パラサイト 半地下の家族のレビュー・感想・評価
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韓国のリアリティ
時計回り
ネタバレなしで見た方がいい
が、そういう貧困差はあるよーくらいに
あらすじくらいは捉えてから行った方が
見やすそう
話は前半笑えるんですよね
格差社会の下にいるのに
笑えるんですよね
WiFiのとことか
ピザの箱の件とか
たまたま貰ったチャンスから
富裕層にとりいっていく
さあここからこの家族の悪事がばれて
はたまた富裕層家族のっとるのか?
~と思いきや
後半なーすごいね
まさかもう一段階、話があるとは
正直びっくりした
オチも秀悦
希望を残す終わり方
勿論ただではない
すごくリアルで
いい作品でした
色眼鏡なしでみてほしい
あと時計回り
おじさんには印象のこってしまいました
人間結局一緒なんだよね
根本的には
それを言いたいことはわかるが
あしからず・・・
元家政婦笑
話題のパラサイトですが、ワイドナショーで松っちゃんも言ってた、状況的に全く知らない人間(元家政婦)をリスクを犯してまで家に入れるのは不自然では..問題は確かにあるのですが...
あの.."ボンジュノ"監督作品なんです!!
っていう世間の評価ほど乗れませんでした。
良い意味でコメディタッチで進む前半とガラッと展開が変わる後半みたいな取り上げられ方をしてますが、この手のほとんど救いようのない展開、ラストはメジャーどころの韓国映画ではデフォルト(チェイサーや悪魔をみた)だし、ボンジュノ上げがあまりにも過ぎませんかね..
と思いました、なにより感情移入できる(ちょっとイイ奴)が息子のみてオヤジもお袋も娘もいけ好かない人間でしかないのが決定的にダメでしたし、いけ好かない家族の明るい未来を示されても、はぁ?って感じです。
物語の詳細は解説を御覧下さい笑
この映画にハマった方は是非"チェイサー"の視聴をオススメします、何倍も面白いです!
人間の運命の底に到達した、まごうことなき傑作!
(完全ネタバレですので、必ず映画を鑑賞してから読んで下さい)
この映画は絶賛されていると思われますので、今更自分が感想を書くこともないのですが、一般的ないわゆる格差社会の貧困を描いたから評価されている、というのはこの映画を正確には評価出来ていないと感じましたので、自分なりの感想を書いておきます。
この映画『パラサイト 半地下の家族』が絶賛されている本質は、表現が
<人間の【運命】の底に到達している>
ところだと思われています。
この映画では、ラストに金持ちのパク家で殺人事件が起こるわけですが、よく見るとパク家の家族は殺されたり被害者にならなければならないような落ち度がある家族ではありませんでした。
パク家の妻のパク・ヨンギョ(チョ・ヨジョンさん)は少し抜けてはいても基本はいい人で、夫のIT社長のパク・ドンイク(イ・ソンギュンさん)はパラサイトしていた側のキム家の人々と壁を少し感じさせても殺されるまでの行為はしていません。
パク家の息子のパク・ダソン(チョン・ヒョンジュンさん)は地下の住人とどこかシンクロしていますし、娘のパク・ダヘ(チョン・ジソさん)に至ってはこの映画の主人公である貧乏家族の息子キム・ギウ(チェ・ウシクさん)を背負って瀕死の状態から最後に救い出そうとしている場面が描かれます。
いったいこの家族が殺人事件に直面し、いい人であった妻のパク・ヨンギョが最愛の夫を失う必然は本当にあったのでしょうか?‥
この疑問はパラサイトしていた側の貧乏家族であるキム家についても言えます。
貧乏家族のキム家の妹のキム・ギジョン(パク・ソダムさん)は、殺人事件が起こる直前にパク家の地下に取り残された元家政婦ムングァン(イ・ジョンウンさん)とその夫で地下の住人であるグンセ(パク・ミョンフンさん)に食事を持って行こうとしています。
つまりキム家の妹キム・ギジョンは、地下の住人に心を掛けている優しさを持っていました。
しかしこの殺人事件で地下の住人のグンセに殺されるのは、この地下の住人に最後食事を持って行こうと心を掛けていたキム家の妹のキム・ギジョンでした。
いったい彼女が殺される必然はあったのでしょうか?‥
おそらくこの映画のポン・ジュノ監督は、この場面を明確に意図してこのようにそれぞれ描いていると思われます。
ここで描かれたことは、
【良い行いをしたから救われ/悪い行いをしたから罰せられる、訳ではない!】
ということだと思われます。
つまりポン・ジュノ監督は、この場面で【救われるか救われないかは、単に偶然だよ】と表現していることになります。
そして、貧乏のキム家族も、金持ちのパク家族も、なぜそういう境遇に置かれていたかを考えれば、表層的には本人らの努力(あるいは努力不足)があったのかもしれませんが、突き詰めて考えていくと、それは結果として【偶然】の積み重ねがあったからそうなったとも言えます。
そして私たちは、その【偶然】の積み重なりを【運命】とも言い換えたりもしています。
貧乏家族のキム家の父であるキム・ギテク(ソン・ガンホさん)がなぜ最後に突発的とはいえ殺人の犯行に及んだのか?
もちろん”臭い”はトリガーであり、洪水とキム家の中への汚水の浸水は心の決壊を引き起こしたといえますが、本質は【運命】に対する暴発的な異議申し立てだと思われます。
(だからこそ、キム・ギテクはIT社長のパク・ドンイク個人への恨みが動機ではなく、殺害の後しばらく経ってから彼に謝罪の独白をしています。)
貧乏家族のキム家は、主人公の母であるキム・チョンスク(チャン・ヘジンさん)を含め、父のキム・ギテク、主人公の(息子)キム・ギウ、妹のキム・ギジョンの4人とも計画の頭が回り、【運命】に抗うためには何をやってもいいのだ、との前半のコミカルなたくましさが肯定的に描かれます。
それとの対比である最後の殺人現場は、【運命】に対する挫折をより一層際立たせ、私たち観客に、【運命】に抗う肯定感の後に、【運命】に翻弄されて挫折もしている現実の自分自身を思い起こさせて、深い感銘を受けることになったと思われます。
なぜこの映画は、(本来、表面的には悪人に見える)金持ち家族を良い人に描き、(本来、表面的には善人に見える)貧乏家族を計算高い人間に描いたのか‥
その理由は、問題をどちらの家族の個人に原因を還元するのではなく、【運命】に抗いながら翻弄されて挫折もしている人間の深さを描いたからだと思われます。
(※主人公の貧乏家族の息子キム・ギウは、妹とは違い、(おそらく)地下の住人を始末し決着しようと最後に岩を持ってパク家の地下室に向かいます。
しかし、地下の住人であるグンセに殺されたのは、彼らを始末しようとした主人公キム・ギウではなく、食事を持って行こうとしていた妹のキム・ギジョンの方でした。
このこともポン・ジュノ監督が偶然のあるいは皮肉に満ちた【運命】を描いているところと思われます。
主人公キム・ギウが、妹の死を知り殺人事件を知ることになって笑いが止まらなくなるのも、悲劇が喜劇に見える【運命】を表現していると思われます。
最後の、おそらくかなわない夢なんだろうなとも思わせる、主人公の未来への妄想をも含めて‥)
世界中でこの映画『パラサイト 半地下の家族』が絶賛されているのは、そんな私たちが甘受している(格差社会や時代をも含む)人間の【運命】の深い底にこの映画が到達しているからだと思われています。
(もちろん、その【運命】を地下と地上という<構造>としても画面に描いた素晴らしさもあるのですが‥)
表層の、個人が周りがどうにかしてないからこの問題が起こっているのだ、格差社会の貧困が描かれているから素晴らしいのだ、の分析は、この映画の本質を捉えていないと個人的には強く思われています。
そしてそんな善悪がきっぱり分かれていて、善の側に立つ主人公が善のまま、悪の側を倒すといった(個人的には底の浅いまやかしの)主張がまかり通り、そんな人間理解の浅すぎる(つまらない)作品が、勘違いの元で作られていることもまた事実です‥
そんな表層の喧騒から遥かに遠い地点に達し、この映画は、【運命】に抗い翻弄される私たちに、逆説的に勇気を与える作品になっていると思われています。
まごうことなき傑作だったと今も強く思われています。素晴らしい作品をありがとうございました。
痺れる〜!
主人公は姉の死と直面して何故笑顔だったのでしょうか?鑑賞後1時間考えても分かりません
追伸:貧困サイドのお父さん役の方、チョコレートプラネットの長田さんに似てません???友人に言ってもあまり共感されないのですが、、、
映画「シュリ」を誉めてた人達は今どこに?
20数年前に映画「シュリ」をマスコミを始めこぞって大絶賛の嵐でしたけど、あれを誉めてた人達は今どうしてるんでしょうね。
ハリウッド映画をトレースしただけの二流のアクション映画を誉めてましたけど、今じゃ誰にも見向きもされません。
あの時は南北問題と二言目には鬼の首を取ったかのように騒いでましたけど、今作では格差社会ですか。
頭の良い監督が頭の良さだけで作った、そこそこ面白い映画というのがこの作品の妥当な評価ではないでしょうか。
1つだけ良かったのは、主人公と女子高校生のキスシーン、この作品で唯一ハッとさせられたシーンでした。
なので、まだ見てない人はキスシーンに注目してください。あとは夫婦のソファでのベットシーン、あれはエロいだけでシーンとしてはイマイチでしたね。
エンタメ、映像、コメディの見せ方がハマらず……うーん
うーん、想像してたより衝撃な展開がなかったなー、と。
ハードルを上げすぎたか。
色んな人の感想を漁って、考えて作られてるなぁと唸ってる。
けど自分は”見てるとき”に楽しさや感動を味わえなかった。
エンタメ、映像、コメディの見せ方が……うーん。
特に韓国特有(?)のコメディ、(ボケ→ノーツッコミ)の”間”がハマらず。
あと、すんごいピンチになってるはずなのに行動が遅かったり中途半端だったり……ってのも引っかかったところ。
貧富の差について考えさせられる……てのもよくわからず。
貧しいからとか関係無しに勝手にトラブルを起こしてるだけのような?
半地下家族の”実際に生きてる感”のある演技は素敵だった。
特に妹のスレた感じ。
表情も絶妙にラインが出た服も。
美人枠の女優さん達がとても美しかったのも目に福でありました。三者三様の魅力。
男性陣は息子が絶妙な演技してたなー、と。
つまらないわけでは無い。
けど、ドカーンと来るものはなかったかなぁ。
面白かったです
予想できない展開でした。
脚本がよくできていて、面白かったです。
ダヘ可愛かったです。
そのダヘにギウが助けてもらったときに、地下室の入り口見てるんじゃないかと。
ギウ、あれで生きてたとは、、。
細かいところが、ちょっと気になってしまったけど、全体として面白いし、ドキドキハラハラするところもあり、とても楽しめました。帰り道、気分良く帰れる映画ではないですが、映画好きにはお勧めしたいと思える映画でした。
心にゆとりのある人におすすめ
話題の「パラサイト 半地下の家族」を観た。
法螺話ていうか、与太話としてはよく出来ている(ちょっと、納得できないところもあるが(^^; おい、なんでそんなことするんだ、とか)。
映画文法としても構成がよくできており、エンタメとして評価が高いのもわかる、日本の映画作家もよく、見習うべき。
ただ、問題は、このストーリーが好きかどうか。
映画マニア、映画評論家、そして、こころにゆとりのある人にはお薦め。
私は気持ちに余裕がないので、あまり好きになれなかった。
格差社会を訴えた点で、「ジョーカー」を想起する声が多いが、私は、なぜか「シェイプ・オブ・ウォーター」への違和感を思い出した。でもこの作品と違って、アメリカ映画でないから、オスカーは無理だろう。
どちらにしても、やっぱり私は、映画にはカタルシスが欲しいな。
貧困とか格差みたいな小さい話は
貧困とか格差みたいな小さい話は
『万引き家族』にでも語らせとけばいい。
メッセージ性なんてものは、あってもなくてもいい映画のひとつの部品に過ぎない。
作品を重ねるごとに濃縮されている、異形でいびつな表現、並びに人間の描き方。ディフォルメの仕方が普通じゃない。明らかに異常。
そのいびつさが見る側の価値観をはみ出た時、時に笑いになり、強烈な恐怖にもなる。
鈍器でぶん殴られるような衝撃を前にして
貧困だ、格差だ、なんて感想は映画を矮小させる。
メッセージ性なんてチンケなこちら側の解釈で作品を小さく刻んでしまっては、勿体無いですよ。
この映画がヒットして、客が詰めかけてる
って状況自体がちょっと面白い。
だって『ボーダー』にこんなに客入る?
異常っぷりはそんなに変わらないよ?w
アジア初のオスカーなるか
ノミネートだけでも快挙だし、
パルムドール受賞作ということで褒めなきゃと言う心理が働くのはしょうがない。
が、映画というものは肩書で評価されるべきではない。
どう感じたかだ。
ドンシンク、フィール。
ブルースリーの名言。
考えるな、感じろ。
映画というものは考えるものではなく感じるもの。
この作品を見て何を感じたか。
無。
何も感じなかった。
強いて言えば、北朝鮮の物まねが面白かった。
それだけ。
一言では言い表せない、恐ろしく精巧で緻密な作品
話題になっていたポン・ジュノ監督の最新作ということで、鑑賞してきました。
なるべくネタバレを避けていたため、予告編と兄妹が家庭教師としてパク家に潜り込むところまでしか知らない状態で鑑賞。
結論。凄まじい映画でした。まるでジェットコースターのようにストーリーがどんどん展開していき、全てのカット・全ての台詞・全ての演技にきちんと意味がある。
緻密に練り上げられた脚本とか、「高低差」を利用した演出とか、考察の余地を残したラストとか。ポン・ジュノ監督の持ち味が存分に活かされた映画になっていたと思います。
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家賃の安い半地下に住んでいるキム一家。全員が無職で、内職で得られる僅かばかりの収入で生活を送っていた。ある日長男のギウが友人からIT社長パク氏の娘(ダヘ)の家庭教師を替わりにやってほしいと依頼を受ける。身分を偽って家庭教師として働き、ギウはパク一家から信頼を得る。そしてギウはダヘの弟であるダソンの美術教師として、有名な美術家だと偽って自分の妹であるギジョンを紹介する。ここから貧乏人のキム一家が金持ちのパク一家にどんどんと寄生(パラサイト)していく・・・。
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ポン・ジュノ監督は「兄妹が家庭教師をするところ以降は話さないで」と語っています。なので、予告編の映像も色んな映画紹介サイトでも、上記のあらすじまでは語っている人が多いです。ただ、これは映画冒頭10分ちょっとの内容ですので、これだけでこの映画の凄まじさを説明することは難しいです。
最初はキム一家がパク一家の中にどんどんと入り込んでいく様子をコメディタッチで描きます。映画館で笑い声が起こるくらい、ところどころに面白い演出が入っていて笑いながら観られます。
ただ、物語中盤のとある時点から映画のテイストが一変します。観た人には分かると思いますが、「インターホンが鳴らされた」ところからです。サスペンスのようなミステリのような、とにかく序盤の展開がどこに行ったのか分からないくらい雰囲気が変わります。まるでジェットコースターのように目まぐるしく進む展開で、全く先が読めず、あっという間に映画が終わります。
愛撫は時計回りに・・・。
日本での全国公開日の1月10日(金)から13日後の1月23日(木)に、いつもであれば観客も空いて少なそうな、イオンシネマ京都桂川の午後4時台の時間帯に自分独りきりで鑑賞に行きましたが、それでもクチコミ効果からなのか、かなりシアター内は混み合っていました。
韓国映画界を代表するポン・ジュノ監督の新作映画で、昨年の第72回カンヌ国際映画祭で韓国映画初となる最高賞のパルムドールを受賞した作品という以外には、劇場で流れていた予告編を1度のみ観ただけで、ほぼ何の事前の予備知識も無く観たので、てっきり、格差社会を描いた終始に亘って社会派ドラマっぽい映画かと予想していましたが、結構なエンタメ作品でもあり、面白く観る事が出来ました。
ただ、本作品に対しては、「ポン・ジュノ監督からのお願い」と題して、パンフレットの3ページ目に、監督から直々に、「本作をご紹介頂く際、出来る限り、兄妹が家庭教師として働き始めるところ以降の展開を語ることは、どうか控えてください。みなさんの思いやりのあるネタバレ回避は、これから本作を観る観客と、この映画を作ったチーム一同にとっての素晴らしい贈り物になります。頭を下げて、改めてもう一度みなさんに懇願します。どうか、ネタバレをしないでください。みなさんのご協力に感謝します。」との旨を懇願なされている作品でもあるらしく、また、実際にも、出来る限り事前の予備知識を入れずに観た方が面白いかとも思いましたので、ブログ記事化するのに一体どの様に書いたら良いのかと相当に頭を悩ましていて、こんなにまで時間を要して、現在にまで至ってしまいました。
但しながらも、昨年の『アベンジャーズ/エンドゲーム』の際の様に放置状態になってしまってもいけないと思い、本作品についても、出来る限りネタバレに気を付けながら以下にブログ記事をまとめたいと思います。
窓から地べたが見える半地下の住宅で暮らす貧しい一家が、高台の豪邸に暮らす裕福な一家と接点を得たことから始まる、格差社会が織り成す濃密なる悲喜劇でした。
お話しの流れ的には、
様々な事業に失敗してきたキム・ギテク(ソン・ガンホ)はその半地下の家で、妻チュンスク(チャン・ヘジン)、大学受験に失敗し続けて学歴はないが受験経験だけは豊富な長男ギウ(チェ・ウシク)、美大志望の長女ギジョン(パク・ソダム)と四人でピザ屋の箱作りの内職をしながら、ぐだぐだの日常を生きていたのでした。
だが、そんな或る日、転機が訪れるのでした。長男ギウの友人ミミョク(パク・ソジュン)から、運勢が変わる縁起物らしい山水景石のプレゼントと共に、彼が米国に留学する間に、おいしい家庭教師の代打の口を紹介されたのでした。
教え子の女子生徒は、成功したIT企業のCEOパク・ドンイク氏(イ・ソンギュン)の娘ダへ。
この山水景石が実に暗喩めいた象徴として、その取り扱いにより、その後のキム一家の生活を一変させていく事になるとは露とも思ってはいなかったのでした。
長男ギウは一流国立大学生を装って、高台に建つ、家政婦(イ・ジョンウン)付き豪邸を訪れ、パク社長夫人である奥様(チョ・ヨジョン)の面接を受けるのでした。
そして、IT企業社長パク氏の幼い息子ダソンの独創的な絵画のセンスに目を付けたギウは、美大志望ながらも予備校に通えずスキルだけが上達している妹ギジョンを、あたかも海外留学経験もある指折りの有名な美術講師と装わせ、まんまとダソンの美術家庭教師として紹介するのでした。
ギジョンは、奥様からの当初の「どの家庭教師も1ヶ月も続かなかった」という言葉を覆し、恐るべき早さでダソンを手なすけて、ギウとギジョンの二人は急速にパク一家からの信用を得ていくのでした。そして、ギジョンは次にある仕掛けをするのでしたが・・・。
パラサイト=寄生虫。
「下流」は「上流」にとりつこうとするのでしたが・・・。
展開もスピーディーで、一瞬一瞬が描写が実に濃密。台詞、風景、また、チョン・ジェイルの音楽、そしてソン・ガンホはじめ極上の役者たちの人間的な魅力。すべてが最大限に活かされて、有機的に結びついて物語を力強く構成していくのでした。
あらゆる情景、言動が観客の喜怒哀楽のいずれかを刺激し、同時に登場人物の本性や社会の構図を物語っていました。
ふと会話に入り込むひとくち英語、例えば「Smell(臭い)」ですら、後でジワジワ効いてくるのでした。
圧巻は、高台からの坂道、階段、そして雨・水が作り出す風景でしょうね。
上流で生まれたねじれは奔流になって下流へ押し寄せます。
格差社会をめぐる黒い戯画のさらに、さらに、その先へ。そして深淵がパックリと口を開き、世界が裏返しになって見えてくるかの様でした。
あの高台の豪邸の内部も、そして坂道から続く半地下の家も、直接製作費を、1.100万ドル(約12億円)を要して作った全部がセットによるものらしく、日本の映画でも近年巨額を投じた作品の最高金額は約10億円を掛けた『キングダム』くらいですから、この韓国映画の本気度具合が分かるというものでしょう。
この点でも、第92回アカデミー賞の作品賞、監督賞、脚本賞、編集賞、国際長編映画賞(旧・外国語映画賞)の他にも、美術賞にもノミネートされているのも理解出来ます。
パラサイトが一旦完了するまでは、なんとなく多くの観客も想像するに難くはないかとは思うのですが、本当にそれ以降の後半が先読み予測不能な映画で、如何にも、実に、映画的な作品とでも言いましょうか、脚本が完璧過ぎて、机上の空論っぽくも感じてしまうほどに、韓国の格差社会をシニカルに描いた社会派ドラマでもありつつ、ブラックユーモア満載でサスペンスフルでスリル満点な映画で、既成のジャンルの枠には収まらないような、玉虫色の様な、もの凄く面白味のある映画ではありました。
しかしながら、ただ私的には、非常に良く出来た映画で有り過ぎて、事が上手く運びすぎで、かなりのご都合主義的な点から、ここのところの同じく格差社会を描いた、日本の是枝裕和監督の『万引き家族』(2018年)やイギリスのケン・ローチ監督の『家族を想うとき』(2019年)や、同じポン・ジュノ監督の過去作品の『母なる証明』(2009年)などの作品に比べると、あまりにも現実味が感じられない点が、ちょっと社会派ドラマとして観ると、物足りなく感じて、やや首を傾げてしまう部分なのかも知れないですね。
なので、この作品の後半部分については、全くのエンタメ作品として観るべきであって、映画ならではの独自の世界観なんでしょうね。
人の底知れなさを、社会の残酷性を鮮やかに描き出す、謂わば、フィクションという戯画・寓話としてみれば、全くのオリジナル脚本の作品としては、非常に良く出来た映画ではありました。
国際長編映画賞は確実視されているようですが、作品賞、監督賞などが無理でも、ぜひ脚本賞でオスカーを獲得して欲しい作品ですね。
ただ、終盤の最後の最後になって、やや説明口調でクドくて蛇足気味だった様にも感じられましたのが少々残念でした。
出来れば、私の好きなポン・ジュノ監督の中でも特に衝撃を受けた作品でもある『母なる証明』(2009年)の様に余韻を残しつつも、無駄な説明台詞を排したもっとスッキリした感のある終わり方にして欲しかったです。
私的な評価としましては、
エンタメ映画として格差社会を皮肉った作品として観るか、それとも格差社会を問題提起する社会派ドラマと観るかで、この映画の感じ方や受け取り方は人ぞれぞれになるかとも思いますが、私的には『万引き家族』(2018年)やポン・ジュノ監督の『母なる証明』(2009年)の時の様なガツン!と頭を強く殴られたような衝撃が感じられる不条理な世界に涙してしまう映画ではなく、むしろ、笑いありスリングでもあるブラックユーモア満載の文字通りの悲喜劇であって、鑑賞前から、当初想像していた映画とは違っていたのもあり、嬉しい誤算でもありつつ、ちょっと残念でもありました。
ですので、私の場合には、ちょっと本作品が浮世離れし過ぎな点から、五つ星評価的には、あいにくと、満点には届きませんが、ほぼ満点の四つ星半の★★★★☆(4.5点)の評価とさせて頂きました。
最後に、なんとかネタバレ回避でブログ記事をまとめられて良かったです(汗)。
パラサイトしていくところは見所
結構面白かった。
他人を信じ込ませるところなどを見ると、簡単に人を信じてはいけないなーと思った
よかった点としては、
パラサイトしていく描写とかは、テンポよく流れもよかった
さらに、パラサイトをしていたのが自分たちだけでなかったところも
驚きが強くよかった
悪かった点が思いつかないほど良かった
英語圏以外初のアカデミー賞受賞
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