シン・仮面ライダーのレビュー・感想・評価
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血シブキのバイオレンスには唖然としたが、庵野秀明のアレンジは流石だと言いたい。
浜辺美波のルックスは綾波レイだった…。
池松壮亮のキャスティングは、藤岡弘からの180度転換を意図しているようだ。
ゴジラやウルトラマンに比べると、仮面ライダーは平成→令和とシリーズを重ねるほどに原点からの解離が大きくなっており(と、思う)、それが現代には受け入れられている。そんな背景からかどうかは分からないが、本作はあまり客足が伸びていないようだ。
お陰で、大きな劇場で他人を気にすることなく鑑賞できた。
仮面ライダーに、石森章太郎(敢えて、石ノ森ではなく)の原作マンガというものは存在しない。
テレビ放映にあわせて、原作者(設定やキャラクターを考えた人)がマンガ化した作品を雑誌に連載するコラボレーション企画だった訳で、そのマンガ作品をテレビ化したのではない。他の石森原作の特撮テレビシリーズの多くが同様で、アニメだが永井豪の「デビルマン」や松本零士の「宇宙戦艦ヤマト」なども似たような関係だ。
と、いうことで、〝原作〟ではなく〝原作者によるマンガ作品〟と言うのが正しいと思う。
何が言いたいかというと、よく言われる「原作と違う」とか、「原作だと本当はこうなる」は、当たっておらず、テレビとマンガは全く別の作品だということだ。
とはいえ、原作者によるマンガ作品には、創造主の思想・嗜好がより強く表れているのは当然である。
石森章太郎も永井豪も(二人は師弟の関係)、テレビの企画段階から原作を担当した最初の作品「仮面ライダー」「デビルマン」で、“テレビではできないこと”を敢えて自らのマンガ化作品に投入している。
この『シン・仮面ライダー』には、テレビの初期シリーズと石森章太郎によるマンガ作品のみならず、石森原作の「人造人間キカキダー」「イナズマン」「ロボット刑事」および、それらの原作者によるマンガ作品からエッセンスが引用されていて、石森章太郎ファンとしては心揺さぶられるものがある。
庵野秀明というオタクの帝王は、観客に媚びることなく自身の拘りを貫いている。
だがそれは「分かる人だけ分かれば良い」という独善的な思考ではなく、「オレの拘りは凄いだろう、見て見て」的な子供っぽさだ。
そして、それが極めてマニアックだから、結局分かる人にしか分からない。そこがオタクの帝王なのだ。
本作には『シン・ゴジラ』『シン・ウルトラマン』からの流れを期待しがちだが、『キュティーハニー』('04)の方がテイストは近いように感じた。
ウルトラマンを完全CGで描いたことに対して、仮面ライダーおよび怪人(オーグ)たちは完全スーツアクションで、変身前を演じる役者にスーツを着せる伝統を踏襲している。
『キュティーハニー』で試した実写コマ撮りに本作でも挑戦していて、これも庵野の強い拘りだろう。何でもCGが当たり前の今、これが下手なCGに見えてしまったなら残念だ。
ショッカーを世界征服をたくらむ悪の軍団ではなく、〝救済〟の〝計画〟を実行しようとしている〝非合法組織〟にアレンジしているのは、庵野の庵野秀明らしさだ。
恐らく、石森章太郎のマンガに基づき、本郷猛が死ぬことは初期から決めていただろう。
サスガに脳だけ生かして一文字隼人に指示を出すことまではなぞらなかったが、あのラストシーンは一文字だけが本郷と通じあえていることを匂わせている。
シークレットキャストが話題になっているが、ロボット刑事Kならぬロボット執事ケイの声の主は分からなかった。
残念だったのは、美脚女優のサソリ女が仮面ライダーと戦わなかったこと。
特撮って感じ
まず、箇条書きで感想を。
・結構血が出るのね、、、
・演技が感情が出てこない設定かと思ったら、感情むき出すとこもあるし、、、
・カメラワークが独特すぎて見づらいとこあり
・ジャンプシーンが見所だとは思うけれど、さすがに多い
・思ったより敵出てくるのね、、、
仮面ライダー全然詳しくなかったけど、所々に説明があったおかげで分かりやすかった。
ただ、淡々と話すからそこがなんだかなぁって思う。ストーリーの展開はそこまで嫌いじゃないが、バトルシーンがやけに血が出るのと、敵多すぎてサクサク進むのが何とも言えない感じ。それぞれの感情や葛藤があるんだろうけど、色々詰めすぎてて淡く感じてしまう、、、
ジャンプのシーンやたら多いし、、、
色々良いとこはあれど、惜しい感じ。映画の最後の方は結構良かったです!でも、テレビでいいかな、、、
応援上映は本郷を推せる!
仮面ライダーは1971年から続く特撮アクションシリーズで、初代「仮面ライダー」も2年間放送しているため放送中も作風が変化している。今回の「シン〜」は藤岡弘が怪我で降板するまでのいわゆる旧1号編(1話〜13話)を意識したリメイクで、TV番組と同時連載された石ノ森章太郎のマンガ版の影響も大きい。
初回鑑賞時、4体目の怪人・ハチオーグ戦までは楽しめたがアクションエンタメとしては満足できなかった。特にイチローによる「ハビタット計画」でどんな被害が起こるか、ハビタットの中はどんな世界かが描かれないことで、カタルシスが結実しにくいと思われる。
またSHOCKERの本体であるAIのシンギュラリティについてもっと踏み込みがあれば、更に今日性を獲得できただろう。
さて初見では不満だったが、ドキュメンタリー番組を見て、応援上映(字幕付き)に参加してみると見方が変わり、求められる「仮面ライダー」像の1つを実現したのではないかと思うようになった。
新たに気づいたのは、ほとんどのシーンで仮面ライダーの中に俳優の池松本人が入ってアクションしていること、戦い終わったら必ずマスクを脱ぐこと、敵に黙祷を行うこと、そして応援上映で「泣かないで」「がんばって」とさかんに声援が入ることだ。
自らの悲しみを抱えながら他者のために闘う姿は初代「仮面ライダー」のテーマの一つで、石ノ森のマンガ版でも強調されている。また、変身後も本人が演じるのも旧1号編の特徴だ。
池松本人が変身前〜変身後を通して演じることで、ライダーの姿に悲しみと苦悩が乗り、それでも闘う意志や信念を感じることができる。
このヒーロー像はTVでは実現しにくいもので、仮面ライダー/本郷猛(池松)の悲しみと優しさが観客に伝わったのなら、「仮面ライダー」の原点回帰として役割を果たしているのではないか。
ドキュメンタリーでは、決められた見栄えのするアクションを作ってきたアクション監督の田渕氏と、不確実性や身体性を求めた監督が対立的に描かれていたが、仮面ライダーの身体性や感情、ドラマのためにそれが必要だったことがわかる(ただより多くの予算とスケジュールがあれば、テスト撮影と検証が行われると良かったとは思う)。
本編で語られなかったSHOCKER側の論理や設定は、前日譚マンガ「真の安らぎはこの世になく」に期待したい。
大人のための仮面ライダー
自分の幼少期、ゴジラとウルトラマンまでは、ドはまりした世代だが、仮面ライダーは、リアルタイムで観た覚えはなく、自分達より一世代後のヒーローの為、観ようか迷っていた作品。それでも庵野さんのシン・シリーズとしての敬意を表して、遅ればせながら鑑賞。
これまでのシン・シリーズと違い、等身大のヒーローとなる為、どうしても着ぐるみ感は否めない。ハリウッドのVFXを駆使したアクション・ヒーローを見慣れてきている分、リアルな臨場感やスペクタクル戦闘シーンといったものは、見劣りしてしまう。だが、日本の仮面ライダーだからこそ、そんなアナログで、ノスタルジックな映像でもいいのかもしれない…。
本作は、子供のヒーロー・仮面ライダーというよりは、人造人間となった苦悩を前面に押し出した、大人向けの作品となっている。初っ端から、グロい撃退シーンを見せつけ、R12指定となっていたのも納得。また、仮面ライダーの性能やショッカーの目的等、よく分からない科学的なウンチクをたれるシーンも、庵野作品らしさと言える。そして、舞台やシーンが整合性や繋がりも無く、急展開していくので、ついていくのも大変でもあった。
物語は、仮面ライダーとなった本郷猛が、仮面ライターの生みの親の娘・緑川ルリ子と協力しショッカーの野望を砕くため立ち上がる。そこに、仮面ライダー2号も味方となって、無敵のライダー・キックを武器に、昆虫と人間の力をミックスした怪人オーグ達に立ち向かう。そしてクライマックスには、ラス・ボスとの死闘を繰り広げるというストーリー。
仮面ライダー・本郷猛には、池松壮亮が演じ、嘗ての藤岡弘に比べて、やや線が細いと思ったが、内容や人間味ある役柄から鑑みた場合、適役だったかもしれない。そしてヒロイン緑川ルリ子には、渡辺美波、ライダー2号・一文字隼人には、柄本佑が演じていた。
しかし、その脇を固めていたのが豪華絢爛。竹野内豊をはじめとして、斎藤工、仲村トオル、大森南朋、森山未來、そして、長澤まさみや西野七瀬は、なんと着ぐるみ姿で、ショッカーの怪人を演じ、松坂桃李も声の出演をしており、庵野ファミリーの総出演の作品だった。
主人公がカッコよかった。
庵野監督のプロダクトアウトの作品だと思いました。好きなものを好きなように作りたい、というのを100%重視して作ったような気がしました。みんなMCUみたいなユニバース作品を楽しみにしているなか、「そんな大衆ウケに全振りした作品は作らないぞ」という信念を感じました。
なにせ、客層はどこを狙ってるの?と思ってしまいます。映画館に来ている人から見て、それはおじさんだと分かります。キッズ、Z世代、カップルとかはガン無視、原作へのオマージュ、原作勢への目配せが多く、ノスタルジーに溢れる作品。MCUでもそういった目配せは多いけど、大金が注ぎ込まれてる違いもあるかもしれないですが、全方位的な作品作りが徹底されています。
庵野さんの個人的な思い出作りとしては素晴らしいデキだったのではないかと思いました。
再会に感謝します「仮面ライダー1号・2号」
一文字を好きにさせる壮大なプロローグ
池松壮亮が本郷と聞いた段階で、思うそのままの1号。鬱々として内向的。そしてその割り切れない雰囲気がそのまま作品のカラーとなっている。多分、イメージぴったりなのだろうけれど、庵野秀明が最も苦手とする、人の感情を伝えるという部分とハマりすぎて、全く感情移入できない。この感情移入出来ないのは、ほぼ全ての人物に対してなのがすごい。全く入ってこない行動原理、全く入ってこないセリフ。とにかく感情や状況をセリフで片っ端から話すので、感情置いてけぼりの説明としか感じられない。
私自身、エヴァは主人公と同世代から感情の成長を追って行ったから、辛うじて感情移入できた。ゴジラとウルトラマンはある意味ディザスタームービーなので、客観的に状況を追っていくだけだから感情は関係ない。でも今回、大人を主人公として登場人物の関係を追っていく物語の中で、圧倒的に感情が伝わらないのは致命的。
だからこそ、一文字がステレオタイプなヒーロー像として現れた時に、本当にホッとした。彼だけがわかりやすいのだ。だから一気に好きになる。それまでの演出は2号を立てるためだったと思えるくらいに。だとすれば、成功。
そう言えば、仮面ライダー本放送時も2号がで出てから爆発的に人気が出たと聞いたことがある。そこまでトレースしているのだとしたら恐るべし。
ライダーキックの必殺技感が凄まじい
ゴーゴーレッゴー輝くマシン
役者さんたちの演技がすごく仮面ライダーの映画と感じさせない。当時の...
ヒーローは脚力と哀愁でできている
ヒーローたちの卓越した腕力(特に脚力)と、闘いののち風に吹かれて佇む哀愁を、シンプルに感じたら、この作品はまずそれでいいのかなと思いました。
「仮面ライダー」はもちろん変身モノの大傑作として知っていましたが、詳しい知識はほぼナシ。観賞後、ネットなどに嵐のように溢れた情報で知りました。
◉最初に血しぶき
プロローグで見せられたショッカーたちの流血の量と、身体が破壊される生温かい音にまず圧倒された。これから始まるのは本気の戦争ごっこ。世界征服を企むショッカーを倒すため、今は全力で破壊を! と言う仮面ライダーたちや緑川ルリ子(浜辺美波)の決意。そして制作者が「ごっこ」に込めたエンタメ=「悪をグシャっと潰す快感を、大人にも子どもにも」の本気を感じたような気がします。
◉蝶の誘い
チョウオーグの語りによって、ショッカーの目的は人類の魂を別空間「ハビタット」へ移して、幸福な世界を創ることであると知らされる。原作マンガのショッカーは、もっとストレートな世界制覇を狙う組織だったはず。
ところが、現在の物語世界で主流になっている、意識と魂の溶け合った共同世界を生み出すことがショッカーの目的だったとは! 一括りにしてはいけないのでしょうが、「シン・エヴァンゲリオン」の人類補完計画から「ワンピースレッド」のウタワールド、「エブエブ」のベーグル世界まで、ある枠の内に全てが同じような状態で収まることが、闘いの起きない平和な世界に至る道と言う理念。
崇高な世界征服を掲げつつ、体育館に並ぶ死体。それは大量抹殺を行うカルトっぽさにも通じるようで、設定としてはなかなか怖かったです。しかしこのショッカー組織の理念が、大人仮面ライダーのための付加としても、本当に必要だったのかは、かなり疑問。「改造と変身」の悲哀だけで足りていたと思うのですが。
今回登場するオーグの中で唯一、草食系のチョウが、人類を幸せな世界に導くリーダーになる。清楚で優美なシロチョウ? が最強の怪人として君臨するギャップ。ただし0号(森山未來)が得体の知れなさは充分に醸し出していたものの、こだわりを失くした男の爽やかさみたいなものまで目立っていたようで、ちょっと残念。
◉やがてヒーローたちは憂鬱になる
バッタ、クモ、コウモリ、サソリ、ハチ、カマキリ+カメレオン、変異バッタ、そしてチョウを次々に倒していく仮面ライダーたち。ヒーローに休息はなかった。本郷猛(池松壮亮)と一文字隼人(柄本佑)と緑川ルリ子は敵を潰すたび、自分たちの存在理由に振り回されて、癒し難い傷を負っていく。そもそもが、これはショッカーたちの内部抗争の物語。三人には拭い難い虚無感が付き纏う。
その心象風景としての、夕陽の干潟や赤錆びた線路は本当に美しかった。エヴァ再びでも、ここは構わないと思っていました。本郷と緑川の我慢比べに、一文字が割って入る感じでしたが、内側は傷だらけなのに、凛々しすぎるルリ子。頑張りすぎないで!
原作の展開は知りませんでしたが、ルリ子のみならず本郷も肉体は滅んでしまうんですね。最後に一文字が走り去って、その姿に溢れる寂寥。バトンの渡し方が、ややアッサリかなとは思いましたが、ヒーローの生き様と死に様は受け取って幕。
「人類の自由と平和を守る」? 「大自然の使者」?
昭和ライダー世代ならば
特に観ていただきたい作品とは思いますが
石ノ森先生の漫画版
そしてTV版
それらの雰囲気や要素はあるものの
一文字隼人像はともかく
自身が改造人間になった事と
同類殺傷に苦悩する部分のみが色濃く
あまり憧れの対象にはなりにくい
本郷猛像となっており
「人類の自由と平和を守る」
「大自然の使者」等の志はあまり感じられず
個人的にライダースピリッツがある作品には思えませんでした。
○コアなファンへのサービス
シンウルトラマンよりも多いように思えました。
・TV版旧1号を細部までリスペクトしたデザイン
・冒頭の三栄土木と書かれたトラック
・蜘蛛男編を完全リメイクした対決シーン
・漫画版の13人の仮面ライダーに似たシーン
(原作同様に銃を所持してのバイク戦闘だったので、本郷!と不安でした)
・1号から2号への継承部分
ざっと挙げても多数散りばめられていました。
(また余談ですが
シン・ウルトラマンではBタイプが未登場ですが
シン・仮面ライダーでも非常に残念な事に
桜島タイプは省かれました。
この部分は漫画よりなので、新1号も省かれた事になりますね)
○あまり宜しくない点
個人的感想では、1号2号のデザインや一部にしか
良い部分が見当たりませんでした。
(特に映画鑑賞後、NHKドキュメントも観てしまい尚更)
・アクションの統一性のなさ
リアルにするかヒロイックするか、どっち付かずでした。
最後3人での戦いは、終始泥臭い戦いで
仮面ライダーBlack Sunの張りぼて戦闘を思い出し
(2号のヘッドバットは良かったのですが)
CGである事を暗闇とスピードで誤魔化したような
大量発生型相変異バッタオーグ戦
(ドキュメントと異なり、ショッカーライダーデザインも把握出来ないほど)
双方が極端過ぎて、違和感と、安っぽさを印象付けてしまいました。
またドキュメントでの苦悩がそのまま映像としても残り
本郷役池松壮亮さんが、TV版当時の藤岡弘、さんのよう
ライダー1号アクションまでこなす事に、果たして意味を成しているのか?
(バイク事故で大怪我をしてしまった藤岡弘、さんの過去もあり)
池松壮亮さんが足を挫いてしまった件も含め、疑問で気の毒に思えました。
・何故か尺の長いハチオーグ関連
上記部分より、もっと本郷の心情に時間を割いてほしかったです。
緑川ルリ子とヒロミ(ハチオーグ)の女性キャストが
男性ファン用ならば、本郷猛や一文字隼人も
TV版と同じく撮影当時の若手イケメン俳優起用
男性キャストで、女性ファン用に振り切るべきでは?とも思いました。
ルリ子を改造人間にして、ヒロミとのドラマ部分を作るなら
一文字隼人が仮面ライダー第2号となる部分を
石ノ森先生の漫画版、更には村枝先生のライダースピリッツのよう
もっと大事に描いてほしかったです。
(あくまで本作ではあまり意味の無い刑事ではないK
シャドームーンと融合したようなデザインの
サナギマンにはならないイナズマンも、必要な要素か?と疑問でした)
・リスペクトになっているのか?
確かに漫画もTV版も、絶命時の泡状表現はありましたが
証拠隠滅とはいえ、わざとチープにしているように思え
(石ノ森先生漫画版の方が徐々に白骨化したりしてリアル)
登場人物達を失う度にブクブクされ、興醒めしてしまう事が多々ありました。
また序盤の血飛沫表現、あれはTV版蝙蝠男編のリスペクト
あるいはリアルティ追求なのかも知れませんが
仮面ライダーアマゾンズのよう、振り切っているのなら兎も角
妙にチープな泡状絶命とかけ離れ過ぎていて
客層を狭めるPG12指定にするまでの意味があるのか?と
理解出来ませんでした。
●総評
私個人は熱烈な旧1号、旧2号、桜島、ダブルライダーファンなので
スピリッツが感じられなかったり、不釣り合いな要素に嫌悪感は出るものの
一文字隼人のラストシーンで救われました。
石ノ森先生の漫画版を上手くアレンジしていて良かったです。
(終演スタッフロール時の3曲も良いのですが、仮面ライダーのうたを流して
「嵐とともにやってきた~♪」で
ショッカーオーグを蹴散らす映像がほしかったです)
今回は悪い意見の方が目に入り
これでシン・仮面ライダーは終わり、そうなると寂しいです。
(せめてTHE FIRST、THE NEXTのよう2部は制作してほしいです)
やはりシン・ウルトラマンの方が絶賛までとはいかないものの
ウルトラマンのスピリッツまでリスペクトを感じられ
撮影現場の雰囲気も良く、それを映画にまで反映しているように思えます。
今後、庵野さんはデザインや脚本に情熱を注いで
アクションやドラマ部分は各専門家にメインを任せ
もっと肩の荷を下ろして、続編を作ってほしいと思いました。
大人向けの仮面ライダー
作品レビューでなく制作姿勢への感想提言記録
まずは映画館でリブートが観られたことに感謝する。
カルト・怪作の面白さはそれなりにあったが、監督当人が目指していたはずの大衆向けとは呼べない出来からいえば失敗だろう。
いいところ・悪い所の内容は色んな人が細かく指摘する通りだ。
庵野氏は偶然を得たり他人の力を強奪する事で自分の才能の限界を越えたいともがいているのだろうが、実写経験が少ない事もあり、その独善的かつ客観性を欠く手段が逆効果である事がもはや作品の出来で証明された。
バランスは悪いがやはり彼なりの才能は確実にあるのだから、自分と他のプロフェッショナルの才能を信じて、自分と他人を上手く操って今後もっとフリー&ストレンジ&ポップな作品作りをして欲しい。
おそらくそれが彼の才能が最も輝く創作だろうと思う。
そのためにはまず、彼が無意識に囚われているオタクコミニュティの視線からの解脱をする事が必要だろう。
大いなる奇才がハビタット空間に閉じ籠り、好事家相手の小さな箱庭作りに精を出すのはまだ早過ぎる。
生臭いこの世で、我々悟りを知らぬ愚かな大衆を相手に果敢に格闘を繰り広げるカントク・アンノの姿を多くの人が期待して見たいはずなのである。
庵野秀明のリスペクトによる仮面ライダー
「シン」シリーズは庵野秀明の表したかった作品の在り方を伝えるもの、という大前提を見ずに、「大衆向けじゃないからダメ」という人が多すぎると感じた。
私はそもそも庵野ファンではなく、仮面ライダーファンだった。しかし、庵野秀明展をたまたま見かけて、この人の「リアリティの追求」と、相反するような「作られている映像ならではのこだわり」を見た者としては、それが十分に理解できた。
例えば、戦っているときのカメラワーク。近くで戦えば、互いが必死になるはず。その時のカメラワークが綺麗すぎると、臨場感が薄れる。最近の特撮は、子どもも見られるようやや遠目に、空撮などを駆使してきれいに撮影する。すると、目の前の戦いが他人事のように映る。一方の本作は、ブレて見切れて、拳が耳の横をかすめるようなカメラワーク。そこがリアリティ。
そこに昔ながらの戦闘BGMが流れてくる。先のカメラワークに、昔ながらのBGM。「リスペクト」を忠実にしながら、しかし映像は鮮明で、ただ昔を再現するだけではない、ひとつの「作品」として、作られたこだわりの部分が感じられる。
また、ストーリーが薄いという意見もあるが、ただ悪意的なエゴに徹して戦うものから、話し合うだけでは理解し合えないそれぞれの正義をかざして戦うものまで様々で、それが戦う描写ひとつひとつに表れていた。悲しみを越え、戦争を越え、強く生きることをテーマに生まれた仮面ライダーに「戦いが多すぎる」という批評はいかがかと思う。背負って戦うから、仮面ライダーたると思う。
ドキュメンタリーではあらゆる方面から文句をつけられていた庵野監督。しかし、エンドロールの名前を見るに、光学を一人で研究する気概も伺われた。それが、画面全体に広がる光や爆発に表れている。見る側からしたらただ眩しいだけだが、仮面ライダーが巻き込まれるあの位置で画面全体に光や爆風が映らないことは「ありえない」のである。
つまり彼は前線に顔を出さないものの、決してこだわりがないわけでは無いし、むしろ追い求めすぎるのだ。それについて行けないスタッフが多いことに何ら問題はない。それもまた仕方ないのだ。
光学的こだわりを描いたラフ画などが絶対あるはずだ。それらとスローモーション映像などを照らし合わせ、語ってもらって初めて120%の作品になると思う。シン・仮面ライダーへの理解を深めるためだけの庵野秀明展があってもいいくらいだと思っている。良い意見も悪い意見も含めて、まだ私達は、この作品を批評できる立ち位置にいない気がしている。
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