護られなかった者たちへのレビュー・感想・評価
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生活保護…
不正受給の問題は時々メディアに取り上げられるが、実際の申請→審査→承認までの実情はどうなっているのだろう。原理原則通りだと思うが、特殊なケースの場合、事務所の裁量はあるのだろうか。映画のように助からないと分かって措置しない行為が果たしてあるのだろうか。映画は震災という重しが根底にあり、加害者、被害者のみならず刑事も心に傷を負っている。家族を失った者同士が生きるために寄り添い、助け合う。それさえ失ったのならば。。復讐の仕方が凄く、真犯人は何となく分かってしまった。ラストの刑事の息子を助けられなかったくだりはちょっとやり過ぎな感じがして、不要だったと思う。
迫力満点の演技は鑑賞推奨。だが、、
原作は全く知りません。作家さんも存じないです。という前提でイオンシネマの試写会にて鑑賞。
東日本大震災の塩釜辺りの架空の土地が主要舞台。震災被害からの生活再建に生活保護にまつわる諸問題を絡めた作品でした。 観終わって気付いたのですが、悪人(犯罪者ではない)は誰一人登場しなかったよなあ。と。
個人個人(立場や状況、条件)によるズレ具合から社会的整合性を欠いてしまう不条理さを上手に描いています。そこを役者さんの素晴らしい演技でなされますので引き込まれました。特に阿部寛、佐藤健には凄みで溢れています。倍賞美津子はもろに東北のおばちゃん、あーこんな人も結構いたなあ、でした。永山瑛太の気弱だけど芯はしっかりもっている人物の表現などなど、みんな素晴らしくてこれだけで満足できる作品でした。役者がいいとここまでいい映画になるんですねえ、と改めて感じます。 それからキレイにフラグ回収していく気持ちよさと意外過ぎる結末には爽快感すら覚えました。
しかし、とある場面に映っちゃダメなモノがばっちり映り込んでいる(恐らく霊的ななにかではない)とか、安っぽい説教が唐突にやってきたりするところは白けました。また、震災時の人間関係のすれ違いと10年後のそれがほとんど活きていないことには疑問をもちました。
惜しい、残念なところもあるのですが、いい映画だったと思います。
普通は幸せだね。みてらんない。
重い…
「護られなかった者」としての「おかえりモネ」
いろんなことを考えてしまう映画だった。
この映画のテーマはなんだったのだろう。
原作は読んでいないのだが、映画自体の内容が、
いい意味でも悪い意味でも、あまりにも散逸していて、まとめることができない。
(ここからはどーでもいいこと)
ところで、つい最近、思ったことだけど・・・
実名を晒していると、その内容はとんでもないほどつまらないのに
「共感」の数は多くなるみたい。なんで?
ここに、その「いや〜〜〜〜〜〜〜〜な」例を挙げようと思うけど、
それをしてしまったら、コンプライアンス違反とでも言われかねないのでやめておく。
でも、実名晒しいい気になってる連中のコメントさっぱり面白くない。www
(ここまでどーでもいいこと)
(それを踏まえ)
この映画について言えば、何をわかっているのかなぁ。
ここに住んでいるのかなぁ。
この生活を知っているなぁのか。
この映画の人々の感情をどこまで受けてめているのかぁ。
生活の場所、失くしたのかなぁ?
12年も過ぎて、時間が経って、
そんななかでコメント読むにつけ、
むちゃくちゃ、当事者的なトラウマという毒を吐きたくなる!
ほら、映画にもあったように、「当事者性」という名の優越的行為・・・笑
そんなことを考えながら見ていたら
「おかえりモネ」という言葉こそ評価に値する言葉と思えてきた。
だって、襖に書かれていたじゃん。「お帰りなさい」って。
自分が生きた生活の場に帰るモネ・・・じゃなかった幹ちゃん
陰鬱内省系的演技こそ「助演」にふさわしかったモネ・・・じゃなかった幹ちゃん
朝ドラはそうではなかったけど、こちらの映画では拍手をしてあげましょう。
震災テーマのドラマにもう一度帰還したモネ・・・じゃなかった幹ちゃん・・・じゃなかった清原果耶ちゃん・・・。
また他には「公務員いるいる的」な永山瑛太が秀逸でしたね。クセのある演技ができるようになったことに注目。
まぁ、それはいいとして
3.11は
あの幹ちゃんをここまで追い込んだんだし、
泰久にいちゃんにも「護るべきもの」に対する強迫観念を絶えず与え続けていた。
そして、それは笘篠にとっても同様にトレースできるもので、
二人の「護るべきもの」が最後にクロスしたということだったね(ただ、この展開はどうだろう。やや陳腐すぎないか?)。
この映画で象徴的なのは「枯れ果てた献花」だろう。
今、ここにあるのは、
どう頑張っても、どう思い起こそうとしても、どう繕ってみても
ただそこに残る「枯れ果てた献花」。
一方では、いろんな「事後施設」ができたことで、
国内外の「インバウンド」を呼び起こしかもしれないが、
それによって、この地は「同情汚染」に塗れてしまった。
他方、扶助の様相をめぐって
この地は「繋がり汚染」にも塗れてしまった。
寄り添いや絆という言葉はその背後にある人々の苦しみや哀しみに目を背けさせた。
幹ちゃんの狂気ってもしかすると、そんなことに抵抗する一つだったのかもしれない。
「枯れ果てた献花」
これが、幹ちゃんの「正しい狂気」を強く印象付けていた。
#この間、
『PLAN 75』を観たばかりだった。
立て続けに「倍賞姉妹」作品とはね。
「倍賞姉妹」が、高齢者問題や生活保障制度を考えていく齢に達したという訳だね。
ってあくまでも自分の年齢から見てだけどね。
#科学館が病院とは、文学館で演説とは・・・ロケ地探しが面白かったね。
って、これって伊坂幸太郎作品じゃなかったよね。。。
難しい社会問題を描く見応えのあるミステリー
護られなかった者たちへ
中山七里さん原作の小説を映画化した作品です。小説を数年前に読みました。読んだきっかけは、よく目にする作家さんだったこと、Kindle Unlimitedがキャンペーン中で無料で利用できたこと、というミーハーでチープなものです。ミステリーかと思い読み進めたら根深い社会問題も絡めてあり、引き込まれるように読んだ作品でした。その作品の映画化作品をアマプラで発見して鑑賞しました。どこまでもアマゾンにお世話になっています。
連続して発見された殺人の被害者はいずれも人格者。殺されるような理由が見当たらない。懸命の捜査によって見つかった共通項を辿っていくと浮かび上がってくる社会の不条理。言葉にするのは簡単なようで、実際に当事者にならないと表現できないであろうやるせなさ、いらだち、人との関りを佐藤健さんと清原果耶さんが演じています。若い俳優さんに詳しくないので、佐藤健さんは泥酔した前田敦子さんをお姫様抱っこしてた人という程度の認識しかありませんでした。今回初めて作品をみましたが、目力の強さを感じました。単に細く整えられた眉毛がそう思わせているのかもしれません。清原果耶さんも同じく初見でしたが、本格的な作品向きな雰囲気を感じます。作品を選んで出演して欲しいという勝手な期待を持ちました。
東北の震災について、生活保護などの実態については全く知りません。少しかかわったのは、家が全壊または半壊した人たちに支払われる補助金の実態でした。地域によっては被害があまりなかったにもかかわらず、すこし塀が壊れた程度でも半壊として申請してウン百万という補助金が支払われる構図がありました。あのような構図は正義感の強い公務員だとメンタルを病みかねないです。性善説だけではやっていけないけど、自分の心の中で後ろ指を指すような行動はしないように自戒します。そうしたことを思い起こさせてくれる作品でした。
社会問題に関心がある人におススメの作品です。
護られなかった者たちへ
天災の後にに語られない真実がある
ひとり、ひとり、
コノ〜〜!
なんのための原理、原則?
助けが必要な人にしっかり支援を行き渡らせるためにあるのに、本末転倒じゃん(T . T)
あと初期に出てきた不正受給してるママを見て、生活保護はあくまでも「最低限度」の生活しか保証してくれないんだなあと改めて思った〜、
平均的な家庭に比べて選択肢が少なくなっちゃうし、お金で買える便利さもなくなっちゃうよね
どさどさ廃棄でご飯が捨てられる一方で餓死していく人がいる こういうアンバランスさ本当どうにかしていかないと
55点
途中で見るの止めたわ
お役所がますます嫌いになった
震災で辛い目にあったのに、生活保護申請でまた追い討ち。全てではないだろうが、職員の対応は事務的でマニュアル通りっぽくて好きになれない。
助かるはずだったのに亡くなってしまった、辛く悔しい感情が強く伝わってくる。ワルに見えて優しい佐藤健、物静かでも内に秘めた清原果耶、阿部寛も皆はまってた。
人災
足りない説得力
原作を読んでいないのだが、どうしても腑に落ちない。
震災で親を亡くしたという大きな癒えない傷を背負って生きている人が、殺人を犯すというところに至る感情や理由の描き方が薄く感情移入出来なかった。
とても漠然としている映画。何か訴えようとしているのだが、こちらに届いてこないもどかしさを感じてしまった。
「仕組み」ではなくそれを使う「人」の問題
劇中の役所の人間の言い分は、高いところ(安心安全な場所)からの言い分で、国連から言われただ・生活保護使用率1%なんだかんだと、日本国外のデータを元に日本国内に当てはめているセリフのシーンは、まっったく共感できない。その比喩なの
か、低いところ(震災被害を受けた人・貧困の人)がどれだけ助けを求めても、『救える人間は決まっている』という現実を突きつけている。
高いところは安全で、低いところは危険がある。
そして、助けられる人の数は限られている。と。
マクドナルドのMサイズ一つとってもアメリカと日本で1.5倍も大きさ違うのに、同じサイズだと勘違いしたまま議論をして、いざ施行してみると(あれ?思った大きさじゃない)(予算も1.5倍かかるな)(Sサイズを大きくして、前回のMサイズと同じ量を出せって声があがってるな)など、その国の現状や使用者の声、文化を無視してそのズレを認識できないまま・放置したまま進む。
利根の言い分は正しい。「なんでもっとちゃんと見てやれなかった」
震災で疲れている。我々も被害者だ。とはいえ、役所の人間には、仕事がある。途切れることがない。賃金も約束されている。役場の人間だけは「国に護られている」。そのアドバンテージがあるにもかかわらず、その揺るぎない後ろ盾があるからこそ仕事がいそがしくても遂行しなければならない。震災後もその先が見えたのは「仕事がある」からだ。仕事があれば、お金の心配も薄くなる、これから先が見通せる。未来が見通せる。
三雲の「お墓を1人で直した」のは、震災直後の気持ちの高揚から(自分に何かできないだろうか)という、震災を経験した人間には理解できる無力感からくる気持ちの動き。そのまま善人のほうへ向かえばよかったが、生活困窮者に対応していく日々に疲れたのか、自分が「護られている人間」である有難さを忘れた。
「生活保護は、自分から言わないとだめです」=「生活保護は、自分から護ってくださいと言わないとだめです」と同意。それこそ、上から目線だなあと感じます。そういう“言いにくい”環境や仕組みをどう言いやすくするか。そして悪用する人間をどう捌くかは、当然運用側の腕の見せ所のはず。
社会を動かす人間性のあり方を問題提起した映画。最後の伏線回収は映画的で素晴らしい。良い映画です。
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