護られなかった者たちへのレビュー・感想・評価
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今、この時だからこそ
思うにこの作品に真の意味での悪人というのはいなかったように感じる
それぞれの立場や正義があり、どの考えにも正当性が存在する
全てを救うことは出来ないということも事実であるだろうし、原理原則に乗っ取る というのは不正受給や過度な業務量などを鑑みても致し方ない部分もある。
ただ、救われなかった。最後の頼みにすら見放された人々の思いは計り知れない。
もしかすればそれは逆恨みなのかもしれない。
それでも社会の最下層に取り残された人々の声は、そういったことでしか届かないのもまた事実だ。そう強く考えさせられた。
震災によって潰えてしまった命、そして生き延びたけれども社会の隅でかき消されてしまった命
救いの手を差し伸べられたかもしれない
そういったひとつひとつの命に手向けるような、作り手の思いを感じました。
コロナ禍という未曾有の事態の中、困窮する人々が全国的に溢れている今だからこそ
そういった人々を社会がどう護ってくべきなのか
改めて響くものがある。
悲しいお話だった
東北震災後の生活保護担当者への連続殺人事件のお話
震災の時はずっと仕事しててお昼ご飯食べるためにテレビつけた時の感想は『何これ?』だった
それくらい現実感がなかった
でも被災した人達は大変な思いをしたのだろうし、それはまだ終わってないのだとも思う
だから震災関係のお話をみると辛くなります
とても悲しい話だった
被災直後から避難所生活のお話になり生活保護の話へ
そこから泰久兄ちゃんカンちゃんけいさんの3人の人物像が語られて3人には感情移入できるのだが生活保護担当者(被害者)のほうはあまり語られない
被害者の事を役所の人間は口を揃えて素晴らしい人だったと言うけれど受給の許可がおりなかった側や犯人からみればいろんな思いがあったと思う
担当者側の煽りに見える言動もあったけどあれも受給できなかった側からの視点だった
それにどんな意味や意図があっても受給できなかった側からすれば『助けてもらえなかった。この人達が認めてくれなかったから』という事しか残らない
担当者側にだってそれなりに理由や悩みがあったのではないかと思う
誰だって好き好んで嫌われる役なんてやりたくない
一人で懸命にお墓をなおしていたりしてるのをみると本当に殺されなきゃいけなかったのかなと思ってしまった
『死んでいい人なんていないんだ』この言葉がもっと早く犯人に届いていたらと思うと悲しくて悲しくてたまりませんでした
ずっと気になっていた息子の事
蛇足のような気もしたけれどちゃんと説明してくれて
ホッとしました
人と人が織りなす複雑な社会生活
東日本大震災が生み出した人災(生活保護受給)にフォーカスを当てた作品。
原作は読んでいませんが、この映画は絶対に観ようと思い公開初日に映画館へ。
私は埼玉県の東日本大震災で被害を受けた方々が沢山移り住んできた地域にある映画館に足を運びました。周りはお年寄りの方が大半を占めておりおそらく被害を受けた方もいたのではないかと。劇中に遺体が安置された映像が流れるとどこからか嗚咽混じりの泣き声が聞こえできました。もしかしたら当時の事を思い出したのかもしれません。
作品の感想として、護りたい護ってほしい護った護られなかったというのは人それぞれであり、人々の思いや行動がすれ違い、どこにもぶつけようがない憎しみが誤った形を作る。利根の「死んでいい人なんていない」という言葉に全てが集約されているようにどんな人間であっても生きている意味がある。そう思える為には自分の身を守る、大切な人を守る為にこの国の子供達を愛し大切にしなければならないと言うこと。愛を持った子供達はきっと他人を尊重できるから。この映画のタイトルでもある護られなかった者たちというのは全員に当てはまるようにも思えた。
そして最後のシーンは全てをのみこんだ海が皮肉にも蒼然と美しくさえ思ってしまう様は生命の原点を彷彿させ命が還っていったのだと思わせるほどに生命を感じずにはいられなかった。
汚名は挽回じゃなくて返上ね。
震災から9年、宮城県の福祉関係の仕事に従事する男性が無人のアパートの一室で手足を拘束され餓死させられる殺人事件が発生し巻き起こる話。
東日本大震災で妻を亡くし息子が行方不明となった刑事のが事件を追うと共に、放火で服役し仮出所中の男の震災後の様子を軸にみせていく。
避難所でやさぐれていた青年と、彼と意気投合した少女と老女との物語は皆何かしらを抱えながら拠り所をみつけて生きる姿をみせたり、生活保護の不正受給や、本当に必要な人が審査に落とされる現実、受給者の権利はどこまで許されるのかなどを描いたり、殺人事件云々とは別のところでのドラマだけでも充分面白い。
ただ、いつ容疑者にあがった?からの、いきなり彼が追われる展開は、背景を判っているから受け入れられたけれどちょっと急過ぎる様に感じたし、犯行のタイミングがビンゴ過ぎませんかね…なんて少し突飛なところもあったけど、悲しくやるせないストーリーがとても良かった。
タイトルの意味と重さ
「護れなかった」、じゃなくて「護られなかった」
一文字違うだけで立場が逆になる
震災で生きててよかった、と思う人と、生きててよかったのかな?と思う人、初めて3人で寝た夜に言った台詞がタイトルにも関連してて、見終わった後に気付いた
実際に震災で被害を被った訳じゃないけど、被害者やその家族のことを考えると物凄く考えさせられる
早いもので震災から10年
いちえふのような大きな事件ではないが、映画の台詞を借りれば「怪物」が起こした人生や心を大きく変化させた出来事だったんだな、と改めて考えた
それにしても予告だけで判断すると佐藤健が犯人なんだろうな、と思ってたけどフタを開けたら、清原果耶の静かに見える、とんでもない憎悪をラストシーンで見せつけられた
完全に阿部寛と佐藤健を食ってた
あんな可愛い顔してるのに…
佐藤健は普段の役柄とは真逆だったけどいい演技してるし、倍賞美津子も本当に素晴らしい演技
震災や貧困、生活保護など扱ってるテーマは重いけど、見て損はない映画
心抉られる名作 震災の傷痕は疼き続けて
原作は未読。必ずこれから購入して読もうと思いました。
観賞後、心が抉られました。おそらくこれからしばらくの間はこの映画のことを思い出し続けるでしょう。
ミステリーとしては「誰が」は比較的分かりやすく、「どうやって」はあまり重視されず、いわゆるホワイダニット=「どうして」を考えるタイプです。
犯人も、被害者も、刑事たちも、登場人物はみんな震災という「怪物」で傷を負った人たちです。(東京から来た主人公刑事の相棒刑事だけはそういう点では第三者だが)。
この作品には「嫌なやつ」がたくさん出てきます。「なんだこいつは!!」とムカつく登場人物がたくさん出てきます。二人の主人公も、その周辺の人物も。いわゆる「善人」としては一人も描かれません。
「誰も悪人ではない」みたいな単純な言葉は使いたくはありませんが、少なくとも「震災」がなければ「嫌なヤツ」にならなくて済んだ人たちが大勢いるんだと、そう感じさせる映画です。
誰しも護りたい人とか物があります。「絆」だとか「助け合い」だとかポエムのような言葉ではなくて直接的に手を差し伸べたいと思うこともあります。
しかし、私たちにはそれを護りたいと思っても「勇気」や「力」が足りないという現実に直面する場合が多々あります。全てを護ることなど到底出ないのかもしれません。
あの震災を経験した我々日本人は多かれ少なかれ心のどこかに罪悪感のようなものを抱えています。護れなかった、見捨てた。3月11日をむかえるたびに罪の意識のようなものがチクチクと痛みだすこともあります。
この映画の主人公二人の姿は私たちにその癒えない罪悪感に対してどう向かい合ったらいいか、その一つの解答を示してくれているような、そんな気がします。
震災を描いた作品はいくつもありますが、本作はその中でも特に「震災後の私たちがこれから、あの日とどう向き合っていったらいいか」を描ききった名作だと思います。
個人的には今年の邦画で一、二位を争う作品だと感じました。
原作を丁寧に追い、要所をアレンジした佳作
本作では、原作から大きく変更された点が主に2つある。
ひとつは生活保護行政に携わる側の描き方、もうひとつは利根の擬似家族「カンちゃん」の扱いだ。
原作での福祉保険事務所の職員の描き方は、ひどく類型的だと感じていた。笘篠が最初に殺された三雲の周辺に聞き込みをした時は評判のよい人物だった、でも窓口対応はひどい人でした、ただそれだけで、三雲の言動の理由についての掘り下げが原作ではほぼない。
是非は別として役所側にも何かしらやむを得ない面を孕んだ組織の行動原理があり、個別のケースで人としての倫理と相剋する場面があるはずで、その悩ましさを描くドラマを私は見たかった。だから、善良な職員は成長したカンちゃんのみ、他の職員はふてぶてしい人間ばかりという、公務員批判の意図が悪目立ちする原作の設定では、単純な悪者糾弾の話に見えて、話の厚みがなかった。
本作では、議員になった元職員上崎のキャラクターを原作から180度変更して善意の職員として描き(原作では海外に買春旅行に行く人間という、震災や保護行政とは無関係な汚点を描写されている)、彼に行政側の視点を語らせている。三雲が被災した墓石を元通りにしようと汗を流す描写も入った。
これにより、職員側も様々な考えの者がいること、そして何より、彼らもまたあの震災の被災者なのだということが見えやすくなった。このことで人間ドラマとしての厚みが増し、震災の物語としてのクオリティが上がったと思う。
原作の文庫巻末に掲載された原作者と瀬々監督の対談で、監督はこう述べている。「どうしようかと非常に悩みあぐねたところは、福祉保険事務所側の人間の描き方です。映画では彼らを悪にするのではなく、社会構造の矛盾として捉えたかった。」
監督の狙いは私の見たかった物語でもあり、それがきちんと伝わってきた点はよかった。
一方でカンちゃんの扱いだが、原作で男性だったカンちゃんをわざわざ女性にした理由がよく分からなかった。純粋に映画としての質の向上を狙った改変とは思えない。
幼少期のカンちゃんが中性的な雰囲気で、井之脇海の役名が「菅野」だったのは前半のミスリード用設定で、そこはちょっと惑わされた。井之脇海をわざわざこの役に配したのもそういう目的だろう。
清原伽耶は好きな役者だし、実際熱演ではあった。
けれどさすがに、スタンガンでぐったりした大きな男性を何人も拉致して階段の上に引っ張り上げたりするという設定は、華奢な女性には無理筋に見えてしまった。拉致に公用車を使うというくだりは、女性の非力を考慮して付け加えたのだろうが、犯罪者としては隙がありすぎる。企画がアミューズなので彼女を当てたのは大人の事情なのかも知れないが、少しもやもやした。
それ以外は、細かい時系列が組み直されている部分はあったが、利根とけいとの絆の描き方など、総じていい方向に作用していたように思う。
小説の映画化というと、時間の制約で内容が削られて残念なことになる場合が多いが、本作はそういう駄目な端折り方はされていない。比較的丁寧に原作の物語を追い、その一方で行政側まで含めどの立場の登場人物の視点も大切にしようとする姿勢が見えた。
原作読んだときの
73本目。
予告観て、
気になって、
原作読んだのですが、
映画観てから、
原作読めば良かったのか、、
映画は、映画で良かったです、
ただ、
原作読んだときの、
衝撃が、
大きかったのと、
映画オリジナルの
回想シーンに、
??(「え?今、ここで、それ言う?」)
と思うところがあって(T ^ T)
佐藤健さんも、
特に、清原果耶さん、
良かったです。
原作の良さを自ら放棄。中途半端に。
前半の避難所のシーン尺取り過ぎ。
3.11の凄さは他の作品以外でも十分語られているのにわざわざ原作に無いシーンをふんだんに織り込む必要があるあった?
かんちゃんの服装とラストの回収くらいしか意味見出せないんだけど…
って言うかかんちゃんの母親、津波で逝かせてしまうって!
長屋で家に帰りたがらないかんちゃんのシーンが有るからこそ3人の絆がより強くなる!って良いシーンなのに(怒)
『生活保護受給者は子供を塾にすら行かせられない!』って怒りのシーンはもっと深くても良かったと思う。
生活保護のシーンは全体的に大人しめだよね。
やっぱり御上に目をつけられたく無い?
1番のビックリ点はかんちゃんガクブル女の子設定って事!
原作もそうだっけ?(結構前だから…)
初回の殺人もアパートの一階だったはず。
女性じゃ全く動かない成人男性(約70K)を古い階段の上を2階まで引きずって上げるなんて!
まぁ健と阿部ちゃんの演技に救われた感ありありのは作品。
良い映画でした
震災がテーマの作品はドラマも含めていくつか観ましたが、どんなに悲惨なものだったのだろうと考えるといつも悲しくなってきます。生き残った人達が肩を寄せあっていく様、行政への理不尽な思い、そして行政の人も、みんなが一生懸命だったと思います。殺人はいけないし極端ですが、辛抱して辛抱して色んな事を乗り越えて来られて、同じ日本の離れた地域で悲しい思いをされた方々が、今日も幸せで一日を終えていて欲しい、投げかけられた生活保護の問題もありますが、とにかくそう願わずにおれない映画でした。
演出面では、役がそれぞれはまっていて、役者がみんな上手かったです。最も意外だったのは犯人で、透明感と同時に持ち合わせている暗さが躊躇なく存分に発揮されていて、その度胸が評価できると感じました。
うどん食べたい
まずは前列のおばさま達、静かに鑑賞してくれてありがとう!!
過去だったりその後だったり ちょこちょこ変わる。
生活保護の受給。
本当に必要としている方は中々踏み切れなかったりするのだろう。受給されていながら楽しそうに飲み歩っている女性、近くにいたなぁ‥。とか、収入が平均以上なのに保育料不正申請で免除してもらっている人いたなぁ。とか思い出してしまった。
上崎さんと城之内さんの役は逆の方が個人的には良いかなと思った。
みて良かったな
原作を読んで、楽しみにしてました。初日に観れて嬉しい。
ほぼ原作通り。映画の時間枠に収めるためには多少の設定変更は仕方ないと納得。個人的には、そこをそう変えたのかと驚く設定もあったかな。
逆に、原作では触れていなかった殺害シーンが詳しくあったり、震災部分をだいぶ取り入れた感じ。
原作読んで無い人には、是非読んでじっくり深掘りしてみて、と言いたくなるなぁ。
生活保護申請や運用の難しさ、『護られなかった人』に対して誰がどうするのがよいのか、、、
生活保護申請で、たとえ何十年も会ってなかったとしても、親族イコール頼れる人がいると判断されるのは現実なのかな。けいさんの、生活保護申請解除の理由が切なかった。。
清原果耶、朝ドラとだいぶイメージ違う役でドキドキ。でもどちらも宮城県だなぁと、ちょっと嬉しく思った。
大震災の爪痕
何を伝えないのかわかりました!
殺人事件は特に関係ないとも思えます…
犯人の気持ちは充分伝わる展開です
あまり書かないようにします
昨日観た空白とダブりますが非常に心が苦しくなる作品です
是非見てください!
まろやかに、すとんと
東日本大震災の被害復興と、生活保護、それぞれの問題をあらわにした社会的意義のある原作を、ここまでよく映像化したと、感心しきり。
映画用に改変した部分は多く、犯人のあるポイントを変えたり、議員の人間性を変えたりってあたりは、「まろやかにしたなぁ」と。
そこも映像化においてはすごくよかった点で、万人受けしやすく、ストンと腑に落ちやすくなったと思いました。
原作からの改変が活かされた稀有な例
原作は中山七里の長編推理小説で、全国 14 紙に2016〜2017 年に連載されたものである。東日本大震災をきっかけにして人生が大きく変えられてしまった人物たちが織りなす人間模様であるが、ミステリー作品というよりは社会福祉や生活保護の現状をこれでもかと叩きつけた作風になっていた。映画化にあたっては、事件の発生を大震災の4年後から9年後に変更されたのをはじめ、登場人物の設定にはかなりの改変があった。
東北人は、東日本大震災の話になると襟を正さずにはいられなくなる。人一人が亡くなることは関係者にとっては耐えがたい悲しみであるのに、それが一度に何千人も起こってしまったのである。映画冒頭の避難所の風景などはもちろん作り物であろうが、そのリアリティは素晴らしいものであった。あの時、自然の猛威に晒された時の人間の非力さ、助け合いの有難さを忘れることはできない。
人間は一人では生きて行けず、誰かと関わり合って生きていかなければならないというのが古来よりの定めである。社会保障制度がない時代には、家族を失ったり病気で動けなくなった場合に餓死するしかないというのが現実であった。しかし、現憲法では「国民は最低限の生活が保障」されているので、働かなくても生命の維持が可能になっている。一方で、この制度を悪用して楽して生きようとする不届き者も後を絶たず、各自治体の生活保護担当者はその見極めと適正な運用に心を砕いている。
働ける家族がいる場合にはその収入によって生きるべきという建前であるが、我が子と親子としての関係が確保できていない老人には、突然我が子の前に現れて生活に窮しているから助けてくれと身の上話をさせられることになる。それを生活保護申請より困難なことと考える者も少なからずいるであろう。実に見事な着眼であり、各人物の引くに引けない事情などが我がことのように察せられた。
ものの本によると、口に水も何も入れられない状態で餓死するには1〜2週間を要し、その間意識が保たれるので、餓死の苦痛は5段階中レベル4と記述されており、電車への飛び込み(レベル3)よりも苦しく、入水(レベル4)と同じくらい苦しいらしい。レベル1は縊死と高いところからの飛び降りだそうである。この犯人が選んだ殺害方法にはこうした理由があったのである。
配役は実に贅沢であり、阿部寛も佐藤健もイケメンオーラを封印して非常に陰のある役柄を見事に演じていた。倍賞美津子の人柄の優しさや暖かさなども見応えがあり、そのリアリティが物語の核となっているだけに、彼女を取り巻く者たちが持ったであろうかけがえのなさを、観客に感じさせるのに成功していた。清原伽耶の役柄は原作から変えられていたのだが、この演技を期待して変えたのであれば原作を凌駕していると思った。制服姿なども違和感は全くなく、朝ドラの主役をやりながらこれを撮っていたのかと驚嘆させられた。
音楽はこの映画の持つ切なさや、やり切れない雰囲気を良く醸し出していたが、最後に流れてくる桑田の歌は場違い感が甚だしく、見終えた後の気分に水を差された。演出は終始緊張感が途切れず、台詞に頼らずに各人物の心情を感じさせる手腕には感服させられた。満席の館内にはすすり泣きも数多く聞かれた。大変な傑作である。
(映像5+脚本5+役者5+音楽4+演出5)×4= 96 点。
ただのミステリーじゃない。深く刺さる!
事件の起きた背景が、東日本大震災やその後の生活保護受給をめぐる公共サービスにあるので、動機が深い。
震災後の傷つき疲弊しきった人々が、生活保護を提供する側と受ける側に立つ。そこに意図的な悪意はないのかもしれない。
でも、生活保護という公共システム自体の問題点もからみ、憎しみが生まれ、事件が起こる。
佐藤健、阿部寛、清原果耶、の渾身の演技は本当に素晴らしかった。
脇の俳優も、出番が少ないにもかかわらず演技派揃いで、映画全体に重厚感があった。
ラストの、利根青年の出自と水、刑事の息子と幹ちゃんを護りたかった理由が全部結びついたとき、涙腺崩壊!
映画館内、すすり泣き多数でした。
護ろうとした者たち
“魂が泣く”とは言い得て妙だ。
事件が起きた背景を知ると憤慨と哀しみで胸が締め付けられる。誰も本作の犯人を責めることはできないだろう。もっとも憎むべき相手は国なのかもしれないが…。
本作は社会福祉の在り方や不条理さを巡って描かれるミステリー。未だ大きな爪痕を残す3.11東日本大震災の背景も絡められることにより“護られなかった”との言葉がより幅広い意味合を持ち私たちに訴えかける。
大筋は原作と同じであるが(細かい部分は大きく脚色されている)、映画の方が東日本大震災との関係をより深く絡めながら時系列も細かく入れ替えている。映画の脚本も申し分ない。
かんちゃんを護ろうとした利根
飢えで意識が薄れていく中で利根とかんちゃんを護ろうとしたケイさん
家族を護ろうとしたが護れなかった笘篠ーー。
『護られなかった』とはケイ達のように生活保護を受けられずに命を失った人、東日本大震災によって命を失った者、それにより愛する人を失った者たちのことで、私たち皆が大切な“何か”を護ろうと生きている。
本作を観て涙を流す人は多いだろう。だけどただ泣いて終わりではない。護られようとすべきものが護られず、護に値しない者を護る(不正受給など)今の法律と歪んだ社会が変わらないといけない。そのためには私たち一人一人が声をあげる必要がある。
そして、終身雇用制度が崩壊し、幸せな未来が約束されない不安定な現代の日本を生きる私たちはまさに「一寸先は闇」で、よほどの資産家か富裕層の家庭出身でない限り、誰しも貧困の沼に引きずり込まれる可能性があり、本作に描かれている事は決して他人事ではないのだ。もし自分自身が、または愛する人や身近な人が貧困の沼に陥った時に、私たちはどうすればいいのか、ラストのカンチャンのSNSへの投稿が印象的だ。
以下原作から。
「声の大きいもの、強面のするものが生活保護費を掠め取り、昔堅気で遠慮や自立が美徳だと教え込まれたものが今日の食費にも事欠いている。護られなかった人たちへ。どうか声をあげてください。恥を忍んでおらず、肉身に、近隣に、可能な環境であればネットに向かって辛さを吐き出してください。この世は思うよりも広く、あなたのことを気にかけてくれる人が必ず存在します」
それにしても、ちょっとした役にも主役級のキャスト達が顔を揃えていて、豪華すぎる。かんちゃんに清原果耶を差し出すあたりも心憎い。
もう一度観るには重すぎるけど、より多くの人に観てもらいたい作品だ。
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