流浪の月のレビュー・感想・評価
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人間の想像力とは
映像は絵画ように美しく、主要な登場人物から語られる言葉は少ない。
そのため全体的に澄み切った冷たい池のような印象。
しかし内容は、人間の深みに入り込むような、観終わった後、心に重くのしかかってくるような作品。
画は美しいのに、テーマは重く暗い、このアンバランスさがこの映画の素晴らしい点だと思います。
先に小説を読んでいたので、ある程度、役のイメージはあったのですが、本当に役者の方々がお見事でした。
私の想像をはるかに超えて役を生きてらっしゃる、文や更紗や亮がそこで生きているのをみて、感動しました。
横浜流星さんの、弱くすがるような目と、愛情が憎しみと怒りに変わる目のギャップにはゾッとしました。
松坂桃李さんの顔つき、身体の線の細さも、想像する文そのもので、ラストの服を脱ぐシーンでは自然と涙が流れていました。
人間の想像力はなんと乏しいのか、と人間という生き物の悲しい限界をみたような気がしました。
そして、、、
文が池の上で浮いている姿がミレーのオフィーリアの絵とリンクして見えたのは私だけではないはず、、。
生きづらいあなたへ
自分がよく出張で行く長野県松本市が舞台と聞いて、これは観に行かねば、と思い観賞。
はじめは、行ったことのある場所や風景を追っかけてテンション上がってましたが、徐々に登場人物の心象にのめり込んでしまって、、。テンションも下がる下がる。
観終わって後はぐったり。あまりにもテーマが重く、濃厚で、かつラストで明かされる真実は驚愕。しばらく呆然自失になりました。
ストーリーは、ある事件を経て、社会の中でひっそりと生きていた二人が社会(世間)に再び晒され、やがて、まわりの人々を巻き込みながらも、彼らはその運命にお互いひかれ、そして、その宿命を受け入れて、「流浪の月」のようにさまよいながら支えあって生きていく。
性的マイノリティーである主人公を松坂桃李が熱演してます。影のある難役を見事に演じられてました。また、広瀬すずや横浜流星など若手の演技合戦はとても見応えがありました。若手俳優がむき出しでやっているのは清々しくて大好きなんです。
残念なのは、なぜ更紗が文に惹かれていったのか?更紗が当時置かれていた厳しい境遇を描いてもらうと2人の関係性をもっと深く理解できたかもしれません。あと子役が天真爛漫すぎるのも気になりましたね。
いずれにせよ、性的マイノリティー(広い意味で社会的マイノリティーという表現が適切)の人々を描くことで救われる方がたくさんいるんじゃないか。そうでないかたは知るという意味で。そういう人々を描くために映画ってあるんじゃないか、と強く思いました。
カロリー高めの映画ですが、本当に観て良かった。
追伸
松本市ではスタッフさんと同じ宿にも泊まってました。
素晴らしい映画をつくってくれてありがとうございました。監督、キャスト、スタッフ様に改めて御礼を申し上げます。
ハッピーエンド
シンプルにフミとサラサの魂がふれあい
そして強く結びついていくさまが描かれていて
ふたりにとって理不尽なことが
つぎつぎふりかかる
観ていて息苦しくなりそうなストーリーだけど
不思議とスンナリと受け入れながら
みつづけられることができた。
ハッピーエンドとは言い過ぎかも知れないが
魂が結びついていれば
流浪の中でも大丈夫な
ふたりであって欲しいと願って
鑑賞し終えることができました。
複雑ね
映画館で鑑賞しました。
上映開始から1か月が経過しているのに、映画館の席が6割以上が埋まっていてビックリしました。
とても率直な感想としては、面白かったかと問われると、何と答えらいいか分からない、といったところです。なにかがスッキリと終わったわけでもないので、明確な結末を求める方にとっては、面白くはない、とは思います。
ただ、鑑賞中は色々なことを考えさせられましたし、出演している俳優さん達の演技も素晴らしく、2時間30分という時間を長くは感じませんでした。
鑑賞している際に思ったことは以下のことです。
①文はロリコンだったのか。
文は自分のことをロリコンと認識しているが、ロリコンを小児性愛者と読み替えれば、更紗らに性的欲求をぶつけなかった文を小児性愛者というのか。文は能力的に「繋がれない」としても、繋がる以外の行動で性的な行動を表現することはできると思うが、少なくとも映画の中ではそういった描写はないし、更紗も「なにもされなかった」と言っている。このことから、一般的に想像する小児性愛者とは違う気もするが、ケチャップを拭うシーンもあり、更紗に対して恋愛感情は持っていた、とは思われる。
ここまで細かく考えましたが、結局は「普通ではない」「性的に大人になれない」と自分を卑下していて、成人女性に対してコンプレックスを抱いている男性、という表現が出きれば正確にロリコンかどうかはどうでもいい話だとも思います。
②更紗が従兄の行為を告白できなかった
文が警察に逮捕された後、更紗が従兄の行為を警察に言えなかったのは、更紗の中にもいろんな葛藤があったのかもしれません。言うと、従兄の立場が危うくなるかもしれない、そもそも自分の発言が認められず叔母の家での自分の立場がなくなるかもしれない等。
事件後の家での描写がなかったので分からないところですが・・・。
③多様性ってなんだろう
以前に比べ様々な多様性に対する寛容さが求められている世の中で、「ロリコン」という自分の力では変え難い嗜好は認められないのか。性的欲求に従い行動を起こせば、罰せられるのは当然ですが。
「大人の女性しか好きになってはいけない」というのも固定概念なのでは、とも思ってしまいました。犯罪となる行為を行わなければ、人の趣味・嗜好なんてどうでもいいだろ、と個人的に常々思っている自分としては、そう思ってしまいました。
(未成年に対する性的行為を含めた犯罪行為を容認するつもりがないことは、念のため記載しておきます。)
④アンティークショップのおじさん
細かい話ですが、あの人の存在は必要だったのか。必要だったとして、柄本さんでなくてよかったのではないか。柄本さんという俳優を使ったからこそ、アンティークショップのおじさんが際立ってしまった。
文も更紗も、複雑な背景を抱えており、本当の自分を見て認めてくれる存在を求めていた。しかし、状況しか見ていない、切り取られた情報しか知らない世間は、2人の関係性を認めない。辛いですね。
様々なことを考えさせてもらえた良い映画だったと思います。
彼は幼児愛者だったのか
李相日らしく見終わった後に考えさせる作品。
同僚の娘を預かるシーン。あそこだけ文が凄く普通のいい顔してて。150分中あそこだけ。
やっぱり?と思わされるシーケンスで最後までずっと引っかかってたけど、あれは絶対に手に入れることができない「普通」だったのだろうかと思うといたたまれない。
コンプレックスを曝け出し、受け入れられ、文はあの笑顔を見せているだろうか。
追記
ロリコンかどうかだけど、文の解釈の通り「大人の女性を愛せない(秘密を受け入れてもらえないから)」が正解で幼児しか愛せない性癖とは今作に関しては違うかな。
更紗だけ成長してしまった旨のセリフや実家のエピソードから自己認識として精神的な成長は止まっており、更紗に対する想いは純愛だと思う。
寄り添う2人
善と悪の境界線なんてものはハッキリするはずがない。
弱く脆い2人の出会い、そして互いを補填するかの如く寄り添い過ごす姿がとても素敵だけど儚く感じられる。
そこには愛というには、まだ幼すぎる想いとそれを許さない社会の目。
引き離された2人の15年後の邂逅。それぞれ生きた年月では埋められない想いが2人を惹きつける。
ただ2人の想いとは裏腹に善という名の行為を振りかざす人の恐ろしさを見せられる。
人の弱さや恐ろしさを見せられるのだけど、その中でも2人のおもいやる姿と寄り添う姿に心がぎゅっと締め付けられた。
自分の立場は亮くん
2人のことは、2人にしかわからない。
幼くして誘拐されて、監禁されていたと認識されれば、それはどんなに本人たちがなにもなかったと言ったって、そうはいかない。
報道されたことだけを鵜呑みにして、表面だけをなぞって…今の社会に溢れているリアルな世間の感情。
亮くんは、私たちの目線の人。
だって、信じられないもの。誘拐された、だけどなにもなかったなんて。
だから、俺が守る。って思っているのに
また再会した誘拐犯のところへ行こうとするなんて許せるはずない。
当然の感情で、でも文と更紗からしたら、なんて酷いことをするんだって。
たくさん考えさせられる映画でした。
あんなに嫌な役を演じた横浜さん、今までの印象を覆されました。
細野真宏さんのレビューに大いに共感
俳優、演出がよく、長時間にかかわらず緊張感途切れず拝見しました。私たち各自がそれぞれ弱さや社会に受け入れられないものを持っていて、排除されるリスクや哀しみを持っているなと思いました。結末は少し明かりが見えた感がありました。ただ、いくつか疑問点があり、細野真宏さんのレビューに書いてある疑問点に共感しました。原作未読なので読んで補完したいです。
なんでも暴けば良いってもんじゃない
誰も誰かになれる訳でもないのに
よくも人の心情を語れるなと感心してしまう昨今
原作は未読ですが、李相日監督が好きで自分に合っている映画だろうなと期待して鑑賞。
予告では成人した大人が幼少期に誘拐された犯人と付き合おうと、分別ある年齢に達しているのだから外野がとやかく言ってんじゃねぇよって視点で観ていました。
ストーリーは王道を地道に進むのですが、
演技がうまい
子役がうまい
演出がうまい
日常の何気ないやりとりだったり
会話だったり
仕草だったり
忘れられない人との時間の流れを繊細に切り取る映像、演出が素晴らしい。
役者さんの表情や血管、手の見せ方まで、顔が見えなくても感情が読み取れる演出が心に刺さって、中盤から大号泣でした。
思春期だからこそ成長する心と体のギャップに悩んだり苦しんだりする。
自分が傷ついたんだと自覚することは、自分がされた行為を認めることになるので、誰にも言えないし言いたくない。
頼むから、分かったフリをしないでくれ。
頼むから、可哀想な者として扱わないでくれ。
そっとそこに在ることを赦して欲しいだけなのに。
どうして放っておいて欲しい時には、罵詈雑言で捲し立てるのか。
どうして救って欲しい時には目も合わせてくれないのか。
自分と向き合いたかった。
家族に気づいて欲しかった。
自分は傷ついている、苦しんでいるぞって声を上げて泣き叫んでやりたかった。
が、出来なかった。
自分を守るために、自分の秘密や痛みを誰かと繋がっていくことがどんなに難しいことか。
身を引き裂かれる恥辱を味わうことか。
それは当事者でしか感じ取ることができないし、当事者だけが抱えている苦しみなのだと、映像から想像できるのが凄い。
男女の仲を描く作品は多かれど、この作品は恋愛映画ではくくれないと思う。
恋焦がれる気持ちは確かに存在するけど、肉体的にも精神的にもプラトニックな関係なのだと思う。
思春期に体が変化して、自分を見る異性の視線が変わる気持ち悪さや、性の対象となってしまった自身が生きていくために身につけた処世術だったり。
さらさの言う、
何事も諦めた方が楽じゃないですか?
って言葉に集約されている気がする。
他人に自分を分かれとも、他人を深く理解したいとも思っていない。
適当な距離感で付き合いたいのに、どうして踏み込んで荒らそうとするのだろう。
手を繋いで眠るだけで幸福で満たされるなら、それが愛だろうが恋だろうがプラトニックだろうが名前なんてどうでも良くて、ただ一緒に居たいから一緒に居る存在なだけ。
序盤ではフミの後を黙々とつけて、自宅を把握するさらさの行動がストーカーに見えて、え?っと思った。
中盤では今彼にレイプされそうになり、自分がぶん殴ってまで逃げた相手とまともに会話したり、あまつさえ自宅に一人で上がるなんて自殺行為は普通の感覚の女性ならしないだろうなと思った。
女性はどう頑張っても受け入れる側になるので、一度無理だと感じた相手は、生理的に受け付けないだろうな、と。
生理的に無理になってしまったら、キスも気持ち悪いし、同じ空気を吸っていることすら気持ち悪く感じるだろうな、と。
一見、相手に優しい言葉を投げかけているようで、ありがとうは今彼にトドメを刺す言葉だったんだろう。
りょうちゃんが救急車に乗り込む時に
もう良いからって手を離してくれたのがよかった。
相手に執着していても、心の無い関係で相手を縛り続けるのは呪いだ。
手放せたことが救いだったと思う。
フミも今彼女のタニとの別れの時に、嫌われる方を選んだのが良かった。
話せる、繋がれる相手じゃ無いと分かっていたから、相手を被害者にしてあげることができた。
終盤でサラサに対しては、嫌われても自分を曝け出す方を選んだ。
サラサがフミと繋がっていたかったように、フミもサラサと繋がっていたかったんだなと思えて泣けてしまった。
自分を理解してくれる存在
許容してくれる存在は大きい
在るが儘を良しとしてくれる存在は(本来で有れば)親や家族だけど、自分を大切にしてくれない血のつながりは暴力でしか無い。
認知しないことが既に呪いだ。
同じ言葉を話しているのに、まるで自分が透明人間にでもなった気分だ。
そんな中で、言葉の通じる相手をお互いが見つけた安心感や嬉しさが溢れている時間がとても綺麗で儚い。
自分が望む形で、望む人に愛される幸福があったように思う。
キャストは広瀬すずと松坂桃李のダブル主演。
いつもは広瀬すずが相手役を喰ってしまうので、今回も松坂桃李を心配していたがとんでもない。
表情やふとした仕草がとてつもなくうまい。
二人とも表情で演技をする。
その些細な演技をここだって切り取ってカメラに収めるのが凄すぎる。
二人の演技が本当に素晴らしい。
サラサの小役時代を演じた白鳥玉季の演技も抜群に良い。
研究されたのか、広瀬すずの仕草や表情の作り方を熟知して再現している。
そうそう!この口の感じ、この笑顔の感じ!
と、幼い頃に違和感がない。
キャスティングがドンピシャでハマっている。
アンティーク店の柄本明もいい味出してる。
飄々とした古物商感が出ている。
人の縁とは巡るもので、物は縁を繋ぐ媒体であり記憶の貯蔵庫の様に思える。
フミの母親役の樹木希林さんの娘、内田也哉子がアクセントになっている。
お母様も存在感のある女優さんでしたが、流石血は争えませんね。短い出演でセリフも少ないのに印象に残るんですよ。不思議です。
美しい思い出も
繰り返し苛まれる悪夢も
他人に伝えるのは至難の業です
だって体験していないことだから
体験したことのない出来事を追体験する。
映画と言う媒体で上映してこそ、当たり前を共感できる様に演出してこそ映画の価値があると思います。
刺さる人には刺さる。
共感できる層には刺さりまくって辛いです。
私は刺さりました。
上映日数も少なくなりましたが、映画館で観て損のない作品です。
ぜひ、劇場でご覧ください。
とりあえず亮にリンゴ剥いてあげたい
更紗ちゃん、文といる時はほんとに自然で楽しそう。それ以外では生き苦しそう。その演技が上手だなと思いました。この中では1番強い気がする。
文は、これ原作読まないとちゃんと分かんないけれど、病気によるコンプレックスがあったから同じ様な子供(更紗)と居て楽だったのかな?それともそれプラス小さい子が好きなのか?どっちかによって少し見方が変わるけど。前者なら凄く理解出来るし、後者だとしても人に言えない性癖を持ってしまうことは、自分を認められず辛いもの。
亮はまつ毛が長い顔がいい…笑
亮は、かわいそうで凄く良かったです。んー、このまま過去に囚われたままでもいいし、誰かが救い出してもいい。
1番弱いのは亮なんだよね。りんご剥きながらの心配してくれてるの?は捨てられた子犬みたいで可愛かったですね。この役凄く横浜さんあってたなと。凄い美形の方が似合うと思うのでこういう役は。
2人は一生行為をしないんじゃないかな。でもそんな事しなくても心の底から繋がってる2人だと思うので、薄暗い光の中2人で漂って行くのではないでしょうか。そうすることで文も自分を愛せるようになれたらいいな。
落ち込みたいあなたへ
何か主要キャスト揃って闇抱えてて、丁度気分的に落ち込みたかったんでズドーンと奈落の底に突き落とされていい感じ?でしたw
ただ、結局フミはロリなのか?成長止まった(マイクロ的な?)なのかがよく分からんかったが更紗的にはそーゆー関係は苦手だから丁度良かったってことなんかな?趣里の娘はどーなった?とかモヤモヤした。
役者さんの演技を見ようと思った。
原作がどうなってるのかわからんけど、
最後のショックなネタバレで、オイオイ、
て思ってしまった。
まあ、途中でもう、演技を、見る映画として見てたから
それなりによかったと思う。
だって、最初の犯行の年齢と、後の年齢が
よくわからないし、あんな喫茶店経営出来るのか?
とか、バカラのグラスもらったの?買ったの?
わからんだらけだから。
ずっと、最初の誘拐の時に、実際に強◯な事?は
やっていないと思われる描写だったけど、
あれだから、やってないってのは確実になった。
サラサちゃんが、もし、何にもされてないって言って、
自分から付いてったとしても、いろいろ検査されるわけで、
あー、やってないってわかる。
まあ、いとこに、何されたかは、わからん。
男だって、調べてられるから、あっ、こんな病気だってわかるから、
罪になったとしても、誘拐の方だけ。
実家も裕福みたいだから、何もあんな木造の物置で監視しなくてもなー。とか。
でも、桃李も、スズも、流星も、頑張ってたし、
多部ちゃんもよかった。スズは、だんだん姉に似てきた。
あの街角ダイアリーから観てるもんからしたら、
ちょっとショックだったけどさー。
社会派というより文芸作品かな
まず、広瀬すずちゃんの彫刻の様な美しい顔立ち、目力が、感情表現を増幅させていた。
テレビインタビューで、自信のなさを吐露されていたが、そんな内省的な彼女だからこそ、この役を好演できたとも思う。
松坂桃李くんは普段の飄々とした奥ゆかしいイメージと違って、役作りも作品選びもストイックですね。本当にカメレオンだし、これから長きにわたって映画界を牽引するんだろうなぁと確信。
横浜流星くんも、どうしようもない感じがダダ漏れで素晴らしかった。新境地開拓。
原作未読ですが、私はこの映画は映画で1つの作品として受け止められました。
文は人格形成にも影響を及ぼす性的疾患を抱えながら、母親から真の愛情を受けられず、闇を抱え続けている。更紗も母親に捨てられ性的虐待のトラウマを抱える。亮も複雑な家庭環境で育ち、DV気質に。それぞれが内面に負のマグマを持ちながら、安息を求めている。ある意味とても純粋な彼らに対し、強権力バリバリの警察や暴力的なSNS、マスコミは違う次元で必要悪として描かれる。正直、あまりに世界が違うため、混乱した。文芸作品の中に薄汚い現実世界の暗部が乱入してきた感じ。
陳腐な表現だが、人間の魂は分かり合える相手を探すもので、それは年齢性別等を超越することも、ままあり、そんな多様性をみんなが理解できれば、人間はもっと幸せになれるってことかな。
映像もとても美しくて、李監督とホン撮影監督の相性の良さを感じた。
備忘録のつもりが、レビュー長、、、
悍ましくも美しい純愛物語
2022年映画館鑑賞22作品目
6月6日(月)イオンシネマ石巻
原作未読
監督は『69 sixty nine』『フラガール』『悪人』『許されざる者 (2013)』『怒り』の李相日
雨が降る公園でベンチに座っていた少女時代の更紗は文という男に傘を差され声をかけられた
更紗は「家に帰りたくない」という
両親に捨てられ母方の叔母の家に住むことになったが中2の従兄弟に毎日のように性的悪戯をされるという
文はそれならばうちに来ればいいと意気投合した2人は同棲生活を始める
それを世間一般は誘拐と呼ぶ
楽しい毎日だったが当然のことながら長続きはせず文は逮捕され更紗は保護の名の元に引き離される
「ロリコン誘拐犯佐伯文」「洗脳された可哀想な更紗ちゃん」
それから15年後おとなになった更紗は職場の同僚と珈琲店に入るとそこの店主は文だった
更紗は1人で何度も通うようになり馴染みの客になる
なにかと更紗を束縛する彼氏は文と会うことに反対し激しい暴力を加える
血塗れになって逃亡した更紗は文の元でまた一緒に暮らすことになる
ところがそれを世間は許さなかった
ネット民にマスコミに警察
彼らの歪んだ正義感と悍ましい偏見そして嫌がらせは2人を悲劇へと導く
だがかえってそれが2人の絆をより強くすることになる
1人じゃないから
明日はどこへ行こう
結局のところマイクロペニスの男と幼い頃に性虐待を受けた女の純愛物語である
少なくとも僕は純愛とみた
2人とも所謂セックスレスなわけだがだからこそ純愛が成立するのかもしれない
たけしも志村もコントで男女の仲はセックス次第と言ったがたしかにそうかもしれないがそれだけではあるまい
原作者はBL作家らしいがそれを知るとなるほどそれらしい視点の作品と言える
マイクロペニスについての詳細を書くと削除されそうなので興味があるなら各自でネットなどを利用して調べてほしい
濡れ場と暴力シーンがエグすぎる
広瀬すずのオッパイが露わになるのではと期待と不安が入り混じったが杞憂に終わった
亮の更紗に対するDVに至っては惨すぎてとてもじゃないが見てられない
李相日監督の良いところはCGを使わないところだろう
生の人間と人間のぶつかり合いで勝負する
それには役者に対して高い演技力が求められ執拗なまでに妥協を許さない
脚本とかカメラ割とか原作との相違点とかそんなもんは二の次で役者の芝居が一番重要だと断言する自分にとっては彼の作品はわりと相性が良い
松坂桃李はいつもの松坂桃李でこういう引き出しがあってそれを出したまで
だけど広瀬すず横浜流星多部未華子趣里の4人は明らかに李相日の演技指導が功を奏したのか過去と比べて断然良かった
趣里はあのキャラがハマっていたしあゆみが文を問い詰めるシーンでの泣きじゃくる多部未華子は心を打った
広瀬すずは明らかに姉と違う方向に行っているようで李相日監督の次回作に出演するとしたら全裸披露か拷問を受け殺されてバラバラにされる役とかではないかと
そして誰よりも驚いたのは横浜流星の芝居だ
彼がこんなに旨い役者だとは知らなかった
名前と見た目がかっこいいだけのイケメンだと評価していたがあまりにも見くびっていた
亮の更紗に対する怒りや束縛や暴力に幼少の頃に経験した深い悲しみが透けて見える芝居を彼はやってのけた
少なくとも僕はそれを感じた
更紗を追いかけ包丁で刺すのかと思いきや自傷し救急車に運ばれる不条理もなんとなくだがわかるような気がした
更紗を拒否した亮は全てを諦めそして悟ったのかもしれない
ただ唯一苦言を呈するならどうせならもっと激しく広瀬すずのオッパイを揉んでほしかった
『侍ジャイアンツ』の番場蛮が分身魔球を投げる時のように握りつぶすような感覚で「痛い!」と声をが出るくらいに荒々しく
松坂桃李が薄暗い部屋で全裸になり振り返ったのでダメダメと思いつつも「どうせボカシが入るでしょ」と高を括っていたがよくよく見ると「ん!?」
娼年を演じた松坂桃李らしからぬお弁当に思わず入れたいポークビッツのよう
昔8時だよ全員集合前半のコントで家族旅行だったときに子ども役のカトちゃんが帽子を被るのを忘れて取りに行ったら今度は下半身丸出しでやってくるというのがあったけどそれと同じやつだろう
松坂桃李もいろいろとやらされるね
日本の俳優に乾杯
李相日監督に乾杯
日本映画万歳
可哀想じゃないヒロイン家内更紗に広瀬すず
更紗の幼少期に白鳥玉季
引きこもり気味で虚無的な佐伯文に松坂桃李
猟奇的な更紗な彼氏・中瀬亮に横浜流星
桃李のカノジョ谷あゆみ多部未華子
更紗が勤めるファミレスの同僚・安西佳菜子に趣里
更紗が暫く預かることになった佳菜子の娘・安西梨花に増田光桜
更紗が勤めるファミレスの店長・湯村に三浦貴大
文の母・佐伯音葉に内田也哉子
文の珈琲店の下の階でアンティークショップを営む阿方に柄本明
更紗の健全さ
”怒り”や”悪人”の監督作品と言う事で、期待に違わず重厚で見応えのある作品でした。この監督は俳優に究極の演技を求めますが、今回も広瀬すずと横浜流星が秀逸。松坂桃李は特殊な設定の難しい役で、共感が得られ難い損な役柄でした。登場人物の多くに心の傷を抱える人がいる中、更紗(広瀬すず)の、すなおでけなげな姿は、この映画の中の唯一の救いでした。自分を苦しめる亮(横浜流星)が自殺を図った時も助けますが、亮はこの時、更紗が手を握ってくれた事で、自らの愚かさに気づき、そして救われます。たぶん、この自殺は亮の狂言で、愚かにも更紗を取り戻そうと(或いは試そうと)したのですが、更紗が(母親やこれまでの恋人と違って)自分を見捨てなかった事に、彼は救われたのだと思います(むしろ思いたい)。次第に内面の屈折した姿があらわになり、壊れていく横浜流星の演技は素晴らしい。対照的に更紗は子供の頃のトラウマを抱えながらも、屈折することなく、文(松坂桃李)への謝罪の念を抱きながら、(こんな自分を愛してくれる)亮にも感謝し、しかも、自分の気持ちにも素直で、(文の隣に越してくるほどの)行動力もある健全な姿で描かれます。すがすがしさまで感じられる姿です。自分は周りが思っているほど不幸ではないと言えるほどまっすぐな性格です。過去の事件では更紗のこの明るさが文の救いだったのでしょう。しかし亮にとっては更紗は当初屈折した者同士、むしろ彼女の方が闇が深く、それを見下す事で自分の闇を隠蔽出来たはずなのに、次第に気付いていく更紗の健全さの前には自らの愚かさが際立っていき、亮はそれに耐えられず病んでいくことになるのです。 そんな明るく素直な更紗も過去の文との事件を経て、どこかで全てを諦めているような陰も加わってしまった。この辺の描き方や演技はとても微妙で繊細です。一方、文のトラウマはロリコンではなく病的不能と、それにより母親に受け入れられなかった事にありました。それが最後に明かされますが、ここは、かなり特殊な設定で、しかも唐突感を否めず、感情移入し難い部分でした。ここをもっと丁寧に描いていたならば、全体のバランスが良くなった気がします。彼にとっては母に拒絶された病的不能の方がロリコンよりも大きな問題で、それを隠す為にロリコンを装っていたのでした。文が別れ際に恋人(多部未華子)からロリコンが理由で自分と出来なかったのか、と尋ねられ、そうだと露悪的に嘘をつく場面、彼女から恨まれ結果傷付ける事にもなるのですが、ここは解釈の難しところ。
文と更紗は、過去同様本人達の意図しないまま周囲から誤解され続け社会から隔絶していきます。このレビューでも言及されてた近松の道行を彷彿とさせます。最後に文が更紗に不能を告白して、お互いをわかりあい、他人には理解しがたい二人だけの世界に入って行くのです。道行は心中で終わりますが、文と更紗は何処かへ”流れて”やり直そうとする(そう提案するのは更紗で、やはりポジティブです) そして、やはり、過去のこの監督の作品同様、二人は最後には救われたのだと思います。
あとこの映画は韓国の著名な撮影監督を起用しています。凝った構図や美しいショットが多用されていています。映像芸術としては優れたものとなっていますが、その分難解さが増し、テーマが分かりずらくなったような気がします。
広瀬すずが可愛いすぎたせい
原作未読です。
広瀬すずが可愛い過ぎて、話が頭に入ってこなかったです…
あんなに嫌な気持ちになるベッドシーンは凄いと思います。広瀬すずとイケメンなのに。
桃李くんの哀しみが明かされるラスト
死んでも知られたくないことを伝える痛くて哀しくて美しいシーンでした。
結局ロリコンじゃなかったってことでいいんでしょか?
でも、ロリコンとか世間では”悪”とされてるような嗜好の方がよかったかなと思いました。
もしそうなら、なんか、観客含め世間から誤解されちゃってた可哀想なやつってだけになっちゃうような。。
世の中の当たり前とされるモラルや正義に
深く考えもせず当たり前と思い込む事への批判というか、そのモラルや正義からはみ出してしまう人に対する不寛容なクソ社会の批判というか、
そうゆうのがちょっと薄れちゃう気がしました。
だって、小さいのは今の世の中でも悪ではないし…
そーゆうことじゃなかったらごめんなさい。広瀬すずが可愛いすぎるせいです!
僕もシンプルなシャツ着て、アイロンかけて、コーヒー入れて、読書する、そんな生活したいと思いました。
あと、あいつがあんなモラハラクソメンヘラ野郎になったのも、広瀬すずが可愛い過ぎたせいだと思いました。
複雑な気持ちになる
ベットシーンが多かったイメージ。
内容は高校生の私には少し複雑だった。
DVのシーンがちょっと怖かった。
あなたが思ってるより可哀想な子じゃないよ。の言葉が耳に残ってる。
世の中は不平等だなって思った。もっと警察の人とかも話を聞いてあげるべき。広瀬すずと松坂桃李2人とも助けたくなる。幸せになって欲しい。子供を引き離すところはほんとに悲しかった。
内容はとてもおもしろかった。 広瀬すずが可愛かった ふみは一体何を...
内容はとてもおもしろかった。
広瀬すずが可愛かった
ふみは一体何を隠しているのか、なかなか掴めない答えが最後にわかり色々と合点がいった。
子役の子の演技が素晴らしかった
映画館で見る必要はないと思った。配信されて携帯でみるので充分だと思う。
色々と考えさせられました
オープニングでブランコを静かに漕ぐ少女。その目はどこか虚で、物憂げで、それでいてきれいだなあと思った。やがてベンチで赤毛のあんの本を読み、雨に降られてもなおそこを動かない。そこへ傘を差し出す男性。帰りたくないという少女に、うちに来る?と声をかけてついていく少女。
そのまま一緒に暮らす2人、少女役の玉季ちゃんがほんと良いなあと思った。
ただ、、ストーリーとしての違和感は残った。性的暴力を受けていた少女が、知らない男性に声をかけられるのは怖いと思う。ましてやついていって一緒に暮らすなんて、、。いくら家に帰りたくないと言っても、原因となったお兄さんとそう変わらない年齢なのでは、、?
しかも2ヶ月もしないうちに笑顔で笑えるとか、そんなすぐ相手を信用してトラウマから抜け出せるものかな?
2人が警察に保護された時、湖で更紗は水着を着て泳いでる、、いくら信用したとしてもちょっと警戒心なさすぎ。
大人になりすずちゃんになった時、これもまた違和感があった。大人になって恋人作って、同棲して、、ってできるもの? 役柄としては玉季ちゃんの方があってる感じはした。すずちゃんは個性が強くて、ほかの役やってもやっぱりすずちゃんだからかな、、。
そういうのは置いといたとして。
文と更紗は、お互い辛い過去を持ち、何も言わなくてもどこか通じるところがあって、心で繋がっているだけなのに、何を言っても周りには理解されないでいる。
何年か経って再開して、離れた方が良いことはわかっていても、あの時の心の拠り所を求めて、会わずにはいられない。誰にもわかってもらえなくても、2人がわかっていればそれでいいのに、周りのいろんな干渉が邪魔をする。
桃李が時々見せる表情が、誰?と思うほど違う人にも見えることがあった。自分は必要ないと母から切り捨てられ、大人になりきれない子供だった。
流星の演じる亮もまた不安を抱え、わかっていてもどうしようもない自分の心の葛藤を見事に演じていたと思う。最後のシーンが切なかった。
後半はほとんどずっと泣いてました。
みんな幸せになってほしい。原作読んでないので、読むとまた違うかもしれませんね。また読んでみよう。
音楽と台詞が胡散臭い。
最初から最後まで、濁流のような展開。ずっと重苦しく、息がうまくできないような、暗くて、張り詰めた空気。
その空気をちゃんと体感したかったのに、よいしょよいしょに挟まれるテンプレ台詞やテンプレシーンに、心が萎えてしまった。
横浜流星さんのキャラクターは最近多い単なるパワハラ彼氏だし、趣里さんのシングルマザーも、再現ビデオに出てきそうなあるあるキャラ。
そして、ここぞというときの台詞がやや安っぽい。。
古道具屋でバカラのワイングラスを見つけるくだりとか、二人が本当の意味で再開した瞬間の15年前を想起させるやりとりとか、うーん、、、この台詞いいでしょ?みたいなトーンでありきたりな台詞言われると、おーい!役者こんなに上手いのに勿体無すぎる!と悲しみが。
もっとドライに、淡々とみたかったなぁ。
このままじゃ、ただ不幸と後味悪いシーンを撮りたい監督としか思えない。
とはいえ、俳優さんの演技はほんとにすごくて、それがすごくて、だから、、、余計脚本がお粗末なのが悲しかった。
なんだろ。
これで泣く人もいるんだろうな。
何に泣いてるんだろう。
そういう人こそ、現実世界では主人公の二人の状況を「ありえなくない?!」と一蹴しそう。。
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