ある男のレビュー・感想・評価
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実存はどこにあるのか
タイトルが地味だけど、こう言うしかない。自分は何者か、肩書や人種や国籍や、色々なものをはぎとって本質を見つめた時、残るものは何だろう。戸籍を入れ替えて過去も名前も捨てた男が死んで、彼が本当は何者だったのかを追いかける弁護士は国籍を日本に帰化した在日3世。自分は日本人か在日か、アイデンティティはどこにあるのかと問わざるを得なくなる。個人を個人として規定するものは、内面なのか、社会的な立場や評価、戸籍などの記録か、血筋なのか。自分はこういう人間だと内面で強く思ったとしても、世間は、犯罪者の息子は犯罪者の息子として扱ってくる。だから、自分は何の罪も犯していなくても犯罪者の息子として生きざるを得ない。
戸籍を交換し、外面の肩書などを全て外した時に残るものはなんなのだろうか。「ある男」としか言いようがない存在になっても、何かが個人の証として残るものがあるのかどうか。自分に残るものはなんだろうと考えてしまった。
「唯一不可分な個人」と「自分探し」からの解放
本作「ある男」の評論を当サイトに寄稿したので、このレビュー枠では補足的なトピックについて書いてみたい。
評では原作小説を著した作家・平野啓一郎が提唱する“分人主義”に触れ、「対人関係ごとに分化した異なる人格を“分人”と呼び、それら複数の人格すべてを『本当の自分』として肯定的に捉える」と紹介した。この分人主義と対照的なのが、従来の「個人の自我が唯一無二でそれ以上分けることができない最小単位である」という考え方。この考え方に基づいて、現状の自分に何かしら不満を持っている人が、「本当の自分はこんなはずじゃない」「いつか真の自分に出会えるはず」と思い込み、“自分探し”の旅に出たりしたのだろうと想像される。だが分人主義の考え方に立てば、どんな相手といる時でも、どんな状況でも、どんな気分でも、いろんな自分があっていいのだし、それらもすべて自分として受け入れられる。映画に寄せて考えるなら、出自や戸籍にとらわれず、さまざまな人生を生きていいじゃないかという、ある意味ラディカルでアナーキーな思想ととらえることができる。
自分の中の多様性を認めることは、他の人たちの多様性も認める寛容な社会につながるはず。小説にしろ映画にしろ、「ある男」に触れてそんな理念に近づく人が増えるといいなと願う。
もう一つ触れておきたいトピックが、評の冒頭でも言及したルネ・マグリットの絵画『複製禁止』に関すること。映画の中に登場するのは原作小説の冒頭に書かれていたのを踏襲したからだが、それとは別に、映画オリジナルのマグリット絵画への目配せがある。美術好きならきっと気づいただろうが、それは妻夫木聡が演じる弁護士の城戸が死刑囚の絵画展で目を留めた、顔の中心が潰されたように消された肖像のスケッチ(小説では肖像画は登場せず、風景画の画風が似ていることで、城戸は“X”とその父の関係に気づく)。マグリットは、顔の位置に照明の光があって顔がまったく見えない絵や、顔の中央にリンゴが配されている絵などを描き、「描かれた顔=個人のアイデンティティー」という肖像画の約束事の脱構築に挑んだ画家でもあった。映画の製作陣がマグリット風に顔が消された絵を登場させたのは、分人主義に基づく物語で『複製禁止』に言及した平野の秀逸なアイデアへのリスペクトであり、映像としてインパクトのある実に映画らしい脚色と言えるだろう。
自分はどんな人間なのか?
愛した男が、亡くなったあとに偽名であったことが判明する不気味さと、「こやつは一体誰なのか?」というミステリーでありながら、人間の内面の重要性を説く作品で、非常に興味深くおもしろかったです。
キーワードは「名前」と「色眼鏡」。
テーマは「差別」と「個体(個人)」だと感じます。
自分はどんな人間であるか?他人に、自分という人間を知って貰えているか?名前ではなくて「こういう人間性のヒトだ」と、他人の記憶に残ることが「生きる」ということ、と説いている作品のように感じました。
「韓国ドラマばっかり観て」というシーンにドキリとしました。他愛のない家族間の雑談シーンで、「韓国ドラマ」という表現はジャンル分けした際の、ジャンルの1つだと思うし、深く考えずに何気なく使っていました。しかし「韓国ドラマ」という単語を分解して言い換えると、「韓国人が作ったドラマ」「韓国らしい作風」「韓国で人気がある」などなど、土地を限定する言い方は、差別にあたるかもと思いました。土地だけではなく、なにかを限定するような言い方は、差別になる可能性があるかもとも。
印象に残ったセリフは「私は誰の人生と生きたのか」です。旦那が不慮の事故で亡くなったあと、偽名だと分かったときのセリフです。のちに、「(偽名を使った理由)真実がわかったあとだから言えるのだけど、名前ではなくそのヒトと一緒に生きたことは事実だから、名前は知らなくても良かったのかも」と清々しい顔をされてました。
でもね、
この人は誰なんだ?という名前を知りたいと思う欲求や衝動は、自然だし当然だと思います。名前は、その人を表す記号だとは思うけど、その人そのもの。名前がわからないと、現実ではおろか、自分の頭の中ですらその人を呼ぶことができない。呼べないというのは、寂しい。だから名前は大事。大事だけど、ほんとに単純な「記号」として。本当に大事で重要なのは、中身で本質。ちなみにこの作品の言いたいことは、息子のユウトくんが全部言ってくれてます。
●「(苗字がかわることについて)僕は誰になればいいの?」
→誰かになろうとしなくていいし、型にハマる必要はないし、型にハマると自分を見失う。
●「(谷口という姓が知らない姓だと知った時)僕の名前はなんなの?」
→個人を表す名称の重要性。
●「お父さんが死んだことが悲しいのはなくて、もうお父さんに会えないことが寂しい」
→人に必要とされること、人の記憶に残ることの価値。
●「妹のはなちゃんには、僕から、どんなお父さんだったかおしえてあげる」
→一所懸命生きた証明をすることと、自分が誇れる人間になりなさい。
そして名前の重要性については、原誠さんが「りょうくん、りょうくん」と名前を呼ぶシーンがあります。
もうその人と接することが出来ない以上、その人の人間性を知る術がない。名前を呼ぶことが、その人の存在を認めたよ…と言っているように見えました。原さんは「思いやりがある人間性を持っている」と垣間見れるシーンでもあります。
劇中では、人物の後ろ姿の描写がとても印象的。度々、後ろ姿で映ります。「ちゃんと目の前の人を見てますか?見えていますか?向き合えていますか?」とメッセージを感じました。たぶん、故意に真正面のシーンは1つだけ。城戸先生が刑務所を2度目に訪ねる場面です。Xさんの本名が判明した事で自信満々の城戸先生。しかし、詐欺師・小見浦が言うように、城戸先生は「何もわかってはいない」。
城戸先生は、真相を知りたくて、知りたいがあまりに、答えだけを求めて、目の前のその人を見ようとしない。その人を形成した過去や環境、今現在の生活など。見ようとしていない自覚もない。分かったつもりでいるが、偏見による考えであることに気付いていない。
気付かないまま城戸先生は、言葉は少なく「分かっている顔」をよくします。偏見による「分かった気でいる」時もあるし、相手に共感を示している場合もある。だけど、共感を示すときは「共感すること」と「自己の感想をもつこと」がゴチャゴチャにならないように気をつけたいところ。城戸先生はそこも曖昧。共感を示す場合は「他者を理解する、までに留める」ようにしたい。意識しないで人の気持ちに共感をしていると、いつのまにかそれが自分の感想であるかのような錯覚を起こして、自分を見失いかねない気がします。
城戸先生は、自身が人種差別を受けてきて、その痛みを知っていて「色眼鏡で見られる」という事にウンザリしていて、人種じゃなくて型にハマった形じゃなくて、1人の人間を見て欲しい願望を持っています。しかし、自分とはなんなのか?漠然とした疑問があるだけだった。
「自分を自分だと証明とするもの」を探そう考えよう、とはしなかった…自己肯定感が低く自身と向き合えていなかった。人捜しは解決してスッキリしたかのような城戸先生だったが、人の、他人の人生は俯瞰しやすい。城戸先生自身は、自分が何者なのかわからないまま。城戸先生の「自分とは、なんなのか?どんな人間なのか?」その旅はこれからも続いていく。
同じように私たちも、自分自身をずっと探し続けるのでしょう。人の記憶に、自分という人間性を刻めるように生きていきましょう、、という映画なんだと思います。タイトルもいいですね…!飾り気がなく、ただ興味を引こうとしてるだけに見えて地味に感じたタイトルですが(失礼)、観賞後は、名前と内面の重要性を表していて、とても妙です!
さて。
度々書いている「自分はどんな人間なのか?」
これは、自分の考え、物の考え方、価値観を把握して自身で肯定する事と思います。一方で、他者が認める「あなたって、こういう人だよね」と評価される事も自分の一部であると思います。すべてを知って、自分を理解することは無理なのかもしれません。劇中(死刑囚の絵画展)で「人は変わりゆくもの」と講演がありますが、自分をアップデートしていくがごとく、絶えず「自分はどんな人間なのか?」と自問すること自体が、意味のあることなのかなと思いました。
作品を通して。
わたし個人の内面を、認めてもらえるように。また、他者と向き合ったときに内面を見ていきたいし大事にしたいと思いました。
あなたは大切な人に「本当のあなた」を見せていますか?
鑑賞後、しばし身動きがとれなくなった。一体、何を観たのか・・・。
感想を、スッと言葉にできない映画がある。大抵は、数日以内に頭と感情の整理がつくことが多いので、数日待った。しかし、表現が上手くまとまらない。このまま待っても、まとまりそうにないので、区切りをつけるためにこのレビューを書く。
とてもクオリティの高い映画だということは、すぐ理解できた。練り上げられた脚本。原作未読だが、脚本の元となる原作がとても緻密に構成された小説なのだろうと想像がつく。そして、どの場面の台詞にも演技にも演出にも無駄がない。1つ1つの台詞や映像に意味があり、暗喩であったり、伏線として発せられて後に回収されたり。何度も印象的に映される木、横浜の建設クレーン。服役中の詐欺師の消えゆく手の跡、後ろ姿を見る「ある男」の絵・・・。とにかく寸分の隙なく創られているように感じる。
メインキャストは、弁護士の城戸(妻夫木聡)、依頼者の里枝(安藤サクラ)、大祐(窪田正孝)の3人。このうち誰か1人をクローズアップしても映画として成立しそうである。しかし、この映画は、3人とその周囲の人々をほぼ等分に描いているように思われる。観客自身が、この3人の誰に焦点を当てるか、心を寄せるかで、全く違った印象の映画になる。
大祐に心を寄せた者は、逃れられない生い立ちに苦しめられながら、生きることを諦めずに「別人に生まれ変わろう」とし、実際に生まれ変わって束の間の幸せを手にした男の名状しがたい苦悩と前向きな生命力と優しさを。
里枝に心を寄せた者は、愛した男が過去を偽っていたことがわかっても、その男と暮らした日々を「確かなもの」として実感し大切にできる女の強さと母としての愛を。
城戸に心を寄せた者は、他人の過去を暴いていく中で、自分が「見たくないもの」に向き合わざるを得なくなり、大祐に共感に近いものを抱く、実は孤独な男を。
3人からそれぞれ感じることになるような気がする。
私は、どうやら途中からずっと城戸に心を寄せてしまっていて、ラストのバーのシーンでトドメを刺されたようだ。静かな中に力強い生への欲求や愛を感じる映画だったが、それ以上に、「社会に生きる人間の本質(宿命)」に関する問いを突きつけられたようで、薄ら寒さを感じたことが、このモヤモヤ感の正体なのかもしれない。
個人的には、複雑な思いが残る映画だったが、これは純粋に好みの問題だと思うので、未鑑賞の方には観ることをオススメする。
傑作、名作と呼ばれるような映画であると私は思う。
「ある男」の意味と意義
昨年、現実に25歳下の架空の妹になりすました女が捕まった。車かバイクの免許取得でばれたけど、その前までは出来るんだ。わたしのバイト先でも年も前科もなしにして入社した人がいた。戸籍の交換、マネーロンダリングのように。
映画は、亡くなった夫が別人と知った妻の物語。わたしの隣にいた男はいったい誰だろうか。誰であることの意味はどれくらいあるのだろうか。
「いちばん幸せな時間だった」という言葉が胸を突く。ふと、若い時に出会い恋に落ちた神宮球場の年上の男の顔が浮かぶ。あの人がわたしに語ったことは、真実だったんだろうかと。そして、それは意味があるのかと、この映画を鑑賞後に深く考えた。
合わせ鏡
人は人の中に、いくつもの人がいるような気がします
血には抗えないのでしょうか
それも人として生きて行く上での業みたいなもの
だけど、Xとして生きる窪田さん演じる彼と
男の子との絆は、それを越した尊いものだったと思います
この人好き、この人が好きって、とても丁寧に描かれていました
妻夫木聡さんの最後のバーでの会話は背筋がゾッとしました
原作を読みたくなった映画です
読みます
ラストもやもや
でも話してるのが初対面の人だから別人になりたくて嘘を話していたんだろうな。そうだそうだ。
いや、でもなんかもやもやする。清野菜名ちゃんが妻夫木くんにやたら好意的だったのはなんだったのか。最後の話は本当なのかもしれない。あーあ、よくわかんない。
私とは何か
私とは何かを考えさせられる。個人の名前なのか、国籍なのか、社会的評価なのか。
大佑が見つかり元恋人が寄り添う姿を見ると、その人の本質はその人が生きた軌跡なのだという考えに辿り着く。
ただし生まれ落ちた場所によってその人がある程度位置づけられてしまうのではないか。
終始暗い!夢の様な逆光の映画。
内容は、ある男にまつわる多目的な視点から語られる暗い雰囲気の人間模様話。
印象的な台詞は、『生きてて恥ずかしくないですか?』詐欺師の柄本明さんの獄中での会話
が意味深で面白かった。迫力の中にある冷たさが役を引き立て面白さを増してました。
印象的な立場は、登場人物其々が不満を抱えて自縄自縛状態から逃げ出せないと言うドラマを作っている所が面白かったです。今も昔も変わらず身分詐称やなりすまし自分では無い誰かになりたい変身願望は面白い主題です。
印象的な場面は、窪田の夢の様な約4年間の逃避行生活です。ハレーションで煌めく生活は決して夢でなく、最後に妻夫木と林の中で別れを告げるシーンでは、身分詐称してきたが誰かに知って欲しかった無念が晴れた様で感謝している様にも、妻夫木自身の心情にも寄り添う様で面白かったです。
個人的には、自縄自縛で自分勝手な人の思い込みにあり同情は出来ませんが傍目から見ていると悲観的にも楽観的にも見えて面白かったです。でも思春期の継親の難しさは、んな事ないよなと感じてしまいました。絵からインスピレーションを🖼️掘り下げる文学的で緻密な構成と監督の伝えたい事が分かる面白い映画でした。役を演じる役者🎭自体が仮面を付けなりすましている様な構造は映像表現として分かりやすく面白かったです。
役になりきるあまり自分自身を見失う様な演技でないと観客は引き込まれません。罪な仕事だなと思うと同時に変身願望の面白さを感じました。
立場から逃げたい
犯罪者の息子という出自が原因で他人になりたかった原。家族関係が上手くいかなくて他人になりたかった谷口。
建前はさて置き、出自による差別や偏見はなくなりませんし、家族関係を断ちたい人もいますよね。城戸の義父のように、いまだに在日のことを言う人もいますし。
人々は普段は立場という仮面を被り生活をする。だから、仕事、家族、地域など、自分が置かれた立場から逃げだしたい人も少なくないと思います。それは、社会的立場が高い城戸も同じで、ラストはそんな皆のちょっとした願望を表しているのかな?と思いました。ちょっとした嘘をつくだけで生きのびられればそっちの方がいいですし。
もし、置かれた立場から逃げられたら、自死も蒸発も減るかもしれないですね。置かれた場所で咲く必要はないと思います。
ある男の人生
弁護士となって社会的地位を得た主人公も、優秀なプロボクサーになるチャンスがあった謎の男も、偏見や差別を受けた過去を重く引きずっている。
鏡の中の自分と殺人犯の父の面影が重なり自己嫌悪に苦しむ男が得た第二の人生には、主人公が欲していた言葉や家族があった。
窪田正孝さんの演技は凄まじく素晴らしかったし、ラストがとても印象的で良かったけれど、途中何度も寝てしまった。柄本明が演じた役がどういう人物なのかがいまいち分からず、原作にはどのように描かれているのか知りたくなった。
城戸と大祐、二人の人間の「解放」の物語
これは大祐と城戸という二人の人間の「解放」の物語であり、解放される過程、つまり彼らが彼らの人生を獲得していく過程をもっと見ていたかった。
原作は不勉強にして未読だけれど、少なくとも映画を見た限り、人間が「自分の前提」として無意識に受け入れている「ラベル」を外したらどうなるか、という思考実験をしているように思う。
人生には「社会からのラベル」と「内面のラベル」が付きまとっていて、前者は名前や家族、出身地や家族や社会での役割や経歴・学歴などで、後者は性格や能力や才能の有無、そして社会からのラベルなどを無意識かつ自己暗示的に刷り込んでいるもの。この物語は、「社会からのラベル」を交換し別人になりすましたら、という仮定のもとに構成されている。社会から勝手に与えられる外圧が完全に変わることで社会からの見る目が変わる。周りの態度が変われば、自分を無意識に縛る「内面のラベル」のひとつも消え、社会的にも内面の動きとしても自由度が高まる。その変化は、勝手に自分で設定していた性格や才能の有無などへも波及して、できること、やれること、受け入れられることが連鎖的に増えていく。だんだんと未来が開けていく実感をする。例えばSNSでは別人かと思う振る舞いができる場合があるように、「社会からのラベル」が外れることで、無意識下で縛っていた「内面のラベル」も外れていき、「自分はこういう人間だ」という枷から解放されていく。この映画は、社会から人生の前提として与えられる外圧を外せば、自由に振る舞え、それは解放であり、救いであると言っているように思う。
そして、大祐も城戸も、どちらも外圧が人間形成や人生の大部分に影響してきた人だった。その大きすぎる枷が外れたとき、得も言われぬ快感を感じたに違いない。自分を縛ってきた重い鎖から解放された人間は、別の自分をだんだんと獲得していき、それが「この人生、手放せませんねぇ」に集約される。
見事だった。
欲を言えば、その人間再生の過程、新しいラベルになじみながら、解放され、新しく生きなおす様子をもっと見ていたかった。この物語の肝が、城戸が大祐の人生にじわじわ侵食され感化されていくところだとしても。
血筋ミステリ
原作未読だけど、映画作品として傑作だと思う。
アイデンティティがテーマってことで、あの不気味な絵もよかったし
死人に口なしっていう状況で深まるミステリーというか
まぁ考えてみれば「血筋」なんて謎でしかないな、と。
愛した男はいったい何者なのか?ただの謎解きものではない良作でした。
Amazonプライムで視聴。第46回日本アカデミー賞にて最優秀作品賞を含む同年度最多の8部門受賞作品とのこと。
簡単なあらすじとしては、宮崎の田舎に暮らす寡婦の女性里枝は、ある時移住してきた「温泉宿の次男」と語る男性大祐と恋に落ちる。幸せな数年を過ごすも大祐は仕事中の事故で他界してしまう。一周忌で温泉宿の長男が訪ねてきたが、そこで愛した男性大祐は全くの別人だということが分かり・・・。いったい自分が愛した大祐は誰なのか?ってのが大まかなストーリー。
一見主人公は安藤サクラ演じる寡婦の女性里枝かと思いきや、里枝から大祐の身元調査を受けた妻夫木聡演じる弁護士の城戸が主人公。調査を進めていく中で、大祐が死刑囚の息子であったり、プロボクサーであったりと徐々に謎めいた人物像が解き明かされていく流れ。
単に謎解きモノではなく「死刑囚の息子」という呪縛に苦しむ大祐の姿や「在日三世」という自身に悩む弁護士の城戸、「戸籍のなりすまし」という問題に絡めて色々と考えさせられる作品。
特に良かったのが、主役級の妻夫木、安藤の演技は勿論素晴らしいのだが、脇を固める助演陣、特に途中で出てくる服役中の詐欺師柄本明の演技が素晴らしかった。「差別的発言をストレートに行う嫌な人間」っていうのが、これでもかというくらいに見せつけられる。
なお、劇中最後の依頼解決後数年たったバーのシーン。シーンの意味がよく分からなかったが、他の方の考察等を拝見し、あの時城戸が「何と名乗ったか」というのを考えさせるシーンであったと理解。自身の理解力の無さに呆れるばかりだが、なるほど、確かに面白い。
ついでに知ったことだが、作品の最初と最後に移る絵は画家ルネ・マグリットの「複製禁止」という作品らしい。上記の考察とともに、作品の内容と照らし合わせると色々考えさせられる、見た後の余韻がとても良い作品でした。
期待しすぎた
やたら宣伝はミステリアスな演出だから、もっと深い事情などあるのかと思いきや、うーん淡々と進んでいく
俳優陣が豪華すぎて演技もうまいので引き込まれるけどこれ2流俳優だったら見ていられないような、、
窪田正孝が主役かと思っていたのでまさか妻夫木メインとは思いませんでした
妻夫木はいつまでたってもイケメンだねえ
日本アカデミー最優秀作品賞
一言でいうと素晴らし過ぎました。
日本アカデミー最優秀作品賞受賞作品だったのと、監督の作品で「蜜蜂と遠雷」を何度も観ていたので、Amazonプライム・ビデオで視聴しました。
まず演技力合戦で、演技だけで話に引き込まれますし、また終わり方が秀逸過ぎました。
弁護士としての仕事を熱心にしつつ、抱えてている仕事と自分のルーツが重なり葛藤するところや、夫婦関係の問題など、話の展開が計算されていて、だから最優秀作品賞を取れたんだなと納得しました。
個人的に、皆さん素晴らしかったのですが、柄本明さんの名演を評価したい。
ある男
亡くなった夫は誰なのか?
そういうストーリーと聞いて、妻が弁護士と協力し合いながら夫の過去を探っていく物語とばかり思っていた。
全然違う。
深いね。
考えれば考える程深みにハマっていく
作中多くを見せず見ている側の判断でどうにでもとれる
困惑
原作と少し違ったりもするらしいからそちらも読んでみようかな。心地よい深みに。
本当の自分とは…
2024
48本目
ゆっくりと深く少しづつ心をえぐってくる作品。
血縁、しがらみ、関係性…
個人を特定するのは、他人か自分か。
戸籍とゆう現実逃避から新たな人生を歩む。
新たな人生は本当の名前ではないが、本当の自分でもありそれは関係を持つ人々も同じく、名前がなんであろうと夫であり、父である。
何が本当で、何が嘘なのか??
それを追求しても、目の前にいる人や自分が全てなんだよな。戸籍って変えるだけで違う人生を歩む事ができるくらいのモノなのかもしれない。
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