ノマドランドのレビュー・感想・評価
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「答えは、なかった」
アメリカの純文学作品
起承転結はないに等しい。
取捨選択
何を選ぶのかは自由
選んだのは、そうしたかったからではなく、消去法だったのだろう。
そもそも何が正解なのかはわからない。
でも、「そうじゃないと思う」からそうしただけ。
ノマド 家のない人のこと
石膏採掘場の倒産によってその地を離れざるを得なかった。
主人公ファンの夫はガンで死んだ。
たったひとりのままバンを家代わりにして町を出た。
短期雇用のアマゾン
似たような仲間たちが大勢いた。
彼らが心のよりどころにしている考え方は、昔のヒッピーのようにカウンターカルチャー的発想を広げている人物。
その対象が「お金」の奴隷になっている現代人
RTRという思想 その創始者
大勢で集会などをしているときは楽しいが、会が解散してしまった後の寂しさ。
バイトを転々としながらの生活
友人リンダメイの告白 余命7か月 彼女の想い出話
行く当てもない生活は、人生そのものを表現しているのだろうか。
今ではもうやるべきことさえもないし、誰からも与えらえない。
同時に、「誰にも必要とされない」ことに気づいていく。
そんなファンにも助け船がやってくる。
同じノマドのデイブ
息子が一緒に暮らそうと呼び戻しにきた。
デイブはファンに「一緒に来ないか」と誘う。
その直前、デイブが割った大切な皿。
形あるものはいつか崩れる。
現状を見つめ直すきっかけとなる出来事は、ある。
その背後にある彼女自身の大きな抵抗感
車の修理にお金が必要になり、姉に借りる。
おそらくファンは、ものの見方と考え方を変更しなさいと言われているのだろう。
しかし彼女は頑なにそれを拒否し続けた。
集まった親戚の些細な言葉に反応するファン。
「私をそんな目で見ていたのね!」
姉はファンをなだめる。
「あなたは誰よりも勇敢で正直」
ファンは思い切ったようにデイブを訪ねた。
それは、姉たちの姿を見て、屋根のある生活に戻る選択をしたデイブのことを知りたいと思ったからだろう。
温かい家と生活 息子の赤ちゃん 親子で弾くピアノ 彼の生活
ファンは「いつまでもここにいてほしい」というデイブの申し出を受けることはできなかった。
この作品の中の最も大きなシーンだろう。
ファンは用意された大きなベッドでは寝ずに、自分の車の中で寝る。
早朝見つめる彼の家。
そこにファンの姿を重ねることはできなかったのだろう。
彼女は去った。
雨 海岸 荒れる海 横殴りの風
彼女の選択が表現されている。
彼女の選択は間違いだったのだろうか?
やがて再びアマゾンの短期雇用が開始された。
しかしそこにリンダメイはいない。
そこを去り。再びRTRへ
リンダメイを偲ぶ。
最後にRTRの創始者はファン言う。
「5年前に息子が自殺した。どうして息子のいない世界で生きているのか? 答えはなかった」
彼は息子の死に苦悩している。
同時にすべての高齢のノマドもまた、人生に打ちひしがれ立ち直れずにいる。
「それでいいんだ」
この生き方で一番好きなのは、お別れがないことだ。一度もさようならを言ったことがない。
「またいつか」
そして本当にまた会える。
「私はいつかこの道の先で息子に再開できると信じている」
「君もいつか夫に会える。そして共に生きた時間を思い出すことができる」
ファンは石膏工場跡地を訪ねる。
当時の事務所と社宅
彼女の頭にあるのは夫と過ごした日々の想い出だろう。
彼女は持ち物を処分し、今度は車で北上する。
また新しい場所へと向かった。
冬に北上。
限界の場所で限界の生活をすることで彼女は生きていることを感じるのだろうか。
そこまで行けば夫に会えると思ったのだろうか?
おそらく答えなどないのだ。
この答えなどないことを探し続けているのが人生なのかもしれない。
この作品はそんな「無意味」なことと「人生」を表現しているのかもしれない。
帰る場所があってこそ
暗い、辛い‥
旅も憧れのバンライフも、金と体力と健康と帰る場所もしくはコミュニティがあってこそ自由を感じるのかもしれん。
終わりなき放浪は辛すぎる、逆に不自由を感じた。
ノマドライフにさよならは無い、みたいな台詞があったけど強がりにも思えた。
自分には何も刺さらなかった。
でも感じた事はあったから、何かは刺さったんか?
知らんけど
魂の在りかがわかった。そんな気がした。
今までの生き方、いやあり方なんだろう。そのわだかまりをすてる勇気を潜在的に宿した人間のロードムービー。経済指標と言う価値評価を後生大事に抱き締めて生き抜くことがホントに幸せに繋がっているわけではない。家を失った事よりももっと大切なものを失ってしまったことに気付いた彼女。自我は自我でそれ以上のものでもなくそれ以下のものでもない。自己の存在を心の奥底に見つけた彼女。ノマドの生き方をその在り方を身体に沁み込ませる旅を生きている間続ける勇気とその健気なプライドに身体が透明になった様な感動を覚えた。
何度でも観たい映画にまためぐり会えた。
これがノマド...?映画NO1
ノマドって聞いて
ああ〜なんか流行りの「夏は軽井沢、冬は宮崎行きまっせテレワークサイコー」みたいな奴っしょ
僕もいつかノマドになりたいなーって軽い気持ちで見始めたら
開始5分で絶望
ノマドの主人公がさっむいAmazonの工場で労働してる
これ本当にノマド?
僕の知ってるノマドじゃねえぞおい
どうやら本番アメリカの本来のノマドはこういう地を這うような生活をしていて、その日その日を凌いでいるみたい
悠々自適なイメージがぶっこんぶっこんにぶっ壊れた
映像はロードムービーとドキュメンタリーの間みたいな感じ
監督のポリシーでどうやら主人公以外はみんな本物のノマドを起用してるらしい
この監督がSF撮ったら本物の宇宙人使うのかな??
なんと逞しい
60代女性が自由な人生を求めて突き進む
なんという勇気
なんという逞しさ
なんという誇り高き生き方
決して真似の出来ない潔い選択に脱帽する
生きるとは何か
幸せとは何なのか
何度も考えさせられる映画である
実在するノマドが出演しているのも興味深く、リアルさが爆上がりする
過酷だとはいっても「季節労働」なるものが存在し成立するところがアメリカっぽい
ファーンがノマドになるきっかけとなったリーマン・ショック
それと同じクラスの大激変が日本に再び起こり得ないとはどうしても思えない
すぐそこにまで来ている気がする
そう!明日は我が身
でも、こんな生き方を選択する日本人は一体何人いるのだろう
せめてこのファーンの最後を知りたい
どうか満足の人生であって欲しい
そう願わずにはいられない
原作の日本語訳があるのなら読んでみたい
拠点を持たない寂しい人生観
フランシスマクドーマンド扮するファーンは、町の経済破綻のため家を出ようと荷物をバンに詰め込んで出発した。
車上生活をしながら果たして大自然の中でものの見方は変わるのか。それにしても車上生活者って多いんだね。意外に交流もあって物物交換が盛んに行われているんだ。適当に働いて自由を満喫するのかな。でも拠点を持たない寂しい人生観で、自分には合わないな。
タイトルなし
昔、ショーン・ペン監督の「イントゥ・ザ・ワイルド」という作品を映画館で見て、震えるほど感動した覚えがあります。
この作品は続編のようなものです。傑作です。
とはいえ日本人にはわからない部分と憧れが入り交じると思われる。自分はそうでした。
それは何故かと。
国土の違いでしょう。
あの広さ、あの自然。宗教が違うのも当然。アメリカもロシアもヨーロッパもキリスト教。一方国土が狭いと至近距離にも目が行き届く、八百万なのです。ソラリスもストーカーもノスタルジアも究極言うと理解し得ない、根本が違う。
国土の違いが巡り巡って国民の生き方をも変えてしまう、その感動をもこの作品は含んでいるように感じます。国を代表する傑作は、きっとそうでしょう。
というわけで「イントゥ・ザ・ワイルド」どこかで配信されないものかなあ。
どう見れば良いのか
主人公の女性をはじめ、登場人物は資本主義に振り回された被害者であることは間違いない。
それでも登場人物はアクティビティに参加したり、動物園に行ったりなど人生を謳歌しようとしているシーンも少なくない。
自分の生き方を悲観的と思わず前向きに生きようとしている姿にカッコよさを覚えながらも、どこか「無理しているのでは?」という意地悪な見方をする自分もいた。
作品の緩やかさと切なさが入り混じった雰囲気は好き、
コロナ禍で“つながり”が言われる中、ホームレスではなく、ハウスレス...
コロナ禍で“つながり”が言われる中、ホームレスではなく、ハウスレスという生き方を描く今作。そこからそれぞれの生き方や生きる意味いう本質的なテーマを紡ぎ出す。3度目ありますよ、これは!
どこが面白いかわからなかった
夫を失った女性がバンでアメリカ中を旅しながら様々な人々に出会い別れを繰り返す話
自然の壮大な風景をでっかい画面で映し出していて映像は美しかったし、キャストに本物の人々を使用するなどドキュメンタリーと現実の区別が曖昧になるような作りが面白かったけれど、ストーリーとしては地味で見ていて退屈だった
妹に面白さが分からなくとも無理はないと言われて救われた
空気みたような映画
さっき観たばかりでもう内容を忘れたくらいストーリー性は希薄です。
故に、退屈極まりないと感じる人も多いでしょう。
60過ぎて職を失った女性があちこち車で流れながら土地土地の人と交流してゆく、というだけの話でドラマチックは皆無です。小津の一種ともいえます。
深刻に悩むでもなく、明るく笑い飛ばすでもなく、前向きに取り組むでもなく、ひたすら自然に流れるままに生きていく姿をアメリカの荒涼とした砂漠やサバンナを背景にゆったり描いています。
脚本より演出に依存した作品なので、この独特の雰囲気に合うか合わないかが好みの分かれ道になるでしょう。
シンプルに美しい「ゆきてかえりしものがたり」
これはすばらしかった。
「多様性」という言葉は、世の中にあふれており、陳腐化している。
本作を評価する時には「多様性」という表現を使わざるを得ないのだが、ネガティブなニュアンスではなく、本来そうであった、ある種の懐の広さを示す表現として受け止めてもらえたらよい。
監督が中国人のクロエ・ジャオであること。扱っている題材が、ノマドと呼ばれる漂流民の日々と描いているということ。さらに、そのノマドの人々がおもに老人であること。このように、いわゆるメインストリームではない要素が多々ある。メインストリームなのは、プロディースと主演をつとめたのが、アカデミー賞ではおなじみのフランシス・マクドーマンドであることくらいか。
本作がアカデミー賞を受賞した当時は、オスカーの受賞者が白人ばかりだという批判を受けていた頃でもあり、その批判をかわすために賞を与えたような印象もあった。実際そうだったのかもしれないが。とにかく、オスカーを受賞したことで、逆に本作の価値に泥を塗ってしまったな、と、鑑賞後に思った。本作は、オスカーを取らずに、ただ、すばらしいインディペンデント映画であったほうがよかったのにと思う。
物語はシンプルだ。
巨大企業の工場があるおかげで栄えていた街からスタートする。
工場が閉鎖され、町そのものが立ち行かなくなる。
主人公のファーンは、自分のヴァンに荷物を積み込んで旅立つ。
行く先々で働いたり、人に出会ったりする。その多くはファーンと同じノマドだ。彼らはほとんどが高齢者だ。
ノマドの老女は自分が癌におかされていて、もう長くないと語る。
しかし、旅の中で出会った美しい風景を前にすると、自分はもう今ここで死んでもいいと思えるのだと語る。
他の老人は、ノマドは別れ際に「また会おう」と言葉をかわすという。「さようなら」とは言わない。そして、かならず再会する。それは、相手が死んだとしても、再会するのだ。
ファーンは旅を続ける。
旅を続けるときは、基本的にヴァンの後方からカメラが撮っている。しかし、最後のほうで一度だけ、前方から撮影しているショットがある。
このとき、ファーンは旅をはじめた町に戻った。
ドキュメンタリー風のインディペンデント映画でありながら、多くのエンターテイメント作品が採用している、行きて帰りし物語の構造になっていた。
話を戻そう。いや、話を戻すというのはこのさい適切な表現ではないかもしれない。むしろ、話を循環させよう、というのが適切だろう。
ファーンは町を離れ、ふたたび旅をはじめるのだ。
ノマドライフが本当の人間の生き方なのだ、という映画ではない。
屋根のある家に住む人も、そうでない人もいる。
本作で描かれるノマドライフは、過酷で不自由だ。ただ、彼らは屋根のある家に住む、という選択肢を与えられていないわけではない。みずから、ノマドライフを選んだのだ。そして、そこに自分の人生を見出した。
本作で語られるのはノマドとして生きる人々の生と死だ。人生、というよりは死生観というほうがしっくりくる。人は誰もが死ぬ。愛した人の死をどう受け入れるか。もしくは自分にも、遠からず死は訪れる。「それでも世界は美しい」と言える生き方をしているだろうか。
本作は製作費7億5千万円以下。世界での興行成績が59億円。30億円以上が大ヒットの基準だというから、本作の内容からすると、正直信じられないほどのヒットだ。申し訳ないが、誰が観たんだろう、と思う。
それはともかく。こういった良質な映画がまだ作られているという事実をうれしく思う。
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