Mank マンクのレビュー・感想・評価
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黄金時代
80年代や90年代、評論家や文化人が、公開中映画を批評するコラムや、自選映画ベスト10などの特集は、映画情報誌だけでなく、さまざまなメディア系ファッション系雑誌に組まれていた。映画の情報を、紙の媒体から得ていた時代──の話である。
田舎の高校生だったわたしは、それらを感心しながら読んだものだが、大人になるにつれ、評論家の権威主義に嫌気してきた。むかしは映画評論家なる職業があったのだ。淀川さんや水野さんなど、ひとにぎりのテレビ解説者を除けば、御用記者か学閥系だった。
いま紙の映画情報誌があるとすれば、そこにしがみついているのはその流れを汲む権威主義者だけだ。ゆめゆめそんな連中の映画批評を信用してはいけない。(この発言には偏見があります)
それはいいとして。
80年代や90年代に、それらの雑誌のなかで、評論家や文化人が映画ベスト10をやると、かならず市民ケーンが1位になった。
この「かならず」に誇張はまったくない。
かならず市民ケーンが1位になった。
その種の選に参加する評論家や文化人はたいてい壮年から上の人々だった。まず40歳未満ということはない。学者、大学教授、政界、財界、芸能界、放送界、劇界、操觚界、梨園・・・全員が50以上の人々で、とうぜん年齢の影響が選にあらわれた。申し合わせたように市民ケーン天井桟敷の人々第三の男がワンツースリーになった。
たった30年前だが、あの当時のベスト10に多様性はまったくなかった。──つまり権威主義がまかり通っていた。
とはいえ市民ケーンが、いい映画であることに異論はない。
ただ今思えば、選ばれやすい皮相を持った映画だと思う。
知的な人たちの自尊心をくすぐることに加え、人生がぜんぶ入っている感じがする。
本編のセリフにも『2時間で男の一生は描けないが、一生を見たように思わせる』とあった。ほんとである。市民ケーンを見た誰もが、その一生を見たように思った。のである。
この映画は、自動車事故に遭い足を骨折し、オーソンウェルズの依頼でモハービー砂漠の一軒家にこもって市民ケーンの脚本を書くHJマンキーウィッツ通称マンクの、いわゆる「ハリウッド内幕もの」である。
白黒であることに加え撮り方も音楽も往年の方法をもちいていた。
それはいい雰囲気だったが、話が解りにくい。
映画の構造は、巣籠もりして脚本を書いているマンク役ゲイリーオールドマンと速記係のリリーコリンズとユダヤ人の世話係Monika Gossmannが現在の事象で、あとはぜんぶ回想になっている。回想は、市民ケーンを書くに至るまでにマンクに何があったのかを断片で拾っていくが、じぶんは映画の理解力がわりとあるほうだと(勘違い)しているのだが、登場人物が多く、相関も過多で、誰が誰かさえ掴みにくかった。
その解りにくさが、もっと躍動していいはずの内幕を、鈍重にしている──気がした。
おそらくハーストとマリオンが有名な年の差カップルとして周知ならば、違う見え方をするのかもしれないが、こんにち市民ケーンの背景を知っている人は、そうそう多いとは思わない。
そこで、個人的に感じた、この映画の起と結を案内しておくと、起は速記係リタ(リリーコリンズ)の旦那(イギリス空軍に所属する戦地の旦那)の空母が漂流したという手紙で、結は旦那が生きていてオークニー諸島に漂着したという手紙である。回想ではない進行形の話は(簡単に言えば)マンクはアル中だけどいい奴だったという話である。とうぜん移住させてくれたと述懐するユダヤ人世話係の話にもマンクの人柄はあらわれている。それを捉えることが出来たならば、映画は8割補足したも同然だと、個人的には思う。
もちろん興味をもって調べれば選挙や赤狩りやMGMとの主従など、さまざまな歴史上のイベントや命題にぶつかって、より一層楽しめる映画だと思う。
この映画を見たことで確信を深めたのは長すぎるスクリプトを尺に収めたことで、独特のスピード感が(市民ケーンに)生まれていること──である。あの畳み掛ける感じは、マンクの書いた叙事詩が長すぎたから──ではなかろうか。ウェルズはそれを短いカットを重ねていく手法に見せているが、むしろつづめる必要に迫られてフラッシュバックのような映画になった──ような気がしたのである。
ちなみにRKO281(1999)という、やはり市民ケーンの内幕(TV)映画があった。それはマンキーウィッツでなくウェルズが主役で、Liev Schreiberがウェルズ、ジョンマルコビッチがマンキーウィッツだった。
ところで本編ではTom Burkeという人がウェルズ役だったが、声がすごく似ていた気がする。
台風の目
映画史に残る傑作「市民ケーン」の脚本家マンキーウィッツの物語。これだけの意欲的なテーマで、これだけのキャスティングと、これだけのクオリティをもって、ハリウッドの煌めく映画史上の「事件」を描く傑作が<配信業者のネットフリックスで製作されてインターネット配信される>という、映画興行界において悲劇的なブラックジョークに震撼する。大スターを招いてチャイニーズシアターでプレミアをするような、かつての夢の国はもう無いのかな。おそらく2021の映画賞シーズンでは台風の目になるだろう。
フィンチャーの映画愛あふれる傑作
大好きな「ゴーン・ガール」から早6年、デヴィッド・フィンチャーの新作をようやく観ることができた。
これはハリウッド黄金時代へのオマージュ。映画愛が滴り落ちる豊穣な傑作だった。
時は1940年、「市民ケーン」の脚本を執筆するマンクことハーマン・J・マンキウィッツを描く。名作誕生の裏話としても十分楽しめたが、何よりマンクの人間性に魅かれた。
マンクを演じたゲイリー・オールドマンが実に味わい深い。こんな作品でオスカーを手にして欲しいなぁ。
そして女優陣では断然リリー・コリンズ❣️
今作に美しい花を添えた。
昨年公開の外国映画のベストの一本だろう。
タイプライターの音、マンクの愛嬌と知性
なんだかすごく面白かった。ハーストの金持ち振りがあまりにアホみたいに極端で笑ってしまう。ハースト・キャッスルのお庭、噴水、動物園(象、山盛り!)、ゴージャスな室内。趣味が趣味すぎて、悪趣味スレスレ(動物園付き豪邸は、ベルモンドの映画にもありました!「ムッシュとマドモアゼル」原題は、L'animal)。
マリオン(とっても可愛い💕)がパパと呼んでいたので、最初は親バカの父親なんだと思ってたら、その人がハーストだったのか!と遅ればせながら気がついた。そのハーストと愛人のマリオンとマンクはあんなに近い関係で親しかったのか。マリオンとマンクの間には信頼関係があるし、ハーストはマンクと話すのを楽しんでいて彼の前ではいつも紳士。これは事実?フィクション?
マンクはアル中で、凄いインテリで弟もインテリで、言葉と文学の人。そして失業した仲間を助け、命を救おうとしたり、ナチのドイツから村ひとつ分の人たちをアメリカまで逃れさせてやったりと、正義と行動が伴ったリベラルな人。お金もあったんだろうな。
カリフォルニア州知事選挙では、ハーストはあからさまに民主党のシンクレアを叩くでっち上げのラジオ放送・映画を制作し、映画界もそれに媚びて共和党万歳状態!マンクは何が真実かわかっていたから、共和党候補への寄付金はビタ一文出さない唯一の映画人、賭事は大好きなのに。選挙開票待ちの金持ちパーティーには、妻から一言もしゃべらないでね、と念を押されて出席するマンク。悔しいし、むかついただろう。初めは出入口近辺のテーブルだったのに、マンクとわかるやいなや、一番セレブのテーブルにご案内ー!この感覚が面白くてゾクゾクした。この時代はまだ、自分を批判する「道化師」を身近におくことは知的であり余裕であるという感性がアメリカにもあったのかな。
マンクにはなんともいえない愛嬌と魅力があって、脚本家としての才能が飛び抜けていたんだろう。でなければ、オーソン・ウェルズが彼を缶詰めにして書かせる訳がないし、妻のサラがずっと彼と居るわけもない。サラはマンクと居ると楽しい、笑わせてくれるということを言ってた。
世界恐慌直後のものすごい貧富格差、ヨーロッパではヒトラーの台頭、そしてアメリカではヒトラーがまだ過小評価されていたこともよくわかる。キングコングが良きにつけ悪しきにつけ映画界では大きな話題だったんだろう。そんな中での「市民ケーン」の映画化は大変に違いなく、ハーストらによる妨害工作の凄まじさも想像できる。
映画「市民ケーン」は一度だけ、いつかどこかの映画館で見た。とても面白くて素晴らしい映画だと思ったが細部しか記憶にない。一番印象的だったのは、かなり後半部分、孤独なケーンの大豪邸の中の暖炉です。ウェルズがそのまんま屈むこともなく入れてしまうほどの巨大な暖炉です。細部だけど巨大な記憶でした!
とにかく「マンク」面白かった。さすがフィンチャー!この映画のフライヤーの絵が、ベルリンのドイツ表現主義のテイストで映画にぴったり!そして、タイプライターの音に痺れました。
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大体どこの国でも、映画「市民ケーン」はオリジナルに合わせた同じタイトルですが(全部、調べた訳ではありません)、イタリアでは「第四の権力」となってました!映画も新聞も含めたマスコミをピッカーンと刺していて一番いいタイトルではないかと気に入りました。イタリアにはベルルスコーニ、アメリカ合衆国にはトランプが居た(過去形で書いていいですよね)。そのアメリカ合衆国の映画監督が、今、作った映画なんだ!
脚本家ってやつは
現代屈指の鬼才で映像の魔術師であるデヴィッド・フィンチャーが、初めて実在の人物を題材にし、白黒で撮るとは何だか意外。確かに、あったようで無かった。
しかし、この鬼才の手に掛かればさすがのもの!
美術、衣装などクラシカルな雰囲気は『ベンジャミン・バトン』ですでに再現済み。
特に感嘆したのは、開幕早々。まるで当時の作品のような白黒映像や音響。これ、相当こだわったんだろうなぁ…。
そして何より、今回の題材!
『市民ケーン』。
映画好きなら知らぬ者は居ない。
世界中のあらゆる映画オールタイムベストテンに選出もしくは1位に今尚輝く、映画史上随一の大巨星。
産み出した天才寵児、大胆なストーリー構成、撮影技法…後の映画産業への影響は計り知れない。スリリングな人間ドラマは今見ても面白い。
故に、題材にした作品は以前にもあったが、今回は訳が違う。
天才寵児の大名作の製作舞台裏を、現代屈指の鬼才が撮るのだから、期待は自ずと高まる。さらにユニークな切り口。
普通だったら、オーソン・ウェルズを主役に描く。当然だ。監督/製作/共同脚本/主演…言わば『市民ケーン』はオーソンの作品なのだから。
しかし本作は、もう一人の脚本家の視点から描く。
ハーマン・J・マンキウィッツ。
恥ずかしながら、存じ上げなかった。どうしても『市民ケーン』=オーソンなので。
だけどこの“マンキウィッツ”という名は聞き覚えあり。やはり! 後に2年連続でオスカーを受賞する事になる名匠の実兄とは!
通称“マンク”は『市民ケーン』でオスカー脚本賞を受賞。いかにして名作を執筆したのか。
名脚本家の名作執筆秘話が語られる…のだが、
このマンク、かなりの人物だった…!?
まず、極度のアルコール依存症。
呑まないとやってられない。呑まないと仕事にならない。仕事中はベッドの上から動かず、酒を呑みながら。仕事してるんだか、してないんだか…。
時の大手スタジオ、MGMの専属脚本家。でも、問題児扱い。
度々の過激な発言。それは特に政治的な面でも。
それが『市民ケーン』製作の際に、マンクを窮地に追い詰める事に。
ご存知のように『市民ケーン』は、当時の実在の新聞王ウィリアム・R・ハーストがモデルとされている。これを不快に思ったハーストがあらゆる手を使って妨害。上映禁止まで。会社は屈するしかなかった。
が、闘った男もいた。
言うまでもなく、マンク。
彼は端から闘うつもりでいたのだ。自由の表現は権力には屈指ない、と。
その噂はあっという間に映画界に拡がる。マンクがハーストに喧嘩を売った、と。
当初は自分は裏方で、クレジットにも載せなくてもいい、と同意。
ところが一転、クレジットに名を出して欲しいと主張。(これを巡ってのオーソンとマンクの対立は結構有名な話)
その主張が、権力と闘う姿勢そのものだ。
マンクが書いた『市民ケーン』の脚本は複雑で、映画会社関係者から難を示されたところ、「俺にしか書けない物語がある」と強く言い返す。
その反骨精神もまたしびれた。
それを体現したゲーリー・オールドマン。
もうこのオスカー名優の、さすがの熱演、存在感。少々異端の役を演じさせたら圧倒的に場をさらう。
強烈個性と共に、哀切さも滲ませて。
今度のオスカー主演男優賞はかなり強豪多いらしいが、ノミネートは固いだろう。
映画好きとしては、『市民ケーン』製作秘話も興味深いが、当時のハリウッド内幕劇からも目が離せない。
出るわ出るわの実在の映画人。大プロデューサー、名監督、人気女優(マリオン・デイヴィス役アマンダ・セイフライドが快演)…。
夢を与え、スターたちが星の如く輝き、華やかで、ハリウッドがハリウッドだったあの頃…。
ハリウッドの光。
…と、陰。
先述の通り、権力に屈する。
政治介入。
時々聞く映画界の黒い話。それは今も昔も変わらない。
でも、映画の力で権力と闘い、映画が夢を与える事こそ本当だと信じて疑わない。
だからこそ我々は映画を観、映画人たちも映画を作り続けている。
本作の脚本家はジャック・フィンチャー。デヴィッド・フィンチャーの父で、息子が父の遺稿を映画化した。
名作誕生秘話、ハリウッドの光と陰、権力に屈せず闘う…。
往年のハリウッドへのオマージュと共に、脚本家を主役にし父へ敬愛を込めてーーー。
市民ケーンを見ても置いてかれる
『市民ケーン』の脚本担当ハーマン・J・マンキウィッツが『市民ケーン』を書き上げるまでを描いた話。
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『市民ケーン』を見ないと意味わからないと聞いて、ちゃんと予習したけどそれでも分からなかった(笑)たぶん1930年代から40年代のアメリカの映画界と知事選のことを知らないと置いてかれる。
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でも劇中でプロパガンダ的なニュース映画が作られたり、映画を全て信じるな的なことを言っていたのは、まさに「バラのつぼみ」と同じことかなと。
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映画だって、監督が見せたいと思うものを見せられてるわけで、1面しか見せられていないようなもの。私は色んな価値観や世界をたくさんの映画で学んできたけど、描かれていることを疑う目も必要だなとケツを叩かれたような気がしたね。
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マンクのモデルや『市民ケーン』との作品上の関連性など、重層的な読みを促してくれる一作。
モノクロームであるため、一見地味な印象を受ける本作ですが、映像は非常に豊潤、というか偏執的です。これこそ紛れもなく、フィンチャー作品だと納得させられます。映画史の金字塔である、『市民ケーン』の脚本を執筆したハーマン・マンキーウィッツの、まさに執筆過程を物語の一方の主軸に据えた内容であるため、さすがに『市民ケーン』(1941)を事前に鑑賞していないと、本作の舞台設定、人物関係を理解することはかなり困難でしょう。これが本作のハードルを少し上げていますが、『市民ケーン』は現在の視点でも十分に面白い作品なので、未見の方はこれを機会にご覧になることを強くおすすめします。
先に執筆過程の状況を物語の「一方の主軸」と表現したのは、本作には別の時間軸、つまりマンキーウィッツ(マンク)の回想場面が含まれているためです。この過去と現在が交錯しつつ物語が展開していく構造は、まさに『市民ケーン』と同じで、作品全体が、かの名作の合わせ鏡として機能しています。さらに、デジタル映像が主流の現在では全く不要になった、パンチマーク(フィルム交換を撮影技師に合図するために右上に表示される黒い印)を差し挟むという念の入れよう。往年の映画ファンなら本作が、フィルム時代に作成されたと錯覚するかも知れません。こんな細部に、前述したフィンチャーの偏執的な特徴が現れています。
本作は、フィンチャー監督の着想によって作られたのではなく、脚本家だった彼の父親が執筆した脚本を映画化したものです。つまりマンクとは、単なる実在の人物でも物語の登場人物でもなく、彼の父親の姿だった、という解釈も可能でしょう。物語と同様重層的な読みを促す作品です。
市民ケーン
「市民ケーン」の脚本家としてオスカーを獲得したマンクことハーマン・J・マンキーウィッツの波乱万丈の人生を描きながら、1930年代のハリウッド・メジャースタジオの内幕も垣間見せたバックステージもの。一度はクレジット表記を辞退した主人公が翻意したのは、自分の脚本に自身があったからだけではなく責任を持ちたいという独特の映画愛ゆえだと思う。
マンクの精神の根底には権力に迎合しない反骨心が脈打っていた。おそらくオーソン・ウェルズはそのことを見抜いていたのだろう。だからRKOの社運を賭けた作品に協力を頼んだに違いない。
タイクーンという別称で呼ばれていた大物プロデューサーたちがわが物顔でスタジオを闊歩していた時代に俺流を貫いたマンクの功績はもっと称賛されていいと思う。
ノリきれない
「ソーシャル・ネットワーク」の時にも思ったが、パラパラ展開する会話にボーとするし、主人公の劇的欲求がわかりにくい。特に時代背景を理解していないとわかりにくい。内容もアメリカのしかも過去の政治体系に関わる事だったりするからなお共感しづらい。セルズニックとか赤狩りとかわかりにくい。
フィンチャーの父親が書いた脚本らしいが、映画好きの中でもかなりターゲットが絞られそうな内容だった。
【『市民ケーン』を創作した、脚本家ハーマン・J・マンキーウィッツの生き様をゲーリー・オールドマンが流石の演技で見せる。MBM関係者を含め、『市民ケーン』創作に関わった人々の姿も興味深い作品である。】
■『市民ケーン』のモデルと言われる、ウイリアム・R・ハースト(チャールズ・ダンス)の愛人であり、女優でもあるマリオン・デイヴィスをアマンダ・セイフライドが華麗に演じ、敵対する筈のマリオンと、マンクが不思議な友情で繋がれていく過程が良い。
彼女とマンクの月夜の噴水の傍でのロマンティックで粋な会話。
ー マンクは、マリオンが出演する作品が10作以上ヒットしていない事実と、彼女自身が女優としてはすでに終わっている事を自覚しつつ、ウイリアム・R・ハーストの愛人になっている事を知っているのである・・。-
■効果的な回想シーン
・1933年のメトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MBM)の創始者の一人、ルイス・メイヤーの48歳の誕生日のシーンから始まり、
・彼が、MBMの従業員、俳優たちに給与を半額にすることを”依頼”するシーン。
・ウイリアム・R・ハーストについて本を書いた”弱者の視点に立つ”アプトン・シンクレア”がカリフォルニア州知事選に民主党から出馬し、MBMが推す共和党の”フランク・メリアム”との選挙戦を”MBM関係者たちの会話の中”で、伝える手法も良く、
・1936年、アーヴィング・タルバーグの葬儀のシーンも、アメリカ映画史の一区切りがついた・・、という象徴的なシーンとして使われている。
<反権力の思想を持つハーマン・J・マンキーウィッツが、保守的思想が蔓延る当時の映画界の中で惑いつつも奮闘する姿を、ゲーリー・オールドマンが流石の演技で見せる。
常に弱者の側に立ち、温かき心を持ち、”不器用”に生きたマンクが、自分の意志を貫き、『市民ケーン』により、アカデミー賞脚本賞を獲得した生き様に魅入られる。
現代社会への皮肉、警句も感じさせる作品でもある。>
凝ってはいるが面白くない!!
女とくっちゃべったり、屁理屈をこねたりして、やるべき事が全然進まず退屈です。と思ったら脚本は仕上がってたりしてポカーンとなりました。時事は雰囲気だけは出ていたと思います。凝ってるが特に面白くはない、いつものフィンチャーだと思います。
モノクロ映え
ハーマン・J・マンキーヴィッツって何者か知らない人には、ずいぶん政治色の濃い作品だと思ったと思う。
しかも市民ケーンってなんじゃいとなったら、
もうこの作品の7割がた意味不明なのかもしれない。
しかしDフィンチャーがNetflixで敢えてのモノクロ作品で表現したかった理由もそこにある気がする。
これ上映作品だったら、2週間で打ち切りになるレベルだったかもしれないw
それほどにコアな人向けの作品ではあるが、
やはり元々CM監督だっただけのことはあり、
映像の美しさ、カット割りの絶妙さだけで、
私は十分に満足してしまう。
モノクロなのに、カラーよりも極彩色とでも言うべきか...。
消音でずっと流し続けていても映える作品。
かつてのハリウッドは色と政と薬がぜんぶ揃った世界だった。
まさにそんな時代背景を鑑みるなら良い作品だと思う。
ウィキペディア
ハーストは今となっては市民ケーンのモデルとして名が通る人な訳で、暴露本作家の勇気はその結果を今に伝える。オーソンウェルズの扱いが酷いが。
映画を見ながら携帯を触るのは御法度だとは思うのだが、ウィキを読みながら見ないとさすがにつらい。それを許容する意図があるのかと思うほど説明がない。
むずかしい…
「市民ケーン」を予習してから観賞しましたが、やはり難しく、正直面白く感じられるほど理解が出来ませんでした。
時代背景や人間関係などの前提知識が無いと厳しいのかもしれません。
でも映画文化の一つの大きな転機とエピソードを知ることが出来て良かったです。
デヴィッド・フィンチャー「Mank マンク」を観る。社会主義者アプ...
デヴィッド・フィンチャー「Mank マンク」を観る。社会主義者アプトン・シンクレアの存在が重要な位置を占めているんだけど、この映画はイデオロギー的な事より、生きていく上での理想を追及することの重要さ、そしてその理想を追求することを許さないハリウッド、社会へのフィンチャーの怒りの表明なんじゃないかな
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