『ランボー』がそうであったように、本作もまた一人の哀れなベトナム帰還兵にフォーカスを絞ることで、ベトナム戦争が国家の外側のみならず内側、つまり一人一人の兵士に対しても少なからずトラウマ的衝撃をもたらしたことを如実に物語る。しかし『ランボー』と題するにはあまりにも暗澹としていて、どちらかといえばティム・オブライエンの『本当の戦争の話をしよう』に近い。本質を見誤った頓珍漢な邦題をつけられてしまった映画は多々あるが、ここまで誤解を招くようなタイトルはそうそうない。何が酷いかって「死神」「ランボー」「皆殺しの戦場」のどれもが一応表意的には間違っていないこと。
ベトナム帰還兵の扱いというのは実際かなり不遇なもので、彼らは大義もなく送り込まれた戦場から命からがら逃げ仰せてきたかと思えば祖国の良識派ないし世界各国から大量虐殺犯と後ろ指を指された。向かうべき場所も帰るべき場所も失った彼らが本作の主人公のように不毛な虐殺に手を染めてしまうことはありうべき論理的帰結といえる。とはいえ同じような主題と展開の映画はアメリカン・ニューシネマの時代に腐るほど量産されたわけで、今更こんなものを撮ってみても文法的ノスタルジー以上の何にもならない。じゃあもう『タクシー・ドライバー』でよくね?という。
主人公のトラウマを呼び覚ます一つのトリガーとして奇形の赤子(言うまでもなく枯葉剤による健康被害者の暗示)が登場するのも、デヴィッド・リンチ『イレイザーヘッド』というより先達がいるのでさほど衝撃はない。カルト映画と称賛するにはややパワーと先鋭性に欠けた作品だった。あと邦題が悪い。