないかという、ある意味ラディカルでアナーキーな思想ととらえることができる。 自分の中の多様性を認めることは、他の人たちの多様性も認める寛容な社会につながるはず。小説にしろ映画にしろ、「ある男」に触れてそんな理念に近づく人が増えるといいなと願う。 もう一つ触れておきたいトピックが、評の冒頭でも言及したルネ・マグリットの絵画『複製禁止』に関すること。映画の中に登場するのは原作小説の冒頭に書かれていたのを踏襲したからだが、それとは別に、映画オリジナルのマグリット絵画への目配せがある。美術好きならきっと気づいただろうが、それは妻夫木聡が演じる弁護士の城戸が死刑囚の絵画展で目を留めた、顔の中心が潰されたように消された肖像のスケッチ(小説では肖像画は登場せず、風景画の画風が似ていることで、城戸は“X”とその父の関係に気づく)。マグリットは、顔の位置に照明の光があって顔がまったく見えない絵や、顔の中央にリンゴが配されている絵などを描き、「描かれた顔=個人のアイデンティティー」という肖像画の約束事の脱構築に挑んだ画家でもあった。映画の製作陣がマグリット風に顔が消された絵を登場させたのは、分人主義に基づく物語で『複製禁止』に言及した平野の秀逸なアイデアへのリスペクトであり、映像としてインパクトのある実に映画らしい脚色と言えるだろう。
血のつながり
原書読まずに観た。 事故で亡くなったある男が、別の男に成りすましていた。素性を追う弁護士は容姿に優れ、お金もあって、綺麗な奥さんと子供、家を持っているが、調査の過程で、在日3世の自分とある男を重ねるようになる。 登場人物の心情の掘り下げ方、表現の仕方が上手くて、引き込まれる。 ちょっと囚人との面会が違和感あるけど、1回目は弁護士の心情を短時間で表現する為に、2回目は、この映画で表現したい事を説明する為に入れたのかな?
事実
すごくテンポが良くて観やすい作品でした。 過去は変えられない。 自分の力ではどうにもできないことだって起こる。間違いだって起こす。 そんな過去を、どうしようも無い今を捨てたいと思ったことない人はいるのかな。 過去なんてどうでもいい。 そう言ってくれる人がそばに居たらそう思えるのかもしれない。 でも記憶にも、記録にも過去はついてくる。 人種差別だって、過去を見てるから起こること。 今だけを見られることができたら、色んな問題が解決するのに。 でもそういう訳にはいかない。 大切な家族がもし殺されたら、私は犯人が生きることは望めない。 事実はその人にとってひとつだけど、人の数だけ事実があって、過去を変えたいと願う人は、人になりすまさないと人生を変えられない人が、今この世界にいる。 お芝居の技術が素晴らしかったです。 その人としてそこにあること、それはどんなに難しいだろう。
不許複製 / Not To Be Reproduced
不許複製 / Not To Be Reproduced エドワード・ジェームズの肖像 映画で重要な意味を持つアイコンから始まる映画 全般的に、好きなトーンである が、内容が身近なだけに、少し引いた目で見てしまったかもしれないし、そうはならんやろ感はあったものの、役者たち、特に安藤サクラ演じる里枝の息子役の悠人くんの好演に引き込まれて、よくまとまっていた。 戸籍を売買してまで、自分の過去を打ち消したい男たちの話。 そこに存在している自分が自分であり、自分の過去なんて変えられないのにね。 その点には里枝が言及するのに、城戸(妻夫木聡)は、他の人の過去を自分の物語として語ってしまう。 うーん。その辺りは、原作そのものが甘いのでしょうか。。。。。それとも男は形式にとらわれる生き物だと主張しているでしょうか??? 在日に対するヘイトを描くなら、そのテーマだけにしてほしい。上っ面で描くなんて、勘弁。 城戸が在日であることを恥じていて自分を、reproduceしたのだ、みたいなのって、わかってないなぁ、と社会の無知も痛感できる、まぁ勉強になる映画でした。
安定の安藤さくら
妻夫木がめちゃくちゃ良い演技してましたね! 怒りを内に秘めてちょっとした仕草と表情で演技していて凄かったっす。 あと脇を固める役者さんがいちいち良かったです。 ただ終始静かな展開なので一瞬気絶してしまいました。
なかなか重いテーマでした
こちらは公開当時、観に行くか迷った作品。 結局、好きな俳優さんが出演していなかったので、観に行かなかった。 重いテーマだったが、気持ちがズシリと来ることもなく、良い作品だった。 それは息子ちゃんがとても良い子だったから。 これがぐれて手がつけられない息子だと つらいものがある。 さて、この息子ちゃん、どこかで観たことがあるなぁと。 調べたら、 不適切にもほどかある のツッパリお兄ちゃんじゃありませんか。 河合優実ちゃんも出演していましたね。 はなちゃんとお兄ちゃんとお母さんに幸あれ
ピオトル・ニエミイスキじゃない
石川慶監督の映画で、日本映画にはない空気感を出していたカメラマンのピオトル・ニエミイスキですが、今作は参加せず。 ちょっとその影響は大きかったかな。コロナの影響とかだろうか。 安藤サクラの板についた薄幸ぶりや、窪田正孝の背負う影はなかなかよかったけど、画のパワーは石川監督の過去3作に比べてダウン。 ピオトル・ニエミイスキの撮影は、画面外でもいろいろなことが起こっているような、謎の説得力や広がりがあるんです。それがない分、普通の映画になってしまった感じ。 ストーリーはそつなく楽しめますが、それがちょっと残念でした。 映画としては楽しめたけど、
成りすましまでして代えたい人生
窪田正孝扮する谷口大祐は度々安藤サクラ扮する武本里枝が行う文房具店に立ち寄っていたが林業を始めた。ふたりは友だちからと付き合い始め家庭を築いた。しかし大祐は木の下敷きになって倒れ亡くなった。ただ亡くなったのは本当の大祐とは違っていた。妻夫木聡扮する弁護士城戸章良は里枝から大祐は誰だったのか調査してもらう事にした。 何とも奇妙な展開で始まった。戸籍交換という得体の知れない犯罪なのか。成りすましまでして代えたい人生。柄本明の怪演が目立ったね。
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