ノマドランドのレビュー・感想・評価
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クロエ・ジャオという才能を思う
クロエ・ジャオの才能に前作『ザ・ライダー』でぶっ飛ばされた者としては、いささか呑み込みにくい映画ではある。『ザ・ライダー』でも取り入れていた、自然の中に素人の俳優たちを置くというアプローチがここでも功を奏しているから。ただ、『ノマドランド』は先に原作があり、映画化権を取得したフランシス・マクドーマンドから依頼されて監督に就任していることもあり、企画をどう料理するかという試行錯誤の中で、得意の演出アプローチに寄せていったように感じる。というのも、同じリリカルな大自然の描写も、ただただ詩的であった『ザ・ライダー』と比べると、より理屈に裏打ちされた表現に見えてしまう。いい悪いの問題ではなく、受ける印象として、前作の表現の方が純度が高いのだ。
もちろんジャオは、プロの監督としてオファーを受けて、自分の得意分野の中でいい仕事をしたに過ぎない。上記のような戸惑いは、ジャオの過去二作を観ていない観客にはまったく関係のないことだし、別にわざわざ予習復習をして比較する必要もないことだと思う。『ノマド』はいい映画だし、実際高く評価されていてアカデミー賞も狙えそうだけど、個人的には『ザ・ライダー』も観て欲しいですという気持ちを、もしこれを読んでくださる方がいらっしゃるなら、ひっそりとお伝えさせてください。『ノマド』が気に入った人にも、少し座りが悪いと感じた人にも、本当におススメですので。
(どうしても一件、これも好き嫌いの問題かも知れませんが、『ノマドランド』の音楽はちょっと饒舌すぎて、大切な瞬間を時々ぶち壊しにしているように感じます。もったいない。)
シンプルに美しい「ゆきてかえりしものがたり」
これはすばらしかった。
「多様性」という言葉は、世の中にあふれており、陳腐化している。
本作を評価する時には「多様性」という表現を使わざるを得ないのだが、ネガティブなニュアンスではなく、本来そうであった、ある種の懐の広さを示す表現として受け止めてもらえたらよい。
監督が中国人のクロエ・ジャオであること。扱っている題材が、ノマドと呼ばれる漂流民の日々と描いているということ。さらに、そのノマドの人々がおもに老人であること。このように、いわゆるメインストリームではない要素が多々ある。メインストリームなのは、プロディースと主演をつとめたのが、アカデミー賞ではおなじみのフランシス・マクドーマンドであることくらいか。
本作がアカデミー賞を受賞した当時は、オスカーの受賞者が白人ばかりだという批判を受けていた頃でもあり、その批判をかわすために賞を与えたような印象もあった。実際そうだったのかもしれないが。とにかく、オスカーを受賞したことで、逆に本作の価値に泥を塗ってしまったな、と、鑑賞後に思った。本作は、オスカーを取らずに、ただ、すばらしいインディペンデント映画であったほうがよかったのにと思う。
物語はシンプルだ。
巨大企業の工場があるおかげで栄えていた街からスタートする。
工場が閉鎖され、町そのものが立ち行かなくなる。
主人公のファーンは、自分のヴァンに荷物を積み込んで旅立つ。
行く先々で働いたり、人に出会ったりする。その多くはファーンと同じノマドだ。彼らはほとんどが高齢者だ。
ノマドの老女は自分が癌におかされていて、もう長くないと語る。
しかし、旅の中で出会った美しい風景を前にすると、自分はもう今ここで死んでもいいと思えるのだと語る。
他の老人は、ノマドは別れ際に「また会おう」と言葉をかわすという。「さようなら」とは言わない。そして、かならず再会する。それは、相手が死んだとしても、再会するのだ。
ファーンは旅を続ける。
旅を続けるときは、基本的にヴァンの後方からカメラが撮っている。しかし、最後のほうで一度だけ、前方から撮影しているショットがある。
このとき、ファーンは旅をはじめた町に戻った。
ドキュメンタリー風のインディペンデント映画でありながら、多くのエンターテイメント作品が採用している、行きて帰りし物語の構造になっていた。
話を戻そう。いや、話を戻すというのはこのさい適切な表現ではないかもしれない。むしろ、話を循環させよう、というのが適切だろう。
ファーンは町を離れ、ふたたび旅をはじめるのだ。
ノマドライフが本当の人間の生き方なのだ、という映画ではない。
屋根のある家に住む人も、そうでない人もいる。
本作で描かれるノマドライフは、過酷で不自由だ。ただ、彼らは屋根のある家に住む、という選択肢を与えられていないわけではない。みずから、ノマドライフを選んだのだ。そして、そこに自分の人生を見出した。
本作で語られるのはノマドとして生きる人々の生と死だ。人生、というよりは死生観というほうがしっくりくる。人は誰もが死ぬ。愛した人の死をどう受け入れるか。もしくは自分にも、遠からず死は訪れる。「それでも世界は美しい」と言える生き方をしているだろうか。
本作は製作費7億5千万円以下。世界での興行成績が59億円。30億円以上が大ヒットの基準だというから、本作の内容からすると、正直信じられないほどのヒットだ。申し訳ないが、誰が観たんだろう、と思う。
それはともかく。こういった良質な映画がまだ作られているという事実をうれしく思う。
日本の終身雇用は良かった。アメリカンドリームは枯渇した
日本の少子高齢化社会と同じで、
これから訪れる問題と言うよりも、既に深刻化している問題を描いている。
単なる老人の問題ではないので、注意すべきだ。
勿論、ノスタルジックな見方も出来ない。
映画を見終わって思う事は、
社会問題なのに、解決策を提案していない事。日本映画の『PLAN75』と同じ。
この映画で描く問題は3点
1.未就業者には、日本の健康保険のような物がない事
2.元々の車社会に加えて、税金がかからないので、車生活に貧困層はおちいってしまう事。(州によって住民税の様な税金がかからない場合がある)
3.能力主義ゆえ正規従業員としての雇用が無い事。つまり、終身雇用ではない事。
単なる老人の孤独とか貧困な白人社会の話ではないと判断できる。映画の途中に若者が沢山出てくる。日本でのゆるキャン△ではない。それを理解して鑑賞しよう。
昨年、ロサンゼルスに行ったが、綺麗な街だと思ったが、車が無いと生きられないと感じた。日本の様に目の前にコンビニがあると言う事が無い。
勿論、日本も能力主義に雇用形態を変えたので、健康保険がなくなれば、都会以外はこの映画と同じ状況に陥る。
それが『PLAN75』の正体だ。老人問題ではない。貴方がたの問題だ。
3回目の鑑賞になるが、
黒人の方はどうしているのか?
追記 この映画をロード・ムービーと称する方がいらっしゃるが、ロード・ムービーとは逆に放浪していた者が、一つの環境に囚われて生きている。そんな蟻地獄の様な困難を描いていると感じるが。ロード・ムービーとは題名だけ。
「独りよがり」に見えるノマド生活。
◯作品全体
さまざまな経緯があって家を持たないノマドたちは、短期間雇用の労働者として職を探し、転々と生活場所を変えなければならない。衰えた体とも向き合わなければならず、なかなか見つからない職を探しては日々の生活を乗り越えていく。序盤のドキュメンタリーチックなストーリーとカメラワークは、自由人に見える彼らたちの「つらい現実」の側面を切り取っているように見えた。
だからだろうか…主に後半で語られる主人公・ファーンがノマドでいる理由が、ノマド以外の選択肢がないからでなく、「夫と過ごした地が忘れられないから」、「親族とそりが合わないから」であるということに、「独りよがり」という印象を受けた。別の選択肢が提示されたうえで「自分が選択した現実」であるならば、そこに悲壮感を持たせるのは演出のミスリードだと感じる。孤独を強調するように登場人物と距離があるカメラワークや、車上生活の寒さやつらさを象徴した寒色に覆われた画面は「前を向いて生きるファーン」を映すというよりも、つらさが強調されているような気がしてならない。なぜその空間に居続けるのか、という部分を語られなければ、そのつらさが理不尽に映るだけだ。
ファーンの行動は前向きなものが多いが、車上生活をする上で必要なスキルを習得しようとしなかったり、その結果として周りの人に修理代を無心する姿は「自分が選択した現実」に挑む姿として一貫性がなく、「独りよがり」の印象を強くするだけのエピソードだった。演出意図としては自分ではどうすることもできない状況を作って、理解者である姉と接近し、ファーンの過去や考えを掘り下げたかったのだと思う。しかし、自ら親族と雰囲気を悪くし、姉の希望にも応えようとせずお金をもらって帰っていく姿は「独りよがり」だ。ファーンは夫や安住の地、そしてノマドの仲間たちから取り残され、「独りぼっちになる」という演出が多々ある。仲間が乗ったバンを見送るシーンを何度も見せているのがその証左だ。しかし、姉から「ファーンがいなくなって寂しかった」という告白があり、ファーンも「独りぼっちにさせた」一面があったという構図は膝を打ったが、結局それをないがしろにして姉から去っていく展開は、やはり「独りぼっち」ではなく「独りよがり」の存在に映る。
独りで放浪しつつ夫と過ごした思い出の地を眺め、今までと同じように車を走らせる姿は虚無そのものだ。凝り固まった「独りよがり」をそのままに、どうにもならなければ姉のもとへ行き、再び放浪することを繰り返す。自分を必要とする場所=居たい場所ではないというのはわかるけれど、自立しなければ「定職につかず、貯金もしないが親を頼って生きる子供」とやっているのことはかわらないのではないか。若ければ夢を見れるが、老人がそれをやっているのでは、やはりそれは虚無だ。しかしその虚無も姉に手伝ってもらっての虚無なのだから、偽りの虚無に感じて冷めた目で見てしまう。
救済措置があること前提で高リスクな生活を望んで過ごす様子は、さながらバンジージャンプのようだ。そう感じてしまうと、本作で描かれるノマド生活は「リアリティ」と「フィクション」、どっちつかずに見えてしまう。
◯カメラワークとか
・コントラストが弱い画面は風通しの良いアメリカの景色とよく合うな、と思った。孤独の演出としても使えるし、自由の演出としても使える。歴史も浅いから急造の街に嘘くささがない。
◯その他
・個人的な好みの話として、ノマドとしての生活を描写するのであればドキュメンタリーを撮ればいいと思うし、ノマドを通したドラマを撮りたいのであれば過酷な場所に身を置く主人公の覚悟が見たかった。自ら身を置いた生活の中でもそれを徹底できない中途半端さは人間臭いし、それはそれでちゃんと人間を描写してるとも言える。見たくないものを見せてくれるのもそれはそれで映画の良いところだけど。
車上生活者の未亡人ファーンがノマド達と出会い別れ、自分の過去の思い出を乗り越える
Youtubeでキャンピングカーで旅行する人たちの動画をよく見る。自分自身小旅行をよくするし、そういう生き方をしてみたいとあこがれていたので前から見たかった。
エンディングを見終えた気分はハッピーでは無い。ファーンは悲しい思い出と共にその日暮らしの生活を続け、車上暮らしという水道代、電気代、ガス代のいらない必要最低限の生活費ながらも巨大企業での期間労働に依存しなければ生きていけない。それを見せつけられる。エンディングの後も彼女がノマドとして生きるならば、それは変わらない
ノマドになるには皆理由がある。その理由は悲哀のあるもの。ファーンはエンディングにて、悲哀を胸に懐きながら、自分がノマドとなった起点から次の新天地へ向かう。直線道路を走っていく車の後ろを見て自分は前向きな可能性を感じられなかった。視聴後に改めてその時の自分の心境を内省すると、それは今の自分に起因するのかもしれないと思った(改めて考えると、彼女はエンディングで今まで目を背けていた自分の過去の思い出を再度直視し、それを乗り越えて次へと向かったという風に取るほうが自然だと思う)。そんな自分の心境もあって、パッケージには『全世界絶賛の感動作』とあるが、感動はしなかった。エンディングの後、作中のファーンに対して思うのはノマドとして、もしくはそうでなくなったとしても幸せになる方法を模索して生きてほしい。
厳しい放浪の旅を通して人生を見つめ直す中年女性のドキュメンタリー風映画のロードムービー
ネバダ州の石膏採掘所がリーマンショックの長引く不況の末閉鎖され、エンパイアという町自体が消えてしまい働く場所と家を失ったファーンという中年女性が、夫の死を切っ掛けに小型ヴァンを改造してノマド生活を始めるロードムービー。標高4000フィートのネバダ州からアリゾナ州やバッドランズ国立公園があるサウスダコタ州、そしてネブラスカ州と愛車を長距離走らせ、年金の早期受給を拒否して採用難の中、自立した一人生活を維持するため季節労働を繰り返していく。アマゾンの巨大倉庫の梱包や国立公園の清掃員、ファストフードの厨房係や芋の収穫と、事務職や代用教員を経歴したファーンにはきつい肉体労働だが、けして挫けることはない。そこまで彼女を奮い立たせるのは何か。
ノンフィクション小説を脚色したこの物語で描かれたファーンの過去を知るヒントの一つは、車の修理に掛かるお金を工面するため姉ドリーの家を訪ねた時のエピソードにある。若い時から独立心が強く、自分の事は自分で決めてきた気骨のある性格は姉が感心し羨むほどと、二人の会話に表れている。ファーンを信頼する姉の表情が温かい。もう一つは、同じノマド仲間のデイブを遥々カルフォルニアまで訪ねて、同居を持ち掛けられた彼女が黙ってそこを去っていくところ。家にあまり居ず父親の役割を果たせなかったデイブが、今は父親となった息子とピアノの連弾をしているのを、偶然ファーンが見詰める。この間に自分が入って家族の一員としてやっていけるかを、翌朝皆がまだ寝静まった食卓の椅子に腰かけシミュレーションしている。その前日にはデイブの初孫を預けられて抱くが、どこかぎこちない。映画で説明はないが、ここで分かるのは子供を生んだことのないファーンの愛の対象が、夫に総て捧げられていたのではないかと想像できる。子宝に恵まれなかった夫婦程長く連れ添うほどに仲が良いという。理想的な相思相愛の夫婦だったのだろう。ホームレスではなくハウスレスと元教え子に念を押したファーンは、小さい時の家族写真と夫の写真を大事に車に積んで旅を続けていた。デイブら他人から見れば、夫を亡くした孤独な高齢婦人と見られるが、心の中では死んだ家族と一緒に生きていたのだ。これが、彼女の覚悟であり強さであったと思われる。しかし、映画のラストは、そんな自分を振り返ることで一つの区切りを付ける。貸倉庫に預けたものを全て処分して、過去を引きずるノマド生活から身も心も軽くした新たな人生の旅に出発していく。これからは以前には見られなかった笑顔がこぼれる生き方になって欲しい、と思わせるラストシーンだった。
クロエ・ジャオ監督は、脚本と編集も兼ねている。このノンフィクションドラマの演出の特徴は、実際のノマド生活者たちを登場人物として主人公と絡ませ、まるでナレーションのないドキュメンタリー映画を観ているかの錯覚をさせる。当然ながらその自然で飾らない演技は限りなく現実に近いものであろうし、更にドラマとしての過剰な演出を廃して、説明的なショットも大胆に省いている。淡々と話が進んでいくのに時に付いていけない時もあるが、全体のリズムを優先した手堅い演出であった。この省略で唯一心残りは、何百キロにも至る旅の困難さが映像に表現されていないこと。砂漠と荒涼とした大地の夕景は美しく撮られていて、アメリカ西部の乾燥した風土が感じられる映像の鮮明さが心に残る映画だった。
主演のフランシス・マクドーマンドは、原作に惚れ込んで制作者に名を連ねる意気込みが直に感じられる熱演を見せる。ノマドの過酷な生活描写では、排泄行為を2度程敢えて挿入しているが、女優もここまで演じなければならないのかと驚くも、特に必要性も感じなかった。氷点下の路上で車中泊する極寒の厳しさ、狭い居住空間を工夫した食事風景、常に節約を優先する放浪者仲間とのふれ合い、そして様々な肉体労働を黙々と務める姿で充分彼らの生活の大変さは説明され表現されている。演技面では、ファーンの姉ドリーを演じていた女優が短い出演だが一番印象に残る。個性の強いファーンに対して優しいだけのデイブを演じたデヴィッド・ストラザーンは、役柄で損をしていた。主人公だけを追跡したコンセプト故の人間ドラマの葛藤の物足りなさがそこにある。
この映画がアカデミー賞始め多くの称賛を得たことは素直に認めたい。経済大国アメリカに限らないであろう、平和な社会でお金儲けが人生の豊かさと経済発展してきた末の格差社会から落ちこぼれた人々にスポットを当て、その苦労を丁寧に記録した社会的役割を果たしている。この映画でノマドを知る意味は小さくない。だが、それを持って絶賛するまでにはいかなかった。再現度の高いドキュメンタリー風映画としての評価に止まる。それは人間の心の内に深く踏み込まない演出法にあるし、それ以上に、今の映画祭が表現力よりテーマ性を重要視している思想優位の偏りを感じているからである。
See you down the road
心に残る台詞がない
耳に残る台詞は down the road
心に残るシーンは夕景
朝日ではないと察する
この物語が人生の夕暮れを迎えようとする人たちのものだから
今までの人生で何かを失ったり、後悔している人々が、まるで自らに生きる厳しさの試練を与えるかのように、信念を持って車での生活を選ぶ
そして希望を口にする
down the road
この映画がなぜアカデミー賞を受賞したのだろうと思う
現在の社会を映し、世の中にまだあまり知られていない人々の物語だからか
最近のダイバーシティの流れで選ばれたと思われるアカデミー賞の映画は、自分の中でも共感するものと、受け入れがたいものに分かれる
どちらも心に刺さるものではある
それは分断される社会のどちら側の人にも何かを伝えようとする試みなのか
家族を失った高齢者のロードムービーという観点で似ていて、豊かな国でこんなことがという衝撃は、日本映画「星守る犬」の方が大きかった
この映画を思い出してしまって、前向きに生きるというメッセージが受け取れなかったことを差し引いても、すっきりしなかった
心に染みる
2021年、最後の観賞作品
ドキュメントをみている感覚にさせられた
『先生はホームレスになったの?』
『ホームレスじゃなくハウスレスよ』
主人公はどこにいきたいのか?
彼女自身もきっと分からない
心に染みる作品でした
新しい価値観を与えてくれる作品。 ノマドという車上生活を通してアメ...
新しい価値観を与えてくれる作品。
ノマドという車上生活を通してアメリカの各地を旅し、生活は各所で行うバイトで賄う。自然豊かな環境とリアルな生活模様に圧倒された。
登場人物が皆温かくて、心も温かくなる。ただ、ノマドはマイノリティだからこそ、家を持って生活する人には全く理解されない辛さも感じた。当人にとっては親切心だし、ファーンもそれは分かっているからこそ切ない想いに駆られた。
人生には様々な選択肢があってしかるべきだと思うが、ノマドという生き方はファーンが時々見せる虚しい表情がとても印象的で自分にはこの生活は無理だなと感じた。
自然が呼んでいる
のっぴきならない事情でノマド生活を余儀なくされているのかと思ったら、必ずしもそうではない。スマホも持っているし、タバコも吸う。ぎりぎりまで切り詰めているわけではなさそうだ。
実は身寄りもいて、定住生活ができないわけではないということがわかってくる。帰るべきところがないホームレスなのではなく、家を持たないという選択をしたハウスレスなのだ。実の姉からと、ファーンのことを憎からず思っているデイブから、二度の定住生活の誘いを断って旅を続ける。
彼女をノマドであることの誇りなのか、意地なのか。
ただ心奪われる絶景の大自然の中で生きていたいだけなのかもしれない。
様々な要素が詰まっている映画
終活…旦那に先立たれ、父から貰ったお皿を大切にしていたり、彼女の人柄を感じます。
物にも魂って宿るなぁと感じました。
歳を取るということ…体の自由がきくうちは、自分がどんなふうに生きていたいかを実現できるけれど、元気なうちしか出来ない。
ジェンダーの壁も感じだけど、これはどんな環境でも同じなので省きますね。
一人の気楽さと寂しさを受け止めて生きるということは年齢や環境に関わらず皆、同じなのかもしれない。
季節労働の虚しさも感じました。Amazonは賢いなぁ。上手に人を巻き込むビジネスを今後は考えるべきなのだと思いました。
家族を持つこと、人と助け合うこと、自分の信念、お金
このバランスがうまくいく人って本当に数限られてるだろうなぁと思いました。
そしてフランシスのオスカー女優賞は当然だとも思いました。
トイレのシーン、川でのシーン。表情と心情が伝わってきたし、隣人に優しくする姿は彼女の日常がわかるなぁと思いました。
隣人に親切であることは忘れてはいけないと感じました。
自分の居場所、生き方…
に尽きる映画。画面も曇り空が多く、寒く、笑うシーンはない。当初、夫に先立たれ、車上生活を余儀なくされた孤独な高齢女性の貧困問題を扱う映画だと思っていた。確かにノマド生活を送っている人々の多くはそうなのかも知れない。いや、確かなことは言えないし、そもそもノマドという言葉も、そういう人々がいることも知らなかった。しかし、フランシス・マクドーマンド演じるファーンは自らの意思で、流浪の旅をし続ける。働き先を変えながら、そこで出会った仲間とずっと一緒にいるわけではなく、互いに別れ、またどこかで出会いを繰り返す。姉に一緒に暮らすよう言われても、旅先で出会った男性から共に住むよう誘われても、自分の居場所は違うと断ってしまう。普通なら将来の不安から、定住、温かいベッド、食事、風呂、何より落ち着く家、家族がほしいのだが。。彼女にとっては亡くなった夫と、共に暮らした家のみが暮らせる場所だったのか。出演者の中には実際にノマドをしている人もいると言う。映画としてはこういう人々もいるんだなぁと思ったくらいであまり共感はできなかった。
アメリカの景色がキレイ
あまり難しいことはわからないので書かないけど、アメリカの広大な路上の風景が美しかった。その美しい景色の中で一人で生きている主人公の孤独が痛切に感じられた。何が孤独かって、人と一緒に同じ場所で暮らす機会があったのに、彼女はそれを選ばなかったこと。人との繋がりを求めていないわけではないが、どうしても同じ場所で一緒に暮らしたくはない。この矛盾は何か詩的な創造ではなくて、監督らが伝えたかった人間の現実の一側面なのだと思う。映画としては静かで目新しいものは無いかもしれないが、美しい景色を見ながらジワリと何か深い人間性を感じさせる作品だった。
孤独と孤立
自分にあるものと自ら捨てたもの、始めからないものそれがこの映画の中で詰まっている様な気がしました。
主人公の女性は、大企業のAmazonで働く中家を持たず大型トレーラーで生活をしていく。
旅をしながら新たな仕事を見つけ、そこでの出会いがある。ぱっと見は、何かロードムービーの様なイメージだけど、実際にはそういう感じとまた違っていた。
孤独と孤立
これは少し似ているように聞こえるけど、僕自身の解釈だと少し違ったもの聞こえる。
孤独は、なりたくて自ら選んだもの
孤立は、なりたくてなくてもなってしまったもの
この主人公は、孤独を選択して自分自身に生きる事とは?テーマに生活していくそんな感じかと思いました。
人によって見方が変わるので、また別の時にみたら違った見え方がしてくるかもしれないと思いました。
こんな人にお勧めです。 ・人生に絶望を感じて全てを放り出したい人。 ・役者の演技力を感じたい人。
映画を観ながら、謎かけを出されているような気持ちで観ていました。
ファーンが胸の内に抱える苦悩はなんだろう?
序盤はずっとそのことを探しながら観ていました。
映画は静かにノマドとして生活する人々の姿を描き、彼らが持つ貧しさへの拒否感や人生への後悔、そして社会への不満から、背景にあるアメリカという国の現状とノマドの人々の現実を浮き立たせていきます。
そして淡々とノマドの人々と関わるファーンの日々を描く中で、彼女の亡き夫への思いと社会への拒絶が明らかになっていきます。
彼女の中にあった、おそらく彼女自身が子供の頃から持っていたであろう社会への違和感のような物、そして夫や町の人々を失った喪失感。
その2つは密接に結びついて彼女の自己を形作っていたように思いました。
違和感として感じたのは、彼女自身が社会で暮らす人々と衝突し、また誰かから手を差し伸べられることに対してその多くを拒んでいた部分です。
ホームセンターで同じ故郷に住む女性や、ガソリンスタンドの店主、実の姉や、彼女に好意を寄せるデイブなど。
そこには自身を異質と認め、誰かと交わることで彼らの世界を乱してしまうことへの恐怖を感じているように思い、それが彼女の違和感であり、社会から感じる疎外感のように感じました。
喪失感は、彼女がかつて家族の元を離れ、夫と築き上げた新しい場所での生活、夫を亡くした後もその土地で生きていたものの、その土地自体がなくなってしまった事実。
社会に違和感のある彼女だからこそ、やっと作り上げた居心地の良いコミュニティのような世界を無くした意味は大きく、もう一度、貴賤で人の価値が決まるような社会に戻って生きていくのは難しかったんだと思います。
ハウスレスと言いながらかつての土地の近くで車上生活を続けていた彼女は、この喪失感を抱え、なおかつ疎外感から社会にも入っていけず、動けないノマドのような存在だったのだと思います。
彼女が生活を求めてノマドのコミュニティに参加したのは本意ではないように思いましたが、その後、多くのノマドと接する内にその世界へ傾倒していくのは自然な流れのように感じました。
特にスワンキーとの出会いは大きかったように思います。
不必要な物は持たず、記憶と思い出に向かい合い、生のあるままに心が欲する物を求めてバン一台で放浪する生活。
かつての記憶と向き合いながら、それ以外の物に縛られることの少ない生き方、そして時に自然の中に溶け込み、自身の存在をその中に感じる生き方は、彼女自身の喪失感と違和感を受け入れてくれる生き方のように思いました。
ラスト、冒頭で捨てられなかったレンタルルームの荷物を処分した彼女は、出発点の街と家を訪れ、もう一度旅慣れたバンで走り出します。
かつて失意の中で生活を求めて旅立った場所に戻り、今度は少しだけ気持ちを軽くして、新たにノマドとして旅立っていったように感じました。
彼女の新しい旅が心を癒す平穏の旅であり、多くの仲間と再び巡り合えることを祈りたい気持ちになるラストでした。
映画としては、美しい景色と、感情に直接響く音楽が素晴らしく、ファーンの心情を受け入れる手助けになっていたように感じます。
音楽はルドヴィコ・エイナウディ、『最強のふたり』でピリピリする感情をあらん限りに表現していた方です。
今回も素晴らしい仕上がりでした。
役者としては、フランシス・マクドーマンドがひたすら凄かったです。
ファーンの感情は大きな波や小さな波でひたすら動き続ける謎かけのような感情でしたが、穏やかな口調で芯の強さも感じさせながら全てを丁寧に演じきった感のある演技でした。
『ファーゴ』に続いての視聴でしたが、今作でもアカデミー賞の主演女優賞を取ったそうです。
※ブログの方ではもう少し加筆しています。
※興味を持って頂けたら、プロフィールから見て頂けると嬉しいです。
どっちが良いとか悪いとかじゃなくて
ノマドの人たちの生活は、もっとキツいのかもしれないけど、それも映画の端々からちゃんと感じることが出来て、車の窓を叩かれてビクッとするところとか、お腹をくだすところとか、この映画の中では怖いことは起きないけど、たまたま起きていないだけで、起きることもあるだろうというような。
ノマドの人たちの教祖のようになっている人は、胡散臭くも見えたけど、悪い人じゃなくて、良いことをしようとしてる人だった。
みんなで集まって生活しているところは、お祭りのような、フジロックのような、でもずっと続くわけじゃなくて、時期が来るとみんな散っていく、たまたま会っている間の交流だけで、また会えるかもしれないけど確かではない、という繋がりだけというのは、寂しいように思うけど、繋がり方が違うだけで、繋がってないわけじゃなくて、、、
妹の家や、デイブの家で過ごしてる時の、ファーンの居心地の悪そうな様子が見ててハラハラした。
家族と住む家がある暮らしとノマドの暮らしは、対象的に描かれていたけど、どっちが良いとか悪いとかじゃなくて、どちらの暮らし方もありえるんだと知ることで、今私には帰る家があるけど、、、たまたまそうなだけで、、スミスの歌詞のように、家とは心の中にあるもの、だとしたら、私の心の中にある家は、、、と考えながら映画館を出ると、まだ明るくて、ああ今日は夏至だったなぁと思いながら、
フランシス・マクドーマンドが、とっても良い!
本当の自由は孤独でいる事
あらすじ
米国ネバダ州、60歳を超えて、夫を失ったファーンは、働いていた鉱山の資材会社が倒産し、職を失うだけでなく長年住み慣れた家まで失ってしまった。この機会にキャンピングカーに、大切なものをすべて積み込んで、「ノマド」(遊牧民)として生きることにする。年金などまったく当てにならない。移動する先々で仕事を探して働き、現金を得る。ときにはパートタイマーのアマゾンで箱詰めの仕事、時には掃除婦、時には季節労働者となる。同じノマド仲間同士の互助会もあり、そこには資本主義社会からドロップアウトした人々の貧しいながら助け合う集まりもある。ファーンは働く現場で知り合った人々と、ゆるやかな交流をしながら、淡々と移動を続けていく。
というストーリー。
主演のフランシス マクドーマンドが、とても良い。他の女優がやっていたら、ただの演技になっていただろう。彼女ほど孤独が似合う女優は居ない。彼女とデイブを演じた役者以外に役者を使わず、実際ノマドの生活をしている人々を使って、半分ドキュメンタリーのように撮影したそうだ。
自然がいっぱい。壮大な自然のなかで暮らす人々の小さな存在が映し出される。ファーンは、人よりも、自然を愛する。海沿いを走っている。車を止めて、ひとり大きな岩の上で波しぶきを浴びながら塩風を胸いっぱい吸い込んでみる。キャンプ地で、すべてのほかのキャンピングカーが立ち去った後、地平線に沈んでいく太陽をひとり、いつまでもいつまでも眺めている。そういったシーンをカメラが動かず、じっと捕らえる。
そんな彼女も、小さな恋をする。小さな町の観光ガイドの男に、心惹かれ一人で岩から岩に隠れてみて、相手が見つけだしてくれるのを待ってみる。そして男がちゃんと追ってきて、呼び戻してくれるのを見て満足する姿は、テイーンエイジャーのように可愛らしい。それでいて、男に求婚されると、迷いもなくサッサと立ち去るのだけれど。
自分による、自分のための、自分だけの人生を、しっかり生きている。自然と一体感を持ち、だれにも優しく、窮地に陥ると助けを求めるが、助けを押し付けず、すべての人と間隔を置く。徹底し個人主義だ。それもとても強い個人主義。誰にも決して嘆きや、苦情や、身の上に起こった不幸などを打ち明けたり、ぶつけたりしない。だから自分が情けないなどとは感じない。自分がホームレスや、社会的落ちこぼれだなどとは信じていない。自分の人生を自慢したり、人と比較して、自分が不幸かどうかなどと測ってみたりしない。淡々と自分に与えられた状況そのものを、楽しむ。執着心のない、透明な人格。
キャンピングカーが、もう修理に時間も費用もかかるので、買い替えるように勧められるが、「この車は私なの。私の家、家以上の存在なの。」と言って、修理に修理を重ねる。車が死ぬときは彼女が死ぬ時だ。思い出の深い皿が割れてしまうと、新しい皿を手に入れようとせず、接着剤で直して使い続ける。どんなに気に入っているものが大切か、それだけは譲れない、自分のものを持っている。映画にはヒッピーも出てくる。家出少年も出てくる。彼らとの交流も互いに尊重しあいながら、決しておせっかいをせずに優しい。
人生は、すべて自己満足。人と比べず自分の価値観に従って生きれば。それが一番幸せな人生だ。
他人には何も求めない。他人に何かを期待すれば、執着心が出てきて期待がかなえられないと自分が傷つく。他人から与えられれば受け取るが、それ以上は期待しない。彼らの生き方は、托鉢で与えられた食べ物だけで命をつなぐ修行僧のようなストイックな生き方を思わせる。
孤独という、何にも代えがたい自由の喜びに満ちた生き方だ。とても勇気付けられた。孤独は怖くない。何という豊穣な世界か。
日本にもこのような漂流して生きていく老人が増えていくことだろう。
アメリカの大自然の映像が静か、かつ、重力を感じた。
デイブの家を訪ね、彼から一緒に住まないかと言われたシーンでは、ファーン、一緒に住まなよ!っと声を掛けたくなった。でも、きっと、そうしないんだろうなとも思った。
最愛の夫や、最愛の町を失ったファーンにとって、これからの最後の人生、同じように最愛のものが消失してしまうのを目の前で受け止めることはもうしたくないのかもしれないな。ノマドの生き方のように、さよならではなく、またね、と。
大自然の映像は素晴らしかった。石や砂や山や広い大地は、日本に住む者にとっては想像以上の大きさだ。
大自然と主人公の生き様に感動
家も旦那も無くしたおばさんが
キャンピングカー生活を始める話。
自身の価値観が問われる作品でした。
一緒に観た人は「あんな生活は絶対ごめんだ」
と言ってましたが僕はなぜか惹かれました。
不自由や困難なことはたくさんあるけれど
大自然の中で社会や貨幣にしばられない生活は
自由で優雅で難しいことを考えなくてよい!
キャンプが好きだからなのかな?
とにかくキャンプしたくなりました。
キャンプと一緒にするなって話ですが。
劇中には多くの過去を持ったノマド(放浪者)が
登場します。すごくリアルだなあと思ったら
実在する人もいたんですね!
観た後レビュー等で知りました。
どおりでリアルだと思った。
彼らは自分の目的や夢に向かって
ノマドランドを立ち去りますが、
主人公はそれを見送るばかりで
ひたすら放浪を続けます。
彼女の居場所は見つかるのか、
やはり元の家しかないのか、
答えは僕にはよく分からなかったですが、
他人に流されない自分を貫く主人公の生き様に
感動しました!
ロードムービーという位置付けのとおり、
劇中は多くのアメリカ絶景が出てきます。
それを大画面で見れただけでいい気持ちになれます。
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