椿の庭のレビュー・感想・評価
全43件中、21~40件目を表示
静謐なモノクロ写真集の、よう
この映画の設定は、古い家に住む老婆と、近々に事故で母を亡くしたアメリカ生まれらしい孫娘とが住んでいる。なので孫娘は日本語がたどたどしいし、少し二人の関係性は距離があると言うことだ。
その事を事前に知らなかった私は、とても不自由だった。
何しろ極端に台詞がない。あるのは、庭の樹々の移ろい、折々の花の色、咲き終わった花殻、小鳥のさえずり、虹、遠くに見える海、雲、空、雨、時計の音、そしてレコードの音楽だ。
かなり広い庭には、大きな藤棚がある。結構うっそうとした木々、こんなに広い庭を有しているのだから、かなりの邸宅らしいが、その全貌、和洋折衷らしい屋敷は、見せてくれない。冒頭からそうなのだ。見たい画像を見せてくれず、ビックリするほどの大写しのおばあさんの顔、手、孫の顔。
せっかく着物を着ているのだからカメラをもう少し引いて、仕草ある姿を見たかった。
そして自然光のカメラは、画面が暗い為、時のうつろいを表すけれど、本当に見たいモノ、私の場合は、面白そうな部屋の間取り、彫り模様のあるテーブル、いす、着物の柄、帯、写真の裏書きをハッキリ見られなかった事がとても不自由だった。
中盤、おばあさんは、居心地良さげな椅子でこときれる。それを見つけた孫の渚は、その時が来ることが分かっていたかのように、ゆっくりと、でもおばあさんとの束の間の時間を愛おしむように、おばあさんの手を重ねて慈しむシーンがとても印象的だった。
二人が共に過ごした時間は、短かったかもしれないが、確かに、祖母の静かな生き死にを記憶してたようだった。形あるものはいつか朽ちてなくなってしまうが、自分の記憶ある限り、その時聞いた曲と共に、いつでも思い出せるのだと思った。
渚役のシム・ウンギョンは、秘めた演技が巧みで、暗い日本家屋の中で彼女の白い肌は映えて魅力的だった。
富司純子の着物姿
長年連れ添った夫を亡くしたおばあちゃん(富司純子)が、夫との思い出が詰まった海の見える庭付き一軒家で孫娘(シム・ウンギョン)と暮らしていた。
しかし、相続税の支払いのため、その家を処分しないといけなくなったという話。
台詞が少なく、庭の池にいる金魚、四季折々庭に咲く花を観賞し、草取りや落ち葉掃きなどの庭の手入れの様子、海、空などの風景を観る作品か?
終盤、庭や家の良さをわかってくれる人に買ってもらって良かった、なんて話してたのに、家はすぐ壊すのってなんだったんだ?
孫娘に韓国人女優を使う意味も途中で出てくる謎の台湾人俳優の必要性もわからなかった。
風景の写真展を観るのが好きな人には合うかもしれないが、ストーリーを楽しみたい人にはつまらなくて長いと感じる。
富司純子が出てくるたびに違う着物で、もしかしたらばあちゃんの着物ファッションショーを観る作品かなとも思った。
ますます綺麗になった沈恩敬(シム・ウンギョン)
2021年映画館鑑賞42作品目
5月10日(月)フォーラム仙台にて鑑賞
平日の日中のわりに観客はわりと多かった
静かな映画
美しい映画
日本に生まれてきて良かった
写真家の初監督初脚本作品だけあってまるで写真集のようなアート作品
一つ一つが画像がグッとくる
独特のカメラ割り
心地良くて眠くなるかもしれない
観る前は15分くらいの仮眠をしておいた方が良いだろう
自分は雷で完全に頭がスッキリした
シム・ウンギョンは漢字だと『沈恩敬』と書くことを初めて知る
シム・ウンギョンが出る上に富司純子や鈴木京香も出るというなら映画館で観ないわけにはいかない
『閑けさや岩に滲み入る蝉の声』のような世界観
そして残暑和らぎ本格的な秋になると蝉の声は聞こえなくなり庭は落ち葉掃除が必要になり漣の音がより強く聞こえる
海が見渡せる古い日本家屋
椿咲く日本庭園
富司純子演じる未亡人の老婆
韓国人と駆け落ちした長女の娘を沈恩敬
今では老婆と孫は古民家に2人暮らし
離れて暮らす次女を鈴木京香
家や庭や海も出演者だと個人的に感じた
住み慣れた家を売ることになるのだが新しい持ち主は重機で家を解体してしまう
悲しすぎる
この映画は刺激が少ない
コメディーでもないしサスペンスでもない
ラブストーリーでもないしアクションもない
エロもないしグロもない
漫画原作じゃないし政治的メッセージもない
凡人には退屈かもしれない
そのためかレビューが少ない
オタクとか政治厨のような連中は書き込みに来ないから平和で良い
こういう映画も嫌いじゃない
不思議と長くは感じなかった
あと沈恩敬はずいぶん日本語が上手くなった
なんだかそれだけで微笑ましくますます好きになった
ベトナム人労働者もこのくらい喋ることができると自分はストレスを感じることなく全てにおいて楽になるのだが
非常に映画的
あまり期待していなかったのだけれど、見たらかなり手管の映像。上田さんの写真についてはほとんど知らずにみたけれど、さすがに写真家のショットは巧い。この映画の主役とも言える、逗子の古くて広い庭のある邸宅が本当に素晴らしい。ストーリーに大きな起伏があるわけでもないのだけれど、ベテラン女優の富司純子さんや、韓国の演技派女優シム・ウンギョンさんなどの静かな演技が素晴らしい。演出もねらい過ぎず、かと言って流されず、素晴らしい日本家屋の空気感を伝えようとする意識が感じられる。しかも台湾の張震まで出てくるなんて、本当素晴らしい。張震は台湾映画の大傑作「牯嶺街少年殺人事件」でデビューしたわけだが、彼が演じた中学生小四は、外省人として日本人がかつて住んでいた古い家屋に住んでいたわけで、その家屋のつながりは偶然ではないだろう。物足りなく思う人も少なくないかもしれないが、こういう映像の流れのある映画は本当に素晴らしいし、まさに映画的だと思う。映画監督として素晴らしいデビューを飾った上田義彦さんに拍手。
“#丁寧な暮らし”の本質
海、山、空、雨、風、花、木々、生き物
四季を通しての表情が映し出される。
普段気にも留めなかった空の美しさや花の名前、雨音…作品の中でまるで時が止まったかのような感覚を覚える。
日本の伝統的な家屋にクラシカルな家具、レコード、引戸、陶器の洗面台、庭、椿、金魚、着物、急須など随所に“日本の美”が散りばめまれている。なんといっても着物姿の富司純子の凛とした佇まい。鈴木京香の見目麗しい姿に瑞々しいシム・ウンギョン。3人の女性、それぞれの年齢に合った美しさを放っている。
“日本の美”を惜しみなく描いた作品ではないでしょうか。是非外国人の感想を聞いてみたい。
スマホとは無縁の世界、お気に入りの物、思い出のもの、上質な物に囲まれての暮らしは憧れる。
“#丁寧な暮らし”を発信するインスタグラマー達はどう感じるだろうか。
一度でいいから住んでみたいな、水平線の見える家に。
少し時間が長く感じたのでその部分をマイナスにしています。
こういう映画好きな人いるよね
何を伝えたいのか全くわたしにはわかりませんでした、、、
とにかく長く感じたけど実際長かった。
このような映画が好きな方もいるとは思いますが、私にはイマイチ。終始暗い感じで、5回くらい寝落ちしました。
#34 記憶が追憶になるまで
韓国語で言うと記憶が思い出になるまでを描いた映画。
やたらセリフが少ないのは、観る人の思い出を引き出すためなのか?
シム・ウンギョンちゃんが孫役で出るのは無理矢理納得出来ても、税理士役が張震なのは無駄遣い感満載。
でもただのおっさん役やるの見たことないからそれはそれで貴重かも。
シム・ウンギョンちゃんはこれまでも日本の映画やドラマに出てたから日本語が出来るか心配してなかったけど、張震はセリフを喋るのかドキドキ💓
意外と長台詞もなんなくこなしてて、さすがベテラン実力派俳優は違うと感心。
あと沈恩敬って漢字名だと初めて知った。
全体的に静かで眠くなる映画なので、このくらいの刺激が必要なのかも。
俳句や絵画のような世界観
シム・ウンギョン見たさに観に行ったら、思いの外、良い映画で、後半は思わず何度か感涙に襲われました。
台詞が極端に少なく、観る側が「こういうことなのかな」と想像力を働かせながら観る映画。また自然や季節の移ろい、流れる音楽、演者の表情などから伝わるものも多い。日本映画の良さって、こういう所にあるよなあと思いました。
シム・ウンギョンが出てなかったら、私はこの映画を観に行かなかったと思う。シム・ウンギョンに感謝!
「牯嶺街少年殺人事件」で主演してた少年、張震(今は立派な大人ですが)も、重要な役どころで出演しています。これも私にとっては、拾い物的な驚きでした。
観念的な映画だが地方の一軒家の移ろいは感じる
観念的な映画というか、映画はテーマがあるから映画なんだろうけれど、観念から入った映画という感じがした。諸行無常、かたちあるものは流転し移り変わりゆく。宿命のようなものでそれを淡々と映し込んでいる。写真家の監督らしい、地方の海の見える高台の緑のきれいな庭のある一軒家を垣間見るような映画だった。淡々と風景写真がはさまり重なり行く分、セリフは必要最低限の言葉しかない。この点も観念的で、眠ってしまいそうな静かな時間が好きなひとにはうってつけの映画だと思う。
ラストのあたりでその一軒家が取り壊されるシーンがあるが、自分も地方に実家があり定年後は移り住むようになるかもしれず、自分の後は誰も住まないかもしれないと思うと、胸に迫るものはあった。
富司純子は安定の所作の美しさ、品のある言葉遣い、表情。年齢を重ねてもそこは変わりなく続いている。
鈴木京香もその娘らしい品の良さもあるし、シム・ウンギョンはなぜ?と思ったら、外国で生まれた設定だったのね。セリフはほぼなかったけれど静から動に変わる表情の繊細さは感じていい女優だな~と感じた。
ひとつひとつのシーンに味わいがある
最初の映像から、舞台は鎌倉のあたりだと思った。
海が見える丘の上の家。そして広い庭。庭にはたくさんの花が咲く。椿や躑躅、藤、紫陽花、それに蓮の花。景色を邪魔しない淡い色の花ばかりだ。絹子と孫の渚が住む古い家は、花の淡い色を邪魔しない。花も庭も家も控えめである。
虫や小動物もいる。藤には熊蜂が飛び交う。熊蜂はよほど藤が好きなのだろう、普段は見かけないのに、藤棚が満開になると必ず飛び交っている。
紫陽花の花の上にいるカマキリは何を考えているのだろうか。蓮が植わっている大きな鉢の水の中を覗くと赤いランチュウが泳いでいる。渚のお気に入りだ。ぱくぱくぱくぱく。
時間がゆっくりと過ぎていく映画である。象徴的なシーンがあった。花があって蝶がとまる。カメラは動かない。きっと、蝶が花から離れて再び舞うまで動かないのだろうと思っていたら、その通りだった。
スピーディに展開する最近の映画に慣れた人には冗長に感じるかもしれない。しかし決してテンポが悪いわけではない。ひとつひとつのシーンに味わいがあるのだ。蝶が飛ぶまで待つようにシーンを味わう。ときにはさっと過ぎてしまうシーンもある。その緩急が本作品の肝である。
雨が降って花を散らしてしまう。来年にはまた花が咲くが、その花は散った花とは別の花だ。晴れた日には庭からの海の眺めが美しい。しかし美しさで食べていける訳ではない。
時は流れ、人は歳を取り、ひとりふたりとこの世から去っていく。毎年のように咲く花を愛でる。花は散るから美しい。散った花びらが道を飾る。しかし椿は花びらを散らさない。散るときには花ごとポトリと落ちる。ある日突然落ちるのだ。
女優生活が57年になる富司純子。常に着物で過ごす凛とした佇まいがシーンを引き締める。波乱万丈の女優人生が、主人公絹子の人生に重なるようだ。それは花の人生である。絹子は椿だ。散り際を悟り、万感の思いをこめた短い手紙を渚に宛てて書く。古い万年筆が紙を掻く音が耳に残る。
記憶って場所や物に宿っていて、あるところに行くと急に思い出すってあるわね。
「椿」というので待ち構えていると、現れたのは、真っ赤でインパクトのある藪椿ではなくて、淡いバラのような乙女椿だった。しかも、「椿の」というわりには、庭には他の樹木も多く、椿が目立ってはいない。そこは意外だった。
とはいえさすがに、湿気さえ感じ、花の香が通ってくるような麗しい映像美。照明を使わずに、外から屋内に入り込んでくる光のみを活かしているからこそ滲み出てくる日常感。それらが、緩やかな時間の中で熟成されていく。そこに、絹子と亡き夫のふたりが生きてきた時間と空間を感じた。
だいたい、富司純子の佇まいを見ているだけで涙が流れてくる。それはこの映画が彼女のあてがきで描かれているのではないかと思えるくらいに、彼女の魅力であふれているからだ。なるほど劇中の着物は全部彼女の自前なのだそうだ。そりゃあしっくりくるに決まっている。だけど、その所作、着こなし、表情、そこまではやはり彼女個人から醸し出される円熟の個性であった。
この映画は、今まで過ごしてきたこの家をどれだけ愛しているかが伝わるかように、老齢の彼女の歩みのように時間をかけて、家と庭とそこのいる人間たちを映し出す。それは時に凡長にも感じるが、その融通の利かないじれったさこそが絹子の芯の強さの表れに思えた(いやむしろ、強情さと言ったほうがいいのかも)。
その彼女があるきっかけから、人生の終い方を意識し、整理を始める。そして彼女の命の散り際の美しさ、儚さと、抗うことのできぬ虚しさ。そこにこそ、「椿」と名乗る理由があるのだろう。おそらく、冬(人生の終末期、いなくなっていく人間)がすぎ、季節が巡ってあたらしい春(新しい家主、時代)がやってくるメタファとして、花ごとポトリと散る椿を絹子の人生に擬したのだ。おまけにそこには、演じる富司純子自身もカブって見えてくる。だから、まるでこの映画は、富司純子のエンディングノート(映像版)のようにも思えた。
ただ寂しさはあっても、幸いに悲壮感はない。それは、brothers fourの歌う「Try To Remember」の歌声が、幸せだった淡い思い出を彩っているように聞こえるからなのだろう。
陰影のある美しい映像が饒舌に語る
レビューのタイトルをずいぶんカッコつけて書いちゃいましたが、そのままです。
登場人物のセリフが少ない映画は久しぶりだけど、その分映像(風景や役者佇まい等)が語っておりました。
分かりやすい主題ではあったけど。
庭が好きなので、この和庭の立地と植栽の素晴らしさが心に触れました。
季節季節の花々や鳥のさえずり、そして歴史ある民家に惹かれました。
着物も好きなので、主人公のおばあさんが帯をといたり〆たりする時のシュルシュルとした音が人となりを表しているような気さえしました。
孫が裸足で板の間を歩く映像や音も日常を表しているというか、今どきのvlog風な映像のカットを思い出したりもしましたかね~
vlogが真似ているんでしょうけど。
椿の花にも意味があるのでしょう。
映像が主役の佳作かな~
【終(つい)は終ではないこと、移ろうこと、しかし、記憶には残ること】
終(つい=人の生涯の終焉)は終ではない。
この作品は、人の生涯を、椿も咲く庭の季節の移ろいにたとえているようだ。
人生の終焉や、家を手放すことは、なにも、それが全ての終わりを意味するのではない。
絹子は、自分が去っても、陶子や渚に受け継がれるものがあると信じていたのだと思う。
だから、悲しみは自分が抱えて逝こうと思ったのではないのか。
何かが次に手渡される。
渚は、渚の母親の気持ちを受け継いでいたではないか。
そして、絹子の気持ちは受け継がれる。
これは、絹子の存在したという記憶より、たとえカタチは変わっても、もっともっと永く留められる記憶なのかもしれない。
葉山の古い庭のある家での撮影だったようだ。
開発され変わる風景。
批判をする気持ちも分かるが、受け入れ、そして、生きていく人たち。
これは、ここに生きた人たちだけの日常ではないはずだ。
僕達の誰しもが通り過ぎる日常のように思う。
僕は胸に迫るものがあった。
日常のなかの無常。
監督は、日常のなかの無常を撮りたかっと言っていた。
僕達の日常も常に移ろっているのだ。
※ 行間のような沈黙も素晴らしく感じます。
記憶の宿る家
思い出の詰まった家で暮らす夫を亡くし49日を済ませた女性と、亡き長女の娘の話。
葉山あたりと思しき海を見下ろす高台の、立派な庭を持つ古い大きな家。
椿の庭とはいうけれど、様々な植物や空模様で移りゆく季節と、暮らしをみせていく。
家を通じて感じさせる夫との思い出と、それを近くで見つめる孫娘の思いが、兎に角ゆったりまったりたっぷりで、セリフもそれ程多くはなくその空気に浸る為の作品という感じで、それ自体はとても良かったけれど、終盤特にクドい位に重ねて来られて、いつ終わるんだ?と感じてしまった。
女性3人ともとても素晴らしい演技だったけれど、冒頭の金魚を見つめる横顔に始まり、やっぱり富司純子は凄いなと感心させられた。
金魚は手で触らないでね。
冒頭~。風景からはじまる。
NHKの自然の風景を観ているような。
台詞も無駄な言葉が無いので会話になっていない。建物も古いこともあってか暗いイメージがある。夫を亡くして思い入れのある家。もう少し会話に感情が入ってもよかった様な気がする。心に響いてくるものがなかった。
唯一自然な会話と感じたのは田辺誠一かな。あと測量の人たち。ウギョンは片言の日本語で上手く演じていた。可愛らしい。
全体的に海と庭の風景を半分以上撮していて風景が主でstoryは二の次のような作品でした。
確かに長く感じました。海 空 庭の風景 を何度も繰り返していたから。かな スイカは甘く美味しそうにみえた。
写真家の監督だって。
なるほど。全編美しいポートレートをつなげたような映像、きれい。ひかりも景色も俳優陣もただただ美しい被写体でゆっくり時間が過ぎていた。落葉掃きをことわるシムウンギョンの気持ちがよくわからなかった…かな。
良い映画として享受しなければいけない空気が漂う、苦しい作品
映倫はレーティングを過激さで示してくれるが、ターゲットまで案内してくれるわけではない。良い映画のような雰囲気をしているが、私は蚊帳の外だった。
悪く言えば、良い映画を見せている「風」な作品。他のレビューに倣うような意見だが、短編でも良い。1から10まですべて見せようとしているようなプロットの長さは、流れるような時間の変化を与えたいのだろうが、退屈で仕方がない。実際寝てしまった。2時間を超える長さに対して与えた影響は微々たるもので、なんだか退屈。それでいながら、アナログで気品のある作風をしていることもあって、分からない人を拒むような風向きを感じる。それが何よりキツかった。
シム・ウンギョンにとって、初めての日本作品だったという。かれこれ彼女が出演する邦画は一通り観ているが、やっぱり佇まいからして上手い。溶け込んでいく過程に、はらはらと想いを寄せられていくし、鈴木京香との距離の変化が輪郭となって浮かんでいく様はさすが。美学を感じた。
ちょっと長編にしては厳しすぎる作品。大人になって、レコードを流しながら本を読むようになったら分かるのか。どちらにせよ、長すぎる。
音も主役
写真家の撮った映画ということで、たしかに映像美が追求されている。
動きによる演出効果は犠牲にされ、“画”の集積で作品が構成される。
寝室のシーンでは、2人の間のピント移動だけが行われる。
照明は抑えられ、自然光を重視している印象だ。
海、雲、雷雨などの自然描写。金魚、蜂、バッタ目などの動物。
庭の植物の変化が、季節の移り変わりを告げる。
歴史ある家の調度品は、どれを取ってもアンティーク調。電話までもが、時を忘れたかのような型式である。
人間も、“画”の一部として美しく機能する。シックな着物姿の「絹子」。「渚」の白い肌は、薄暗い家の中で映える。
それらを、計算された構図で切り取って映し出す。
しかし、“画”だけでなく、もう一つ主役があった。“音”と“音楽”である。
絶え間なく響く波の音。鳥の鳴き声。
静かな家では、ちょっとした生活音もよく響く。テレビやケータイなどが、不自然なくらい存在しない世界だ。
静かなBGMは、始めはピアノ独奏で、中盤は絹子の“心の震え”を表すかのようなチェロソナタに代わり、ピアノ独奏に戻って、ピアノ四重奏でエンディングを迎える。
また、想い出の曲として「トライ・トゥ・リメンバー」が3回流され、アクセントになっている。
台詞は乏しく、ストーリーはあって無きが如しである。
始めは「庭」がテーマだが、後半は「家」の方にテーマが移っていく。
絹子の家に対する、思いの深さだけがストーリーだ。
本作に期待外れなところがあったとすれば、監督自身が書いた、心に響いてこないキレイなだけの脚本だ。
さすがに市川崑とはいかなくても、自分は映画「細雪」のような“女の世界”を期待していた。
男の存在の“異物感”は良く出ているものの、女の“人間らしさ”が今一つ伝わってこない。ラストの落葉掃きのシーンような、情感が交差するところが少なすぎる。
日常を描く作品ならそれでも良いが、絹子も渚も、特殊な状況に置かれているのだ。
渚の状況は、結局、詳細不明なままで終わる。
本作であれば、渚役はシム・ウンギョンではなく、少女であるべきだと思う。
シム・ウンギョンの才能を無駄使いしたという印象だ。
全43件中、21~40件目を表示