サラマレコン!
カサブランカのシッド・モウネンSidi Moumen で一年半もかけて生徒を追って作った映画だと聞いて驚いた。この作品はアドリブと演技の両方だと監督がインタビューで言っていた。この舞台である芸術の学校は監督が建てた「文化センター」だとも言っていた。
ナビル・アユチ監督の映画、Razzia(原題)(2017年製作の映画)、Horses of God(英題)(2012年製作の映画)、アリ・ザウア(2000年製作の映画)のレビューを書いている。結構、好みの監督で、彼の未来を見つけだすようなアプローチが好きである。彼の伴侶の作品「モロッコ、彼女たちの朝(2019年製作の映画)」もカサブランカが舞台で、先のことに目が入っている作品で、我々に何か訴えている。
そして、最近、Casablanca Beatsを見つけたので、飛びいついた。彼はSidi Moumenにただ一年半過ごして映画を作ったのではない。彼の言葉を意訳すると、生徒たちと監督が、監督と生徒たちとのコネクションが出来てから映画制作に入っていくと。準備をかけて観察しているから、素人を使って映した映画に感じられないね?!生徒が、特に感情がこもっていたり、感情が爆発していたり、ただ形だけの表現力だとは思えないから、玄人の演技だと思っていた。
アミナの母親が学校に(Positive School)入ってきて、ラップは問題になると言って、娘を連れ去るシーンがある。これは圧巻の一つで、アミナはRap is the only thing I know how to doという。アミナには何も情熱を傾けるものがなかったんだね。それを見つけ出したんだ。それが、ラップだったんだよね。やっと何か打ち込めるものが......私は教師だが、もし、生徒がこう言ったら、先生冥利に尽きて泣き出すねえ。 先生アナス(Anas Basbousi)はクールに構えちゃってるけど、「アミナ、やったね』と感じているだろう。しかし、自分の子供がやりたいことを見つけたが、モスリムの社会は....そうは問屋が下さない。モスりムの社会での女の役割、それに宗教から導かれた伝統であるための制限。例えば、スマイル(Smail)の家長である祖父の存在、(食べものの塩の量だけで一家が何も言えなくなる)
「Speak up!! Raise your voice!!」と社会で何も言えない生徒に変化をもたらすのはは生徒一人ひとりから始まるとラップを通して教える先生。しかし、アナス先生はモスリム教そのものを否定はしていないと思う。合同礼拝が始まった時でも、彼はアラーを崇めないが否定的な目では見ていなかった。生徒に自分のやりたいことを見つけさせる力をラップを通して教えたと思う。ラップを通して自分の心に素直に、自分の考えを言葉にして出すことの必要性を教えたと思う。
最後の方だが、コンサートを開いて、ヒップ・ホップを歌い始めた時、答えが出る。「自由の叫びで」はない。それを押しつぶそうとする社会の抑圧。社会の規範を守り、その中で生きることが幸せになることか?それとも、社会は問題意識なしに、つまり、疑問も持たずに反対して、抑圧するだけか。この映画から具体的にはわからなかった。でも、チュニジアの映画、「目を開けて最初にみえたもの(2015年製作の映画)」も同じだ。声を上げない・上げられない若者こそ、問題で体制に飲み込まれてしまって、何も考えられなく、右へ倣えをしてしまう。『今の若者は』というぐらい問題意識のない若者ができあがってしまう。恐ろしい。
アナス先生のいう「Speak up!! Raise your voice!!」が社会を変えていくため、それだけじゃなく、自分らしく生きるため、自分の生きる道を見つけるための力に、徐々になっていくのだと思えた。なぜなら、先生が学校を去る時、クラスでではなく、屋上でラップを歌い続けて見送るところで映画が終わったから。