流浪の月のレビュー・感想・評価
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絶望の中のかすかな希望はやっぱり絶望。
たまたま時間ができたので公開初日に見れた。
10歳の家出少女を家で保護したことからロリコン誘拐犯になり、15年後深夜カフェで再会し、そこからコミュニケーションを取り始める。少女は預けられてた親戚の家が嫌で文との生活は安心と楽しみに満ち、充実した生活だったのを15年ぶりに思い出し、お互いにパートナーがいたが、疎遠になって魅かれ合っていく。でも、その魅かれ具合は肉体関係などではなく、一緒に時間を共有することを求めているのだ。
李監督は複雑な心情を描くのがとてもうまい。人は単純な感情・感覚だけではなく、よろこびの中に悲しみを秘めていたり、破滅と分かってても感情を抑えきれない、など。しかもそれぞれの登場人物が多くのセリフがある訳でもないが、目で演技をする役者が揃い、シーンごとのちょっとした心の動きが見てとれる。
しかも、各シーンとも丁寧に描かれているので、見逃しやん??この意味が分からないということがない。でも、余韻はしっかり持たせてくれるので映画を見たという満足感で帰宅できる。
孤狼の血シリーズを見た直後だったので、松坂桃李の違いだけでもびっくりさせられる。ヤクザまがいの警官→失敗の子という烙印を押された子ども時代を送り、自分に自信を無くした青年まで振り幅が大きい。
個人的に気になった点(映画上では追及するべきところではないが)
・自傷行為が最後のシーンになった亮はそのあとどうなったのか。またDVを他のパートナーにしているのか。
・子どもを預け不倫旅行に行った安西。その後子どもは更紗と同じ道を辿ったのか。安西は更紗と文にどんな対応をしたのか。
脚本だめかな
もともと原作ファンだったので、初日初回を見に行った。脚本次第で主演女優賞も取れる作品だとワクワクしていた。
結果脚本が弱かった。予習せずに見に行った客は理解できたのか不安になった。
更紗の性格が自由で干渉しない親のもとで育った事や、親戚の家での息苦しさ(性暴力以外の)を感じて生活していたこと。家に帰ることへ限界を感じていた部分が抜け落ちたりサラッと流していたりするので仕上がりが全体的に暗く、更紗のおちゃめな部分が本当の自分で、文と居るときにしか自分が出ないという心の描写が欠けている。
役者は頑張っているが話のポイントが押さえきれていなくてがっかりした。
警察に「洗脳されている」として話を聞いてもらえず悪い方向にしか進まなかったり、生きづらさを出してほしいところがサラッと流されてしまった。
広瀬すずの主演女優賞はないな。と感じた。残念。
横浜流星の描写に関しては細かく理解でき、演技も良かったので賞も取れそうだと感じた。
繊細さと儚さ、美しさと危うさが融合した問題作
本作には“流れる”表現が多く用いられている。風で大きく揺れるカーテン、水、雲、そして満ち欠けによって姿を変える月。
色調、切り取り方、カメラワーク、全てにおいてため息が出るほど美しい。文の部屋や文のカフェも味がある。
原作未読ですが、脚本もグイグイとのめり込んで見てしまう。
更紗という役に見事にハマった広瀬すずや、松坂桃李の身体作りまで含めた役者魂は言うまでもなく、更紗に歪んだ愛を向ける亮を演じた横浜流星の怪演っぷりにはお見事!
複雑な環境に置かれていた更紗にとって、文は唯一の安らぎの場所、自然体でいられる相手だった。
愛にも様々な形がある。
二人の関係が周りからは歪んだ愛、異常に見えたとしても、二人の愛を貫けば良いのだと。
ラストで更紗が言う「その時はまたどこかに流れていこう」
他者には理解されない二人の強い絆があるのだ。
文の秘密が最後に明かされるが…ちょっと衝撃的だった(文のお母さん役に内田也哉子とは!意外な配役に驚きと嬉しさが)。
文は「誘拐事件」の加害者になってしまうが、そもそも本作の題材がかなり危ういテーマ。実際に痛ましい事件も耳にするし、特に小さな子を持つ親は、そういった人たちから子どもたちが危険な目に合わないように、と常に気をつけているはず。
だけど本作を見るとそれが一概に“悪”とも言えず、無くはない話だよねとも思ったり…
善悪二元論では語れないとても難しい内容(レビュー書くにもかなり言葉を選んで書いたつもりですが、、、)。
非常に難しいテーマを観客に投げかけている。
誰も、なんも、知らないくせに
原作では、タランティーノ脚本、トニー・スコット監督の『トゥルーロマンス』が重要なモチーフになっています。
原作を読んでおくか、映画から入るかは人それぞれですが、『トゥルーロマンス』はできれば見ておいたほうがいいかもしれません。
と、下書きしておいたのですが、本日やっと待ちに待った公開日。
以下は、映画鑑賞後に追記いたしました。
(一部、ネタバレ含みます)
ただ、『真実は違うのだ』と心で訴え、ステレオタイプの常識からの攻撃に対して静かに抗ってるだけなのに、いつでも理不尽に叩かれる。同情的な店長のように「俺は味方だし分かってるよ」的な人たちの善意すら、被害者と犯罪者と捉えてる時点で、2人にとっては理不尽な暴力装置として働く。
…誰も、なんも、知らないくせに。
原作の中で、ネット動画を見て文と更紗の事件のことを無責任に批判している若者たちを見て、13歳になった梨花がつぶやきます。2人のことを〝なんも知らなくない、かなり理解している〟友達として文と更紗とはずっと付き合いが続いていくのです。
原作の場合、事実を俯瞰的に見ている読者は、色々な場面で〝そこはきちんと訴えれば良かったのに〟というもどかしさで歯痒くなるのですが、映画ではその相手としての役割は亮くんが背負うことになります。世間という敵に比べると個人寄りになってしまう分、少し軽くなります(もちろん、暴力行為の罪自体は少しも軽くありません)。その分、嫌がらせのチラシやスプレーでの罵詈雑言が〝世間の面白半分の悪意〟を強調します。
(原作の中の一場面…更紗の場合)
文の部屋で、『トゥルー・ロマンス』を見ているとき、更紗はこう思うのです。
アラバマ、大丈夫だよ。クラレンスは死なないよ。
最後はふたり一緒に幸せになるよ。
だけどわたしはいつまでも絶対絶命のままだ。
この先、生き延びられる術があるとしたら、文の隣りだけだ。
映画の中で、更紗は亮くんに向かって言いました。
私はあなたが思うような可哀想な人ではないよ。
そう言える強さの源泉が、『トゥルー・ロマンス』へのコメントから伝わってきます。
(原作の中の一場面…文の場合)
『この木、ハズレね』
文が幼い頃、文の母親は、庭に植えたトネリコが順調に育たないのを見てそう言って、直ぐに業者を呼んで植え替えさせます。
性腺機能低下症(原作では具体的に書かれていないので、この病名は推察です)のことを誰にも打ち明けられない文はこう思う。僕もハズレなのだ。
映画は、終盤までかなり観念的な表現に徹しているので、説明的な台詞や場面も少ないうえに、時系列が前後したり、イメージと現実が混在しています。
原作を未読の人にとっては、分かりづらいと思います。しかし、ラスト。文が裸になり告白する場面で一気に溜まっていたマグマが噴出します(舞台挨拶で広瀬すずさんがマグマのことに触れていました)。
観念と現実的な痛みが、劇的に繋がり押し寄せてきます。
性的な繋がりのない文と更紗の関係性こそが、李監督にとっての『トゥルー・ロマンス』だったのですね。
なるほど…。
※映画の中では、『トゥルー・ロマンス』はまったく出てきませんが(筒井康隆原作のパプリカのアニメは出てきた)、主人公ふたりは、危なっかしくて見ていられないほど無鉄砲で純粋なのです。タイプはまったく違うけれど、理不尽な暴力に負けない根性がとても崇高で魅力的❗️
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