ドライブ・マイ・カーのレビュー・感想・評価
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「ワーニャおじさん」買いました
日比谷シャンテそばの居酒屋で,映画好きの友人が「ドライブ・マイ・カー」どうだった?と質問してきたので,「うーん...」と言葉を探していると,彼は私の答えを待たずに「すっごく良かったでしょー」と絶賛.
友人は若いころ演劇論の講義を受けたり,映像制作にかかわっていたこともあり,いろいろと琴線に触れるところが多かったようです.
「作劇にチェーホフの『ワーニャおじさん』を選んだところが,すごい!
ピアノでいえばバイエルみたいに,「ワーニャおじさん」は初歩テキスト的な位置にあり,それだけにいろいろと奥が深い脚本,storyであって………云々かんぬん」とのことでした。
確かに,思い返すと,わざと感情を入れずに脚本読みを繰り返したり,手話や日本語以外の言語での台詞だったり,なんだか奥深そうと思います.
なので,「ワーニャおじさん」を買ってきました.読んでみます.
いたるところで高評価なので,きっといい映画なんだと思う...
いやいや,『偶然と想像』を撮った濱口竜介監督の作品なんだから,すごい映画なんだと思う.
映像作品としては楽しめますが、ピンとこなかったな〜
異文化交流とジェンダーと少し格差社会を取り上げており、ポリティカルには正しい作品なんでしょうが、正直いって、長くて説教くさい話。あ、あとハルキね。インテリリベラルな目線感がハルキっぽい。といっても、ノルウェーの森しか読んでいないので、違ってたらゴメン。
テーマになっている演劇もさっぱり門外漢。演劇もチェーホフですからね。まあ、チェーホフなんて吉田秋生「桜の園」しかしらんしな〜。あ、もう1本の「ゴドーを待ちながら」はアニメ「SHIROBAKO」でも出てきたから、オタクとして戯曲の有名ところは嗜まないといかん、ってことかね〜。
う〜ん、抽象的なテーマで言えば「現代社会のミスorディス・コミュニケーション」ってことですかね。社会性に乏しい生き方をしている自分にはピンときませんでした。
映像作品としては楽しめると思います。アカデミー作品賞ノミネート、おめでとうございます。最近の作品賞傾向的には可能性ゼロではないと思いますので、見ておいた方が良いでしょうね。
それでも、生きていく。
第45回日本アカデミー賞最優秀作品賞受賞作。
第94回米アカデミー賞国際長編映画賞受賞作。
Paraviで鑑賞(レンタル・インターナショナル版)。
原作は未読です。
起伏に乏しく、淡々と物語が紡がれていくスタイルの映画を観るのは正直苦手なので、家で観る際は分割して観るのが常ですが、本作は何故か引き込まれて一気に観てしまいました。
とにかく続きが気になってしまったのです。
ミステリアスな雰囲気に目が離せなくなりました。
主人公が目を背けていた妻の秘密と彼女の実像、そして自分自身の心の深淵に向き合っていく姿を、豊かな人間描写と村上春樹原作らしいメタファー満載で描いていました。
繊細な演技と演出で観る者を物語の世界へいざない、多くを語らず、行間を読ませるような演出は非常に文学的であり、映画芸術の最たるものだなと思いました。
どれだけ愛し合っていても、相手の心の内を知ることは出来ない。それは家族でも恋人でも同じこと…
だからこそ自分自身と向き合い、悲しい過去や想いにどうにか折り合いをつけ、これからも生きなければならない。
心に深く刺さる作品でした。
[追記](2022/03/28)
国際長編映画賞受賞のニュースが!
おめでとうございます!
※修正(2023/06/01)
まぁでも普通
映画館で観れる人は映画館で観た方が良い
何故なら3時間と言う尺の長さはあなたに集中力を失わせ、家事や日常生活と言ったことに意識を向かわせるであろう。そしてそれらに追い回されることが如何に刺激的で、実りがあり、あなたの人生を豊かにするのかを気付かせてくれるからだ。
これを映画館で観たとなると、あなたには逃げ道は無くなりこの退屈なようで退屈な映画にたっぷり3時間付き合わなくてはならない。
だからこそこの作品を最期まで見たいのであればなるべく映画館で観るべき作品だ。
そんな作品だ。
本家アカデミーノミネートだ。
日本アカデミー8冠だ。
何時間だろうと付き合わなくてはならない。
もとい、映画代金位は何かを感じて帰らなくはと意気込み、最後まで寝息一つたてず鑑賞し切った自分を褒めて上げてもいいだろう。
この作品で語るべきことなんか無く、各々が好きなシーンを拾い集めて無理矢理こじつけがましく作品の主体を歪曲したり、または分かったようなことを語る暇があれば直ぐ様自分の現実の人生に戻り、大切な人を抱きしめて労い愛することの方がどれだけ意味があるのだろうかと、そう感じるざるを得ませんでした。
生き残った者は死んでいった者のことをずっと考えている。
それがずっと続く、生きていくしか無い。
いま、生きているうちに、愛もヘイトも伝えることである程度は生き残った者の溜飲は下がるものなのかなと思った。
中高年には
流石に起承転結ないと盛り上がらないので少し時間の制約もあり現実離れしたところもあるが
それは映画の世界
訴えたい、考えさせたいところが
それぞれの視点だからみなさん男女差で理解しがたいものもある
近しい人ほどコミニケーションを
や、人は複雑で長く付き合っているから理解しているわけではない
など考えさせられる事もあるが
作中にもあるように
知らなくてもまた、言わなくても良い場合もある
主人公は裏切られた感があり
ここで相対時するかは人それぞれ
妻は告白したがったようだが
しかしこの夫婦は言わなくてよかったと思う
男性の浮気でもここは別れるところだが
話し合えば極論は別離
改心しても許すかは相手次第
話し合いの前提は継続だから
一旦許してもあとから感情が爆発する可能性もある
夫婦の話しというより
ドライバーの子の話しからも
悔いたことは取り戻すことはできないが
糧にする事は出来る
明日へポジティブに生きよう
というメッセージが良い
しかしあのサーブはもらったのかな
オスカーおめでとうございます
久々の映画館、で血圧が高いのか、頭痛がしてきましたが、3時間と後で知って驚き、それだけ見られたということはいい映画だったんだと思います。それなりに絵も楽しめましたし。
ただ、なんで、カミさんの浮気を黙殺したことにそんなに苦しむのか?と、身も蓋もないことを感じてしまうのが私にとっての村上春樹で、テーマの核心がなんか作り物の感がある。それをなんだか周りで話を勝手に盛り上げている感じ。ドキュメンタリーでないにしろ、えぐるように迫るものが映画でも文学でも表現できると思うのですが。
と、普通なら言い切るところですが、「きっと私の感性が未熟なんでしょう」と言わざるを得ないのが村上春樹様々なところです。( ノ_ _)ノ
最も難解なのは最後の場面。なんで韓国(北朝鮮かもしれないけれど)に?ということで、みなさんのレビューを読ませていただいたり、原作を読みましたが、はっきりしたことはわかりませんでした。汚れた心のせいか、賞とりのために韓国ロビーの協力を募っているのか?という勘ぐりが頭をもたげました。
いろんな国からその国の言葉、手話で演劇をしつつ「世界に通ずる普遍性を描く」ということでした。とてもおもしろいし、韓国の女優さん、きれいだな〜と楽しめたのですが、なんだか東アジアで日本が忖度を続けている姿が重なりました。東京の電車やバスで、日本語、英語のみならず、韓国語、中国語の表示が映し出され、日本語の表示を待ち続けているような。こんなこと書くと政治的にかたよった人と誤解されそうですが、「日本、日本」と叫ぶより日本を意識してしまいました。
それでいて、いわゆる「心の傷」にさいなまれているのは日本人だけで、そのへんが”普遍性”になっていない。ちょっとだけ韓国人通訳の話もあるけれど、村上春樹が作り上げた心のひだを紡ぐのは日本人だけ、みたいな結果になっている。それを考慮すると、「外国語映画」ではあるけれど、「国際映画」にはなっていないと、賞の名前が昔から変わったところと整合しないと思いました。
短編小説をよくここまで肉付けした、と他のレビューでありましたが、3時間まで肉付けするのはやり過ぎでしょう。(^_^;)原作となった短編集、「女のいない男たち」のなかの他の短編のエピソードを織り込んだようです。あらかた寝取られ関係の話(という身も蓋もないまとめ方は正しい解釈ではないのでしょうけれど)が主だったような短編集でしたが、なかでも、ヤツメウナギの話、いるかな〜?と思っていました。ヤツメウナギは実家の地方の名産で、子供の頃は貝焼きという、魚醬で煮込んだ、汁が少なめの鍋物でよく食卓に上がりました。その姿と、食感がとてもグロテスクで味をあまり楽しめませんでした。小説ならまあ、文字なのでありかもしれませんが、あの画像はちょっときれいすぎて、それでいて説明的すぎていてちょっと伝わらないので?と思いました。
なぜ前世がヤツメウナギ?獰猛で顎のないグロテスクな姿、寄生した魚の肉を少しずつ食べる、それが肉欲を表すとすれば、なぜ自分は寄生することなく川底の石にかじりついたまま消えていくのか?自身の肉欲への嫌悪?そんなに盛り込まなくてはいけないのかな?と思いました。
肉欲、男女の愛憎、カセットテープ、SAAB、オーディオ、バー、演劇、そして日本映画界お決まりのタバコ(原作でも登場するけれど)、そう、すべてが古い。
こんなにタバコが出てくる風景、今の日本にはない。昭和のゴリゴリ演出家ならまだしも、おかえりモネそのままの現代受けする西島さんがタバコ吸うのは大きく矛楯する。外車やマニアックなオーディオなど、バブルの残骸、村上春樹の趣味はもう現代では空疎で、その頃の残像を追いかけている人か、現代の日本を知らない人にしか受け入れられないでしょう。
演劇が原作にない、この映画オリジナルの脚色ですが、「自分が消耗するのでのその役を演じられない」というのも素人には難しい。それがなぜ克服できるようになったのか?北海道で三浦さんと心の痛みを分かち合ったから?( -_-)映画とはいえ、ちょっとご都合主義ではないのかな?
をしてもう一つのオリジナル脚本が北海道旅行。「2日でできるか?」、「タイヤはどうした?」と多数ツッコミがありましたが、私も見ていて同感でした。('-'*)フェリーでのテレビで岡田君の余罪がニュースになっていましたが、それ、いるかな〜?なんだか霧島さんの秘密の語り部のようなひとなのに、あれでは「ただのクズ」になってしまって、これまでの話の信憑性が吹っ飛んでしまうのでは?
あと、緑内障の話をしておくと、事故の原因となるくらいまで悪化している人は稀です。逆に言うと、事故を起こしたくらいの緑内障が初期であるというのは考えにくいです。これが緑内障患者へのおかしな差別にならないか、気がかりでした。
ちなみに、原作に見えない部分を「ブラインド・スポット(盲点)」と書いて、心理的な盲点を匂わせる伏線にしていましたが、ブラインド・スポット(blind spot)、盲点は健常者でも、だれでもある、視野で見えない部分です。緑内障で起きる視野の異常は「暗点(scotoma)」と言います。それくらい村上春樹は目の異常の知識がないまま、ただ小説の題材にしただけなので、疾病差別につながらないようにしていただきたいです。
唯一、印象的だったのは北海道への道中。三浦さんは母親を起こさないように運転の技術を磨いた人。その車中で西島さんが眠りから覚める。それがなにを意味するのか、ただ意味もない、ただのシーンなのかわかりませんが、なにか縛呪が解かれたような不思議な感覚を覚えました。
気持ち悪い夫婦
どうも好きになれない。
極論だが内容も気持ち悪い。
やや狂ったとは言え、あんな性癖の妻はイヤだし、あれを許容する夫もイヤだから。
日本アカデミー賞も取りまくってるけど、「おくりびと」を思い出してしまう。「おくりびと」は海外賞取る前に日本で公開されたがその時はあんまり売れてなかった。
ところが海外で賞を貰うと、情報番組が山ほど宣伝して大ヒットした。日本アカデミー賞は海外の評価に左右され過ぎと思う。
本作は見て好きに感じて理解する作品だと思うので、「面白くない」も意見の1つだし、「凄く面白い」も同様だ。
で、自分は面白くなかった。
この作品はこう言った作品を見馴れているユーザーに喜んで貰える作品だから、普段こう言った芝居っぽい作品を見馴れてないユーザーの評価は別れると思う。
感想より長いけど、コメントくれた人が居たので追記
世間的に高評価を得てるこの作品を悪く書くと、叩かれるのは分かる。自分が気に入った作品を貶してる奴に一言言いたいのも理解は出来る。多様化に寛容なら否定してる意見にも寛容にしてほしいとは思う。
意味や内容が分かってても好きになれない事はあるのだから。
あと作中の演劇で多言語を織り混ぜてやってるが、実際観るときの客はどうする?イヤホン着けて翻訳聞きながらになるのだろうか?聴覚障がいのある人が観るときは横に字幕をつけるのだろうか?観劇するユーザーはこの試みを楽しんで観られる人が多いのか?色々考えてしまう。昔、邦画に字幕を付けろと言われた事があったが、字幕付けてると邪魔くさいと言う客もいた。 どっちにせぇっちゅうねん?となる。多様化も多言語も口で言うほど簡単じゃない。
感想書いてから都合4回目を観てみた。
普通に観て、普通に感想を書くとしたら、最初に書いたのは“芝居嫌い”の自己都合も混ざっていたので辛めに書いたと思う。
しかし、飛び抜けて良いとは思えない。
まず長い…三時間の長尺、あの内容に入り込めた人には問題ないだろうが、主人公たちに共感できないと「なぜあの時に怒らなかった?」とか言いたくなる。
人情ものを間延びしてアーティスティックにした作品みたいに思ってしまう。
そう思えるようにはなったので☆一個増やした。
今後、こんな作りの作品が増えるならこの作品のやり方が世間的に受け入れられるものだったと思えるが、恐らくはそうならない。
グローバル化や他者、他国への理解は誰にでも都合が良いものでもないし、争ってる国や勢力、経済的な競争などを含むと尚更だ。
ただ邦画の皮をかぶったこの作品が評価された事は良かったとは思う。
この作品観たさに瞬間でも映画館に足を運ぶ人が増えたら映画館が潤うから。
「おくりびと」の時には本当に有り難かったから、「ドライブマイカー」で喜んでる映画館もいるだろうと思いたい。
どうなんでしょう?
人は他者の立場に立てるか
不慮の事故であっても、自分が殺してしまったという思いから抜け出せず苦しむ人がいても仕方ないが、他人の心の中は、自分が考えているのとは全く違うかもしれない事に思い至らないのが普通だ。だから何時迄も重しになって苦しむ。
最愛の妻のあられもない秘密を見てしまった演劇人が、妻の急死に直面して、硬い殻の中に閉じこもった時、すっと入ってきた無表情な女性運転手の、プロに徹した仕事ぶりと、互いに口が軽くなっていく過程が見どころで、この静かな映画に、計らずも涙が出てしまった。「人は他者の立場に立てるか」
村上春樹やチェーホフを知らなくても、演劇に関心がなくても、自分なりの解釈から心に染み入る演出だ。山陽道らしき高速道路を疾走する車の中からエンディングに向けてストーリーは走り抜ける。
注。アカデミー賞だからと言って家族そろって鑑賞・・なんて厳禁
魂の救済が原点か?
最初は、ちよつとビックリした。妻 音と、家福の濡れ場からはじまっていたから。これは選択する映画を間違っていたかしら、と思ったが、どうも違う。宗教的に夫に、物語を紬ぎ出し語り出す妻。それを聞く夫‥やがて二人の現実と、妻の語る架空の物語がシンクロしてくる。夫役、西島秀俊の無表情な仮面が、舞台という仮想世界で、急に生き生きと生を語り始めるにいたりどちらが、生きているという実感を、感じさせるのかあやふやにわからなくなる。西島秀俊、とヒロインドライバーの岬の紬出す醜い現実の世界。西島演じる演出家、家福と俳優たちの作り上げてゆくチエーホフの演劇の舞台との対比が、映画を奥行きのあるものにさせた。俳優に韓国のろうの女性を、手話で台詞をいわせたり、各国の俳優の母国語で語らせたり、革新的な舞台の構成になつている。手話で台詞を語るソーニヤのセリフ。言葉でなくからだで表現した、生きるということの辛さを、それでも私たちは、ただ生きていきましょう~生きていかなくてはならない~主人公家福の人生の悔恨に繋がるところだ。また孤独なドライバーの岬の過去とも重なる。ソーニヤの体で表されたセリフは辛さに耐えて残されしものの、生きることの意味を、教えてくれたように思う。いろいろなことを考えさせられる深みのある映画。最後の岬の家福の車にのつて買い物に、出かける姿に希望と救いがあった
1,200円だったからかも?!
コロナ禍の中、かつて隆盛を誇った近くのシネコンを前日ネット予約。3時間の長丁場だから端席で、トイレに行きやすいよう選んだつもりが壁奥。封切からかなり経っていたのと朝一の上映会なので200席に少し足らないスクリーンに10人弱の客入りでした。村上春樹氏の本は、全く読んだことはないですが、映画はノルウェーの森は観ました。でも全く内容は覚えてなくレビューもしたかな?!程度。赤い車の意味、若い男の振る舞い、運転手の過去、ワーニャ伯父さん、多国籍、多様性、いろんなことを考えさせられる内容で悪くはなかったです。死ぬこと生きること、結婚他人、愛哀、義務責任、親子、過去未来、対比がいろいろあり、たくさん考えました。赤車じゃなく黄コンバーチブルだったら、また考えさせられました。泣ける場面はなかったですが1,900円ではなく良かったです。オリンピック残念。居抜で良い店入るとイイなぁ。
今見れてよかった作品
上映時間を確認して、途中で寝てしまわないかと
頭を過ぎった少しの不安も杞憂に終わるあっという間の3時間でした。
気づいたら1番感情移入していたのは家福。
妻(音)の浮気現場を目撃しながらも、
何もなかったかのようにその場を去り、
その後も平然と夫婦生活を営む。
家福は音が複数の男と関係を持っていたであろう事を、
彼女の創る芸術と結び付け、正当化しようとしていた。
それでも本心では大切な人に裏切られたという思いを払拭できず、
その葛藤の中で生き続けていたのだろう。
そんな家福の心を少しづつ、
みさきが溶かしていく過程が見事に、丁寧に
表現されていた。
家福が涙を流しながら、
自身が本当は傷ついていたこと、
音に会ったら責めたいこと、謝りたいこと、
これまで平静を装ってきた感情を
表出させるシーンは苦しくもあり、
救いでもあるような気がした。
さまざまな失敗や後悔、悲しみを経験して大人になる過程で
人は自分が傷つかないよう防衛機構を構築するのだと思う。
自分自身、今現在そんな自分に嫌気がさしている。
子供の頃みたいに、好きと思えるものには真っ向からぶつかりたい。
傷つく自分を恐れず、後先考えず。
だから、今見ることができてすごく良かった。
長い余韻の中に、孤独、寂しさ、希望、救い
さまざまな感情が入り交じっている。
それらすべてひっくるめてぜんぶ抱きかかえて
生きていかなければいけないのが人間なのだと思う。
定期的に見返したいと思える、素晴らしい作品でした。
人生哲学あれこれ
いよいよアカデミー賞も迫って来ました。
この作品は、日本的な奥ゆかしさを、言語化して紐解いているように思った。奥ゆかしさと言うと聞こえはいいが、それは人間関係を独りよがりにさせる危険な美徳でもあり、家福もみさきも、大切な人の本当の気持ちを理解できずに喪ってしまった事に、大きな喪失感を抱えているように思えた。けれども、それまで軽薄さが否めかった高槻のサーブ車中での「自分の心しか、見ることはできない。」のくだりで、少し救われたと感じた。このシーンの岡田将生さんの独白演技は素晴らしかった。
西島秀俊さんは、ドラマでもコメディでも、内省的なお芝居をされる(と勝手に決めつけ)俳優さんなので、家福のキャスティングがぴったりハマっていた。
言葉が重要な意味を持つ映画であるが、言葉を持たない韓国人女性のご夫婦が、誰よりも幸せいっぱいだったのが印象的だった。魅力的な女優さんでした。
この作品は、多言語による戯曲を軸に、生と死、男女のすれ違い、親子の確執、貧困、虐待、障害と、普遍的テーマを重層的に取込み、エンターテイメントと思索のバランスが絶妙だった事が、世界的評価に繋がったのだと思う。また、広島が舞台と言うのも、期せずして、平和を意識せざるを得なくなってしまったここ数週間、人間同士の分かり合えなさを痛感した。
三浦透子さん岡田将生さんが良かった
しんどいけど観て良かった。…ただ少し長い。
もう少しコンパクトにできなかったか?
アカデミー賞の作品賞候補にもあがったドライブ・マイ・カーを観たが約3時間近い映画はやはりしんどい。もう少し、コンパクトにできなかったか?また原作は村上春樹。村上らしい作品の映画化だったが好みにもよるがやはりしんどいストーリー。この点はマイナス。よかった点は考えさせられた内容と海外の人にも観てもらえる内容。この点はよかった。カンヌ映画祭で賞を獲るのは納得できる反面、個人的にはアカデミー賞作品賞候補に値する内容なのか疑問に感じた映画。
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