浜の朝日の嘘つきどもとのレビュー・感想・評価
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柳家喬太郎を始めキャスティングの勝利
先日、誘われて柳家喬太郎の高座に初めて足を運び、その話芸というか、演技力にすっかり魅了され、師匠が映画好きで俳優業にも挑戦しているという情報を得て、早速、配信で鑑賞。 冒頭、すでに廃業が決まった港町の映画館のスクリーンに、大好きな無声映画を映しながら、映写室の窓からそれを見守る館主役の喬太郎は、期待通り、そこはかとない憂いを帯びていて瞬間的に引き込まれてしまった。 しかし、映画はさらに奥が深かった。東日本大震災で被災し、映画館の形態も激変する中で、たとえ長年地元民の憩いの場所だったとはいえ、名画座を残すべきなのか、それとも、地域復興のために総合娯楽センターに建て替えるのが得策なのかという、究極の命題を突きつけてくるのだ。 そこで魅力満開なのが、映画愛は半端ないのだがプログラミングのセンスに問題がある館主の喬太郎や、高畑充希演じる主人公に名画座復興のミッションを託す同じく映画愛は半端ないが男選びに難がある高校教師役の大久保佳代子だったりする。 結論としてはキャスティングの勝利。折しも、アメリカのアカデミー賞には来る2026年からキャスティング部門が設けられることになった。
文化は不要不急でも不謹慎でもない
この映画の舞台となっているのは、南相馬市にある朝日座という、かつて実在した映画館だ。今は営業していないのだが、建物はまだ残っている。震災の時にはすでに閉館していたが、震災直後、地域住民のために映画上映会を企画し、憩いの場として機能した。図書館も市民会館も稼働していない時期だったので、市民は娯楽に飢えていたのだ。震災当時、全国で娯楽活動を「不謹慎」と自粛させる空気が蔓延したが、被災者たちは水と食料、住居の他にも娯楽を必要としていたのだ。 2012年にここを訪ねたことがある。大正12年に建てられただけあって、大変に趣深い場所だった。映画館になる前は芝居小屋だったらしく、奈落や桟敷も残っていたのが印象的だった。落語家の柳家喬太郎をキャスティングしたくなる気持ちはよくわかる。実に建物と柳家喬太郎がマッチしていた。 コロナで全国の娯楽が不要不急と言われた。しかし、震災の時に映画という娯楽は被災者に「必要」とされた。それを象徴する場所で、コロナ禍での娯楽の大切さを問う映画を作るという発想が素晴らしい。「この映画を作ってくれてありがとう」と言いたい。
大久保さんの存在がまるで映画館のよう
映画にまつわる映画を作るという高いハードルに、本作は多少がむしゃらなフォームで挑もうとする。まずその姿勢に敬意を払いたくなるし、映画が人生にもたらす影響について改めて気づかせてくれる点も含めて、こういった作品に親しみを覚える自分がいる。正直言うと、構成上、スッキリしない部分もたくさんあるのだけれど、誰もが答えのない答えを手探りする現状で、「スッキリする構成」にどれほどの価値があるのかと。一方、嬉しい誤算もあった。それは、映画館がいちばんの要になってしかるべき本作で、大久保さんが全てをかっさらっていくところ。演技力が高いというよりは、普段からTVでよく見る大久保さんそのものの面白さと器の大きさが全てをアリにしてしまう。笑って泣いて、どうしようもなくて、それでも自分が不安に苛まれた時に「大丈夫」と背中を押してくれる存在。それは映画や映画館が持つ力でもある。両者の尊さが面白いほど重なって見えた。
映画を愛する全ての人たちへギフトのような作品
福島県南相馬に実在する映画館を舞台に、映画館の存続に奔走する女性の姿を描いたタナダユキ監督作。映画業界のみならず、映像業界で働く、いや、映画を愛する全ての人たちへのギフトのような作品。今の世の中、映画業界に対する愛ある言葉をセリフとしてちりばめ、高畑充希と大久保佳代子がぴったりと作品に寄り添うことで抜群の説得力をもたらしている。ウルっとくる場面と同じくらい、失笑・苦笑・爆笑ポイントもあり、タナダ監督のオリジナル脚本の秀逸さが際立つ。ひとりでも多くの観客に届くことを願ってやまない作品。
映画なんか無くたって、生きていけるんだけどね
2021.10.6(水)
キノシネマ立川高島屋S.C.で「浜の朝日の嘘つきどもと」を観る。
本作は、映画は、映画館は素晴らしい、というメッセージが詰まった良い作品だった。
高畑充希は勿論、映画館支配人ちょっとメタボのジジィ柳家喬太郎が良い。田中先生の大久保佳代子の雰囲気は絶品で、このキャスティングが大成功だ。
「映画なんか無くたって、生きていけるんだけどね」
男に振られるたびに「喜劇 女の泣きどころ」を観て号泣している映画ファンの女高校教師・大久保にこのセリフを言わせる。
母親とソリが合わず家出して田中先生の家を訪ねて来た高畑に
「東京で何してたの?」
「映画ばっかり観てました」
「入って良し」と招き入れる。
夏休み、先生との同居生活で二人の絆は深まるが…。
「フィルムって、残像効果で半分は暗闇を見ているの」
フィルムの映写原理を説明する田中先生。
リリアン・ギッシュ、若尾文子、バスター・キートン、そして太地喜和子。スクリーンに登場するスターたち。ある意味「ニュー・シネマ・パラダイス」である。
「皆んな映画館がいつでもあると思ってるから大切にしないんだ」
きっと、この映画を観て泣いたり、笑ったり出来ない人はこの作品を評価しないんだろうなぁ。
どうせ死ぬんだから「やっておけば良かった」と後悔しないようにしよう。
「サマーフィルムにのって」も観に行くか。
タナダユキ監督は好きな監督である。 しかし、この映画は脚本が雑だと思う。 個人的にはあまり楽しめなかった。
動画配信で映画「浜の朝日の嘘つきどもと」を見た。 2021年製作/114分/G/日本 配給:ポニーキャニオン 劇場公開日:2021年9月10日 高畑充希 大久保佳代子 柳家喬太郎 甲本雅裕 佐野弘樹 神尾佑 光石研 吉行和子 福島県のローカル映画館、朝日座は閉館が決まっていた。 映画館を立て直そうと茂木莉子(高畑充希)がやって来る。 その動機は何なのかよくわからない。 数週間後には取り壊しが決まっている。 ちょっと遅すぎないか? 莉子が映画好きになった経緯が描かれる。 お世話になった莉子の恩師(大久保佳代子)との交流。 恩師が乳がんで死去するときに映画館の立て直しを託した。 タナダユキ監督は好きな監督である。 しかし、この映画は脚本が雑だと思う。 個人的にはあまり楽しめなかった。 満足度は5点満点で3点☆☆☆です。
☆☆☆★★★ ちょっとだけの感想。 名画座系 ★並木座 ★八重洲ス...
☆☆☆★★★ ちょっとだけの感想。 名画座系 ★並木座 ★八重洲スター座 ★銀座ロキシー ★板橋東映 ★大塚名画座 ★亀有名画座(ロマンポルノ) ★飯田橋佳作座 ★高田馬場パール座 ★ACTミニシアター ★バウスシアター ★三鷹オスカー ★三軒茶屋中央 ★三軒茶屋シネマ ★大井武蔵野館 ★東急名画座 etc ロードショー系 ★有楽座 ★スカラ座 ★日比谷劇場 ★千代田劇場 ★みゆき座 ★スバル座 ★テアトル東京 ★松竹セントラル ★新宿プラザ ★ミラノ座 ★渋谷パンテオン etc 都内での上記の劇場名はほんの一部。 千葉や大宮へ行けば、封切り直後の作品が二本立てで公開されていたから、何度も観に行った。 (封切り料金で『エイリアン2』とジャッキー映画の二本立てを、大宮ハタシネマで観た思い出は忘れられない) 都内のようにある程度の人口密度の地域ならば、プログラムによって(勿論集客に対する努力は必要)そこそこの集客は見込めるとは思う。 しかし現状の地方都市では、、、 映画館がない地域も多い現在の日本の映画館事情。 でもその昔、日本中にはこの朝日座のように映画館が溢れていた時代がありました。 しかし時代は移ろいやすい。今や娯楽の王様だった映画は、その役目を終えてしまったのかも知れない。 それでも映画は死なない!絶対に死なない! たった1人でも【カッドウヤ魂】の灯が心に灯っている限りは。 …等と尻の青い言葉を話しつつ映画本編を語ると、、、 〝 少しだけ脱力系コメディー映画、時々熱い 〟と言ったところでしようか。 主演の高畑充希とじじい役、柳家喬太郎の掛け合い漫談が面白い。加えて大久保さんの役所がもう絶妙の塩梅で最高なんです。 「◯っと◯ばよかった」…って オイオイ大久保さん泣かせるんじゃねえよ、狡いじゃないか( ;∀;) 悪人と言える悪人は登場しないし、予定調和と言える最後には不満を感じる人も必ずや居る事でしょう。 でもまあ、ほんの2時間だけでもホンワカした雰囲気を楽しみたい…と、安心して観られる佳作かと思いますね。 とんがった映画を御用命の方にはオススメ致しませんが。 2021年10月9日 キネマ旬報シアター/スクリーン3
配信でも良いと思うけどね。映画館だとトイレが心配で。
・映画なんかで人生変えられない!
・確かに映画館だけでは多くの雇用は見出だせない。
・すがる家族があるだけましだ。
・放浪記と浮雲なんて何一つひねりは無い。
・クラウドファンディングを良く言うが、クラウドファンディングは文化の質の低下と自主性が損なわれる
・舞台の様な映画以外も演じる事が出来る施設にすべきだ。
・一年間映画を見てきたが、映画館を健やかに運営出来る映画自体のコンテンツが少なすぎると感じる。『泣ければ良い』だけの映画は見たいと思わない。
・少なくとも僕はこの映画館へはいかなくなると思う。
・隣でポップコーンを食べられるのが、もの凄く嫌だ。
・浮雲や放浪記を見ながら、ポップコーンを食べられる鑑賞者の神経がわからない。バック・トゥ・ザ・フューチャーとかアメリカン・グラフィティならいざ知らず。
NGWordは注意していただけたので、予め消去しました。まだまだ欠点だらけの映画だと思います。
「生きる」と「素晴らしき哉、人生!」の二本立てでお送りします
つとみ
多くの映画監督や映画人が作品の内外で「映画とは」を答えている。ある人は光と音の総合芸術と答え、ある人はいかがわしいものと言い、ある人は登場人物に寄り添うことと返した。先日観たばかりの「バビロン」ではデイミアン・チャゼル監督の映画観も見えた。
作風や映画観、世代の影響により人によって様々だ。そんな中、脚本も手掛けるタナダユキ監督は本作の中で自身の映画観について語ったように思う。
同じ作品を観て全く違う感情を抱くこと。しかしその奥で、感情を共有すること。想いを同じにする人と同じ時間を過ごすものという感じだろうか。
あさひの恩師である先生は男と別れたあと「喜劇女の泣きどころ」を観て泣く。その姿をあさひは不思議そうに眺める。
あさひは、泣けるような映画でもないと言うが、観たことなくとも泣けないことくらい分かる。なぜなら「喜劇」だからだ。先生は本来ありえない感情を抱いたということになる。
物語が進み、あさひが先生の元を離れることが決まったあと、時間がまだあるからとバオくんと3人で映画を観に行く。作品名までは分からなかったが明らかにチャップリン作品のような喜劇だ。
笑うバオくんの横で、先生とあさひは泣いている。喜劇を観て泣けてしまうほどに、二人の想いは同じだったといえる。
場違いなのに感情が同一になる場面としてもう一つ。先生が亡くなったシーンだ。
本来ならば涙以外は似つかわしくないところだが、先生の最後の言葉のせいで医師も看護師もバオくんも、あさひと共に笑った。
先生が亡くなって悲しいという同じ想いがあるからこそ一緒に笑えるのだ。
なんてことない物語なのに最初からずっと面白かった。ラストは想像通りのベタな終わり方だったけれど、それでも感動してしまった。
あまりに面白くて勢い余って竹原ピストル主演のTV版も観てしまった。
どこが面白かったのか具体的に説明することは難しいけれど、理由は分かる。自分が「ネクラな映画好き」だからだ。大きなお世話だよ。
映画に救われて生きていた人たち
人気のなくなった小規模映画館をひとりの若者が立て直す話かと思いきや ”東日本大震災”や”コロナ禍”と苦しく困難な状況と共に生きた人間ドラマだったりもする。 正直単館系(ミニシアター)の上映ラインナップは偏りがあるし、利用頻度は少ないけど 経営している方々の想いやコミュニケーションが生まれやすい”居場所”としての価値が高いと感じました。 映画って観た”場所”、一緒に”観た人”、観た時の”気分”で印象はガラッと変わるもの。 主人公の茂木莉子(もぎりこ)は震災後の心が安定しない時期に、恩師と観た作品により 映画をひとつの”拠り所”として見始める。 映画は人を救えないけど、人と人を繋げるツールにもなるし 大切な思い出と引き合わせてくれるモノだったりするから大切にしていかないとね。 キャスティングの良さはまちまちかなと感じます。 主演の高畑充希さんや落語家の柳家喬太郎さんの掛け合いはまるで本物! 25歳の女性が「ねえ、ジジイ」口の悪い所が新鮮かつマッチしてて親近感がわきますね(笑) 恩師役の大久保佳代子さんは、テレビで見るまんまって感じです。 だからか変に表情を作るシーンは違和感が残ります…でも型破りな先生イメージ像にぴったり。 ベトナムの留学生チャン・グオック・バオは日本人じゃなくてよかった気がするな… でも彼のシーンには気持ちが入っていて泣かされてしまった。 映画館と主人公を繋ぐストーリーというよりは、 ”映画が引き寄せてくれた数奇な人生”を見ているシーンが多いので結構ヒューマンよりかも。 「映画みたいなこと起こらないかな~~」から続く展開は、”映画”を扱っている作品だからこそやってもイイ演出だと思います! これはこれで(・∀・)イイ!!
映画愛に溢れた一本なのは疑いない。
男運はなかったけれど…。否、男運がなかったからこそ、田中先生には、映画があったのかも知れません。映画を見て、あれだけ泣ける(感情移入ができる)のは、素晴らしいことと思います。 終わろうとする自分の命と、いわば引き換えに、かつて通い詰めた(?)朝日座の再建の想いをあさひに託したということなのでしょう。 一方のあさひにとっても、田中先生との約束を果たして朝日座の再建を見届けることは、震災を契機にバラバラになってしまった自分の家族を見つめ直すことだったのだと思います。家族そのものではなかったにしろ、それに代わり得るほどの深い絆を取り結んで来た田中先生に対する想いを実現させることで。 その二つの「想い」の交錯が、本作の基軸になっていたのだと受け止めました。評論子は。 新型コロナウイルス禍もあり、何かと不自由・不安な昨今でしたが、そんな世相でも…否、そんな世相だったからこそ、生活の中に映画というものを取り入れておいてよかったと評論子は改めて思つていました。 本作を見終わって、評論子は。 他の多くのレビュアー諸氏が本作の「映画愛」についてコメントしているのも、おそらくは同じような感慨を本作から受けたからだと、評論子は受け止めました。 佳作であったと思います。 <映画のことば> 映画っていうのは、少しだけ人の心を豊かにしてくれるというか、それは、映画館でしか伝えられないことで。だから、もう少し頑張ってみようかなと。 私が入会している映画サークルで、フィルムの上映で上映会を開いたことがありました。元は映画館だった貸館での開催でしたが、当の貸館でも、その上映会を最後にフィルム映写機を撤去するとのことでした。 その旨の舞台挨拶は、評論子ではなく古株の運営委員がスタッフを代表して行いましたが、その手には、映写機のリールがあったことを、今でも覚えています。 そのリールは、開館以来、スクリーンに向かってどれだけの夢や、希望や、愛憎や、悲しみ、悩みや苦しみや、そして生きることの喜びを紡い来たことかと思うと、万感胸に迫ったことが思い起こされます。 シネコンで上映されても映画は映画なのですが、館主や常連の顔が見えるミニシアターのほうが、この言葉はぴったりと当てはまると、今更ながら思います。評論子は。
半分暗闇
浜野あさひ役の高畑充希と田中茉莉子役の大久保佳代子がとってもよかったですね。古い映画館を舞台にして二人の友情を描いてるところは、「ニュー・シネマ・パラダイス」(88)に通じるテイストを感じました。1秒24コマのフィルムを映写する仕組みを説明する台詞が印象的でした。映画の半分は暗闇、映画好きは根暗が多い、だけどいいよね!って大久保さんがいうシーンがとても好きです。高畑さん、本当に魅力的な女優さんですね~。
大久保先生は映画好きだったから、映画俳優のように生きて語れる先生になった。でも高畑充希演じる茂木莉子はまだ青い。
いくつかの重たいテーマが入り乱れていました。問題が錯綜している現代の物語。 フクシマ、県外避難民、いじめ、自殺、“原発成金”、高齢化、外国人労働者、ワンオペ育児、シネコンの台頭・・ 同じ時代を過ごしてきた者=我々にとっては、サラッと上っ面を撫でるそんなカットでも、それぞれが何を意味するものであるかすぐに分かるけれど、 雑然とそれらを同居させたのは監督の脚本の狙いだったのかな? 「福島中央テレビの開局50周年記念作品」であるらしいから、上映期間は限定的で、そして鑑賞者は福島県民を主に想定しての作品と言えるのだろうか・・ 「人が死ぬところをあんたも見ておきなさい」は本当にいい台詞。 なのに、ちょっと待てよ、がん患者の末期を見たことがないのは監督自身なんじゃないだろうか? その辺りのリアリティの無さがいちいち目につき始めると作品の練りの足りなさがバレてきてしまっていただけないのです。 ・がん患者の臨終の顔色の良さ ・取り壊し前なのに赤字映画館の看板も壁も綺麗すぎ ・町民役のエキストラばりの下手な演技 ・トントン拍子 高畑充希の、高校生から勤め人になって変わった雰囲気とか、大久保佳代子先生のサバサバした感じ、やさぐれ感とかがホント素晴らしい演技だっただけに彼女たちの、(特に高畑充希の)多すぎる台詞が素材の良さを台無しにしていて、 これは「原作」は安い少女マンガの連載物だったのかなと、慌てて解説を繰ったほどでした。 高畑充希の若さはそのまま監督の青さなのだと感じます。 朝日座は再開してもあのオーディエンスじゃ早晩ポシャるでしょう。 それを承知で金を出す父の大きさ。偉大さ。 故郷(くに)に帰ってゼロから映画館を立ち上げる覚悟のバオちゃん。彼は苦労するだろう。 飯館村の地上げ屋のほうがずっと本気でした。そして竹原ピストルの圧倒的登場で、小娘はお株を奪われて、今からようやく彼女は人生の勉強を始めるんだろうなぁと思いました。 大人が下した「映画館を潰す決心」ってもんはね、子供は邪魔しちゃあいけないんですよ。 クラファンの寄付額やパパの援助で笑うなんてまだまだですよ。 僕の大切なフォロー映画館=東座も同じことです。 「閉館だってある」のが、凄まじい大人たちの大人たる生き方なんです。 ただし、おそらく本作品の主題であるのだろう 「フイルムの24コマには24の暗闇と残像が同居しているんだ」という映写機の仕組みには心が動きました。 期せずして地震から12年目の夜に、DVDでの鑑賞。 出て行った福島にUターンして帰ってきた、とある娘の物語。 女の子の再生とオンボロ映画館の再生を重ねています。
それなりに面白いが…
昨年(2022年)、『マイ・ブロークン・マリコ』という傑作を生み出したタナダ・ユキ監督作品の未見作だったから観てみたら、それなりに面白く、突然の若尾文子『青空娘』ワンシーンが映されたところで勝手に喜んでしまった…(笑) 客入りが伸びず閉館しようとする映画館を舞台とした物語であり、突然やってきた高畑充希が“茂木莉子”(モギリ子)というテキトーに名乗った名前で映画館閉館をなんとか食い止めようとするドラマ。 茂木莉子(高畑充希)と映画館オヤジ(柳家喬太郎)のやりとりが直球で、高畑充希が「ぶっ飛ばすぞ、ジジイ」などなど悪態つくのがサマになっていて、タナダ・ユキ監督のキャスティング上手さが光る。 ただ、これより面白かったのは、高畑充希と大久保佳代子のやりとり。さらに、大久保佳代子はとてもイイ味だしているキャラで、「やっときゃ良かった」などは笑っちゃう。 劇中映画として、『東への道』・『青空娘』などが使われるが、『喜劇 女の泣きどころ』は太地喜和子の顔が映ったが未見作品なので観てみたい。 物語展開がやや出来すぎの感はあるが、それなりに楽しめる映画であった。 ただ、なんとなく流れていくような物語だったので、心に突き刺さるようなインパクトはなかったのが勿体ない気がした。 <映倫No.122600>
大久保佳代子と光石研は良かった
レンタル110 公開当時時間が合わず断念した一作 この監督の作品を観るのは初めてかも テンポがよく飽きずに観れた 現在と過去の行ったり来たりがいいバランス 全体的には期待したほどではなかった ラストは学芸会 演劇だったらよかったかも 技能実習生の描き方など 設定や筋が粗くて陳腐な感じがどうにも… 大久保佳代子と光石研は良かった
このひねり、好きかも。
冒頭主人公が、見ず知らずの映画館主にタメ口で話等。 ちょっと?で「ちょっと何この子」って感じだったのですが。 主人公の高校時代、そこで出会った先生との話と。 今・映画館「朝日座」存続運動の話がだんだんクロスオーバーしていくところ。 それでそうなのか!と、首を上下してました。 嘘をついてまでも、守りたいもの。 そのために今、何をすべきか。 「解体するとなって、惜しまれてもなあ」の、映画館主の言葉が印象的。 お笑い芸人の、大久保佳代子さんが先生役。 こういう先生いてほしいなあな、生徒側に立つ大人。 実に味わい深し。カメラが顔に寄ることなく、だけど強烈。 他にも豪華な配役(光石研さん、出てるなら教えてよおw)。 100分ほどなので、どこかで見かけたら。 ⭐️今日のマーカーワード⭐️ 「映画なんて、人生になくても生きていけるんだけどね」
映画は家でいつでも観られる!
福島から遠くで暮らしていると、震災なんてとっくの昔に終わっているかの毎日だけど、そこで暮らす人たちにはまだまだ日常。 そこにコロナが! 大変なのはわかるよ。わかるけどなんか、「かわいそうでしょ私達」感が漂ってないか? その空気を打ち消す為の大久保さんって感じかな コロナが終息しても朝日座は存続しているだろうか? 結局····だよね じゃなければよいが
熱意と優しさに溢れた感動作
高畑充希を観たくての観賞でしたが…作品自体が予想を上回る良さでした。やはり高畑充希は最強でした。 男前の大久保佳代子の臨終シーンは圧巻でした。 大館のオナリ座を思い出しました。 とても良かったです。
閉館、取り壊しの決まった映画館を立て直す。 おもしろそうだが現実は...
閉館、取り壊しの決まった映画館を立て直す。 おもしろそうだが現実はなかなか厳しい。 恩師役の大久保佳代子がよかった。 型破りで人間味にあふれていて、この恩師の頼みであれば懸命になるのも分かる。 恩師の臨終の瞬間は泣いたが、最後の言葉が「やっときゃよかった・・・」だったと気づき、医者、看護師も含めて大爆笑に転じるというのはなかなか斬新。
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