イン・ザ・トラップ 精神崩壊
2019年製作/93分/イタリア
原題または英題:In the Trap
スタッフ・キャスト
- 監督
- アレッシオ・リグオーリ
- 脚本
- ダニエレ・コシ
- 撮影
- ルカ・サンタゴスティーノ
-
ジェイミー・クリストファーセン
-
デビット・ベイリー
-
ソニア・カリングフォード
-
ミリアム・ガランティ
-
パオラ・ボンテムピ
2019年製作/93分/イタリア
原題または英題:In the Trap
ジェイミー・クリストファーセン
デビット・ベイリー
ソニア・カリングフォード
ミリアム・ガランティ
パオラ・ボンテムピ
サイコスリラーにホラーを掛け合わせたような作品
サイコだけに非常に難解
タイトルは、
精神崩壊している主人公の見ている世界を一般人に見せることで、見ている方が理解できないことで「精神崩壊」となることを意味しているのだろうか。
そのまま見ても意味不明だ。
いくつかのシーンで、違った現実が同時進行するように描かれているのは、パラレルワールドを「クラウドアトラス」のように描いているからだろう。
ここにこの作品を読みとくヒントがあると思われる。
しかし、この意味が分かりにくく、イライラの原因となる。
この隠されたものと対照的な概念がキリスト教であり悪魔という古典だ。
この対照を明確にしなかったことがこの作品の評価を下げてしまっている。
一般的に見ればこの作品には不可解で疑問点しか残らない。
さて物語は、
主人公フィリップは病気で、恋人とのキャサリンを絞め殺し、隣人のソニアを刺し殺し、神父までも刺し殺したことになる。
しかし、過去に退行するとフィリップは悪魔に憑依されたキャサリンを祈りの力で悪魔祓いし、結婚している世界となる。
同時に引っ越してきた別人のソニアと出会う。彼女が持っていた写真の老婆は、フィリップの悪夢に出てきた老婆だった。
悪夢から覚めたはずだと思っていたフィリップに、新たな不吉事項が提示されたことになってエンドロールとなる。
いかにもホラーの終わり方だ。
さて、
この作品における「現実」とはいったい何だろうか?
そもそもこの作品は何を言いたいのだろうか?
厳格なキリスト教と祈りの世界
これは遥か昔からイギリスにおいて行われてきた人々の営みだ。
キリスト教には悪魔が登場する。
この悪魔こそ宗教、特にキリスト教において人々を支配するための道具になっている。
宗教は、人々を支配するための道具だ。
実際悪魔は各々の頭の中にだけあるもので、実在し得ないものだ。
では神とは何だろう?
神とは「私」そのものだ。
「私」というすべてを経験している「私」がいる。
「私」というアバターを経験している「私」こそ、この宇宙エネルギーによって実体化された存在であり、宇宙による唯一無二の最高傑作だ。
宗教、特にキリスト教は、宇宙の最高傑作である「私」には原罪があり、苦しまなければならないと解き、人々の本来の力を教会に集め、神父に集め、力を奪い取っている。
この支配社会が現在まで続いてきた。
しかし、
今ある苦しみを今この瞬間変えることで、未来も過去も変えることができるというのが、ここ最近言われていることだ。
いまこの瞬間だけが時間であり、すべての力を持っている場所でもある。
この作品はそう言いたいのだと思う、しかない。
さて、
フィリップは神父に自分の病気を指摘され、神父を刺しながらその事実を確認した。
すべてを悪魔の所為にしてきた自分自身を知った。
キャサリンを絞め殺したことも、ソニアを刺し殺したことも、すべて自分がしたことを理解した。
以後私の勝手な解釈だが、
その、すべての自分の行為に気づいた瞬間、大切なキャサリンに悪魔が憑いたことにして事実を捻じ曲げるという自分自身が作った幻想に対し、その幻想を作った自分に対する悪魔祓いをしたのだろう。
おそらくそのような類は第三者ではなく自分自身でしかできないことだ。
彼はそれに成功し、結果、キャサリンを救い出した。そう思った。
しかしそれもまた彼が作った幻想だ。
フィリップは元に戻ったキャサリンにキスをして、宝箱に天使カードを入れ、あのカギで締める。
彼によって作られた別の幻想だ。
神父は「あのカギは食器棚のカギだ」と言っていた。
つまりそこには死体がある。カギは宝箱の鍵ではない。
ここで一瞬ブラックアウトになって、フィリップは出掛けようとドアを開けると、引っ越してきたソニア(別人)と鉢合わせる。
しかしフィリップは「ソニア」を忘れてしまっている。
記憶の片隅に残ったソニア 辻褄が合わなくなった。
しかし面白いのは、神父は一度もソニアと会っていないことだ。
もしかしたらソニアはフィリップが作り出した幻想かもしれない。
ただ、別人のソニアが持っていた老婆の写真は、彼の幻想に登場したものだった。
それは彼の病気はまだ直っていないということなのだろうか?
つまりこの作品は、
病気のフィリップが犯したキャサリンの殺害と神父の殺害 おそらく妹と母も。
それを彼自身が認めた上で、当時すべきだったことを新しい幻想によって変更したことですべてが解決したと思い込んでいる彼に対し、現実に現れたソニアと彼女が持っていた写真によって、「フィリップ、お前はまだ直っていないぞ」と提示されたということなのだろう。
めちゃくちゃめんどくさい解釈だが、それしか思い浮かばない。
すべてが微妙ではあるが、考える余地があるのは面白い。