空白のレビュー・感想・評価
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複雑な機微を、複雑なままに
娘を交通事故で亡くした父親がモンスタークレーマーと化すくだりはインパクトがあるが、その恐ろしさを描くための作品ではない。
怖い怖いクレーマーのホラーのような話かと思いびくびくしながら観始めて、実際前半は色々恐ろしかった。娘の交通事故シーンのリアルさにおののいたし、古田新太の何をしでかすか分からない雰囲気にすっかり呑まれた。
しかし、中盤以降はそんな恐怖がはるか遠景に見えてしまうような人間描写が展開される。
娘を亡くした父親の添田、万引きをした娘を追ったスーパーの店長青柳、店員の草加部の3人の、多面的な描かれ方が印象的だ。
添田の偏屈さと、時間の経過とともに変容する心。
青柳の卑屈さと不器用な立ち回り。気持ちが追い詰められるにつれ、言動が不安定になる様がリアルだ。
草加部の絶妙な薄っぺらさ。ボランティアをやったり理不尽なことに怒って見せたりしているが、相手の立場で考えることが出来ない狭量さが節々に表れる。
それぞれの描写の匙加減が善人または悪人一辺倒にならず、こんな人いるよねと思わせる生々しさがある。だから、主要な登場人物が全面的には共感できない人間達で展開も息苦しいのに、引き付けられる。
添田の傍若無人な足掻きが、我が子についての無知に気付き自分の中の空白を埋めるための彷徨だったということが、後半で徐々に分かる。作品全体の印象がちょっと変わる。
エキセントリックな添田の迫力が際立つが、物語の中で一番恐ろしいのは添田や青柳に加害をする野次馬とマスコミだろう。
添田もかなり理不尽で不愉快だが、当事者であるという大義名分が一応ある。マスコミの行き過ぎたゴシップや切り取り報道、姿を見せない野次馬たちの卑怯な犯罪は、何の正当性もない。
本来事故とは無関係な彼らがあそこまでやるのは、視聴率や自分の日常の鬱憤の捌け口のため、それだけが理由だ。彼らは飽きたら自分たちの所業を都合よく忘れ、一生消えない傷を負った当事者だけが残される。
終盤にはちょっといい話っぽい雰囲気が醸し出されるが、添田の行動が引き起こした事の顛末は個人的には許せず、また添田のような人間が実在したら前半の地獄が続くだけだろうとも思いもやもやとした。とはいえ物語としては適切な落とし所だったので複雑な気持ちになった。
この、見た側が思いを引きずるような複雑な後味こそ監督の狙いだろう。不快指数は高いが、メインキャスト3人の演技や人物描写の説得力は一見の価値がある。
いい人間と悪い人間の境目がはっきりしていて、よかれと思ってやったことが必ず報われるなんて、現実はそんなに単純なわけがないのだ。
入れ替わる被害者と加害者
ある女子中学生の交通事故死の本当の加害者は誰なのかを問う作品だ。
万引きをした女子中学生を、万引きされたスーパーの店長が追いかけた。女子は逃げる時に道路を飛び出し車に轢かれて死んだ。万引きの被害者は店側だが、事故に視点を変えると店側は加害者に見える。女子は学校でいじめられていた。学校側はそれを隠そうとする。では、真の加害者は学校だろうか。女子の父親は、娘につらく当たる駄目な父親だった。しかも、自分の駄目さを自覚できていない。では、彼は加害者なのだろうか。しかし、最愛の娘を失ったという点では、被害者ともいえる。
事故を起こした女性運転手が父親に謝罪に来る。自責の念から彼女は自殺する。この自殺の加害者と被害者は誰だろうか。スーパーの店長はワイドショーで女子中学生の死の責任を問われ、スーパーには人が寄り付かなくなり、スーパーを閉店させることになった。ここの件については、彼は被害者となる。こんな風に、被害者と加害者が入れ替わり続ける。
理不尽な死の責任が本当に誰にあるのか、それはわからない。誰かを悪く言えば、だれかを加害者に仕立て上げれば解決できるほどにこの世界は単純にできていない。その複雑を真正面から見据える勇敢な作品だ。
脇役を侮るなかれ!細部に神経が行き届いた1級の作品
スーパーで化粧品を万引きしたことを疑われ、発作的にその場から逃走した女子中学生が交通事故死。彼女を追い詰めた店長の責任を追求する父親は、さらに、娘が通っていた学校側の型通りの対応を批判。一方、メディアは店長を殺人者のように追い回し、客足が遠のいたスーパーは閉店に追い込まれる。偽善と悪意が渦巻くうんざりするような世の中で、父親は、1人、猛獣のように吠え続ける。しかし、彼は娘が生前発信していた"かすなSOS"を聞き逃していた。
吉田恵輔監督は日々のニュースで見聞きしてきたような、そう珍しくもない事柄をヒントにオリジナル脚本を完成させた。細部にまで神経が行き届いた本作の魅力は、怒りながらもやがて自分と向き合わざるを得なくなる父親を演じる古田新太を筆頭に、メインキャストは勿論、いかにも無責任そうな学校長や、地味だが人が良さそうなスーパーの男性店員、等々、脇役が絶妙な点が挙げられる。「確かにこういう人いる」と思わせる、実は定型に陥らない素朴でリアルな脇役たちの演技によって初めて、物語はリアリティを持ち得たのだと思う。
脇役を侮るなかれ!
そういう意味で、これは限られた予算内でディテールに時間をかけた1級の作品。そんな細かな積み重ねの上に、感動的なラストが訪れる。
吉田恵輔監督がまた傑作を撮った
吉田恵輔監督の作品はほぼ全て観ているが、どれもこれも何を伝えたいのか、何を訴えたいのかが明確に伝わり、ガッカリさせられた記憶というものが殆どない。
そんな中で、スターサンズの河村光庸氏と2度目のタッグを組み、世に放とうとしているのが今作。メインビジュアルで古田新太の姿を見た方々は、娘を失った父親がどんどんモンスター化していく様を思い浮かべるかもしれないが、それだと既視感のあるものになってしまう。
吉田監督はそんな安直な人ではない。古田の魅力を最大限に引き出すための“生贄”として、いまの日本映画界にとって欠かすことのできない松坂桃李を差し出すというキャスティングの妙にうならされる。
それぞれの価値観を認識させられる作品
ずっと気になっていたのですが見る機会を逃していました。そこでNetflixにある事がわかり今日鑑賞しました!
凄い!これはあらゆる登場人物の気持ちをそれぞれ汲み取って構成されている素敵な作品だと思いました。
全体的には暗い話なのですが最後まで飽きる事なく観ることが出来ました。
言えることはみんな前を向いて生きていかなければ行けないと言うことです。正しい事をしても誤った風に捉えられる。100人が100人同じ気持ちには決してならないと言うことが言いたいのかもしれないと感じました。
第三者は情報の波に泳がされて意見していると言う事です。
TVがこう言ってるからそうなんだ。あいつはイカれてる。気狂いだ。あんな店にはもう行けない。
全部メディアに泳がされている。
最後のお父さんの描いた絵と娘の絵が同じ物を描いてたシーン感動でしたね。全てが輪になった気がしました。
道を少しずつ取り戻していくあの背景が素晴らしかったです。スーパー閉店は悲しいけど弁当が美味しかったと伝えてくれる人もいた。
何が言いたいかというと100人が100人同じ気持ちにならないとは裏腹にその中でも味方はいて光をもたらしてくれる方がこの世にはいるんだなと感動した作品でした。皆さんも是非見てください!
美しすぎる土下座NO1
子供を失った後を描いていてミッシングと似てた
それぞれがもう取り返しのつかない事実に対してどう折り合いをつけていくかという話
そんで折り合いはつけらんねえからちょっと時間くれっていうセリフは切実だった
ただ起きてしまったことの気持ちの整理を自分の中で完結させて処理しないと負の連鎖が繋がって次の犠牲者が出てしまう
人生難し!!!!
そんでやっぱりスーパーのおばちゃんが強烈だった
優しさがお節介に変わる一部始終を見て本当にイライラしてしまった
ドサクサに紛れてキスしようとした時は「ついに本性表しやがったな!妖怪お節介!」
優しさってなんだろうってこの映画を見ていると思う
あのおばちゃんも母親だとしたら鬱陶しくも受け入れられるもんだけど、パートって立場が違うだけで同じことをしていても気味悪さが出てしまう
そして善行は善行だと信じて疑わない
疑わないというよりは疑う余地を作りたくない。自分が役に立っていると疑いたくないが故の正義感だった
それでもあのおばちゃんに助けられた人もきっといたわけで
うーん。
とりあえず優しさって自分中心に考えちゃダメですね
それと松坂桃李の邦画史上一番綺麗な土下座が見られるぞ!
相当家で練習したんだろうな!
あんなに無駄のない洗練された土下座なかなか見られないぞ!役者さんすげえ!
美しすぎて新体操の技の一つかと思った
考えさせられる作品
人間の心の揺らぎがふんだんに盛り込まれており、映像は決して派手ではないが、見応えのある作品だった。
内容はネタバレになるので控えさせていただきますが、いろいろと考えさせられました。現実世界でも同じようなことが起こってもおかしくないし、既に似たようなケースはあるのかもしれません。自分の思い込み、人とのコミュニケーションのとり方、考え方の強制、そんなことを考えながら観てました。
あと配役が素晴らしかったです。特に古田さん、松坂さん、寺島さん。すごく役に説得力がありました。
脚本に難アリ💦
1番共感しやすいのは被害者のスーパー店長だが、対立相手の万引き女子高生の親父側もしっかりフォローして描いてるので描写の焦点がブレて気持ちが入っていけない。
例えるなら、この事件後について相反する立場の2人から同時に聞かされてるようなもの。
しかも、スーパー店長のキャラもひ弱で、必要以上にこの件に責任を感じ過ぎていてストーリーを引っ張っていけてないし、共感できない。
この場合、もっと論理的思考の芯の強いキャラ(パートのおばさんは強すぎw)にして娘を亡くした父親とバチバチの対立ドラマにしないとテーマも立たず、盛り上がってもいかない。
親父が娘の事を何も分かってないということを、別れた妻から言われるのではなく、スーパー店長との対立の過程で彼に言われたほうが、よっぽど効く気がする。
この映画から感じる監督の脚本能力は低く、パートおばさん達や事故関係者、マスコミ報道などの無関係なエピソードも絡めてくるので更に入り込めない。
本作のように1つのストーリーに2つ(以上)のテーマを混在し語る手法は邦画では数多く見受けられるが、どれも浅く面白くない。理由は簡単でテーマを盛り込む量が多いほど、1つのテーマを掘り下げる尺がなくなるからと、観客が共感しにくいから。
☆☆☆☆ 〝 西洋的決闘主義と、日本人特有の日和見主義との対立 〟...
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〝 西洋的決闘主義と、日本人特有の日和見主義との対立 〟
その昔にこんな出来事があった。
日本の企業の電子レンジを購入した人が、ある日その電子レンジで濡れたペットの猫を乾かすとゆう信じられない事をしたのだ!
結果は言わずとも解る。
しかし、その人はその後、我々日本人には思いもつかない行為に出る。
何と!その電子レンジを発売した日本の企業を相手に訴訟を起こしたのだ!
その理由が、、、
電子レンジの取説には《猫を入れて温めてはいけない》とゆう文言が無いから…との理由だった。
全くもって有り得ない訴訟なのだけど。あろうことか、この裁判で日本の企業は負けてしまう。
しかも、訴訟を起こした相手には数十億円とゆう大金を得てしまった。
当時のニュース番組での報道を「信じられない!」と思いながら見ていた人は多いと思う。
この作品の中で対立する古田新太と松坂桃李との関係は表裏一体であり、(かなりの極論かも知れないとは思いつつ)ある意味では西洋と東洋(特に日本的な)考え方のぶつかり合いなのかも…と思いながら、スクリーンを眺めていた。
この作品には色々な人物が登場しているのですが。それぞれの性格には、色々な【悪】とも言いきれない(おそらくは)持って生まれた性格ゆえの小さな利己主義が内包していた…と言えるでしょうか。
●自分の考えこそは絶対であり、他人の意見等には一切の耳を貸さない者。
●取り敢えず面倒な事象があれば謝っておけばいいだろう…と考える、日本人特有の日和見主義者。
●ある程度の事実・又はそれに近いのかも?と思いながらも、確かめようともせずに事実から逃げ隠れする者。
●正義感が強すぎる為に、ついつい回りを巻き込んでしまい他人の気持ちを踏みにじってしまう者。
多少の思い違いがあるかもしれないのですが。作品を観終わっての単細胞男の発想だと思って頂けたら…と思いながら、もう少しだけ作品を観た感想を💧
先程指摘させて貰ったそれらの人達は、少しばかり度を過ぎてしまったとしても、なかなかそれには気がつかない。
ところが作品中には、もっと【度が過ぎる輩】が登場し、〝 正義とゆう盾を振りかざし 〟登場人物達の真綿をジワジワと締めて来るのだから本当にタチが悪い。
テレビ等のマスメディアやネット民達には、《面白ければ何でもOK》であり。全ては自分達がどれだけの期間、楽しめるのか…だけにしか興味がない。
対象者がそれに対して激しく反応を見せたりしたら、それだけでもう白飯が3杯でも4杯でも食べられるくらいに満足感が増す。
〝 楽しければ全て良し! 、のネット民からすると、《人の不幸は蜜の味》とばかりに、不幸が増せば増すほど別腹なのだ!
いつしか、そんな姿を現さない悪の空気に耐えられなくなって行く関係者達。
そして、少しずつ疲弊し。遂に悲劇の連鎖は雪崩の様に関係者達の心を押し潰してしまう。
登場人物達が表裏一体・合わせ鏡の関係にあるのは指摘されてもらいました。
主に娘を亡くしてしまった事で、そのきっかけを作ってしまった2人の関係性。
古田新太と松坂桃李は、作品を支える核となる2人だけに当然の如く表裏一体の関係と言って良いと思います。
娘の無実、、、と言うよりも、己れの信念と性格ゆえに一切の妥協はせず、他人の意見等は聞く気は毛頭ない男と。自分は間違ってはいないのだけど、その性格と立場から直ぐに妥協する道を選んでしまう弱い男。
悲しい最期を迎えてしまう娘と、その瞬間に偶然にも居合わせてしまった或る人物の2人。
人とのコミュニケーションを取るのが苦手な性格ゆえ、ついつい逃げてしまった事が悲劇を生んでしまった。
一方で、コミュニケーションを何度も取ろうとするも。現実の大きさに押し潰されてしまい、現実逃避へと走ってしまう。
ダブル主演の古田新太と松坂桃李が作品を支えている…と一見すると見えるのですが。実はこの2人よりも、ひょっとすると最重要なのでは?と思える登場人物が2人いる。
それが寺島しのぶと片岡礼子の2人。
寺島しのぶは見ていれば解る通りに、松坂桃李側で奮闘するのですが。奮闘すればするほどに、松坂桃李の心と身体を精神的に破壊して行く。
彼女も古田新太と同様に、自分の信念にブレがない性格。
同じボランティアの人物に「やる気はあるの!?
」と叫ぶ姿は、学校の先生役の趣里が、亡くなった古田新太の娘に対して感じていた「無気力に見える」…と語った思いと、熱量には差があるものの、この2人もまた合わせ鏡の様に思える。
その意味では、身体的に松坂桃李を破壊して行く《怪物》が古田新太ならば。精神的に破壊して行く《怪物》は寺島しのぶでもあり、共に、「絶対に自分の考えは正しい!」との信念に溢れる古田・寺島の2人も或る意味では表裏一体で合わせ鏡の関係性にあるのでは?と言える。
もう1人の重要な人物が片岡礼子。
彼女は作品中では特に目立たない。
或る人物の横でそっと寄り添っているだけで台詞も多くない。
彼女のところにも悲劇は忍び寄りその心を砕きに来る。
しかしながら彼女の心は折れる事はなく気丈に振る舞った。
「もう許してあげて下さい!」
彼女は気力を振り絞り古田新太に哀願する。
その言葉の一言一言は、古田新太にとっては2度目の言葉だった。
全く同じ言葉をその前に松坂桃李の口から聞いていたが、古田はその言葉を単なる口から出まかせ的な意味でしか聞いていなかったのだった。
それだけに、、、
古田は、今この時。その立場が逆転してしまったのだとゆう現実をその言葉で理解し。自分は今や松坂桃李と同じなのだと悟り無言となる。
この悲劇の連鎖のきっかけとなったのは一体何だったのか?
作品中では趣里演じる学校の先生の証言が何度か挿入される。
先生と生徒の関係で接した限りでは、死んでしまった彼女は正直言ってよく分からない生徒だった。
彼女には真相は分からない。始めの内は理解しようとも感じていない風に見える。
どうしても憶測での発言しか出来ずに古田新太の怒りを増幅させる。
「証拠を出すよ!証拠を!」
何度も何度も古田新太は叫ぶ。
古田にとって確かな証拠こそが唯一の信じられるモノ。
やがてその言葉に呼応されたのか趣里は「ひょっとしたら…」と、サインが出ていたのかもしれないと思い始めて来る。
しかし学校側は、真相を確かめようとはしない。
やるだけの事はやったとの考えなのか?それとも、、、【身の保身】に走ったのか。
●他人を追い詰めて行く行動の【悪】
●真実の追求を辞めてしまう【悪】
●都合の良い方向に嘘をでっち上げる【悪】
●ただ面白ければ良いと考え、罪の意識の欠片も持たない【悪】
吉田恵輔監督は、そんな問い掛けを観客に提示させ、様々な思いを感じさせながら。最後の最後に思いもよらない冷や水を、観客の頭を目掛けて浴びせて来る。
「証拠を出せ!」と何度も叫んだ古田新太。
彼は知ってしまったのだ、娘の真実を。
古田新太は、悪魔の前に跪き悪魔と契約を結んでしまったのだ!
それこそが、この作品中に提示される【悪】の中では最大の【悪】の行為。
今、古田新太は。【身の保身に走る悪人】や、【自分が楽しければ良い】と考える輩よりもタチが悪い人間に成り下がってしまったのだ!
〝 真実を隠蔽してしまう最悪の【悪】の人間へと 、
2021年 9月24日 TOHOシネマズ錦糸町オリナス/スクリーン8
タイトルが空白。濃い内容の映画なのに、中身が無さそうな軽い言葉を使...
タイトルが空白。濃い内容の映画なのに、中身が無さそうな軽い言葉を使っている。
外から見るのと違うことがある。
店員の接客態度と心の中。
教員の表と裏。
真逆のことを発表したり、表だけ綺麗にすることは簡単に出来てしまうし、悪い事とされていない。
見た目が良ければ大丈夫…
表面的に良ければ大丈夫…
心の中までは裁かれない。咎められない。それで良いのだろうか。
演技したり役をこなしたり、与えられた役割を果たして「空白」を埋めている人生。規則やルールに従い秩序正しく平和に暮らす。
避けられない不慮の事故がある。
交通事故で人が亡くなる理由は、車が人より強いから、硬いものを移動させているから、つまり物理的な原因で死んでしまう。
一方、原因をソフト面で考えてみる。
追いかけたから。
逃げたから。
捕まりたくなかったから。
知られたくなかったから。
まわりを見る余裕がなかったから。
予測出来なかったから。
世の中が悪いから。
教育が悪いから。
家庭が悪いから。
顔が悪いから。
頭が悪いから。
そこにいたから。
そこを通ったから。
そこで育ったから。
生きていたから。
産まれたから。
車を造ったから。
道路を造ったから。
国を造ったから。
世界を造ったから。
…などなど、きりがない。事故との関連が有るような無いような、突き詰めればこの世界が始まったから全てのことが有るのだ。全ての原因は、世界の始まりのせいなのか。わけわからなくなる。
狂った世界を上手に映画にしてくれた。
狂ったようなレビューが似合うと思う。
本作を視聴中は内容に没頭しすぎてカメラワークを見てなかった。見ているようで見ていなかった。目を開いていたのに。
被写体に意識を集中することができる映画。
(※最後まで読んでくれてありがとうございます。)
「痛み」と「苦しみ」に溢れた作品
観ていて徹頭徹尾「痛い」のですよ。ここまで痛みを感じる映画ってそうそうないなあ、というのが観ながらの率直な感想。
その「痛い」というのも
・物理的な痛さ
・人格的な痛さ
・人間関係の痛さ
・社会生活の歪みがもたらす痛さ
・痛い奴
それらの痛みが苦しみを産み出しさらに痛んでいく。というネガティブな連鎖が続きました。
物語は単純です。ミステリーではないので何の捻りもありません。終盤では、「ま、そうだろうな」で終わります。平凡でした。でも、平凡って悪くないなって感じましたし、平凡って大切かもしれないとも思います。平凡は日常と置き換えてくれても構いません。平凡、日常こそ心を込めて他人を思いやることが大切なものになっていく、それに気付いた時には遅く、取り返しはつかない。取り返しがつかないからこそ無くなった時に気付く。そんなことを丹念に表現していたと思います。
なお、主演陣は素晴らしいです。古田新太の無頼っぷり、寺島しのぶのどこかには必ずいそうなお節介加減、藤原季節のチャラいんだけど芯の詰まったキャラ、そして、松坂桃李の演じる万引された?未遂?の店長が秀逸。いい役者だよなあ。古田や寺島を向こうに回しての存在感はすごかった。一方、それ以外、特にモブキャラの演技は学芸会レベルで正直白けました。特にマスコミサイドはステレオタイプの演出で正直、観ていて辛かったです。
評価が高いのも納得の映画作品でした。
キツかったけど見て良かったけどキツかった
地獄みたいな映画なんだろうなと思って見たけど想像以上にキツくて、逃げ出したくなりながらもう許して……許して……って言いながら見てた。
みんな小さな過失があって、でもこんな仕打ちを受けるほどの過失じゃないから納得できなくて、どこかに釣り合う過失があるのではと探しては自分を棚に上げて人を責めたり、自分を必要以上に責めてしまったり、理不尽を受け入れるのは難しい。
寺島しのぶさんの役がキツくて良かった。松坂桃李さん、最初から生気のない若者って感じだったけどそこからさらに生気がなくなって最後は完全にヤバいな…って思える演技、弁当屋の電話やその後のあれもすごい良かった。引き込まれました。
うん、わかるんだけど。いい話とは思えなかったなー。 やっぱり父ちゃ...
うん、わかるんだけど。いい話とは思えなかったなー。
やっぱり父ちゃんが悪いよね。必死で逃げたのも、父親を恐れたからだもの。
母ちゃんも、悪いとまでは言わないけど、あんな父親のもとに残すしかない状況を作るなよ。
事故がなかったらどーなってたことやら。
誰にでも起こり得る話
まず事故のシーンが生々し過ぎてホラー大好きでそういうのなんとも無い方ですがアレには思わず声でてしまいました。
あとここまで重苦しい展開って稀だと思うんだけど自分は好みの作品でこの監督は信用できるって思いました。
あと主役が謝るだけってもの良かったし善意のつもりでグイグイ来るめんどくさい人とかこういう人いるよねーってキャラが居て良かったし映画用の豪華なセットって感じじゃなくて普通の家だったり部屋だったり逆にリアルで良かったです。
加害者の1人が自殺してその母親の言葉からの物語の展開がめちゃくちゃ良かったなあ!
悲嘆の物語
悲嘆の物語。古田新太氏の演技が壮絶すぎてただただ圧倒される。鬼の形相から、物語の終盤は僅かに表情が緩む展開が素晴らしい。この古田新太氏が演じる父親だけでなく女子学生の死を巡る様々な立場から描かれた悲嘆の物語だなぁと感じた。
面白いけどイラつきがすごい。
古田新太大好きなはずなのに、映画中はすごい嫌いになった気分笑
おせっかいババアは鬱陶しいしモラハラ父はもっとウザい
死んでから「理解者ヅラしちゃダメでしょ」って先生の言葉聞かせてあげたい。
被害者と加害者が入れ替わり立ち替わりですごく心が苦しかった。
空白の意味
人は空白になるまで一度全てのものを吐き出さねばならない。
空っぽになるにも時間がかかる。そして空っぽ(空白)になって初めて自分の弱さや苦しさや虚しさが理解できる。
そして時間をかけながらその空白を埋めていく。
そこに少しずつ人の優しさや失ったものから味わう温かさで埋めていきながら生きていく。
何度も何度も心が締め付けらる映画でした。
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