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【すべてに値段が】
ダックスフントの仔犬がたくさん生まれたときの公告。
コミュニティ紙の日曜版に「血統書つき、ダックスの仔犬、差し上げます」と公告を出したのに一件も問い合わせが無かったので、
くだんの飼い主さん、今度はけっこうな額の値段を付けて公告を出し直したら、電話が鳴りっぱなしで大変だった ―
という体験談を読んだことがある。
まったく世の中とは不思議なものだ。
メルセデスのディーラーでも、来店開口一番「一番高いのをください」と言うお客さんは多いのだそうです。
どうやら「高価なものほど購買層を刺激」するらしい。
こんな僕にもなじみのある「ネットショッピング」にも同じ現象がありますね。同じ製品なのに、かたや定価以下の安値で、かたやとんでもない高値で出品されていて、わざわざ千円の本を7千円出して買う人のためのページがちゃんと用意されている。
しかもそれが売れているらしいのだ。
どうなっているのだろう。
本ドキュメンタリー映画では
「美術品は高いからこそ大切に扱われるようになるのですよ」と、なるほどと思わせる、“買い手の自尊心をくすぐるセリフ”が冒頭から飛び出していた。
サザビーズの女性スタッフ=エイミー曰く
“高く売れるんであれば、バイヤーが善人だろうと悪人だろうと、また個人蔵だろうと美術館公開だろうと、そんなの関係ねぇ”と。彼女がこう言い切っているのは、割り切っていて大したものだ。
業界と人を見切っているやり手だった。
最早売られている美術品なんかよりも、手数料で潤う広告業界の腕前が物を言わせて市場を支配する。これが時代というもののようですね、
まだ現物が存在していないのに未来の新作に(!)顧客たちはとんでもないデポジットを払って予約を入れてるんだとか。それもびっくり。
「作家の死のニュース」も、また「作者が高齢女性であること」も、値付け作業には不可欠のファクターになるって笑ってしまった。
本作「アートのお値段」は邦題。
じつは「Prise of Everything」が原題であることの凄まじい皮肉。
内幕が壮絶で面白かった。
そして撮影も音楽も圧倒的に美しいから、これは見応え有り。
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追記
【オークションの内幕】
ここまで内情を晒してもサザビーズはびくともしない。
オークションは楽しいのだ。
僕でも「ヤフオクごっこ」は本当にドキドキして楽しい。
あと何秒で入札締め切りという段階で、あと100円上げてスマホをクリックするかどうかで、指先が嬉しさに震える。
これ、出品者もサクラで、裏で値をつり上げているのだろうし、その罠にハマってはいけないし。
あの切羽詰まったドキドキ感こそが中毒性を持ち始めて、オークションから抜けられなくなる御仁も居られるはず。
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【そして人間の値段】
先週、2025年1月20日、大阪高裁、
耳の聞こえない女の子の交通事故死についての民事賠償裁判の上級審があり、
一般健常者への賠償額の8割5分掛けだったこれまでの障害者への“値踏み” (逸失利益)の一審が覆されて満額の判決が出た。
減額の要素として常識だったマイナス項目= 女、子供、障害、親の家業と年収、そして社会的貢献度・知名度・・
それまでの日本社会のこの “逆オークション”への「否」が宣言された、大阪高裁の画期的な判決だ。
(⇔逆にものすごい高額賠償になるのは例えば開業医の家の長男の死亡の場合とかね) 。
絵とか、命とか、
実際の価値には目を瞑り、値段を付けちゃいけないものに価格表プライスリストを付ける事の後ろめたさと、
どこか拭えない嫌な気分を忘れないのであれば、
好きな作品の売買は良いことだとは思うけどね。
画家ラリー・プーンズの優しいギターと歌でこのドキュメンタリーは閉じる。森の中で絵を描いているおじいさんだ。血圧が静かに下がってくる歌声だった。
撮っていいのは写真だけ
持ち帰っていいのは思い出だけ
これは国立公園の看板。
アーティストも画廊も
物欲との死闘だ。