死刑にいたる病のレビュー・感想・評価
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ベール
冒頭から感じていた紗幕ごしの感覚。
終幕まで見終えてなるほどと唸る。
彼は、全く本心を語らなかったのではなかろうか。いや、法廷でのみ本音を語っていたのだろうか。
サイコパスと区分すれば分かり易いのだろうが、その詳細までは全く理解が及ばない。
人の形態をしてはいるが、宇宙人とか異世界の住人と対面しているようだった。理解が及ばない存在として悪魔と呼称してもよいのだろう。DNAの細部が違うような感触…今作のアベサダヲをなんと形容してよいのか分からない。
人の通念の外側にいる存在。
物語としても混沌を極める。
話の主軸が主軸ではなく、それ自体が餌であり罠であり…シリアルキラーの遊びに付き合う事になる。
彼に善意を見出そうとするのは無駄のような気もする。のだが…犯行が発覚したのが被害者の逃亡だとして、自らのルールに反する殺人を犯したのには、どんな理由があるのだろうか?
24番目の殺人。
25番目の被害者が逃亡。
アザのある男を苦しめる為、逃した獲物を狩る、一石二鳥だとしても、その殺害方法は自身の趣向に準じても良かったはずだ。
…新たな遊びを思いついたって事なのかな?
今の方法に飽きてきて、いつかは捕まるだろうその日の為に仕込んだネタ。
まぁ、常人の考えが及ばない側の人なので、考えたとこりで答えに行き着くような気はしないのだけど。
色々と気持ちの悪い部分はあって…。
父と母のなり初めだったり、キリエさんって主人公のおばあちゃんなのかな、とか。なんか別人のように思えてたのだけれど、母親と養子縁組してたりするから祖母にあたるのだろうけれど、の割には、初めて見た人のような登場の仕方だったり。
彼女からの告白といい…最後の最後まで危うい作品だった。
主人公の男の子が、途中から松田優作さんに見えてきてた。
ディレクターズカット希望
全体的に良かったが、榛村の残虐性がぼんやりしていたので燻製小屋で行われた凶悪な儀式の一部始終と被害者の生前の日常を映したディレクターズカットやオムニバスがあれば見てみたい。
「阿部サダヲ」恐怖症
この映画を鑑賞後、私は一つの病にかかってしまったようだ。
映画館に足を運び、席に着席した所であることに違和感を感じた。それは映画を鑑賞しにきている人の年齢層だ。ほとんどが若年者のカップルばかりである。心のツッコミが思わず漏れそうになった。まあ、なぜ若年者が多いかは予想がつく。(恐らくTikTokにてコンスタントに映画を紹介するインフルエンサーによるものだと思われる。)無駄話はここまで。
論理的には語れないが私なりに内容に対する感想を述べる。
まずは阿部サダヲに天晴れだ。パン屋さん店長シーンでの懐を妙にくすぐってくるあの人懐っこさをコントラストに殺人鬼としてのシリアルキラー、秩序型犯罪者としての存在を引き立たせる表現が最高にシビれた。
キャスティングもかなりハマっていたと思う。特に「岡田健史」がかなりのハマり役だと感じた。名門大学を目指し、最終的にFランに入学などの生々しくリアルな人間模様を演じた彼は最高のハマり役だと思う。
伏線などの難しいことは語れないが最終的に私が感じたのはこの映画のせいで綾鷹のCMが見られなくなったことだ。
PG12とは
猟奇連続殺人の話とのことですが、PG12なのでグロシーン少なかろうと観に行きました。
が!PG12とは…?中学生も高校生もあんなグロテスクなの平気なのでしょうか?
体感では3分の2くらい目をつぶっていた気がします。あんなに一生懸命殺害シーンを作らなくても…。グロ耐性強い友人ですら「ストーリーも相まってあれは直視できなかった」と言っていました。PG12とは…
ストーリーはサイコ思考の死刑囚が最後の殺人について古い知り合いの青年に依頼を頼むって内容です。
青年の心の動きが細かく描かれていたのは面白いと思いました。自信に溢れてだんだん話し方が滑らかになる、背景の人々の動きもリアルタイムになる(自信がない時は青年以外背景の動きがスロー)。
人物設定にはいささか疑問が多く残りました。青年の彼女はどう見ても大学生に見えないし、中山美穂と阿部サダヲで20代の再現もやめてほしい、あと、岩ちゃん必要でしたかね…
平日の回にも関わらず満員、しかもカップルや若い女性、高校生グループが多くてびっくりでした。岩ちゃん効果?
冒頭、犯人が用水路にまいている花びらのようなものが何か分かった時、鳥肌がたちました。
私は、死ぬことは怖くないけれど、拷問は心底嫌です。
「死刑にいたる病」は、冒頭で、鑑賞を強烈に後悔した初めての映画です。
観るのがつらくて、目を覆いました。
この作品、中学生は鑑賞可なのですね…年齢制限の基準が私にはよく分かりません。
そして、冒頭以上のシーンはないだろうと思っていたら、まさかのさらに私を戦慄させるシーンが…。
犯人が、小学5年生の少女にした所業に、身体が震えました。
もし、この作品をTVやDVDで観ていたら、途中で止めていました。
映画館だと、なんか意地でも完走したくなる…。
おそらく、犯人は、私が想像ができないような過酷な環境で育ったんでしょう。
感情や情緒などを司る脳の機能が失われるほどに。
これは、治療が必要なレベルの病気ではないかと考えます。
社会的弱者である女性や子ども、高齢者からしたら、こんな人が増えてきたらと思うと恐怖です。
9人の殺人で有罪判決を受け、死刑を宣告されている犯人は、日本の法律に基づいて、いつか絞首刑にされます。
でも、それでは長期間犯人に拷問を受け、殺された被害者たちは、浮かばれないなと思いました。
「目には目を 歯には歯を」の気持ちが初めて理解できました。
犯人をどんなに痛めつけても、被害者は帰ってこないし、犯人は己の罪の深さを理解できないでしょうけれど。
ファーストデーの1本目がこれで、メンタルがかなり削られました。
救いは、主人公が犯人からの呪縛を断ち切ったところです。
ラストシーンでは、さらなる罠があり、それを主人公がどうするのかは気になるところですが…大丈夫だと信じたいです。
正視できず…
上映時間の4分の1は目を瞑ってしまいました。
人が人を支配する時、それは極々自然に見えて実は緻密な計算と悪意で成り立つのですね。
阿部サダヲ、狂気の塊でした。
冒頭部分を花びらだと思っていた自分。
観賞後にげんなりしながらちょっと笑いました。
体力のある時に見ましょう
怖い怖い怖い怖い映画です!!!!
拷問シーンがばっちりあります。正視できません。
映像が怖すぎでしたが、内容は面白かったです!
ラストシーンの、再び恐怖に引き戻されるシナリオ、怖かったなあ~。
怖い。
そして分かりにくい。白石監督にしては珍しく人物描写が足りなかった。
一番肝心な榛村の生い立ち、それと“病”についてがほとんど描かれていない。白石監督だし、きっと犯罪心理の“病”を主軸にした作品だと思ったのだけど。
他の登場人物も全てが謎で、なので最後まで集中して観れたけど、謎のまま終わったのでただ表面的な怖さだけが残った。
そういう作品もありなのかもしれないけど、白石監督のいつもの丁寧な人物心理描写を観たかった。
浅い、、ミステリー。。
評判が良かったので観ました。
全体的に、ストーリーが浅い。衝撃のラスト、、!!どこが?ミステリーとしては致命的だと思うんですが、話が飛び飛びで繋がりがわかりにくい。
あと、とにかく見ててイライラしたのが、とびきり普通の主人公が事件の謎に淡々と触れていくというストーリー。この主人公が、ボソボソ喋ってて、挨拶もろくに出来ないような、普通の人じゃない。
聞き取りづらいし、周囲には馴染めないし、はっきり喋ってくれないと何言ってるのか分かりにくい。
期待していただけに時間を無駄にした感じ。素晴らしいと思ったのは阿部サダヲの演技くらい、、かなあ。
恐ろしい
ホラー全く見れないけど気になってしまい見てきた。
ホラー苦手の自分からしては音からして怖くなっちゃった。最初は難しい話だなって思ったけど意味が理解出来た時恐ろしいと思った
桜だと思ってたのが爪だった時の衝撃がえぐすぎた。
恐ろしすぎて...
爪を剥がすシーン、
ふくらはぎを割くシーン?
怖すぎて恐ろしすぎて目を背けました...
体調不良のなかみたので
追い討ちをかけられるかのように死にそうになりました....
阿部サダヲの演技は狂気的。あの顔、声、表情、まさに
サイコパスでした.
「自分だけ」「他とは違う」
幼い頃に負った傷が癒えることはなく、他のだれかの信頼という言葉に
簡単に心を許してしまう。それが連続殺人犯でさえも、
主人公は抱えた傷を俳村に諭してもらうことにより、
父親以上の信頼を感じてしまう、やがて実は何も血の繋がりがなかったと
解るやいなや、俳村に縋りつこうとしてしまう。
結局のところ、俳村が殺してきた20数名、その他の児童に対して
何をしたのかといえばこれが全てで、これ以上はない。
怖いと思った手口がいつの間にか気づいたら自分にも という
ことなのであろう。
冒頭、色褪せた花びらをパラパラと撒いていたのかと思ったら実は被害者...
冒頭、色褪せた花びらをパラパラと撒いていたのかと思ったら実は被害者の爪だったとは。。。
拘置所での面会シーンは「凶悪」にも通じる感じがあり、途中まではゾクゾクできたんですけどね。
追いかけていた事件の結末がもう一つな感じがしてしまいました。
ただ、宮崎優さんの血を舐めるシーンと最後のシーンは結構なインパクトがありました。
今後に期待してしまう女優さん見つけた!って感じ。
高校生を連れ去って長い間拷問してっていうのはちょっと見ていて辛い内容でした。。。
冒頭がクライマックス!
冒頭の阿部サダヲによる少年少女拷問シーンがクライマックスです。その後はところどころ拷問回想シーンがありますが、すべてオマケのような。
阿部サダヲのサイコパスぶりは大変素晴らしく、あぁサイコパスってこうじゃなくちゃねって満足できます。
ストーリーはオチ以外は読めると思います。読めないオチも、恋仲になった灯里が実は阿部サダヲの手紙で動いていたという、しかし阿部サダヲの指示がなんだったのかは分からずモヤモヤします。雅也に息子と信じ込ませて灯里を殺させたかったのかな、というところですが、だとすると灯里をどうやって誘導したの?と不思議です。
あまりストーリーは怖くないですが、拷問シーンだけはしっかりやっているので、痛い映像が苦手な人はダメだし、近年の邦画では珍しいシーンでもあるので、好きな人は是非見てください。
個人的には佐藤玲さんが好きなので、苦しめられるシーンがたくさん出てきて止めてやってくれ、でももっと出してくれと板挟みでした。
花びらが舞っていたのかと…
狂っているが、頭のキレすぎるサダヲが怖かった😵💫
ラストシーンの主人公が謎を解いてからの、
彼女のバッグからA4用紙が出てきた日には
爪が花びらみたいだったなぁ…🥶
逆らうことができないマインドコントロールなのか、水平思考なのか
詐欺師は物凄くいいやつだといいますが、この話は殺人鬼以外はみんな嫌な奴として作られています。
相対的にも阿部サダヲ演ずる殺人鬼がものすごくいい人に見えてしまうように・・・
カラコンも相まって非常に怖いです。
奥さんを家政婦扱いする父親とか、酒が苦手な若者にムリヤリ一気飲みさせようとするパワハラ親戚、友達にマウントを取るため関係ない飲み会にイケメンの主人公を呼び出す女学生とか、同じサークルのチャラい学生、本当に碌な奴がでてきません。
なかでも主人公がとんでもなく嫌な感じで、これだけのイケメンでこんな斜に構えてたら絶対友達にはなりたくない。
嫌な奴ではありませんが、自分ではなにも決められない中山美穂も最初は変な奴だと思いましたが・・・
序盤は不愉快極まりない登場人物によってひたすら不快ですが、面会を境にヒトコワに
偽りの「天才」と、その感染者たち
私は白石監督の作品は『孤狼』シリーズしか拝見しておらず、このレビューはいわゆるミーハーのそれになってしまうだろうが、ご容赦いただきたい。
まず白石監督の画について。
土砂降りのなか、雨に濡れる混凝土が美しく黒々と艶めき、作中で重要な意味をもつ「暴力」が、劇的にふるわれる……
『孤狼』にも見られたこのモチーフは本作でも健在であり、他のシーンとは一線を画すかたちで照り映えていた。それは主人公がサラリーマンに逆上するも絞殺未遂に終わり、己の「平凡さ」に気づく重要なシーンである。それに続く性愛成就のシーンも雨があり、自動車という無機物が欲情した主人公の獣性を受け止める台となっていた。
このモチーフを見るたびに私はフランシス・ベーコンという画家の作品を思い出さずにはいられない。彼の有名な『叫び』の諸作は横溢する痛みの、受け手の感性にじかに作用する表現であり、四方を無機物に囲繞された現代人へのメタ認知にほかならない。
白石監督の作品にも「痛み」はつきものであり、そこが非常にベーコンの諸作と私の中で照応するのである。
さて、本作の主題は「痛み」であり、またその共感および自閉であることは明らかである。
榛村は人を痛めつけ、惨殺する。
同時に彼は素晴らしく社交的で、善人にみえ、人心の掌握に長けている。
この矛盾するかのような要素を人格に併存させた、いわゆるサイコパスである榛村はある種のカリスマを備え、あたかも教祖のように人を自分に「感染」させてしまう。その感染力は強烈で、主人公を含めて多数の被害者たちが文字通り「感電」したかのように、彼に魅了されてしまう。
しかしながら、彼のその恐るべき独創性は、策謀と虚偽と破壊しかもたらさない。なるほど、彼は人の心を読み、それを思うまま操ることに長けていることは間違いない。だがそれは、彼の知性におそらくは殆ど先天的に、偶然備わっていた技術にすぎない。彼は人心に関わる高度な知見と勘を有する「技術者」、熟練工だったのである。
彼があれほど犠牲者を痛めつけるのは、彼に痛みが、つまり他人の痛みを自分のものであるかのように感じとる力が皆無であるという証拠である。彼の「共感」はどこまでも自閉的である。彼はカリスマではあっても教祖ではない。彼には導者として、共同体を構築し、それを運営してゆく能力がないからである。
自分が「非凡」なものでありたいという願望は誰しもが抱くものである。最近はサイコパスがそのわかりやすい人格としてしばしば挙げられがちで「サイコパス診断」なるものすら存在する。
しかしながら、「非凡」さの理想としてサイコパスを見ることは大きな過ちであることを、本作は嫌というほど明瞭に諭してくれている。
その独創性は創造的でない。
その独創性は自己完結し、破壊しか生まない。
サイコパスは世の言う「天才」ではない。天才の業績は功罪はあれど、必ず共同体や人類種へと還元される。サイコパスの所業には還元されるものがない。自己満足な殺人と操縦のあとには、ただ喪失と、痛みと、虚しさが残るだけなのだ。
阿部サダヲ演じる榛村が、終盤自分の戦利品を燃やし、あるいは流してゆくシーンを思い出してほしい。あそこに存在していたのは、虚しさだけである。何もないのである。彼がどんな思いでカフカを読み、『アンの結婚』を観たのか。私には解らない。そして解りたくもないし、解る必要もないのだ。
「悪のカリスマ」は確固とした共同体を創り得ない。共同体は創始者の因子を育み、そこからやがて新たな天才が生まれて多くの実りをもたらす。因子とは個人を元にして、けれども個人を離れることで生じる遺産のことである。
しかし「悪のカリスマ」はどこまでも自我に固執し、因子を残すことはない。そこから生まれるのはその意のままになる愚劣なエピゴーネンか、ナイーブな模倣者のみである。
一番最後のシーン、宮崎優演じる主人公の彼女は、独創的な殺人者、ある種の天才と化していたのであろうか。
私は否、と言いたい。彼女は榛村に操縦された感染者であったに相違ない。誰かを「好き」になることなど、精神病質者にはありえないのだから。
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