ある男のレビュー・感想・評価
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マグリッドの複製禁止
冒頭の印象的な絵画、調べるとジュルレアリズムの画家、マグリッドの複製禁止という絵画らしい。
顔の見えない、判別不能な男、まさしくある男からのオープニング。
好む好まざるに関わらず、持って生まれた自らの出自、それを武器に人生をのし上がっていく人もいれば、それを消し去りたい人も多くいるのだろう。
妻夫木聡さん演じる弁護士も消し去りたい1人。
自らを仕事、結婚含めた武装、そして帰化という合法的な手段で消し去る努力をしてきた人。
きっと、これまでは無意識に実行してきたのだろう。
しかし、窪田さん演じる偽大介が出自を消し去り、自分個人としては充実したわずか4年を羨ましく感じる。
社会的とか、金銭的とかでなく。
武装解除できるのは、バーでのみ。マグリッドの複製禁止に勇気づけられて。
演者は皆さん、素晴らしかったです。
そう単純に善悪分けられるのか?問題
(完全ネタバレですので鑑賞後にお読み下さい)
この映画ではたびたび差別主義者のクソみたいな言動が登場します。
例えば、在特会がモデルだろう、在日の人達への露骨な差別を叫び続けているデモの映像などその典型で、見ている観客の私も、相変わらずこいつらはクソだな、と改めて認識されることになります。
また主人公の弁護士である城戸章良(妻夫木聡さん)は在日三世で、城戸の妻の城戸香織(真木よう子さん)の両親や、調査の先で、彼がことあるごとに差別的な言動を受ける場面が出て来ます。
そして観客の私は、本当に彼らはクソな存在だなと感じ、そんな露骨な差別言動をしない自分を正義の側に置いて安心して鑑賞する構図になっています。
しかし、よくよく考えてみると、一方で(極端な在特会をモデルにしたデモの連中はともかく)こんなに露骨に差別の表現を現実で身近な人はするのかな?との疑念もわいてきます。
多くの人々は、潜在的に例えば在日韓国人・朝鮮人の人に対して差別意識があったとしても、(SNSやネットでは別かもですが)露骨に直接当事者や身近な人にそれを伝えることはしません。
また多くの人々は、例え潜在的に差別意識があったとしても、と同時に、相手が必要であるならば手を差し伸べたり同情や共感の感情を持ってもいるのです。
つまり、1人の人間では、差別意識もそれとは逆の共感も、分けることが難しい重層的な感情として内面に持っているということになります。
すると、城戸章良の周りの差別意識を露骨に表現してくる(観客からはクソの存在に思える)人物描写はリアリティが欠けているのではと思えてきます。
そしてその表現は捨て、逆に親切心と同時に潜まれた差別意識の混ざった複雑な人物に城戸章良の周りの描写が変化したとしたら、途端に観客はそれらの登場人物をクソな存在として認識できなくなります。
つまり観客は差別を否定する正義の場所に逃げ込むことが出来なくなるのです。
この映画は本当は、このように正義と差別の悪をきっぱりとは分けずに表現する必要があったのではと思われました。
主人公の弁護士の城戸章良は、谷口里枝(安藤サクラさん)の死んだ夫の谷口大祐(窪田正孝さん)が本当の谷口大祐ではなかったことが判明し、では谷口里枝の夫(ある男X)はいったい誰だったのか?と、谷口里枝から調査を依頼されます。
弁護士の城戸章良は、調査の結果、谷口里枝の夫だった人物(ある男X)が、小林謙吉死刑囚の息子で、母親の姓を名乗っていた元ボクサーの原誠という人物であったことを突き止めます。
そして、死刑囚の息子だった原誠は、死刑囚の息子だった過去から切り離れるために2度の戸籍を変えていたことも分かるのです。
ところでこの映画『ある男』で個人的に一番印象的なシーンが、(死刑囚の息子だった原誠の戸籍変更に手を貸した)今は獄中にいる小見浦憲男(柄本明さん)と主人公の弁護士の城戸章良とが対峙する場面です。
小見浦憲男は、クソみたいな差別言動を城戸章良に浴びせながら、城戸章良もまた獄中にいる自分(小見浦憲男)を見下して差別していると指摘して城戸章良の内面をえぐります。
個人的にはこの場面に真実性があると思われました。
その理由は、在日三世の城戸章良が自身の内面に在日への差別意識が入り込んでいるから在日を隠そうとしているという焦点を小見浦憲男がえぐっているように感じたからです。
さらにそれを超えて同時に、観客の側も、正義である差別への批判をしながら、その内面の奥に差別意識も抱えている、その矛盾を小見浦憲男が言い当てているとも感じたからでした。
個人的には、差別言動をして来た小見浦憲男の、城戸章良との対峙の言葉に感銘すら感じることになりました。
私は、この映画は親切心や差別批判と共に、潜在的に差別意識を持ってしまっている多くの観客を、正義の側に逃がさない表現をする必要があったと思われます。
なので、露骨に正義と悪を分けるてしまう、小見浦憲男以外の登場人物の分かり易い差別表現はさせない方が良かったと思われました。
その点が惜しまれる作品になってしまったとは個人的には思われました。
考えさせる
実際、生きていて犯罪者の子供や、家族だからといって騒がれてる人を見たことが無いし、2世だからといって、差別視する世界観にいたことがないので、いまいち共感出来ないけど、自分ではどうすることも出来ない境遇に生まれ、いろんな差別や、葛藤の中どう生きて行くのか、どう向き合って行くのかは、とても興味深い作品でした。役者さんがみんな凄いので、思わず泣いてしまうシーンもたくさんありました
戸籍一枚で人間の存在を決める世の中
自分の存在を証明するものって何?
って考えたら免許証だったり保険証だったりするけど
それだって持ってない人は証明にならない。
最終的には戸籍になるんだよね
それが売り買いされてて自分を消したり変えたり
することができるのであれば。。。
嫌な過去や人間関係をクリアしたい人は
そうしたいと考えるかもしれない。。
法的には違法だけど
そういうニーズってないことはないよなあ
としみじみと感じた作品です
それぞれの役者さんの演技が素晴らしかった
いい作品でした。
今が幸せなら大切にする、嫌だなと思ったら新しい場所へ
親ガチャという言葉がある通り親は選べない。殺人犯の家族も殺人犯として扱われます。しかしながら、その家族は決して悪い人ではありません。それによって人生が壊れるのは知ったことではない、名前変えたい気持ちで新しい人生を歩みたい。責任を感じると思いますし、逃げたら無責任と周りから思われます。しかし、自分の人生です。好きなように生きればいいですし、逃げたくなったら逃げればいいです。新しい人生で受け入れてもらえれば、過去はどうでも良くなると思います。作中は不条理な現実と冷静に向き合いながらも、人間の愛と優しさの可能性を決して諦めない生き方をしている人物がたくさんいたことに暖かみを感じます。
本筋だけ
窪田君が安藤サクラに
友達になって下さい、と告げるシーンは
キュンキュンしちゃいました
おばさんの気持ち刺激しすぎ笑
メインの話はわかりました
でも、色んなところで
ちょいちょいわからない話が出てくる
思わず、電子書籍をポチってしまった
どこかのレビューに原作本の宣伝とありましたが、見事にハマりました
自分で回収できないし、気になるし、時代はポチってすむことが増えたもんだ
仲野太賀もチョイ役で、うーんもっと見たかった
柄本明、怪演ですな
見てる自分も詐欺られそうだわ
赤の他人になりすまして
生まれ変わった気持ちになって
全く別の人生を歩めて
最後の何年かは幸せだったのだと思いたい
ちょいちょい蘇る父親の血は
少しは感じていたのだろうけど
知らなくてよかった
展開も想定内で淡々と最後までといった感じ。抗えないものもの重さからすれば突拍子もない展開も難しいのかなと。希望は里枝(安藤)や美涼(清野)の変化であり想いだけど、X(窪田)や谷口(仲野)は変えられる過去。城戸(妻夫木)だけは絶対的に変えられない過去であり、知ったことで「知らなくてよかった」と言えた里枝とは正反対になった城戸だけは、何も解決しなくてやるせない。過去にも今にも未来にも背いていかなければならない「ある人」って城戸のことかしら?
設定は面白いのに
一体自分は誰と結婚していたのか?
設定は凄く面白いと思い観に行きました。
が、全体的なストーリーとしては、まあそうよね。という感じで、そこまで捻った感じではないような気がします。
主役は、妻夫木さんだったのでしょうか?
もう少し、妻夫木さんに過去や影があり、それと重なっていくとか、実はもっと複雑なストーリーがあるとかでしたら、面白いのではないかと思いました。
いささか消化不良
…な一本と思われました、評論子には。
戸籍は、もちろんその人のアイデンティティを表象するものの一つですし、戸籍による身分関係の公証があらゆる法律関係の基礎をなしていることも、否定はできません。
しかし、人のアイデンティティのすべてでもないと、評論子は思います。
芸能人はいうに及ばず、講演活動などを行っている人達などには、戸籍上の本名よりも、活動に使用している名前で、その人が認識されている例もあることには、枚挙にいとまがないと思います。
言ってしまえば戸籍によるアイデンティティの証明はその程度のもので、単なる「紙」に過ぎないのに、「戸籍を交換すれば、一切の過去を切り捨てて他人になりきれる」などというのは荒唐無稽な考え方であることは、そのことに徴しても明らかではないでしょうか。
「戸籍交換」などという目新しい言葉で、それがいかにも人の過去を消し去ることができるかのようなミステリアスな行為のようにモチーフとしているかのような本作には、正直なところ、鼻白む思いがしてしまいました。そういうモチーフを良くかみ砕いで消化できていないとも思われました。
観終わって、残念な一本になってしまいました。評論子には。
ラストが素晴らしい
全体でいろいろ思うことはあるんだけど、とにかくラストが素晴らしいのに、その解釈ができてない人が多くてびっくりする…正直文脈を読む力が著しく低いか、違う人生歩んでみたいと思うような挫折とかしたことない人なのかなあと思ってしまうな…
名前という呪縛
名前を捨てることの意味とはなんだろう。
男の死により炙り出される人間の暗部、そして人の目の恐ろしさと逃避行が徐々に紐解かれる。
その男が生きてきた人生の中、自分の意思で選択して生きることが出来た数年が彼にとって満たされたものであった事を残された家族が彼を想い訪れた公園でのやり取りが心に静かに沁みわたる。
その人の内実、中身を見るべき
名前、顔、アイデンティティ、変容の問題を取り扱った映画だと感じた。
ある男Xは、殺人者である父親と顔が酷似しており、そんな自分の顔、身体を嫌っているがどこに行っても「殺人者の息子」というレッテルを張られてしまう。自分の外見が嫌いな為ボクシングを始めたが彼の暴力性が褒められ、またレッテルを張られてしまった。自分の師匠や先輩に独白しても、誰も彼自身のことを見てくれなかった。
彼は色眼鏡、偏見の目で見られることなく、自分自身を見てもらうために「変わりたい」と強く願ったのだろう。そして彼はそんな彼自身をしっかりと見てくれる林業会社の人々、妻、家族に出会えた。城戸も作中で発言していたが、長崎での生活は彼にとって充実したものだっただろう。
Xと名前を交換した本物の谷口大祐も、何年たっても心配してくれていた元恋人に出会い涙を流す。この元恋人は、彼のことを見てくれていたからだ。
城戸自身もXのことを追いかけていくうちに、自分のモヤっとした部分を晴らしていったように思える。城戸もまた「在日朝鮮人」というレッテルを張られた人物だったのだ。真木よう子演じる城戸の妻(見ててイライラする)もまた城戸のことを全く見ていなかった。案の定浮気していたし。
映画の最後の場面を見て、非常に面白い構造、ストーリーだなと思った。城戸もまた今までの自分を捨てるために名前を変え、良い人生を送っていたように思える。
この作品で変容のきっかけとなっているのが、名前である。里枝の息子もころころ変わる苗字に困惑していた。自分は何者なのかと。それほど名前はアイデンティティの確立の上で重要なものである。
しかし矛盾してしまうが、名前は単なる記号でしかないこともこの映画は示唆していると思う。里枝は夫の素性が分かっても、自分が愛したこと、彼と過ごした幸せな生活に嘘はない、事実であると物語終盤で述べていた。また実際、「谷口大祐」という名前は、本物からXへ、Xから城戸へ受け継がれている。彼らは同じ名前を持っているが、決して同じ人物ではない。「谷口大祐」という名前は単なる変容のきっかけであり、偏見を持つ人に見せるための飾りでしかないのだ。
機会があったら、小説を読み映画も見直して、大学のレポートなどでもっと考察を深めたいと思う。
人とは
亡くなった男の素性が偽りであった事から始まる、人とは何なのかを問うヒューマンミステリー。
重いテーマの話ではあるが、物語の起承転結がはっきりとしているので観やすくなっている。
この作品では、「誰もがスタートラインは平等である」そんな綺麗事が言ってられない現実を突きつけてくる。親や環境など、生まれ持ったものが子供に与える影響は大きい。だが、それに子供は関与する事は出来ない。必死にその境遇で生き抜こうともがく。その先に今回の原と谷口がいたのではないか。
この問題は弁護士の城戸にも波及してくる。在日3世の彼は表には出さないが、苦労をしてきたのではないか。刑務所での「貴方は在日っぽくないですね。それはつまり在日っぽいということです。」という言葉。
一見何が言いたいのか分からないが、隠すのが上手いということではないかと思う。それはつまり隠さなければいけない感情があると言うことだ。
妻とのケンカの際に発した「何か落ち着く気がする」。この言葉には、彼の中に意識していない所で自分でも気付いていない感情が潜んでいる事を表している。
我々の関係を考えると双方の信頼によって、ともすれば、とても脆いシステムの上で成り立っていると感じされられる。相手が語ったエピソードがその人の人物像を作るが、それが本当かを確認するのは容易ではない。
城戸も不意に妻の浮気を知ってしまう。それまでの過程と合わさりラストの戸籍を交換したのではないかと匂わせるシーンに繋がっていく。
役者陣の演技も素晴らしい。2人の出会いの場面では、ほっこりするシーンが展開されるが、窪田正孝の時折見せる影のある表情がとても上手い。
脇を固めるのもでんでん、きたろう、柄本明ら名バイプレイヤー達。「PLAN75」での演技が記憶に新しい、河合優実も好演。
そして、眞島秀和の演技が素晴らしい。温泉旅館の跡取りとして、陽の当たるものを観る、最後まで日陰にあるものを観れない者として、演じきっていた。彼の存在で観客の立ち位置をハッキリとさせる事出来ていた。
物語が一段落したラストに観客に最後の問いかけがある。私達は誰の物語を観て、聴いていたのだろうか。
人には表と裏の顔がある
何ともシュールで不気味な絵画を捉えたオープニングショットから引き込まれる。男が鏡を見つめているのだが、そこに映るのは彼の正面ではなく後姿なのだ。これは一体何を意味しているのか?映画を観進めていくうちに、それが徐々に分かってくる。つまり、人は誰でも秘密を抱えて生きている、二つの側面を持っている…ということを暗に示しているのだろう。
大祐を名乗った”ある男”もそうであるし、彼の身元を調査する弁護士・城戸もそうであった。そして、服役中の戸籍ブローカー小宮浦、城戸の妻も然り。見えているものばかりが真実とは限らない。実は見えてない面にこそ真実がある…ということを本作を観て教わったような気がする。
物語は里枝の視点で開幕する。大祐との出会い、再婚、娘の出産、大祐の死までが軽快に綴られ、やや駆け足気味な印象を持ったが、それもそのはずで物語はここから本格化する。城戸の視点に切り替わり、大祐を名乗った”ある男”の素性を、つまり裏の顔を探るミステリーになっていくのだ。
キーマンとなるキャラクターが複数人登場して、彼らから城戸は様々な情報を得ながら”ある男”の正体に近づいていく。構成自体はオーソドックスながらよく出来ていて、グイグイと引き込まれた。
そして、この物語は城戸自身のアイデンティティを巡るドラマにもなっている点に注目したい。
実は、城戸は在日三世であり、そのことに少なからずコンプレックスを持っている。義父の差別的な発言やヘイトスピーチのニュース映像を見て、城戸は度々それを実感するが、この消せない血筋とどう折り合いをつけていくか?という、ある種社会派的なテーマが、ここからは感じられた。
在日三世の出自を隠して生きる城戸。凄惨な過去を捨てて大祐として生きた”ある男”。二人は過去から逃れようとする者同士、ある意味で似ている。やがて、城戸は”ある男”にどこかシンパシーを覚えていくが、これはごく自然のことのように思えた。
このあたりの城戸の心情変化を、説得力のある展開の中で表現した所が本作の優れている点である。その葛藤にしっかりと焦点を当てたドラマ作りに観応えが感じられた。
ただし、厳しい目で見てしまうと、幾つか演出と展開に「?」となる部分があり、少し勿体なく感じた個所もある。
本作は同名ベストセラーの映画化で、自分は原作未読なのだが、このあたりがどう処理されていたのか気になる。
例えば、最も引っかりを覚えたのは、城戸と妻の夫婦関係に関する顛末である。一連の捜査が一段落した後で語られるのだが、わざわざこれを付け足す必要があったかどうかというと疑問が残る。印象的だった映画のオープニングに呼応する形に持って行きたかったのだろう。それはよく分かるのだが、個人的には城戸の心理に余り納得できなかった。
他に、大祐の事故死のシーンは演出が淡泊なせいもあろう。どうしても不自然でわざとらしく感じてしまった。遺影の前で里枝と大祐の兄が「じゃあ誰?」と同時に呟くのも不自然に感じた。
キャスト陣は芸達者な布陣で組まれていたので安心して観ることが出来た。
安藤サクラは相変わらず巧演であるし、妻夫木聡も今回は抑制を利かせた演技で好印象。そして窪田正孝が意外に肉体派であったことに驚かされた。一方で、コメディリリーフ担当としてタレントを起用しているが、こちらはどうしても普段のイメージがあるせいで作中から浮いて見えてしまったのが残念である。
消せない血の宿命
死後に別人であることが判明した男の過去を追いかける社会派ミステリーで、とても見応えがありました。安藤サクラと窪田正孝の出会いから家庭を持つまでを自然に流れるように描きながら、一転して緊迫感のある展開へ切り替える石川監督の語り口が絶妙です。血縁という、自分ではどうしようもできない宿命のために、身分を捨てる者、捨てられない者の対比がストーリーを盛り上げ、往年の名作『砂の器』を思い出しました。中盤から描き方の視点が頻繁に変化するので分かりにくかったり、温泉旅館の次男の動機が主人公と比べて弱い点もあるけど、登場人物への深い理解と丁寧な描写が際立ちます。役者では主役三人はいずれも好演。少ない出番ながら、柄本明の怪演ぶりにドン引きでした。
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