ヤクザと家族 The Familyのレビュー・感想・評価
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でもきっとこれが現実
今までによくあった「漢」と書いて「オトコ」と読むような男の美学みたいな話でもなければ、ヤクザ同士の抗争のドンパチ映画でもない。
なのでヤクザ映画は痛そうで苦手と思って観るのを躊躇してる人も比較的観やすいかと思います。
(多少痛いシーンはありますが)
1人の男が家族を求めてヤクザの世界に入り、その世界で生きた成れの果てに何が待っているのか。
どうしても主人公目線に立ってしまうので辛く悲しい想いに寄り添ってしまったけれど、きっとこれが現実であり、所詮普通に生活している私も役所の人々の様な態度を取るんだろうか。
綾野剛さんがとにかく素晴らしかった。組長に、行くとこはあるのかと聞かれて泣くシーンがとてもよかったです。
内容の構成と役者の演技が秀逸。
まず、舘ひろしや綾野剛をはじめ多くの役者の演技が素晴らしく、しっかり物語に感情移入させてくれました。
次に、ヤクザモノの映画の新たな見せ方を感じました。
昭和・平成・令和で変わる社会の中でのヤクザの立場の移り変わりを描く構成、舘ひろし・綾野剛に類似する場面を演じさせ半グレも同じ道を辿ると言う暗示(類推)など、暴力だけではない部分の作り込みがしっかりしていてマンネリ感を感じず楽しめました。
そして、タイトルにもある家族の見せ方がヤクザと言うものの現実をうまく表現しています。
血縁のある家族、ヤクザの親父や兄貴のような絆としての家族を両面描きそれがよりヤクザと言う組織の現実を際立たせています。
推測ですが、副題の「the family」は絆としての家族を表現していると思います。
最後に、この映画はヤクザの絆の強さと組織の抱えるジレンマを家族というものを通して非常によく表現されているここ最近でも指折の映画だと思いました。
残念なところといえば上映回数があまりにも少ない事でしょうか。さまざまな意見や自分では気づかない描写や物足りない部分など、より多くの意見をもっと見たいです。
エンディングまでしっかり楽しめる映画です。
気になっている方は是非観てください。
ヤクザ映画とは
これも一つのレガシーなのか
藤井道人監督✕綾野剛
重かった
文句無しで痺れた
久々の劇場鑑賞作は、大傑作のヤクザ映画だった。そう、敢えて言うが、これは立派なヤクザ映画。但し、アウトレイジや狐狼の血のようなバイオレンスフィクション臭満載作品(これも決して嫌いでは無い)では無く、現代社会での等身大のリアリティヤクザ映画とでも言えば良いのか。ま、偶然や不幸の連鎖なんかは作り物感あるが、とにかく時代の流れの中で主人公の生き様を、ただただ自然体で見つめるだけでグイグイ引き込まれる。実に人間味溢れた傑作品。
言わずもがな、(本作ポスター見ても察せるが)タイトルの意味は、ヤクザ組織内の家族表現と、リアル家族の2種類の意味を指している。
義理人情とメンツ重視のヤクザ界故に、常にいざこざが瞬間沸騰で起こるが、反面クールな時間帯はどこか居心地良く、微笑ましく暖かみあり実に人間深い。暴力団を肯定する事は無いが、本来の地の通った人間味とは今の時代には決して合わないヤクザ、この生き様には今の時代だからこそ何か愛おしさを感じる。しかし、5年ルールとかネット晒しからの周囲の目、癒着警察から浴びせられる非常な言葉で現実に戻される。だからヤクザにならない方が良いんだよの警告にも思えて、甘っちょろい気持ちは吹き飛ばされる。あれ?振り回されてる、この映画にのめり込まされてるな、俺w。
脚本の出来は素晴らしいし、出演者全ての演技力が凄い。間違いなく綾野剛の代表作となるだろう。
冒頭から最後まで、あの煙突から出る煙は変わらずもくもくと出ている事に、色んな事を考える。
とにもかくにも、久々の劇場鑑賞は大当たりだった。ありがとう。
自業自得だけで済ませない悲哀
社会で平和に生きていきたい普通の人にとって、関わりたくないし多くの人が関わらずに済むヤクザという存在。昨今“反社会勢力”として世間から弾糾されることも多く、それが一概に間違ってるとは思わないし、彼らによって苦しめられる人もたくさんいるわけだし、ヤクザを擁護する気は全くないです。
ただ、その生き方しか出来なかった、後悔してやり直そうとしてる人もいるわけで。一度道を外れたらもう二度と戻ることを許さない世の中の容赦のなさは、やっぱり見ていて苦しかった。
藤井監督の描き方は、本当に起きていることなのかもしれないと思わせるリアリティがあり、本作もまた、こういった弱者がいるという一つの視点の気付きを貰えました。
たくさんの人に観てほしい
事前知識なしで家族の進めで観に行きました。
語るに落ちるといいますか、私が今さら語ることもないですが、全ての役者さんたちが素晴らしかったです。カメラワークも凝っていて臨場感もあり音楽も感情とリンクしていて良かったです。上映時間の分数を確認したときは長いかもと思っていましたが、そんなことありませんでした。説明不足も説明過多もなく物語に説得力があり、自然な運びで進んでいくので、さすがとしかいえない。ただ他のタイトルはなかったのかしら?観賞済みの家族の進めがなかったら観に行かなかったです。
どうしても暴力シーンがあるので好みが別れそうですが、切なくも優しい義兄弟と家族愛に溢れたこの作品が私は好きです。
重い
ある意味、愛の物語。 いつ死んでもいいとトンガって生きてきた男と、...
公式のあらすじは読まないが吉。鑑賞後の「ん?」の理由はなんだろうか。
※予告、公式ページで分かる以上の「内容について」のネタバレはしていないため、あえて「ネタバレあり」にしていません。しかし、タイトルにもしたように、出来るだけ楽しみたい人は、映画を観てから見ることをお勧めします。
久々の映画館。最後に映画館を訪れたのは「ワンダーウーマン1984」ですから、1ヶ月以上間が空いてしまいました。まぁ現状が現状ですから、あまり外に出ていないというのは、正しいは正しいのでしょう。またマスクから解放される日が来たらと、願わずにはいられないですね。ただ、今の生活になって、花粉による鼻への被害は減りましたね。
さて、というわけで「ヤクザと家族」を観たわけですが。うーん。
前提として、私はヤクザ映画には全然触れたことがないです。マフィアやギャングはいくつか。マーティン・スコシージ監督が好きなので。
まず、星評価としては以下のような配分ですね。
主題歌:1
俳優:1.5
ルック:0.5
ストーリー:0.5
基本的には、1を基準にして、鑑賞後、加点か減点かみたいな感じでつけました。
私はそもそも、この映画を予告編で知って、単純に「なんか知らんがルックがカッケー。主題歌カッケー。」みたいな浅い感覚で行くことを決めました。個人的に思ったのは、millennium paradeの主題歌はking Gnuの常田と井口が歌ってるわけですが、「ほとんどking Gnuじゃねーか!」ってなりましたね。聞く人が聞けば、全然違うものなんですかねー。
鑑賞して、一番印象に残ったのは俳優の演技ですね。特に綾野剛と舘ひろし。全体の影がかかった画面も相まって、渋さと言いますか深い黒が似合っていましたね。キャラクターとしても、何しでかすか分かったもんじゃない綾野剛の突発的な暴力は観ててワクワクさせられましたね。舘ひろしもいるだけで画面が楽しくなりましたね。組長としては、なんか優しさが過ぎる気もしましたが、「まぁいいんじゃねえかな」と思いました。「ゴッドファーザー」のドンだって優しかったし。他の俳優の演技も、文句のつけようはないんじゃないかなぁと思いました。
なので、この映画を観たことそのものを後悔はしていないですね。含みのある言い方ですが、これまでしてきた後悔を思い出せば、後悔しようがないです(あげ太郎、事故物件、etc)。
まぁ、この辺までが褒める意見ですね。
ディテールに関しては、他に書いてる人もかなりいるので他の所で不満点を書けたらと思います。
さて、問題、というか不満、というか「うーん」ってなったのは、評価からも分かるようにストーリーですね。まず、予告の段階で「3つの時代を描く」というのが分かってたので、最初に思い出したのは「Once Upon a Time in America」でした。というものの、3つの時代って所しか合っていない気もしますが。「Once~」と「ヤクザと家族」をこの点で比較すると、前者は時間軸を何度も行き来するのに対し、後者は3つの時代が順番に描かれます。
ここで、1つの「ん?」が生まれました。
「ん?」とは、「順番通りであること」です。どう「ん?」かと言いますと、実は本作、公式サイトの事前情報(あらすじ)から、最初1時間40分ぐらいの内容を知ることができてしまっていたのです。そして、このあらすじは「順番通り」なわけです。観ている間、物凄い既視感に襲われました。とにかく、新情報が無いのです。これは、公式のあらすじが語り過ぎという問題も考えられるのですが、私は「ディテール不足ではないか?」と思いました。特に本作はビジュアルやルックのせいもあってかゆっくりなため、このスピードをもう少し速くして、それぞれの時代に新しい面白いディテールを加えれば、それぞれの時代がもっと魅力的になったんじゃないかなと思いました。
そして、「順番通りであること」の問題として、テーマである「暴対法によるヤクザの境遇の変化」というものが提示されるのが、本当に後半になってしまっているという事があります。本作の表現の形式としては、「時計じかけのオレンジ」のような2幕構成が近いでしょうか。それは、前半に主人公が暴力の限りを尽くし、後半に主人公は暴力を規制され、その悲惨さを描くといったものだ。しかし、「時計じかけのオレンジ」は最初の段階から「暴力について」の映画として一貫しており、後半の描き方が変化していても根幹は同じです。それに対して、「ヤクザと家族」における「暴対法」はテーマそのものであるにも関わらず、それがどういうものなのかが分かるのが、最初3分の2終わってからの2019年に入ってからなのです。本来、語るべきテーマが残り3分の1程度(2004年長いから、もう少し短いか?)で描かれすというのは、あまりに後出しで、雑、というか表面的なものに終わってしまったように感じました。というか、2019年もある程度の苦労のディテールがあらすじでわかってしまうので、既視感には襲われ続けました。それがまた「表面的」な感じを強めてしまったとも思います。
さて、しかしだ。先ほどから「既視感」というのを繰り返しているわけだが、それが楽しめなかった、本当の理由なのだろうか?今では、ネタバレというやつが非常に厳しくなって「一層締めつけられている」わけだが、過去の名作やその時代では、ネタが割れてるなんて当たり前であっただろう。だとすると、ネタが割れてる事と面白さは必ずしも関係するわけではないんじゃないだろうか?「コマンドー」が私の映画の原点なわけですが、ネタが割れていようと、何度見ても面白い。では、「ヤクザと家族」を十分に楽しめていない理由とはなんなのだろう。
1つ思いついたのが、画面に変化がほとんどない事だ。基本暗く、曇天、タバコで煙い。雑な気もするが、ここから完全に逃れる目新しい瞬間があったかというと、正直思いつかない。予告の段階では、そのルックを褒めていたわけだが、それは予告の長さと編集ではよく見えただけなのだと思う。特に、画面に変化がない事が問題なのは、この映画が「時代の変化」を描くものだからだ。つまり、絵としてその変化がよく分からないのだ。視覚表現の要素が強い映画において、これは致命的であるように思う。
※ここからは、今まで以上に「映画を観てから」をお勧めします。
次に「テーマ」について考えようと思う。
私が思う、本作のテーマは以下の2つだ。
・親のいない主人公がヤクザに疑似家族の側面を見出す。
・暴対法によるヤクザの形の変化、ヤクザの生きづらさ、家族の崩壊
ヤクザの疑似家族的側面というのは、流石にタイトルがタイトルなだけあって、全編にわたって語られるメインテーマである。言いたいこともあるが、後にする。
上述したように、暴対法の話は後半に集約されているため、全編にわたるものではない。そのため、「家族」というテーマに比べると、サブテーマの方が正確かもしれない。とは言ったものの、監督は「間違ったものが社会から排除されることへの疑問」がこの作品を作った理由としてあることを考えると、やはりサブになってるのはどうなのだろうか?とは思わずにはいられない。しかし、サブでしかない理由がある。それは、主人公である綾野剛が暴対法による苦労をしているように見えないからだ。公式の引用で「元ヤクザという経歴は恩人の細野や由香を巻き込み、思わぬ形で愛する者たちの運命を狂わせていく。」というのがあったため、これについて考えてみよう。つまり、綾野剛が原因で周りの人に迷惑がかかっているというわけだ。私はこれを綾野剛の苦労とは思えない。というのは、周りの人が受ける迷惑は実害が明らかに大きく、「生きること」に困っているからだ。それに比べると綾野剛自身は、この点において「生きづらくなる」というほどのものではないのだ。このように、本来観客とともに生きづらさを感じるべき主人公が、周りほど生きづらくなっていないのだ。
では、「疑似家族」というテーマについての言いたいことを言おうと思う。綾野剛は舘ひろしを心の底から敬愛している。だが、ヤクザはそもそも綾野剛の父を殺している。そんなヤクザに一片の曇りもなく綾野剛は忠誠を誓い続けるなんて事があるのだろうか?普通の家族であっても、息子の反抗期や意思のすれ違いとかあるものだろう?勿論、父の死は舘ひろしの組とは別の組が原因ではあるわけだが、いや待て、そもそも舘ひろしの組とそれ以外で一線が引かれているという状況はどうなのだろうか?日本はそもそも家系主義的な要素が強くあり、家族とそれ以外で一線を引いてしまう危うさが見られる。それは正に疑問に持たれるべき「間違ったその他の排除」にもつながる要素であり、この映画がまず疑問に抱くべきポイントではなかったのか??
最後に1つ、上から目線で苛つかれる事覚悟で、この映画の改善案を思いついたので、言いたいと思います。というか、実はこれか今回久々に映画の感想を書こうと思った理由でもあります。それは「細野こと市原隼人を主役にする事」です。というのは、市原隼人こそ上述したテーマを2つともクリアした存在だからです。市原隼人の家族関係は具体的には分かりませんが、綾野剛にある程度のシンパシーを感じている事から、あまり良い両親ではなかったのではないでしょうか?そんな中で兄貴のように存在する綾野剛。綾野剛が逮捕された後に、市原隼人が家族を持ったことも、その前に綾野剛の恋愛模様があったことを考えると、その後を追うような形にもなっている。しかし、最終的には兄のように慕った綾野剛によって、彼の人生は狂っていくわけです。いや、ヤクザに入るという選択そのものが狂っていたのかもしれない。そういう見方をしていくと、私はこの映画の最後の展開の見方が変わるのではないかと思いました。まぁ、実際は主役は綾野剛なんで、最後の展開への反応というのは、他の人のレビューにあるような感じですね。
最後まで読んでいただきありがとございました。ではまた。
紫煙立ち込める新宿の昭和館が懐かしいのだ
しばらく映画のレビューを書くことが無かったがこんな映画を観てしまったらちょと振り返らざるを得ないというか自分でも何がこんなに心震わせるのかをつくづくあれこれ考えてしまうのだ。2012年の「暴力団対策法」以降じわりじわりと気づかぬうちに所謂「ヤクザ映画」もこの世界から消え去ろうとしている。北野武がその最後の世代なのだろう。「孤狼の血」が昭和の終わり「暴力団対策法」成立前夜を描きこの「ヤクザと家族」が平成から令和「ヤクザ」から「反社」へという差別によって人権をも奪ってしまうこの国家の暴力を描いている。「ヤクザ映画」をかっこいいと思ってはいけない世になりつつあるということだ。我々世代の映画の原体験が「仁義なき戦い」である。国家から差別され虐げられてきた全ての人々の気持ちを代表して「ヤクザ 」は新宿昭和館の紫煙に煙る銀幕で暴れ回った。国家は「分断」という仕組みをいつの時代も必要としているのだ。そして繰り返すであろう「差別される側」は地下で組織化し暴力でやり返すのみである。
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