ヤクザと家族 The Familyのレビュー・感想・評価
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主題歌が泣ける
タイトルから想像していた内容と少し違っていて、時代の流れによるヤクザの凋落も描かれていた。それを、懲役上がりの綾野剛が浦島太郎的な感じでよく表現していた。ビジュアル、表情、佇まいで若いイキっていた頃から、落ち着いて一人の人間として生きていこうと決断した30代までを、素晴らしく表現していた。
主題歌が本当に素晴らしく、最後の娘のセリフからエンドロール終わるまで涙が止まらなかった。常田さんはこの映画をどこまで見てこの曲を書いたのか。即、MVを見返したくなった。
けんじは、さまざまな愛に触れながら幸せな最期を迎えたのだと思う。そう思わせるエンディング(MV含め)でよかった。主題歌聴きに行くだけでも価値ある作品。
何か物足りない。藤井道人監督のジャーナリスティックな作風は『新聞記者』の様な題材には合うが、今回のような題材には合わないのではないか。それに話の展開もキャラクターも類型的で新味がない。
①元ヤクザってみんな映画では最後には死ななくちゃならないの?やって来たことの報いか?それでは作中の悪徳刑事の台詞「ヤクザに人権なんかないんだよ。自分がやって来たことを良く考えろよ。」を肯定してない?②『ヤクザと家族』という題名から所謂ヤクザ映画を連想したらダメだね。これはヤクザ映画ではないわ。ヤクザという社会を外から見た映画だね。だからヤクザやその社会の描きかたが類型的。③日本の任侠映画やヤクザ映画がどうしても日本的な湿っぽさ・情感を湛えているのに対して、この映画は乾いた目で日本社会の中でのヤクザ社会の変転を描こうとしている。それはそれで悪くない視点だが、もっと徹底して描くべきだったのではないか。舘ひろしの親分が良いキャラクター過ぎ。まだヤクザに仁義や人情が求められていた世代の代表としたのかも知れないが、ちょっと現実離れ過ぎ。もしかして舘ひろしに遠慮した?③考えてみたら、綾野剛と尾野真千子との組み合わせって『カーネーション』で朝ドラ始まって以来の不倫カップルを演じて朝ドラに一石を投じた二人でしたね。あの時の尾野真千子の台詞「かなんなぁ」は関西人+道ならない恋に落ちた人間でないとわからない名台詞だったけれど、この映画ではそれに匹敵する良い台詞は無かったね。④綾野剛は元々良い役者ではあったが更に良い役者となった。ある意味映画の中では記号でしかない役(それだけ何処かで見た役の寄せ集め)を見事に地肉化にしたのは綾野剛の手柄。長い付き合いの弟分が組長襲撃に巻き込まれて絶命しているのを見つけるシーンのアッブは実に上手い。それだけに社会に居場所の無くなったヤクザを待つ残酷な現実を彼にばかり集中させたのは劇的効果を盛り上げるよりスケープゴートみたいな扱い。⑤海に沈んでいく綾野剛を撮る幻影的なカットはこういう映画にはそぐわない。だから中途半端。ヤクザ社会を客観的に描く映画にしては所々情緒に片寄りすぎている点(ラスト、翼と綾野剛の娘との邂逅とか)も映画の焦点をぼやかしている。劇中のヤクザ達やチンピラ達がどすを聞かせたり罵倒したり暴れるシーンはいずれかも何かのヤクザ映画で嫌と言うほどみてきた借り物っぽくて既視感満載。というわけで、どうもピースが上手く適所にはまっているとは言えず最後映画的カタルシスが味わえない。だから物足りない。
おまけ映像無し
ヤクザ映画ではない。
組を抜けなさい・・・
ただし5年間は社会に受け入れません・・・
この矛盾君はどう考えるか?
と問われた気分です。
残念なのは、この監督さん新聞記者でもそうだったけど公務員を腐らせ過ぎ😅
こんな刑事絶対いないだろってなるし、悪い刑事に描く意味がわからない。
刑事こそ、この矛盾に葛藤できる立場なのに・・・見守ってたチンピラが更生の道を歩む中、社会の壁に阻まれての結末に無力感を感じるラスト・・・
ぐらいじゃだめだったんですかね😅
ヤクザキメラ
『ヤクザは生きづらい世の中になった』
ひたすらこれに尽きる映画
というか、無骨で不器用な山本(綾野剛)を見せたいだけの映像にも思える本作。
これでもかってくらい押し付けてくるので、
山本を取り巻く人々の感情の描かれ方が唐突で雑です。
端折ってるだけなのか、そもそもどうでもいいと思われてるのか、どっちにしろご都合主義すぎて不可解。
スカスカなので、人によってはしたいように共感できるんではないでしょうか。
ヤクザ的な暴力や抗争は風味付程度、
ラブロマンスはお飾り、
家族愛は記号的です。
冒頭とラストのカットがシェイプオブウォーター
普通に暮らしたかったよと、唐突に心情吐露が始まる点描シーンはmother
オマージュなのか、考えすぎかは分かりませんが…
脚本も演出もツギハギみたいだなあという印象でした。
また少し、邦画を観るハードルが上がってしまった…
綾野剛を生かし切った!!
三つの時代をバランスよく描いたおかげで、時代に取り残されていく繊細な乱暴者の哀しみが胸にくる。
こういう理不尽に巻き込まれる乱暴な根は優しい男をやらせたら、綾野剛は天下一品ですね。当て書きか?と思うほど、良かった。
(そういう点では磯村勇斗も、ベビーフェイスの危ない半グレは、適役)(しかも悲しい連鎖を引き受けてしまうという、時代は変わっても変わらない繋がりが示されるラストは泣かされる。)
「新聞記者」ではやや鼻白んだ女性観も、こういう古い時代の男たちを描くにはすごくはまってた。立派なオカン2人のおかげで、男たちは押しとどまれるのだということだったのかな。
年を取ってやり直しがきかなくなっている身にはぐっとくる映画。良かった
なんとも言えない
映像きれい
ヤクザの組長をたまたま助けたことがきっかけで、親が死んで1人になった主人公賢治が組長に拾われ、裏社会の中で生きていく様子を10年20年と長い年月をかけて見せていくストーリー。
時代が変われば変わる程裏社会の人間がこの世界で生きていく事の難しさが如実に現れどんどん一般人から遠ざかり生活ひとつするのにも難しくなっていくのを描いていた。
映像がやたらきれいだなという印象。カメラワークとか。監督のこだわりなのだろう。過去作もそんな感じだった。映像への美学が強そう。そしてら社会の闇や時代に準ずる悩み、生きるのに精一杯な人間、を描くのが好きなのかな。という印象。
ヤクザとか反社の映画は好きなので見応えはあったけど…どうしても北野武や白石和彌のほうのヤクザ映画が私は好きだ…!(完全に好みの問題、なのかなぁ)
綾野剛大好きなのに…不遇な役どころの映画が最近あまりにも続き過ぎて辛くなって来た。笑
MIU404みたいな、週刊少年ジャンプを読みまくって役作りしました!(と本人が言ってた)みたいな役、もっと来い来い!!
(とは言え「ホムンクルス」大好きなので、実写とても楽しみです笑)
首にはならないから
反社=ヤクザと割り切れない、男の切ない生き様を描いた作品です。
前から気になってた作品を鑑賞しました。
で、感想はと言うと、良い♪
反社と称される現代ヤクザの悲哀を描いていて、とにかく綾野剛さん演じる賢治が切なくも儚く愛おしい。
恵まれない家庭環境から自暴自棄になり、父親が覚醒剤で亡くなった賢治はふとした事からヤクザの組長の柴咲を助け、またヤクザから命を狙われた際に柴咲に命を助けられ、二人は親子の契りを交わす。
そこから賢治はヤクザ社会でのし上がっていくが、敵対する組の幹部を刺殺した兄貴分の代わりにムショに囚役する。
14年後に出所した賢治は暴対法の影響で衰退した柴咲組に復帰するが、かつての勢いは無くなり、組長の柴咲も癌で余命幾ばくも無くなっていた…
「仁義なき戦い」や「網走番外地」と言った往年のヤクザ映画とは全く違う現代のヤクザの悲哀を描かれてますが、もうとにかく切ない。
暴対法でヤクザとしての生き方を奪われ、堅気に戻ったとしても堅気としての生き方をさせてもらえない。
ヤクザと言う反社会的勢力の根絶とヤクザになろうとする者を根絶やしにする為の措置とされるが、これでは一般市民に戻るのは無理と言わんばかり。
映画で描かれるヤクザは何処かピカレスクロマンでアンチヒーロー的に描かれているので、ヤクザと言う生き方を肯定は出来ませんが、それでもヤクザとしてしか生きる術が無かった者や、ヤクザになった事で多少なりとも救われたと言う者がいるなら、徹底的な根絶はどうなんだろうか?と個人的には思います。
東京都内の店舗型の風俗の根絶で結果として無店舗型の風俗と言う形態が出て、浄化作戦に伴う根絶は様々なグレーな物は結果地下に潜る形になったとしたら、どうなんだろう…
世の中は全てが綺麗に割り切れる訳ではないので、歪みを強制的に直そうとすると更なる歪みを生む事になると思うんですよね。
賢治はヤクザになった事で救われもするが、何を失う。
でも、ヤクザになるしかなかったし、ヤクザになった事で得る物もあった。
でも結果としてヤクザの生き方を肯定もし、否定もして踠きながらも生きていく。
切ないなぁ〜。
綾野剛さんは以前は尖がった感じがそんなに好きではなかったんですが、様々な作品に出演され、深みと幅がありながら綾野剛を醸し出しているのが今は好きな役者さんですw
あと、綾野剛さんが出ている事で安心感があるんですよね。
舘ひろしさんはヤクザ映画の中での理想の親分ですが、どちらかと言うと理想の父親みたいな感じ。でもなんか何処までも舘ひろしさんなんですよねw
市原隼人さん演じる竜太が切ないんですよね。でもラストは何処かちょっと賢治に八つ当たりな感じもしなくも無いw
翼役の磯村勇斗は良い感じです♪
愛子役の寺島しのぶさんの使い方が結構贅沢w
全体的に登場人物全てが切ないんですが、翼が不幸にならなかったのが個人的には救いです。
藤井道人監督は「新聞記者」は最優秀作品賞、最優秀主演男優賞、最優秀主演女優賞を受賞した作品で骨太な社会派ドラマの描き出すイメージが強いんですが、この作品で時代に合わせたヤクザ映画を作り出して、非常に振り幅が広い感じがしながらも藤井監督らしいヤクザ映画を作り出しています。
ヤクザとしての生きる事しか活路を見出せなかったが、自分が欲しても手に入れられなかった物、「家族」を手に入れられた賢治。
だが、ヤクザだからその「家族」を手放さなければいけない悲哀がやっぱり悲しい。
切ない話ではありますが、見応えのある骨太な作品はさすが藤井監督。
お勧めです♪
ヤクザと家族とは
最後の、セリフのない表情だけの演技がすべてを語っていた
タイトル通り、ヤクザを描きながら家族を描いている。身寄りのない若い男性が、ヤクザの世界に家族のような絆を見出し、そこを居場所に生きる。
刑務所から帰ってきたら様変わりしていて、うまく変われない自分と衰退していくものへの愛。そこにはもう居場所がないのに、昔の幻影をみている。時代とともに衰退していくものと、うまく変わっていけない男の悲哀。
最後の磯村勇斗の演技はぐっときた。その女の子が兄貴と慕った人の娘だと知った時の表情。あの表情だけの演技は10秒はあったように感じた。
「お父さんはどんなひとだった?」にどうやって答えるのか?どんな言葉が発せられるのか?不器用だった、バカなひとだった、やさしいひとだった、どうしても、ひと言では答えられない。
不器用に生きて死んだいった”兄貴”の悲哀を知っている。すべてが去来している表情。あの10秒だけを観てもこの映画の観る価値はあったと思った。
終わり方がよかった。特に最後の磯村くんの演技は圧巻!
「私のおとうさんどんな人だった?」と聞かれて、
磯村君演じるつばさが、
その女の子が山本の娘であることを知ったときの、
あと15秒ほどの演技にすごく惹きつけられました。。
終わり方として、若い二人のこれからが良いものとなるといいな…
と思えるエンディングでよかったです。
キャストに違和感を感じないほどの方々だったので
映画の世界に没入できました。幸せな2時間25分でした。
別ルートではポ○モンGOにはまる
タイトルで敬遠するのは勿体なさすぎる!
こんなご時世にヤクザ映画?
と思う人はたくさんいるでしょう。
わたし自身ヤクザものは暴力的、理解不能と食わず嫌いしてきていました。
ですが今回、主演の綾野剛さん
主題歌を担う常田さんはじめミレパの試写会コメントをきっかけに観てきました。
長くなりそうですが、、笑
語彙力を失うとはこのことです。
すごかったとしか言いようがありません。
主演の綾野剛さんはもう日本一上手いのでは?と思うほど、移り変わる20年弱の男の人生を見事に演じ切っていました。
10代の時と30代の時の目の力があまりにも違う。枯れ果てるというか儚さを後半には感じました。
他にも舘ひろしさん、北村さん、市原隼人さん
実力派の方々ばかりで
自分にとって遠い世界の話のはずなのに
苦しいほど感情移入してしまうのは皆さんの演技力が凄まじいからですね。何故かずっとリアル。
中でも磯村勇斗さん!!!
今回初めてちゃんとした演技を拝見しましたが
若手の星ですね。
彼が出てきてから一気に雰囲気が変わったのが分かりました。
ほどよい半グレ感、純粋さも残った中の凶暴さ
今の時代のダークサイドって感じで引き込まれました。
ラストシーンの間合いとても良かったです。
映画を見た方は是非主題歌のFAMILIAのMVを見てください。
俳優さんがそのまま演出されていて
映画のエンディングストーリーのようで救われます。
映画館で観れて良かった。迷っている方は急いで劇場へ!!!
このレビューが誰かの観る後押しのキッカケになるといいなぁ。
最初の30分をもっと丁寧に作ってください
率直に言って、つまらなかったです。
共感できることが何もありませんでした。登場人物には魅力がないし、ストーリーも目新しさを感じない。中盤くらいで、もう映画館を出ようかと思いました。でも、まぁ、最後まで観ないことには感想も言えないと思いなおし、何とか最後まで観ました。
この映画の特徴的なのは、主人公の人生の3つの期間を切り出していることです。こんな感じでしょうか。
第1期)10代/ヤクザになるきっかけ
第2期)20代/由香との恋愛と敵対するヤクザの殺害(中村の代わりに罪を負う)
第3期)30代/刑務所から出てきてから現在まで
こういう構成を取ることで、ヤクザを取り巻く環境の変化をわかりやすくしているんですね。
しかしそれって、どうしてもぶつ切り感が出てしまいます。いきなり時間が飛ぶので、観客の気持ちがちょっと途切れるんです。
一本の映画の中に三本のストーリーがあるような構造になっているんですよね。だからひとつひとつのストーリーがどうしても薄くなってしまいます。
で、時間が飛んで気持ちの途切れた観客を映画の世界に引き戻すには、脚本や登場人物がよっぽど魅力的でなければならないのですが……僕には、そこまで脚本や登場人物が魅力的に映りませんでした。
序盤のストーリーを追います。
主人公のケン坊は、父親が覚醒剤中毒になった上、死に追い込まれたため、覚醒剤を嫌っています。家族を亡くして孤独になったこともあり、自暴自棄の荒れた生活をしています。そんなある日、覚醒剤の取引の現場を目撃します。ケン坊は売人からお金と覚醒剤を奪い、覚醒剤は海に捨ててしまいます。
一方、柴咲組の組長・柴咲は、元組員の妻が経営している飲食店に足繁く通っています。元組員は亡くなってしまっているので、店に通うことで妻を援助しているんですね。そこに敵対するヤクザ・侠葉会の組員が乗り込んできてピンチに陥りますが、たまたま居合わせたケン坊に命を救われます。
ケン坊が襲った覚醒剤の売人は侠葉会の息がかかった売人でした。そのため侠葉会に追われ、捕まってしまいます。絶体絶命のピンチとなりますが、たまたま柴咲の名刺を持っていたことから命を救われます。ケン坊は柴咲と盃を交わします。
ここまでが上に書いた3つの期間のうち、第1期の部分です。ここで観客の気持ちがちょっと途切れます。映画全体としては、起承転結の起が終わったところです。時間にすると4分の1が終わっただけ。しかし観客の気持ちの中には、一つのお話が終わった読後感みたいなものもあります。
つまり映画全体としてはまだイントロダクションが終わっただけなのに、部分的には映画が一本終わった印象があります。似た構成でうまくいったのは2018年にヒットした『カメラを止めるな』ですね。『カメラを止めるな』は最初の30分がゾンビ映画で、残りの時間は冒頭30分の裏側を描いていました。
で、『カメラを止めるな』の場合、最初の30分を完全に独立したものとして完結させようと意識して作られていたので良かったのですが、この『ヤクザと家族』の場合はおそらく最初の30分だけで完結させようと思ってないんですよね。つまり冒頭30分だけでお金が取れる、という作りになっていません。
この構成でこれだとしんどいです。ケン坊の人生から三つの時期を切り出した構成を取っているため、ぶつ切りにされた上、物語は薄まっています。ぶつ切り感をなくして観客の興味を持続させつつ、物語を薄く感じさせないように作らなければならないので、相当、難しいです。脚本や登場人物のパワーがめちゃくちゃ強くないといけません。
なので僕だったら、現在だけで構成しますね。刑務所から出てきたところからスタートして、回想を使って徐々に昔のケン坊や親分のこと、ヤクザを取り巻く環境の変化などが分かっていく展開にします。じゃないとケン坊に感情移入させることができません。
そして回想をどう使うかはめちゃくちゃ考えます。回想を一旦解体して組み直すとか、10代のところは青みの強い画面にして20代のところは赤みがかった画面にするとか。
まぁとにかくこういう3部構成を取るのなら、最初の30分が相当魅力的で完成されていないと、最後まで引きずっちゃうんですよ。で、その30分が薄くて魅力がないので、その時点で僕はもう飽きていて映画館を出ようかと思った、ということです。
ケン坊と親分が互いに惹かれていく過程がもっと丁寧に描かれていないと、死にかけているところを互いに救ってもらったというだけでは弱いんですよ。
だってヤクザって元々、死の危険とは隣り合わせじゃないですか。それにそもそもが行き場をなくした人たちの集まりでもあるわけだから、盃を交わした時点で全員、親分に人生を救ってもらっているわけですよ。なので命を救ってもらったとかはもはや前提にすぎず、そこからより一層絆を深めるのにどういうヤクザ人生を送ってきたかが大事なのに、そこが描かれてないんですよ。
由香との恋愛をあんなに時間割いて描かなくて良いんですよ。そんなの描いている暇があったら親分との関係を丁寧に描いてください。
細野が5年以上かけて大事に築き上げてきた家族、そして賢治と由香が1...
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