ファーザーのレビュー・感想・評価
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素晴らしき、擬似体験
これは凄いものを観てしまった…。現実と幻想が入り混じり、認知症患者の混乱がダイレクトに伝わってくる、擬似体験を提供してくれるとんでもない良作。アンソニー・ホプキンスさんといえば、やっぱりレクター博士。主人公は博士、娘はクラリス、舞台は警察病院と設定を勝手に変えて楽しんじゃった😆
ホプキンスの独壇場
時が経てば経つほど、アンソニーのなぜ?は膨らんでいく。いないはずの人がいて、交わしたはずの会話がなくなり、いたはずの人が死んでいる。彼の混迷ぶりは、想像を絶するものがある。もはや演技とは思えない域に達している。彼が演じる不思議世界に、次第に引きずり込まれていく、まさにホラー映画。
観ている方が混乱する様な虚実不明を彷徨う。 これが歳を取ると言うこ...
観ている方が混乱する様な虚実不明を彷徨う。
これが歳を取ると言うことか。
不信感、不安、頑固。そして幼児帰り。
願わくば穏やかな終末を迎えたいと願う。
流石アンソニー・ホプキンス
認知症ものは多くは介護側から描かれていることが多いが、これはあくまで本人側から。
だからこちらも困惑する。
え?これサスペンス?なに?!みたいな。
この困惑が本人の困惑なのだろう、と。
最後まで結局どれが真実なのか、分かりにくい。分かるけど………真実かは分からない。
最後にアンソニー・ホプキンスがママ………って泣くんだけどやっぱり最後は母親が恋しくなるのかー、でもほぼ確実に母親は生きていない。そんな現実により悲しくなりました。
ギミックは興味深い。 でもストーリーが面白いとは思えなかったかなぁ。
認知症の老人目線で進む映画。
つまり見ていることが正しい時系列なのか認識なのかわからない、ってのを体験できる映画。
ギミックは興味深い。
でもストーリーが面白いとは思えなかったかなぁ。
主人公が見ている世界が正しくない、ってのが判明してからのゾクゾク感もあまり感じられず
自分には合わなかった。
けどこんなことが自分の周りにも、いや自分自身にも起こりうると知れた、
この鑑賞経験は今後のためになるなと思いました。
ひとは老いる
アンソニーの脳内の錯綜(アルツハイマー)が説明されずに絵になっているので、サスペンスのようにも見える。つまり、かれのまわりの人たちが結託して、アンソニーを欺そうとしているように(も)見える。
その見え方が、アルツに侵された老人の懐疑心や孤独をあらわしていた。──みごとな構成だった。
(わたしは日本映画をdisりながら外国映画をほめる牽強付会なレビュワーだが)日本映画がこの主題=老いと介護で、映画をつくるならば、お涙にするんじゃなかろうか。と感じながら見ていた。
日本映画界が誇るお涙頂戴作風の雄、中野監督の「長いお別れ」が、この映画の設定に近似している。因みにこの小説及び映画にたいして個人的になみなみならぬ嫌悪をかんじるのは、四半世紀愛読しているチャンドラーとおなじタイトルだから。ふざけんなよ。(と思います。)(個人の見解です。)
それはともかく、日本は高齢者比率が世界一。したがって「老い・介護」はこの惑星で日本がもっともその窮境を負っていると言って過言はありません。日本人にとって、現実的で身近で、まさしくわたし/あなたが直面している「老い・介護」の話がなぜお涙頂戴になるのか、わたしには解りません。
だからこそ、お涙におとしていない映画The Fatherを見てがつんときた。アンソニーの見る非現実や、家族のお荷物になっていく境遇に共感ができた。ラストで幼児化してママ、ママと泣きくずれるアンソニーを見て恐怖を感じた。
わたしたちにんげんが、おとなにならなきゃいけないのは、最後の恐怖(=ひとりでしぬこと)を耐えるためではないでしょうか。わたしは、アンソニーのラストの泣き顔を見たとき、猛烈に、しぬときはひとりだと感じました。
しぬのは怖くない?孤独も寂しくない?いやいや、そんなことは言ってません。アンソニーはもはや、他人はおろかじぶんが誰かも、どこにいるのかも解らなくなっているわけです。そういう状態のにんげんにしぬのは怖くないとか、孤独が寂しくないとか、は有り得ません。病床に臥せったままの状態のにんげんでも、それは同じです。わたしたちは、健康な状態のまま、ある日・ある時間を堺に突如しぬわけじゃない。現代の医療においては、どんな悲惨な状態であろうとも、長い長い恍惚の期間をすごして、ゆっくり死んでいくのです。
だめなら死んじまえばいい。という考え方があると思います。生きていかれなきゃ死ぬだけ。とか言う人がいます。だけどそう言ったり考えたりする人も、走っていて、ある日・ある時間を堺に突如しねるわけじゃない。死んじまえばいいんだ──と潔く聞こえるコトバをはきながら、不摂生をかさね、太く短く生きたひとが、ながく他人様の世話になるアルツハイマーや寝たきり状態をへて、ゆっくり死んでいくわけです。それが「老い・介護」の問題です。
で、われわれはアンの立場でもあり、将来のアンソニーでもある。だからどっちについても意見がありますが、親の介護に直面している輩が「おまえになにがわかる」風の逆切れコメント&マウントしてくるのをヤフコメでよく見ますので、介護については言いますまい。(わたしも親の介護をしていますがこの国には何百万とそんな人がいるので親の介護をしていることでマウントとってくるやつってまちがいなくあほだと思います。「親の壮絶介護」ってのは、ネタが尽きた芸人か、懐かしの有名人が生存報告にやるエンタメニュースのことです。)
ただし、じぶんの老後については、だれかの世話にならないように、ぽっくりいけるように、あるいは待遇のいいホームに入れるように、(それらが適うかどうかは解りませんが、)いまの人生をおくることはできると思いました。(=しっかり稼ぐとか、身体をきたえるとか、健康を維持するとか、他人を扶けてあげるとか、そういうレベルにおいて)じぶんのためでもありますが、とうぜん、家族や周りにんげんの為でもあります、
もうひとつ感じたのは広く清潔なフラット(居住空間)。狭い家屋でないことでかなり気が紛れた。主題に反して撮影も超アーティスティック。そしてオペラ。このすさまじく重い主題が、うつくしいフラットと音楽によって、おとなの事情もしくはそのリメイクでも見ているような気分で見ることができた。ラスト、カメラが窓からさわやかな新緑をとらえた。この後味で「老い・介護」を描いたことに驚嘆した。
認知症の老人の主観
認知症の老人の話は色々あったけど老人の主観の物語だったのが面白い。
認知症の症状の物忘れや思い込みからくる時間軸のずれや混沌した精神状態をうまく視覚化していて、下手なホラーより怖い‥
今年のアカデミー賞とったアンソニーホプキンス圧倒的で納得だった
伏線の回収かと思いきやそのまま認知症の記憶へ。 ついていこうと思っ...
伏線の回収かと思いきやそのまま認知症の記憶へ。
ついていこうと思ったがついていけず。
みなさんアンソニーホプキンスに触れているので触れず。
鑑賞者の翻弄がまさに製作者の意図するところ。
その翻弄こそが患者の主観であると伝えたいのだと受け取りました
さまざま媒体から自分から欲せずとも介護という現実の厳しさ、認知症の絶望を知った気分になっていました。そうこの映画も含めてです。私は介護の問題にことさらに興味があってこの映画を鑑賞したわけではありません。しかしこの映画は最もその現実に肉薄してそれをこちらに伝えてきたと感じます。重く、厳しく、とても当事者ではない自分が語れる問題ではありません。そうこの安っぽい逃げの感想を読んでお分かりの通り、この映画を鑑賞した後に至っても私のこの問題への理解はあくまで頭での理解であり、真なる心からの「理解」ではありません。例えば私が個人的に当事者意識のあるアルコール依存症問題とは全く別次元にある理解です。
しかしそれでもこの映画は胸を打ちました。不幸な映画を観た時は、ただ幸せを祈ることしか出来ませんがこの映画においては幸せというものがどういう状態か分からず、苦しく混乱しました。フィクションですら迷い苦悩します。ましてや現実においては…。祖母の葬儀での親父の涙をほんの少しだけ理解できたような気がします。
伝えるべき主題はもちろん凄いものですが、映画としてのレベルが非常に高くとても面白かったです。ここまで素晴らしい映画だからこそ難しい問題を多くの人に届けられていることに深い感銘を受けました。素晴らしかったです。
バーチャル体験できちゃう
なんだかわからん幕引きだった2021年のアカデミー賞授賞式。作品賞のあとに主演男優賞が発表されるという異例の順番変更があったにも関わらず、当の受賞者アンソニー・ホプキンスは不在のためコメントもなくあっさり番組終了。とにかくナンダコレだったと記憶してる。
その後思ったほど話題にも上らなかったけど、気付いたら上映してる!ならば観に行ってみよう!!(と思って観に行ったのに感想を投稿するの下書き保存したまま今の今まで忘れてた💦)
「さすがです……」の一言。
上手いとか下手とかなんかそーゆー感じぢゃない。どっかの家で起きてることをのぞき見した感じ。そして認知症の人には世界がどー見えているのかを(想像も含まれるんだろうけど)教えてくれる作品。
予定外にお勉強できた「タメになる」作品でした✨✨✨
顔や名前を忘れていくってこういう事なのかも……
毎日、知らない人と知らない場所にいるなんて、気持ちが落ち着かないのも当たり前。でも、端からは錯乱と受け取られる。認知症がこの映画の様な視点で表現すると、ホラー映画に見えてくる。
日常の音楽と建築のなかの悲劇
この映画をただボケ老人の悲哀として読み取るだけでは面白くない。そうか描かれているのは我々の日常的な日々の悲劇、それを「音楽と建築」により表現している。
ビゼーの「真珠採り」にはじまり、マリア・カラスが歌う、ベリーニのノルマの「清き女神」、たぶん監督が聴かせたいメインはイタリアのエイナウディの「My Journey」かもしれない。しかし、ボクはそのバラエティに興味深々、まだ解けない監督のメッセージはその組み合わせにあるようだ。
ドラマは認知症のアンソニーを演じるアカデミー賞のアンソニー・ホプキンスの独演劇。彼はロンドンの自身の高級フラットと娘であるアン夫婦のフラット、そして、痛ましい老人ホームの小さな個室に取り残される。どの部屋も決して惨めではなく、エスタブリッシュされニートなのだが、気がついてみるとそこはたった一人の迷宮空間。
そして最後のシーンはアンが一人歩くパリの広場の頭部が欠落したイゴールの彫像「月の光」。その彫像はアンソニーの象徴だ。
彼のニートなフラットの窓の外の広場の子供の自由が彼と空間、その迷宮を一層強調する。
彼の迷宮空間は認知症にあるのだろうか。
いや、この映画を建築批判とするならば、テーマは認知症ではない。
「去年マリエンバート」と全く同じ、現代社会の建築的迷宮にあるのだ。
ファーザー
認知症をテーマにした作品。
認知症をテーマにした作品はいろいろあるが、この作品は認知症が進んでく本人目線で描かれているのでリアリティがすごいあった。
誰しもが起きるであろう認知症と、経験するであろう親の介護。
認知症、本人は真面目にやってる行動が他人からしたら異端。特に初めの頃なんかは家族も本人も認知症を患ってる事わからないでしょう。
友達の名前忘れることはあっても家族の名前を忘れる事はない。
家族に「あんた、誰?」って真顔で聞かれた時に耐えられるか?受け入れられるか?
私は多分厳しいかなぁ…
誰しもが、経験するであろうとてもリアリティのある番組でした。
※批評には個人の価値観が含まれています。ご了承ください。
んー何か淡白で中途半端感が
昔からホラーやサスペンスでお化けだと思ったら自分がそうだった怪事件が多発したら自分が犯人だったみたいな物はあったが大抵そう言った作品には最後におさらい的な解説があったと これどこまでが現実でどこが架空なのか不明確でアンソニーの様な一流人が出演作品にしては短編ですっきりしない結末
(原題) The Father
名優アンソニー・ホプキンスが認知症の父親役を演じ、「羊たちの沈黙」以来2度目のアカデミー主演男優賞を受賞した作品。
アンソニー・ホプキンスの圧倒的名演技。
単なる認知症の話ではなかったし、映画全体が認知症目線で進むけど記憶と展開が崩壊して辛かった。
認知症、外から見るか中から見るか
ホプキンスの一挙手一投足を見逃さないで一言一句を聞き逃さないでほしい!
知的で見事な密室劇!しかし心象的にはどんどん拡がり深くなり無重力に吊るされます。そして誰もが途方にくれる。
認知症を体験する
●モザイク画の様に時間軸や登場人物がバラバラに出てくるので混乱する。
何が正しくて、何が間違いなのか分からなくなる。
この感覚で生きていたら、気が狂うなと、認知症の怖さを味わえる。
●アンソニー・ホプキンスの演技が凄すぎて号泣する。
猟奇サイコパス殺人鬼が印象深い俳優さんなのに、殺気がない。虚空の彼方を見つめている表情が、認知症の人の表情そのものでゾクっとする。
頬を平手打ちされるシーンでは、「やめて!その人が本気を出したら、あなたは豚の餌になるわよ!」と相手の心配をしてしまう。
●周りを固める俳優陣の演技力が凄まじい。
忘却される娘を演じたオリヴィア・コールマン。
はぁ。とため息を吐いたり、悲しさで震えて嗚咽して泣く姿に共感して号泣した。
気持ちだけで側にいることは難しい。
●とにかく終盤はずっと泣いていた。
未だかつてないほど不安顔をするアンソニー・ホプキンス。
しんどかった
認知や記憶に障害がある人は、
人も、時間も、場所も、記憶も
こんがらがってしまって、
こんな風に感じながら
生きているんだな
ということがよく分かりました。
本作では
不安、怖さ、さみしさ、怒り、悲しみばかり感じられて
あまり救いがなく
観続けるのがしんどい時間もありました。
人間誰しも歳をとるけれど
歳をとることは
嫌なこと、だめなことだけでは
あってはいけない。
歳をとるのが楽しみな
先輩方の人生の閉じ方も
たくさんあるはずです。
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