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今日(3/10)も、「富岡町 避難指示を一部解除」(NHK)というニュースが出ている。
政府と公共放送が結託して流す「大本営発表」によると、着実に復興が進みつつあるようだ。
しかし、この映画で映される現実は、“絶望感”に満ちている。
公式ホームページに、「100年後、200年後には子孫がこの地に戻るかも知れない。その日のために今日も畑に蕎麦の種を撒く」とある。
自分は、「10年後、20年後」と勝手に読み違いして、前向きな展望に向けて努力する人の物語だと思っていた。
ところが、映画を観て「変だ」と思って、よく見直すと「100年後」だった。雲をつかむような話だ。
長谷川さんは、2016年にチェルノブイリの自主帰還者(サマショール)を視察し、「飯舘村の25年後」の姿を実感して、「行政がいくらテコ入れしたって、元には戻らない」と絶望する。
しかし、チェルノブイリの現状を目の当たりにして悩んだものの、「あと何十年も生きられるわけじゃないんだから、だったら静かに故郷で余生を」過ごすためにと、帰農を選択する。
たとえ、妻と離ればなれになったとしても。
若い人が、飯舘村の農村に戻ってくるなんて、あり得ないと考えているのだ。放射線が残っているのに、子供がいる世帯が戻れるはずがない。
いったん自分たちの世代で断絶するとすれば、「100年後」のために「蕎麦の種を撒く」というのは、実はナンセンスで、とりあえず放っておけないからやっているのが現状。
しかも、作付けが蕎麦なのは、必ずしもそうしたいからではなく、人手をかけずに“機械作業”でできるためだ。
しかし、“表層5センチ”という、土壌としては一番良い部分を、“除染”ではぎ取られてしまっている。
帰村を選択する人は少なく、戻ってくるのは土地に愛着のあるお年寄りだ。戻らない人は、家を取り壊すことも多い。
佐藤さんは言う、「自分の土地くらいは管理できる」が、それ以上は無理だと。
だから例えば、長い距離にわたって上から下へと流れていく、用水路の手入れが困難になる。
そもそも人が少なくなると、たとえ放射線がなくても、“限界集落”になってしまう。病院は隣町に行くことになる。
この周辺地域に新しく来る人は、東電関係者と、東電関係者相手に仕事をする人が多いらしい。“転入者数”という数字に騙されてはいけない。
また、地元の人が「避難指示解除」で“戻って”も、“元の自宅に住む”とは限らない。利便性の高い中心部で暮らす“二重生活”かもしれないのだ。
本気で地元の人に帰って欲しいなら、予算を付けるところが違う。長谷川さんは、スポーツ公園など作って何になるのかと怒る。
オリンピックも含めて、「復興」イコール「よその人のための利権」であって、原発被害者のためではない。
この作品は、実のところ、かなり見づらい。
時系列も、地理関係もよく分からないまま、4人のメインキャストが入れ替わり立ち替わり登場する。
なぜドキュメンタリーには、こういうダラダラとしたインタビュー映像で構成されたものが多いのだろうか?
取材対象にじっくりと語ってもらうのは、もちろん良い。本作品も、対象に肉薄している部分では優れている。
しかし折に触れて、グラフや地図といった客観的データを示しつつ、少し引いた視点から全体像を語ることがあっても良いと思う。