フリー・ガイのレビュー・感想・評価
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なりたい自分になるには、まず行動
夏に映画館、冬にディズニープラスで計2回鑑賞。
私の中で、ライアンレイノルズはデッドプールのイメージが強いが、ここでは違ったイメージがあって新鮮に感じました。デッドプールは下品な言葉で容赦なく敵を倒していくのに対し、ガイは優しく振る舞いながら人々を助けていきます。一言で表すと、綺麗なデッドプールって感じになります。
ストーリーは、ゲームの出来事が現実世界とうまくシンクロして進んでいましたし、途中で日本のシーンが出てきたのが嬉しかったです。また、ゲームやアメコミのネタも沢山出てきており、知っていればニヤりとするシーンも多かったです。
明るくテンポのよいゲーム映画でした。
果たしてTRONの違和感は解消されたのか。
ゲームの世界を映像化した作品として、もちろん思い出されるのは「TRON」なのですが、映像は衝撃的で引き付けられたものの、少しお話に違和感を覚えずにはいられません。ゲーム上で戦うキャラクターは様々な「プログラム」で、例えば事務処理計算の「プログラム」をゲーム盤に上げようとしていたのですが、よく考えれば、そんなことが出来るはずがありませんw プログラムなどというのは、さしずめ数式の羅列でしかなく、戦うロジックも特別に組み込まなくてはなりません。そして、この映画ではモブキャラが意志を持って活躍するというのがメインテーマとなっていますが、果たしてそんなことが有り得るのでしょうか。
そもそもモブキャラというのは、例えばRPGなどで「ここは○○の街です」と返事をするだけのNPC、言い換えれば背景や小道具でしか無いキャラクターで、意志を持つ仕組みなど組み込んでいてはファミコンやゲーム機に入りきらなくなってしまいます。先程のTRONの話と同様、そのような仕組みなど、到底有り得ないはずです――少し前までの話では。
次第に、それでは詰まらないということになったのでしょう。まずMMO、つまりマルチプレイヤーゲームが流行り出しましたが、つまりお互いが有人プレイヤーであるため、予測不能な行動をとるため、より一層複雑で面白いゲームになる、というのが総点ということなのでしょう。それでも、いわゆるネチケット(死語?)、つまりプレイ上のマナーが問題になったり、プレイヤーにとってストレスになってしまいます。であるなら、この映画のように害の無い人工知能が組み込まれていくのかも知れません。そして映画のような顛末なることは十分有りえる話なのですが……それでも、システム管理者に制御できなくなってしまっては、それは単なる「バグ」として簡単に処分されてしまうでしょう。ですので、ちょっと夢物語でしかないように思えます。
しかし映画として、ゲームの世界がバラエティ豊かに表現されていて、最初から最後まで非常に楽しかったです。現実とゲーム内が交差しつつ、ちゃんと内容も分かりやすく、最後は上手くハッピーエンドにまとめられて、幸せな気分で映画館を後にしました。
それはそうと、作中のゲームは(私の知る限りでは)まるでグランドセフトオートの様な世界観ですが、私も何処までもボートで海を渡ってみたことがあります。何処かに行き着くことは無いことが判っていながらも。あれでもし本当に何かに行き着いたら、メモリオーバーのバグになっちゃいますね。
元ネタゲームを嗜む人にフィットする作品
ライアン・レイノルズの、主役を張れる俳優なのにモブと言われても納得する絶妙な存在感。モブだってポテンシャルを秘めているかも知れないし活躍していいという、現実社会のモブ(だと自分のことを思っている人)達へのポジティブなメッセージ。ゲーム好きな人ならついつい引き込まれるであろう小ネタの数々。
本作のように、AIが人間並の自由意志を持った結果、人間と共闘したり個人的な(人間じゃないけど)幸せを希求したりするという理想と楽観のエンタメは嫌いじゃない。
ただ、私は今ひとつはまれなかった。そもそもあまりゲームをやらないからか?
元ネタゲームのビジュアルやらネタが出てくるのを拾って楽しむという、ゲームを嗜む人向けの要素がこの作品の結構重要な柱なのかも知れない。クリス・エヴァンスがちらっと出たところとスターウォーズネタまで使ってみせたところは、直接的な映画要素だったこともあってはっとしたけど。
主人公のガイがAIで人間のアバターではないというところ、ゲームの世界なので破壊的インシデントが日常風景であるという設定を目にした序盤はへえーと思ったものの、ガイはゲームキャラだから、車や電車に跳ね飛ばされてもリセットされれば元の日常。回復アイテムで傷や疲労感は瞬時に消えるから、彼の受けるダメージに関するハラハラ感はない。加えて、物語の展開や冒頭に書いたようなメッセージは王道過ぎるほど王道。ごめんなさい、途中ちょっと寝そうになってしまいました。
レディプレイヤーワン、マトリックス、シュガーラッシュ、トゥルーマンショー、その辺をミックスしてコメディ風味にしたような雰囲気(細部はもちろん違うけど)というか……ちなみにレイノルズは「現代版バック・トゥ・ザ・フューチャー」と評している。
決してこれらの要素をただ寄せ集めた作品ではない。ただ、オマージュを入れつつ、全部足して頭数で割った以上の新しいものが生まれることもあるとは思うが、本作からそのような印象は残念ながら得られなかった。
ミリーやキーズ、アントワンも全てゲームキャラで、人類絶滅直後の世界でバッテリーが切れて映画が終わるとかになんないかなー、などと何故か殺伐としたことを思いながら見ていた。
私の感想は個別のゲームの知識がない一観客の主観に過ぎない。そんな私でも、ゲームの中で成立する世界へのリスペクトは感じたので、誠実な作品なのだとは思う。
ちなみに公式サイトの、デッドプールによる「フリー・ガイ」リアクション動画はくすりと笑えるのでおすすめ。
人工“生命”についての小言と、続編をめぐる夢想
ライアン・レイノルズがお気楽な感じのメインビジュアルから、正直あまり期待しないで見始めたのだが、すぐに引き込まれ、最後まで大いに楽しめた。
主人公がいる世界と彼を見る人(々)がいる世界のメタ構造という意味では「トゥルーマン・ショー」「主人公は僕だった」、この世界は現実か仮想空間か?という点では「マトリックス」「イグジステンズ」「トータル・リコール」「オープン・ユア・アイズ」(およびリメイクされた「バニラ・スカイ」)など、過去作を想起させる要素が多々ある。脚本チームはこうしたサブジャンルの傑作群をよく研究して、AIという専門的な要素を取り入れつつ、ファミリーでも楽しめるわかりやすい娯楽作に仕立てたと思う。
作中でちょっと気になったのは、ゲーム世界「フリー・シティ」の中で自由意志を持ったガイの存在が“人工生命”と言及される部分。おそらく作り手は、仮想空間の中で“生きている存在”という意味合いで使ったのだろうが、生命を定義する「自己増殖」を行わないという点で、人工生命とは言いがたい。ガイを含む人工知能プログラムを書いたのは人間のプログラマーであり、ガイは「自由意志を持った人工知能」と呼ぶのが妥当だろう。人工知能と人工生命は似て非なるものなので、ここは苦言を呈しておきたい。
さて、世界的大ヒットを受けて続編製作が決まったそうで、この先は蛇足になるが、人工生命の話にからめて続編の筋を勝手に妄想してみる。
アイデアその1。AIプログラムだったのに意志を獲得したガイたちノンプレイヤーキャラクター(NPC)は、仮想世界でさらに進化し、子を産めるようになる!ただし、生身の人間と同じように出産するのではなく、各キャラクターのコードをDNAに見立ててカップルで組み合わせ、自分たちの子のコードを書いて誕生させるのだ(これならLGBTQのカップルでも子が作れる!)。世界がますます幸せになったのもつかの間、復讐に燃えるあの人物がガイたちの世界をぶっ壊そうと、邪悪なハッカーと組んで仮想世界にゾンビウイルスを放つ。このウイルスに感染すると、キャラたちはたちまちゾンビになって意志を失ってしまう。どんどんゾンビが増殖し、生き残りがわずかになった大ピンチを、ガイはどうやって救うのか…?!
アイデアその2。現実世界とゲーム世界のインタラクティビティが向上し、ガイたちのいる仮想世界からも現実の世界を“観察”できるようになる。いつかあちら側の世界を訪れてみたい、と憧れを募らせるガイ。そこで天才的なヒューマノイド開発者が協力し、最新鋭の試作ヒューマノイド(もちろん外見はライアン・レイノルズ)にガイの意識を転送することに成功する!その頃、復讐に燃えるあの人物が、ガイの恩人であるミリーやキーズに危害を加え、さらに仮想世界もぶっ壊そうと画策する。現実世界とゲーム世界の両方に迫る大ピンチを、リアルな身体を得たガイはどうやって救うのか…?!
……なんていうのはいかがでしょう。ここまで読んだ方、お付き合いくださりありがとうございました。
命令(プログラム)通りにしか動けないやつは人間じゃない
人工生命は生まれるのか、AIは真の知性や人格を獲得できるのかという問いは、SFとしては古典的だ。本作のSF的な問いかけはまさにこれなのだが、現代人にとって比較的身近な娯楽であるオンラインゲーム上のNPC(モブキャラ)に、知性と人格が宿るという点が、本作のユニークさだ。基本的に、NPCは決められた一定のリアクションしか示さない。機械のキャラそのものである。主人公のガイは、ある日、ちょっと冒険してみようと思い立ち、愛する女性を見つけて、どんどん自我に目覚めていく。
これは、ある種の現代人揶揄でもある。決められた時間に決められた仕事をして、自分の頭で考えず流されてゆく人間は、ほとんどゲームのNPCと変わらないだろうというような。こういう問いかけもチャップリンの「モダンタイムス」から続いているものだが。人間は、自分の頭で考えてこそ人間でいられる。SF的な問いとは別にそういう問題意識もあると思われる。
人工生命の掘り下げについては、『ソードアート・オンライン アリシゼーション編』が同様のテーマを扱っている。あちらは、AIによって生まれた知性体に人権は認められるのかという点にまで切り込んでいる。本作も続編制作が決まったようだが、どのようにテーマを深化させるか楽しみにしている。
発想が面白いだけでなく最後まで面白さを維持。ディズニーによる20世紀スタジオの買収を、ようやく前向きに捉えられた作品。
20世紀スタジオ作品の「ナイト ミュージアム」は、博物館の展示物のマネキンなどが、夜な夜な暴れだすといった斬新な設定で日本でも大ヒットしました。その「ナイト ミュージアム」のショーン・レビ監督が新たに手掛けたのが本作。
どちらも主人公のキャラクターの面白さがカギとなりますが、主演がベン・スティラーから「フリー・ガイ」では、「デッドプール」のライアン・レイノルズに移るのは自然でもありますし、時代の流れを感じます。
まず、本作でも斬新な設定は健在で、ゲームの中でひたすらルーティーンだけを繰り返す「モブキャラ」(ゲーム上の、ただいるだけの背景的な存在)が意思を持ち始め、勝手に動きだすのです。
そして、ゲーム内では混乱が起こっていきますが、ゲームのプレイヤーは現実社会の人間ですし、それを管理するゲーム会社もリアルな存在です。これらがどのように化学反応を起こしていくのかが本作の見どころです。
本作をディズニー試写室で見ていた際には、最初にファンファーレとともに20世紀スタジオのロゴが出てきて驚きました。そうそう、ディズニー傘下になったんだ、と未だに慣れていません。
ただ、ようやく本作の後半で、非常にポジティブなシーンを見ることができ、急にテンションが上がりました。なるほど、1つの映画会社が多くの権利を持つと、こういう自由度が広がるのか、と。そう考えると、この流れは「大きな期待」へと変化し、その先駆けとなった本作の最大の注目点はココなのかもしれません。まさに歴史的な瞬間が見られる作品です!
ライアン・レイノルズが意図的に演じる"存在感のなさ"が愛おしい
ゲームの世界で展開するスリリングな出来事に直接は関わらない脇役、というか背景の一部がモブ(群衆)キャラ。彼らは毎日、同じ時間に目覚めて同じ朝食を食べて同じ服を着て街に出て、そこで同じ事件に巻き込まれる。でもしかし、もしもモブキャラが日々のルーティンワークに疑問を感じ、自我に目覚め、反撃に転じたとしたら、どうなるか?
モブキャラとアバター(ユーザーが姿を変えて自分を投影しゲームに参戦するバーチャルキャラ。一応説明しました)の関係とか、ゲームメイクを請け負うプログラマーの領域とか、ゲーム会社オーナーの思惑とか、現実と非現実の両側で描かれる要素が多くて時々錯綜するけれど、モブキャラという現実には存在しない主人公がゲームチェンジャーになる。脇役が主役になる。この発想が本作の肝。
主人公のガイ(男全般)役のライアン・レイノルズが意図的に演じる、ある種"存在感のなさ"が、愛おしくて泣ける。純粋で一途で、頑張るほど笑いを誘い、そして、最後は我々の手が届かない仮想空間へと消えていくバーチャルヒーローなんて、かなりずるい役どころだ。
見終わって感じるのは、ルーティンワークに終始する背景の一部、大勢の中の1人、という設定が、現実社会を生きるビジネスマンを連想させる点。ガイがブルーのシャツにレジメンタルタイにチノパンにブルゾンという、当たり外れのない固定されたワードローブしか着ない(着させてもらえない)という部分も含めて、このゲーム映画は意外にリアルなのだ。
ライアン・レイノルズだから何とかしてくれてた
皆さんの評価は高いようだけども
自分は、鑑賞するのに、何度も寝ちゃって、3回に分けてようやく見れました。
ライアン・レイノルズだから何とかなってる映画だなという印象。
ただ面白かったは面白かったので、見て損したとかはなくて。
ハッピーエンドだったから、鑑賞後の気分は上々。
何で何度も寝ちゃったのかを自分なりに分析してみると
「主人公がどこに向かってるか」がなかなかわからなかったこと。
ガイは、モブだけどヒーローになる。という話だったので
敵がいるものと思ってみてるのに、敵がなかなかわからなくて。
敵がいないヒーローものって、焦点が合わなくて、主軸が見えなくて寝ちゃってたなと。
序盤からあちこちに散りばめられた伏線たちが
終盤回収され始めて、敵もわかって、そっからは面白く見れたんだけども
なんだろなあ。うーむ。特に得られるものもなかったかな。
戦闘系のオンラインゲームをやったことがなく
セカンドライフという「みんなが主役」みたいなのしかやったことなかったせいかも。
セカンドライフには、モブはいないのでねー。
言わば、最後に出てきたミリーたちが作ったゲーム世界みたいなとこなのです。
そこに普通に何年も"生きて"きたから、ちょっと??今頃??みたいなとこあったかも。
それはさておき「いい一日じゃなくて、素晴らしい一日を!」っていうの良かったな。
他にもいろいろいいとこいっぱいあった。笑えるところ、キュンと来るところなど。
駄作だとは思わないけど、ライアン・レイノルズいて初めて成り立ってる映画って感じ。
あと、モブはモブのままハッピーエンドってのも良かったかな。
モブなりのハッピーエンドというのか。ままま、よくわかんなかったけど面白かったです。
ゲーム好きにオススメ
ゲームのNPCが自我を持ち、ゲームの世界を超えて現実世界を巻き込んでいくコメディ作品。
ゲストに某ゲームキャラが出てたりとゲーマーには嬉しい演出も
今までモブキャラぶっ殺しまくってすみませんでした
今までモブキャラぶっ殺しまくってすみませんでした。ゲーマーな私、ゲームの世界が舞台と聞いて気になったので観賞。面白かったポイントは2つ。
1つめは、モブキャラの気持ちを考えさせられたこと。
私はふだんNPCを殺せるゲームではぶっ殺しまくってるので、最初はプレイヤー側の方に感情移入した。しかし、ガイが自我に目覚めてからはモブだって一人の人間なのだと考えさせらる。思えば、モブキャラが居なけりゃゲームの世界は成り立たないし、モブってのはゲームにおいては重要な役なのかもしれない。自分がプレイしているゲームのモブが自我を持ち始めたら…と思うと面白い。
気になったのは、モブキャラにしては割と序盤から主人公並みに強かったこと。モブキャラって聞いた時はもっと弱々しくて地味なの想像してたのでビックリ。まあ、テンポよく進むし何でもありの世界なので、これくらいぶっ飛んでても違和感はなかったけどね。
2つめは、音楽の使い方が上手いこと。
この映画はBGMが多めで音楽がストーリーとマッチしている。シリアスなシーンは少ないので、ポップ調の曲が多い印象。
テンポよく進むストーリーに合わせ、軽快な音楽でバサバサと敵を倒すシーンは爽快。個人的に好きなのはガイがジョデとキスして記憶を思い出すシーン。あそこで掛かるBGMがロマンチックで気持ちい。使いすぎると白けてしまうBGMだが、今作は音楽面で不満を感じることはなかった。
ゲームをふだんプレイしなくても問題なく楽しめる、分かりやすくてハイテンポなストーリー。鑑賞後はハッピーな気分になれる、万人におすすめ出来る映画だ。
バービー +トゥルーマン・ショー=フリーガイ
昨夜と今夜(2024/09/06〜9/7)で半分ずつ観ました。アマプラで¥300レンタルでした💴前はネトフリ辺りで観られた筈でしたが、無くなってました😫
ゲームの世界とリアルの世界を行き来する『レゴムービー』的な作風ですが、主人公、ガイの存在はトゥルーマンのそれと瓜二つです。
飽きさせない工夫が至る所に仕掛けられていて観ていて楽しかったです。スナミの社長ことタイカ・ワイティティのクソ野郎具合が最高でした(笑)
111分の尺は少し長めではありましたが、ダレる事はなく、最後まで楽しめました。
他方、評価とは別枠ですが、ファンサービス的なシーンはテンションが上がる反面、[他の作品に頼っている感]があり、複雑な気分です。現代ではこう言った仕掛けがないと映画を観て貰えないのでしょうか。もしそうだとしたら悲しいですね。
本作は今を生きる人にとって、少なからず良い教科書になると思います。是非一度ご覧になって下さい‼️
ストーリも設定もめちゃくちゃ
変にSF寄りにせずに最後までコメディやってたのは良かったですけど
要所要所でゲームのあるあるをやってるのとパロディはおもしろかったです
やはりライアン・レイノルズならなんとかしてくれる
素敵過ぎやろ!
生涯ベスト10に入るであろう面白さ!実に爽快、愉快!終始ニコニコ顔で観賞後はとっても幸せな気分。あんまり良かったんで、小休憩して直ぐに2回目の鑑賞を妻と。ラストの素敵過ぎる種明かしのくだりで2人とも泣き笑い。笑 いやー無類に面白くてとっても素敵な映画でした。
思ったより現実の内容も多い
本作はオープンワールドゲーム「フリーシティ」のモブキャラ『ガイ』が
ある日、自分の「運命の女性」と出会って
モブキャラ以上の行動をするようになる作品
この作品はゲームの盗作とか
予想より現実の問題とリンクをさせてストーリーが進む部分が多い
ミリーがゲーム内で盗作の証拠がつかむために
ゲームをプレイしている
「フリーシティ」は銀行強盗など
野蛮なことをしてレベルアップをすることが多いらしいが
シティに住んでいるモブキャラなので
平和的にレベルを上げることをしていて
SNSなどでガイは人気のゲームキャラとなる
プレイヤーのアバターとの認識のすれ違いは面白い
サングラスをかけるとゲームの内容が認識できるのはどうなんだろうか?
ゲームのモブキャラはAIで自分の意志をもっていくように作られていたことが明らかになる
最終兵器デュードの闘いでは
ライトセーバーなど某作品のパロディもあった
デュードにとどめをさすときも
サングラスによって、世界の真実を見せる部分はよかった
というよりも、デュードは普通にモブキャラに馴染んでいた
フリーシティ最大の攻撃はサーバーの破壊(物理)
なんとなく、ガイはキーズの人格がそっくりという感じになっていた
記憶がなくなったガイがキスで記憶を取り戻すところと
バディが最後に復活したところはちょっとご都合主義っぽかった
まず、マトリックスを見なさい
次にバニラスカイを見てレディ.プレイヤー1を見て、これは見んでいい。
全体的に音楽を使ってごまかしてるだけ・・・という印象を受けた。 ストーリーそのものはあまりうまく書けてない。 それに見せどころというか 映画の面白さがマトリックスと同じだ。考えてみれば 20年以上も前の映画だが・・・。 コンピューターとの戦いをああいう形で表現したのは画期的だったな。それに人間ドラマもマトリックスの方がよく描けていた。こっちの方は主人公やわき役たちの人間ドラマが子供っぽくてしょぼかった。自分の内面との衝突とか他人との衝突とかいうものがうまく、面白く描かれてないように感じた。 誰が主人公なのかも よくわからないし。マトリックスの2番煎じの域を出ていない作品だなぁと感じた。そして マトリックス 以前にも以降にも バーチャルリアリティものは嫌というほど見てきた。だから途中から 既視感が強すぎて面白くなくなった。
ただこの軽いタッチの人間ドラマが好きな人にはたまらないのだろう。きっと。 それで多くの高得点がついてるに違いない。
私が一番面白いと感じたのは 序盤。・・・ 何がどうなっているんだろう・・という混乱を与えてくれた点が面白かった。
映画 全体を通じて CG と デジタル撮影とフィルム撮影が 組み合わされており 、映像が面白くて美しかった。
正直な 評価は3点ですが 平均点が高すぎるようなので低めの点をつけました
理想に生きる
ゲームのモブキャラが自我を持ったら?という話。
NPCなのにシナリオ通りに
動かない主人公ガイはなんなの?
となるが、
彼の正体を知ってからは
話が頭に入ってきやすくなった。
登場人物は
①ゲーム内のキャラクター
②ゲームのプレイヤー
(現実世界での姿&ゲーム内ではアバターでの登場)
となるが、
ひと目離すと
「これはだれかのアバターなんだっけ!?」と
パニックになるので
基本的に目を離せない。
ながら作業向きではなかったが、
話はわかりやすくパロディ多めで楽しめた。
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