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⚪︎作品全体
ノーラン監督の「時間」SF作品。過去には『メメント』、『インセプション』、『インターステラー』があったが、複雑な時間軸の中で描かれる「目的」がどれも明確であった。
一度過去作の「目的」を振り返ってみる。『メメント』は妻を殺害した人物を特定するために、『インセプション』は情報を得るために、『インターステラー』は新たな地球を探すために、主人公たちは行動している。
どの作品も時間の渦の中で遠回りをしているような時間もあるが、作品内のルールが明確に語られている。「なぜそれをするのか」ということが把握しやすく、複雑な状況でも主人公たちのなすべき行動がすぐに理解しやすかった。
さて、本作だ。
本作も「人類の滅亡を阻止するため」という明確な目的はあるのだが、この「人類の滅亡」という結果は「国vs国」による戦争で起きるものではないところが、まず分かりずらい。というのも作品の中盤まで「第三次世界大戦」という言葉で終末が語られており、その実像が「未来vs過去」であるとわかるまで相当の時間を要する。目的が変更になることは物語でままあることだが、いずれもどういう構造での戦いになるのかが視覚化されておらず、登場人物の会話の中で出てくるのみだ。
目的地が見えてこないと一つ一つの作戦の意義を自分の中で整理せねばならず、作品を見ながら考えるには少しヘビーだ。
主人公たちの行動が「なぜそれをするのか」というのも分かりずらい。これはその行動の始点を描かれていないからだと思う。
終盤の順行チームと逆行チームによる挟み撃ち作戦も、どうやって情報を仕入れ、なぜタンカーに時間逆行装置があるのか、というような部分は説明が省略されている。
そこが物語の重要な部分ではないということはなんとなくわかるのだが、彼らの行動の下地にある部分が不透明なため、なぜ彼らがそこにいるのか、というのが見えてこない。
作品が終わってあらすじを読んだり、流れを整理すれば納得できなくはないのだが、作品を見ているときは、なんだか作品に置いてけぼりになっているような気持ちになってしまった。
ノーラン監督もそこらへんは想定済みなのか、その代わりに画面は特殊で目を見張る。
物体が逆行する映像はそれだけで面白さがあった。冒頭で主人公に対し逆行を「感じるのよ」とレクチャーしたように、観客にもそれを伝えたかったのかもしれない。
実際、序盤は逆行する物体はほとんど出てこない。せいぜい弾丸くらいで、あとは伏線を張るようなちょい見せだけだ。
しかし、それでも置いてけぼりの感情にあまり変わりがない。なぜその事象が起きているのか、脳が処理している間に次へと進んでいってしまうもどかしさが常時あった。
作品内のルールは確かにいろいろと明確にされているのだが、それでもこの「逆行」のルールは語りきれていない。
細かい部分で脳内の整合性がつけられないとなにかを見落としたかもしれないと思って、それを考えていると画面はどんどん進んでいく。
作品を見る前、見た後に予備知識を得なければいけない作品は、なんだか理解力不足を押し付けられているような気がして、やっぱり楽しくはない。
⚪︎カメラワークとか
・脚本を語るために映像があるような気がした。ここに伏線を置きます、ここでこういうことが今起こりました、というような説明のカメラワークが多く、映像に映る余白を楽しめない。そうしないと語りきれないのはわかるのだが、印象的なカットはあまり見つからなかった。
『ダンケルク』がそういう作品だっただけに振れ幅がすごい。
・冒頭のコンサート会場のカット、ガスによって一気に眠らされるカットはインパクトあった。でもそれは時間逆行とかあんまり関係ないところだったけど…。
⚪︎その他
・文句はいろいろ書いたのだけど、それでも逆行の仕組みがなんとなくわかってくると、物語を辿る面白さは間違いなくあった。
・逆行はタイムワープじゃないから一人の人間は一人だけ。未来から来ても結果を知っているだけだから、その過程はわからない。その人物が主観で見たものと、自分が知っていることだけしか知らない。だから未来からやってきて過去が変わることはあるけれど、その過去っていうのは自分が未来からやってきた時間に続いている過去だからタイムパラドックスは起きないんだ。
…今はわかった気でいるけど、あとで読み返したら絶対わかんないな。