i 新聞記者ドキュメントのレビュー・感想・評価
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【現代日本のジャーナリズムの有り方に警鐘を鳴らそうとしたポリティカルドキュメンタリー】
ー望月衣塑子の怒涛の行動力の源泉はどこにあるのだろうか?ー
今作は、
・辺野古基地問題 (特に今作では赤土問題を追及)
・伊藤詩織さん事件
・森友学園問題
・加計学園問題
を追求する望月記者の姿をひたすら追う。
<印象的なシーン>
1.外国人ジャーナリスト達の言葉
”何故、政府の記者会見には記者クラブに所属していないと参加出来ないのか?”
”何故、質問を事前に提出する必要があるのか”
確かに、あのトランプでさえ、事前提出は(今のところ)やらせていない。
”何故、望月の質問に追従する記者がいないのか?”
等々・・。
2.菅官房長官VS望月記者 首相官邸記者会見での数々の攻防
(と、頻繁に入る上村報道官の”質問をしてください”という壊れた機械のような抑揚のない声)
苛立ちを隠し切れない菅官房長官の苦虫を噛んだような顔と、つい発言してしまった
”あなたに答える必要はありません!”・・・
ドキュメンタリー作品としては、とっちらかった感が半端なく(ついでに言えば、東京新聞内の猥雑さ、”2Sしなさい!”(すいません、会社モードになってしまいました))、観難い部分が多数あり。(特に変なアニメーションシーン)
・籠池夫妻はどのような意図で出したのか?
・鰯の群のシーンは必要か?(意味深な感を出そうとしたのかな)
率直に言うと、テーマ自体はとても面白かっただけに、作品自体の粗い作りが勿体ないと思った。
<忖度:政治だけではなく、会社組織でも同じことは言えるかなあ、と感じた作品でもある>
いままでのドキュメンタリーでもっとも印象的!
ドキュメンタリー好きならレビューは4〜5ぐらいな作品。望月さんを題材にしたことで、ネトウヨからは1〜2になって罵声を浴びせられているある意味。森監督の狙い通りの感想となっている。一度見る価値ありです。
本日観賞、観客5人
結局今のマスコミて、記者クラブの弊害があまりにも大きい。
望月記者も政権と対峙すると同時に、ジャーナリズムのおかしな現状とも戦って、消耗している。
やっぱり味方に裏切られ、処刑されたジャンヌダルクなのか。
銭湯に行けば良かった
仕事がお休みとれたので、近くでうまいこと上映してる情報を聞きつけて観てきました。
ぶっちゃけ「良い風呂の日」でもあったので、こんな映画に時間とお金をかけるならスーパー銭湯に寄って帰れば良かったと後悔しました。
他の方もすでに多数書かれてることですが、監督があらかじめ言いたかったことに事実を寄せるように撮ってました。これをドキュメントと言うのなら、あらゆる過去のプロパガンダ映画はただのドキュメント映画にすぎなかったのだと解釈できます。そのくらい無茶苦茶です。
『バリバリ働く女性!記者すごい!がんばってる!
政権!あやしい!なんだこいつら!信じるな!
記者団!あやしい!じゃあ、誰を信じればいいの!
ここで監督のお言葉!エンドロール!』
といった流れです。なんだこりゃ?ってなりました。
森達也まとめがヌルい
望月さんは愛嬌があって可愛らしい人なの。こりゃ応援する人も多いなって納得しちゃった。
菅官房長官が記者会見でやり合うんだけど、これ、菅さんには菅さんの、記者会見で譲れないことがあるんだね。
途中観てて思ったのは、政治家と記者って、かつてはもう少し互いにリスペクトあったんじゃないかな。政治家も「ここをツイてくるとは流石」と思いながらとぼけた答弁したりね。
望月さんは菅さんをリスペクトしてると思うけど、菅さんはリスペクトないね。
それは望月さんのレベルの低さもあるのかも知れない。志位委員長への質問はピンぼけしてる感じだったし。
望月さんがパワフルに動き回る姿をみてるとラストにくるんだけど、ここで森達也が自分の主張を述べてまとめにしてたけどヌルかったな。そんな撮る前から思ってること言うんなら、作品いらないと思うな。
見応え
ありました。一人で生きている人間はおらず、そうすると自ずとそこにエゴ、ウソ、ルール、強引さ、妬み、脅し、その他のものが生まれる。誰しも置かれた立場を守りたいのが本性であり、誰も否定はできない。それが明らかな不真実だとしても。動かない、動けない自分が情けなくなりますね。
個であり続けるという事
今の日本の政権、メディア、ひいては私たち国民の現実を映し出しながら、所々で観客が爆笑するシーンがあるのが森作品らしい。
ほとんどの人が何らかの集団や組織に属してるが、個として行動、発言する事を手放すと、正しい事は出来なくなる。
「私」は何者なのか何を考えて何を言うか?
世間や誰かを騙せても、「私」は私には嘘はつけない。
森監督好きに質問したい。(工作者でないならば。)
うーん...。浅ましい。この作品に深みやコクを感じられなかった。なんというか、失礼ながら漂う空気が胡散臭いんだよな...。
「新聞記者」をダシに客寄せを謀ったみたいだけど、森監督の前作品と勘違いする残念なネトウヨがひっかかってやってくるくらいで、あまり話題になってないんよね。
話題性が弱い割には、この映画関係のニュースが次々と更新されるのがすごく気になる。まるで無理やり売れてないスターを売り出そうとするサクラ行為をマスコミが展開しているように思える。
さらにはその記事で、この監督の微妙な人となりが次々と自白されていくのだ。
◆森監督の怪しい素質
・ドキュメンタリーの中立性に話題が及ぶと「中立は幻想」などと持論を展開する。
・挙げ句の果てには「あくまで中立と言うなら“両端”を決めないといけないが、それは国や時代でも違う」と極論を出して話を濁す。
・「撮る側と撮られる側の距離と角度を示すのがドキュメンタリー。絶対的中立、絶対的公正なんてありえない」などと独自の曲解によりドキュメンタリーの範疇から逸脱した自作について正当化する。
・「ジャーナリズムが正義になるのは危険なこと」としながらも終盤のアニメはどのように表現していた?アメコミのヒーローみたいなのはジャーナリズム側に思えたが、まさかそんな意図はない!と言い張るつもりか?
・本作は「政権批判の映画ではない」と断言し、賞をとったことがその証左だと解釈している。
彼の言うことは何一つ意味が分からないんだけど、この監督を高く評価できる方にはすまないがこの辺詳しく論を聞かせてくれないか。
とても面白かったですが、、、
以前見た松坂桃李さん主演の新聞記者を観て望月さんに興味を持って今回鑑賞しました。結論から言うと最高に面白かった映画でした。クチコミでも本当のドキュメンタリーかどうかとか議論あるようですが望月さんの仕事ぶりや望月さんと菅官房長官の有名な定例記者会見の模様が分かって良かったです。意に沿わない質問をするような記者は総理大臣や大臣に直接質問できないシステムや、執拗な質問妨害や記者クラブシステムなど悲しいながら日本が作り上げてきた政治報道システムの集大成に近づきつつあるような感じを受けました、、。
望月記者にはこれこらも頑張って欲しいです。
最後の方の選挙戦における菅官房長官の応援演説シーンで突然、アニメシーンになって菅さんと望月さんと森監督がアニメキャラになってバトルする場面だけは意味分からないし要らなかったですね。
加筆)しかし最近、「決算!忠臣蔵」などメジャー系の映画の地上波バラエティ番組での告知宣伝が異常に多くて公開館数も多い中、本作のような問題提起を投げかけるような作品の告知宣伝がまったく出来ずに上映館も少なく多くの人に知られないままに公開終了してしまう状況は悲しい現状ですね。メジャー作品も楽しくて良いのですが、このままでは、日本国民が総白痴化されそうで恐ろしいです、、。
組織って大変
望月記者は実にまっとうな職業人である。記者クラブに対して否定的である一方で、その記者クラブに属しているために取材が可能であることを冷静に認識している。質問妨害に対処するにしても、社内調整を欠かさない。
そんな制約の中で記事を書いて取材対象との約束を果たす。方向音痴と集団行動に悩まされつつも『大人』の責任を果たす望月記者の仕事ぶりが描かれている。
といって使命感に駆られて仕事をしているという風でもない。ハードワークのはずなのに、いつも元気で前向きな感じが失われない。天職とはこういうのを言うのだろう。一般人や野党の政治家からも人気があるのがよくわかる。
頼りにならない上杉隆。日常の会話が面白すぎる漫才師顔負けの籠池夫婦。他の登場人物も様々な意味で『魅力』があって飽きさせない。エンタメ成分が多いドキュメンタリー映画だ。
この映画のテーマは重い。
わたしたちは組織の意思を推測し、それと自分のこころざしとを衡量して、今後の行動を決める。でもその組織の意思とやらは、その生成プロセスや確かさが検証されることはほぼない。そんなあやふやなものを前提に重要な決定がなされ、後日の災害の原因となることはまれではない。
この映画は、法執行の本質を忘れた警察官やフリーの記者を排除する官邸、沖縄の住民投票結果を無視する読売新聞を描くことで、組織を重く見すぎる危険について理解させる。わたしたちは物事をよく考え、自分の意思を大切にしないといけない。
終盤、徒党を組む集団同士が声高に主張しあう場面がある。森監督も望月記者もそれに違和感を覚えているようだ。この映画のタイトルには大文字ではない小文字の「i」が含まれている。タイトルに込められた制作者たちの思いにいたると、反射的に忖度し他者に同調しがちな自分を後ろめたく思った。
左翼、応援薄いよ、なにやってるの!
必死で頑張ってたのに、
コメントもレビューもごっそり消されたな。
毎日入れ替わり立ち替わり書いては消されていった怪しげな絶賛レビューたちが懐かしい。
すでにランキング浮上のピークを過ぎてしまった。
これ以上の工作は運営が目を付けた以上難しいだろうし、すでに話題性を失い、誰の興味も確保できなかった。
今更人気を装う意味も少ないだろう。
望月記者自身は、手帳からふくらませたフィクションの新聞記者にすら劣る残念な素材だったという証左となろう。そりゃそうだ。毒ガスネタを彼女はスクープできなかったのだから。
これもひとえに森達也監督の能力不足と、それを無理に補おうとしてルールすら守れずに運営に大粛正を食らったサポーターの知識不足と意欲不足によるものだろう。
左の質も落ちぶれてしまったものだ。
菅、読売、文春、日本会議が曝け出された感じです。
平日の昼間にもかかわらずほぼ満員でした。森達也の作品ファンです。
じっくり撮る彼の手法がやや不足しているが、菅のインタビューで彼の狼狽の目線等
森達也らしい撮り方。また籠池夫妻とのインタビューは抱腹。日本会議は似非右翼ですは笑える。
又読売や文春が望月記者等を貶める為記事を書いたりしていることが明白となる等
面白い箇所満載で参考になった。
信じられないオバチャンもいたものだ
弾薬庫スクープはスゲーと思ったけど、後は普通にパワフルで迷惑なヒステリーもちのオバチャン。イライラしながら取材して無関係の役人にあたりちらすとか、記者以前に人として資質不足なのではないか?精力的なのは疑わないけど、あれだけの人たちをウンザリさせるのにその力を使ったら、人としてダメだろう。
これ、絶賛しないとレイシストになるの?
こんなん、わらうわ。
森監督作品は初めて見ました!
なんだこいつ、クッソ面白いやん。こんなんわらうわ!「嘲笑う」のほうな。
なにがって?監督失格具合かな。我慢できなくなって作品に乗り込んでくるとか、三流アダルトビデオ監督のやることやん。極論が好きな左さんのためにフォローしておくと、フィクションや喜劇作家なら有りの技法やとは思うけどね。奇面組やドラゴンボールの原作者の真似事のつもりで、よかれと思ってやったのかね?ドキュメントを撮る人が好き好んで用いる技法ではないだろーに。
なぜドキュメント作品に持論掲げて乗り込んできちゃう監督が向いてないって?多面的に客観的な映像として事実を撮って、観た人たちに色々と現状を知ってもらって、考えてもらうのがドキュメント作品の醍醐味だからだ。撮り方を偏らせて、特定政権に与させたらドキュメンタリーではなく「プロパガンダ」になるだろ。だから申し訳程度にバランス取ろうとしてたんだろうけど、質問関連でゴタゴタに発展した現場を冷ややかに見つめる望月記者を撮りながら、森監督の持論がテロップとしてしゃしゃり出てきた点をもって「あー、だめだこりゃ。」「これで『ドキュメント』?わらわせんな」と残念な気持ちに支配された。
森監督を左の思想家として認識させてもらうとして、相手の気持ちになって作品づくりをしてるか?って点に着目したい。人の気持ちを考えられる監督ならこんな作品になるまい。
望月記者は過去に自身の講演のスタッフに忖度させて、産経新聞を参加させなかったことがありました。「ひどいですよね・・・」って思わせたいという意志に沿って、望月記者のそういった汚点ばかりに着目して監督の意志をテロップでぶちあげるような映像作品を撮ったら、森監督を絶賛する人たちは「なんだこれは!」って怒り狂いますよね?下手すると「デマだ!」とレッテルを貼るかもしれません。
そんなことを平気で出来るのが、思想的に左に歪んでしまった表現者のようだ。
最後の方のアニメもホント、あれはいつだったかの成人式で配布された、「新成人を舐め散らかしたような幼いアニメDVD」でも見ているような、作り手側の頭の悪さがにじみ出た出来だった。森監督、よくあれだけ持論も作品内で主張しといて作品に「ドキュメント」って付けたな。
困ったら歌い始める連中には気を付けろというのは、右も左もよく当てはまっていると思う。なんで思想的に偏ると、すぐ歌に逃げるのか、これがわからない。結局年老いても若くてもシールズみたいなことになる点が、左のデモの特徴なんだなぁと強く印象に残った。
希望の無くなった日本
恐ろしいドキュメントだった。腐り切った安倍政権に全てが牛耳られている日本。記者たるものが何も言えないのは、職を失い露頭に迷いたくない一心からである。望月さんは才気煥発で何冊かの本も出し、講演会も開催し、テレビ、ラジオのコメンテーターとしても出演する才覚のある人物。記者の職に就いてはいても中々これほどまでに出来る人はいないと思う。特に日本社会にいる日本人たるものは長いものに巻かれて、袖手傍観を決め込むのが基本的なスタイル。この人のように誰もがイメージする記者然たる記者像はフィクションの中でしかない。望月さんが記者という役を演じている役者のように見えるのが、この国のメディアの末期的症状を証明している。権力におもねるばかりの堕落したこの国の不始末を誰が着けるのか?無力な非力な私たち一人一人が責任を負い、私たちが始末するしかない。
日本人であることが情けなくなってきました
菅長官の答弁はいじめそのもの。
憎しみの感情を丸出しで、恥ずかしくないのだろうか?
見てるこちら恥ずかしい。
ただ、最後の方の望月記者が菅長官の応援演説を睨むように眺めているシーンを長々と流す必要はあったのだろうか?
あれじゃ、望月記者まで感情を丸出しにしているかのように見えてしまう。
しかし、ここまでめちゃくちゃやってる安倍が、それでも選挙に勝つって、この日本という国はなんなんだろう…と情けなくなってきた。
小気味のいいドキュメント
望月衣塑子のフラットな精神性が凄い。凹まないし、投げ出さないし、諦めない。それに人を恨まない。社内で衝突しても引きずることなく普通に接するし、ボツにされても腐らない。主観的な感情を排除して、あくまで事実のみを追い求める。ジャーナリストはこれくらいのタフな精神力の持ち主でなければいけないとすると、ジャーナリストになろうとする人にはそれなりの覚悟が求められるだろう。尤も、覚悟なしにジャーナリストを名乗る族もいるようだ。
事実とは何か。菅官房長官の言い分が面白い。事実誤認に基づく質問には答えられないという言い分だ。望月記者が質問したのは、辺野古の埋め立てに使われている土が赤土に見えるがどうなのかというものだった。赤土だと断言している訳ではない。しかし質問を聞いた人が赤土と誤認するからダメなのだという論理だ。権力が事実誤認と決めつければ、何も質問できなくなる。野党議員が「事実がわからないから聞くんでしょう」と当然のことを言っていたが、菅義偉は理解できない振りをする。
もともと安倍政権は、安倍晋三の頭の悪さに周囲が合わせているから、知的レベルは最低である。官房長官も同じようにレベルを下げて、非論理的な言い分を堂々と主張するようになってしまった。本当はもう少しまともな人だと思う。
嘘も百回言えば本当になる、というのはナチスのプロパガンダ手法らしい。麻生太郎が「ナチスのやり方に学べ」と発言して問題になったことがある。安倍晋三はモリカケ問題について「説明責任を果たす」と言い続け、結局何も説明しないまま、最後は「説明責任を果たした」と言い張った。国民は皆健忘症だとでも思っているに違いない。そして残念なことにそれは結構当たっている。麻生太郎の発言も、ドイツの政治家が発言したら大変な事件になったはずなのに、日本ではまたアホウタロウが何か言っているよ、と苦笑いで終了だ。
映像に出てくるおばさんが「どうせ選挙になったらまた自民党が勝つんでしょ」と言っていた。実際にそうなっている。「国難突破解散」だとか言って北朝鮮の脅威を訴えた総選挙は、モリカケ問題の説明責任を果たさないまま突入したが、結果は自民党が公示前議席を維持する形となった。安倍は「国民の信を得た」と得意満面だった。
日本国中の良識ある人々が無力感に押し潰されそうになったが、ジャーナリストは結果をニュートラルに受け止める。何が事実なのかということと選挙の結果は別でなければならない。ジャーナリズムが権力に押し潰されて表現の自由を放棄するようでは民主主義は終わりだ。しかし日本のマスコミは、かつて大本営発表を垂れ流していた頃に戻りつつある。それは退化と言っていい。「新聞記者」のレビューにも書いたが、いまや言論の自由を守るのはジャーナリストではなく映画人だ。
本作品は数少ない勇気のあるジャーナリストを言論の自由を守る映画人が撮影した貴重なドキュメントである。沖縄の基地問題、森友学園問題、加計学園問題、伊藤詩織さんの強カン事件、それに望月記者の質問妨害事件などのシーンがテンポよく進む。小気味のいいドキュメントで、まったく退屈しない。それは望月記者と森達也監督の覚悟と勇気がひしひしと伝わってくるからだ。観ているこちらまで、少しばかり勇気が湧いてくる。この作品が上映されなくなるようでは、日本の将来は暗澹たるものになるだろう。
本作品が1本の映画として成立するという不幸
普通なら、1本の映画になるはずがない。
大スクープや感動話があるわけではないのだ。
「沖縄(辺野古、宮古島)の基地問題」、「森友学園事件」、そして、「伊藤詩織さんの裁判」を追う新聞記者に密着して何が面白いのか?
にもかかわらず、昨今の状況が、本作品を立派な1本の映画にさせてしまっている。
なんという不幸だろう。
言うまでもなく、他ならぬ首相官邸がらみの不正や疑惑が追求されないという、メディアの自己規制やタブーを扱っているからだ。
“面白い”ドキュメンタリー映画ではない。
しかし、今現在、必要であるだけでなく、形あるものとして、将来においても重要な映像として残るだろう。
記者への異常な“質問妨害”が、じっくりと映像化された意義も大きい。
「新聞社内での闘いが、一番キツイ」と語っていたのが印象的だった。
また、「Black Box」は読んでいたが、伊藤詩織さんの姿をじっくり見たのは初めてだった。
「桜を見る会」のニュースでの扱いが、問題の重要性に比べて奇妙に小さすぎるのを見るにつけ、なおさら、本作品のリアルタイムな意義を考えさせられる。
「i 新聞記者ドキュメント」を観て
11月17日「i 新聞記者ドキュメント」森達也監督作品を観賞。東京新聞社会部の望月衣塑子記者が小柄な体でキャスターバッグを引きながらの精力的な取材。伊藤詩織事件、沖縄辺野古埋立、宮古島弾薬庫など現在進行形の問題を次々と取り上げ、圧巻は菅官房長官記者会見での質問妨害と闘う望月記者の姿に感動。タイトルの「i」とは一人称の自分が納得するまで真実に迫る事と理解した。
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