BLUE ブルーのレビュー・感想・評価
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勝ち負けとは違うところから生まれたボクシング映画
夢を追い続けることの辛さを描いた大傑作『ばしゃ馬さんとビッグマウス』の𠮷田恵輔監督は、ずっと前からボクシング映画の構想について口にしていた。監督自身がずっとボクシングを続けてきた人だけに、いわゆる「ボクシング映画」の描写には違和感を持つことが多く、自分の目で見てきたボクサーたちのことを描きたい、というのだ。
この映画に登場するボクサーたちは、性格も強さも抱えている事情もそれぞれに異なるのだが、それぞれの背景にはあまりフォーカスしない。ただ、ボクシングを始めてしまった人たちが、強かろうと弱かろうが、その魅力から離れられない業のようなものと、残酷にしのびよる肉体的、年齢的、才能的な限界を淡々と描いている。
つまり、映画なのに、映画的ではない人間ばかりを主人公にしていて、さりとてドキュメンタリーとは違い、フィクションならではのエモーショナルなドラマが詰まっている。
どんな大きな試合に出ても、そこで勝っても負けても人生は続く。自分はボクシングにはまったく詳しくないが、人生そのものの映画としてものすごく引き込まれたし、苦み成分は多くとも、とてもすがすがしい作品だった。
選ばれないこと
負け続ける選手、パンチドランカーになりながら日本王者に上りつめた選...
強さ
男臭さの缶詰みたいな映画
暇だったんで
尊い
ボクシングのリアルかも
主人公の瓜田は、試合に出れば負けてばかりの男。
そんな男に誘われた小川は、日本チャンプにも手が届くくらいのセンスの塊であった。
こんなにも側からみると情け無いように見える主人公でも心の中では、ちゃんとボクシングに対する気持ちだけは強く持っている。
よく見るボクシング映画だと打ちのめされて、打ちのめされて、それでもなんとか勝ち上がるというイメージが強いけど。
この映画だととことん負け続けている。
それでもちゃんと観てくれてる人には、その熱い気持ちが届いているなと感じたシーンがあって良かったです!
もう少しストーリーを掘り下げる事が出来たら、更に面白いと思いました。
マツケン好きです
ボクサー
時生的キャラ
概してボクシング映画が傑出するのは身体づくりが条件となるから。
痩せて訓練して撮る──そのプロセスには既にドキュメンタリーの核が備わっている。
本作でも松山ケンイチと柄本時生と東出昌大がそれぞれの役者魂を見せてくれる。
個人的に印象的だったのは柄本時生。
日本の個性派俳優の扱い方として「かならず同じ役が与えられる」──というのがある。
その外観から想定されるキャラクターを外すことが(ぜったいに)ない。
濱田岳や伊藤淳史や山中崇や渋川清彦やでんでんや温水洋一や森下能幸や宇野祥平や・・・が想定外のキャラクターを演じているのを見たことがありますか?
良かれ悪しかれ業界のキャスティングは多様性ゼロだ。
とうぜん柄本時生に与えられるキャラクターもすべての映画/ドラマで完全一致している。
本作でも、楢崎剛(柄本時生)は軽薄な男だった。女にいいところを見せたくて軽い気持ちでボクシングをはじめる。だけどやっているうちに執着心が芽生える。「強くなりたい」と思うようになる。──いつもの柄本時生だった。
(余談だが、じぶんはマカロニえんぴつの「なんでもないよ、」のMVをくりかえし見る。なんどでも泣ける。心をかき乱される曲であり、MV自体が胸にせまるストーリーを持っていることに加え「ダメな男なりに必死でやる」を演じる柄本時生が独壇場だった。
(MVやCMと映画の方法論は違うけれど横堀光範監督が映画へ進出したらいけそうな気がしています。))
ただし映画BLUE/ブルーの焦点は瓜田信人(松山ケンイチ)の片想いと闘志にある。初恋の千佳(木村文乃)を小川一樹(東出昌大)にとられ、試合もいっこうに勝てないのに、頑なに基本を貫こうとするストイックなボクサー瓜田の男臭さや孤高や不屈を表現しようとしていた。
そのプロットが適宜稼働すれば、もっと狂おしい「あしたのジョー」的な男の世界観が見えてくるはずだったが(個人的には)狂おしい高揚には至らず、スルリと抜け落ちた。
また(ボクシングのことは解らないが)突然気絶するほどのパンチドランカーになっている小川がなおもボクサーを続行するのは非現実的な気がした。
ヒメアノ〜ル(2016)には衝撃をうけたし、純喫茶磯辺(2008)や犬猿(2018)もよかった。──ので、吉田恵輔監督にはいい印象をもっている。
BLUE/ブルーの概要には──、
『監督の𠮷田が8年の構想を経て脚本を執筆したほか、中学の時から30年以上続けているボクシングの経験を生かして本作の殺陣指導も行っている。主演の松山は𠮷田の脚本に惚れ込み、2年間かけて役作りを行った。』(ウィキペディア、BLUE/ブルーより)
──とあった。
が、BLUE/ブルーは悪くない映画だったが、熱さより労い(ねぎらい)を感じてしまう映画だった。
──
役者が長らく節制して痩せたのなら、その報いがあっていいと思う。報いとは作品のクオリティのことだ。キャストアウェイのトムハンクスやマシニストのクリスチャンベールや沈黙のアダムドライバーやジョーカーのホアキンフェニックスの凄まじい痩身が報われたのはそれぞれ作品がよかったから──に他ならない。
痩せる──という身体づくりがなくても一般論として役づくりに奮闘したなら、その報いがあっていい。
そんな役者の努力を守るのは監督の「才能」ではなく映画づくりの基礎技術。社会では、どんな職業でも訓練した人(or学んだ人)に身を任せるからだ。
だけど日本映画界ではあるのかないのか解らない「才能」に身を任せるのが一般化している。──という話。
(汎論であって本作や吉田恵輔監督のことではありません。)
長く短い人生の切り取り
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