ホテル・ムンバイのレビュー・感想・評価
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勇敢な者たちと悲惨な者たち
ムンバイはインドでは首都圏デリーに次ぐ大都市で、商業、金融の中心地だ。
それなのに、地元警察ではテロに対応できないという。映画の序盤で「警官たちは怯えている」といったニュースコメントも流れる。
テロ対策部隊はあるようだが、事件発生早々に隊長が銃撃戦で射殺されたため機能していない様だ。恐らくその程度の小規模な部隊だということなのだろう。
状況は、デリーからの制圧部隊到着を待つのみとなっている。
高級ホテルでお客を助けるために逃げなかった従業員たちの美談が報道された、実際の事件。
だがこの映画は、ホテル従業員だけにスポットを当てているのではなく、VIPを含む宿泊客たちが助け合う姿や決死の行動、軽装備で敵に立ち向かう地元警官の強い使命感も描き、さらに宗教の強制力を借りてテロリストに洗脳された若者の悲惨さも映し出している。
主人公のホテルマン・アルジュン(デブ・パテル)が出勤する様子を見せるイントロ部で、靴を落としてしまったことにアルジュンは気づかない。
これが物語に大きく作用するわけではないが、上司である料理長(アヌパム・カー)の従業員への厳しさと愛情深さの両方を見せるエピソードに繋がる。
また、高級ホテルの従業員たちは、現地の貧しい労働者階級だということを示してもいる。
そして、この料理長が過酷な状況でリーダーシップを発揮するのだが、そこでアルジュンを強く信頼していることが分かる。
若者たちが小さなボートで乗り付けた海岸から上陸して、タクシーに分乗する場面が坦々と映された後、ターミナル駅のトイレで彼らが武器を準備し始めると緊迫感が高まり、一気にスピード感を上げて大量虐殺へと進展していく。
Tシャツのようなラフな格好にマシンガンを携えたテロリストたちは、銃撃の訓練を受けていて容赦ない殺戮を実行していく。
彼らの行動原理は、神の教えを騙った首謀者によるマインドコントロールと、貧しい家族に支払われると約束された報酬にある。
その報酬が本当に支払われるのかと疑いが脳裏を過った時、生きて帰れないことを自覚している彼らの心の動揺は想像すらできない。
最も極限状態にあるのは、人質となった外国人宿泊客たちであり、頭に銃を突きつけられて客に電話しろと脅される女性従業員たちだ。目の前で同僚が頭を撃ち抜かれるのを見せられた恐怖を思うと胸が詰まる。
ホテル従業員は全員がホテルに残ったわけではない。家族のために逃げるという者に対して料理長は「謝るな」と言う。
残る決断をした従業員たちも、無防備だ。包丁や肉叩きを手にして身構えるコックたちの姿に勇気と同居する恐怖心が浮かぶ。
細かい描写が、活きている。
テロリストの根底に信仰心があるため、この映画には信仰についての見解を示すようなエピソードも挿入されている。
信仰自体は尊いもので、原理主義と言われる「狂信」が対立と憎しみを生むのだろう。そして、信仰心を利用した狂信者による洗脳こそが元凶なのだ。
この実行犯たちのような悲劇の若者を産み出さないために必要なのは、教育なのだろうと思う。
次々と展開していく地獄絵図はリアルで、恐ろしい。
一方で、VIP客(アーミー・ハマー)が赤ん坊救出に向かう場面や、ベビーシッター(ティルダ・コブハム・ハーヴェイ)が赤ん坊を抱いてクローゼットに隠れる場面などは、スリルあるエンターテイメントになっている。
監督のアンソニー・マラスはこれが長編デビュー作だという。
「ボーダー・ライン」のスタッフが集結したとの触れ込みだが、共同脚本も務めていて見事な作劇だ。
印象に残った映像やエピソードがいくつもあった。
しかし…、大勢の人が死ぬ映画だ。
クライマックスで、逃げ惑う人たちと追いかけるテロリストたちの中に突入した制圧部隊は、犯人と被害者を見分けられたのだろうかと心配になったりもした。
インドでも「お客様は神様です」と言うのだなぁ、と妙に感心も。
画的には、赤ん坊の母親を演じたナザニン・ボニアディがなんとも美しい。
テレビドラマ「HOMELAND」でCIAの女性工作員を演じていた女優さん。
だが、全編で最も讃えるべきは、赤ん坊を守り抜いたベビーシッターじゃないか!
良い映画でした!
日本人にはテロの恐怖を想像するのは難しい
緊張感
史実ほど恐ろしいものはない
誰もが生きたかった
最後のテロップが全てを語っている!
感情移入とは微妙に違う【主客合一】とは?
感情移入ではない【主客合一】とは?
事実は小説より奇なり、
を超えて、
ファクトよりもクリエイト。
フィクションで事実を、
観客の胸の奥深くに差し込む。
その深さは報道やニュース、ドキュメンタリー作品(「ジェノサイド・ホテル」もフィクションだけど)よりも深い。
傑作・・って言えない。
感動・・って思えない。
良かった・・って喜べない。
演出の技術はかなり高い。
シナリオ→撮影→編集。
多くの登場人物の気持ちの動きが観たくなるようなサブプロットの編集の繋ぎ方も上手い。
アーミー・ハマーの行かないといけないから行く正義。
地元警察の行かなくてもいいのに行く正義。
ホテルスタッフの行く正義と行かない正義。
訓練された特殊部隊の将校もただの人、
ジョン・マクレーンは夢物語の正義。
(地元警察は行かなくていいというよりも、あの時点でテロリストの正体、人数、火力、訓練度等多くが未知数のまま、突入するのは無謀・・・でも行く!(この地元警察でメインプロットを引く事も可能だったはず、、))
それぞれの登場人物の行動と観客はシンクロしながら事件を見る。
そして、解釈は微妙に違うはず。
観客の主観と客観が、
シンクロする【主客合一】という行為。
その行為は感情移入とは微妙に異なるという事と、
感情移入は物語を追うのに必ずしも必要ではない、
シンクロしたくない登場人物とも主客合一は成立するのがわかりやすい作品でもある。
そして何よりもメインプロット。
この凄惨な実話を先に映画化した「ジェノサイド・ホテル」(フィクション作品)でも書いた。
エンタテインメントでハラハラドキドキの展開で魅せるには、時期尚早ではないか。
テロ発生→状況終了までをメインプロットにしてもいいのか⁈
事件に遭遇した人々を描くだけでも充分にドラマは成立するのではないか。
企画段階での周囲からの批判、製作サイドの内側での葛藤、なんとなく想像できる。
でもあえてフィクション、エンターテインメント。
その大きな理由のひとつは、
未だ逮捕されていない首謀者への怒りではないだろうか。
首謀者への怒り、
何故こんな被害を受けないといけないのか?
と、
何故こんな子供たちが加害者に?
テロリストの少年たちのエピソード。
水洗トイレに驚き、食べ残しのピザを貪る、
タトゥーも見た事ない、そして家族への電話。
◯◯にも三分の理と捉えるかどうかは観客次第。
ここは創作だろう。
ここでも【主客合一】は発生する。
決して少年たちの気持ちには賛同できない、
ただ、どこかで止められなかったのか等考える観客もいるかもしれない。
フィクションの効果を最大限に駆使して、
ドキュメンタリーよりも、
リアルな描写で観客の心を捉え、
エンターテイメントで世界中津々浦々まで作品を届けたいという製作サイドの狙いは一定の効果をあげているのではないだろうか。
テロとはこういうもの
社会的メッセージや正義や非難やサブストーリーとしてプライベートな物語があるわけではなく、ひたすら現実を映し出す恐ろしいとしか言いようのない映画だった。いたずらに怖がらせているわけでもないし、処刑のような惨たらしいシーンがある訳でもない。運の悪いことにその場に居合わせてしまったらという、限りなく有り得る状況がこの恐怖を産むのだと思う。
こんな経験はしたくもないが、テロにあうというのはこういうことなんだろう。危機意識くらいもつのは今のご時世、決して無駄では無いはずだ。
パニックにならない
諦めない
こんなことを漠然と思っただけだが、この実際にあった事件が、見終わったあとも、じわじわと胸を締め付けてくる。
平和な世の中を願わずにいられない
悲しさが溢れる
事件のことは全く覚えておらず、
当時の日本ではどんな風に報道されていたのだろうか…
テロリストの少年が
家族に電話をするシーン、涙が止まらなかった。
信仰心の強さだけではなく
貧困から家族を救うためのテロ。
悲しくやるせない気持ちでいっぱいになった。
首謀者は捕まっていないとのこと
卑劣なテロが無くなることを願います
サスペンスだけではない人間讃歌
ジョン・マクレーンの出てこない『ダイ・ハード』みたいなバイオレント極まりないアクションスリラー
2008年11月、ムンバイの海岸に小型ボートから降り立った10人の少年達。イスラム原理主義者のテロリストである彼らは市街各所で銃を乱射、街中がパニックに陥る。様々なVIPをもてなすための準備が進められていたムンバイの一流ホテル、タージマハル・パレス・ホテルに銃撃から逃れた民衆が押し寄せ、非常事態を察したスタッフは中に招き入れるが、その中にテロリストも混じっていた。
実話ということは知っていましたし、主演がデヴ・パテルでポスタービジュアルも地味なドラマっぽいので完全に油断してましたが、これは超リアルでグロテスクなサバイバルアクション。言い換えればジョン・マクレーンの出てこない『ダイ・ハード』。どこのシネコンでも一日一回くらいしか上映がしないのが不思議だったんですがそれも当然でレイティングがR15+とかなりハード。ということでテロ描写に忖度が一切ないので善良な人やそうでもない人が容赦なく命乞いも虚しくあっさり殺されまくります。この辺りは正直エゲツないにも程があるので鑑賞前に余裕を持って食事を済ませておく必要があります。ジョン・マクレーンがいない一方でデリーから派遣された特殊部隊が到着するまで待てずにホテルに突入する勇敢な警官達がいるのですが、ジョン・マクレーンではないのでマガジンが空っぽになるまで撃ってもテロリストを一人辛うじて負傷させるだけという劣勢ぶりに観客のストレスは一切解消されません。ジョン・マクレーンがいないのでドラマが濃厚、まさしくグランドホテル方式で幾重にもドラマが重ねられます。うっかり靴を自宅に忘れたことから運命が大きく変わってしまった主人公のシーク教徒のウェイターのアルジュン、突然の事態にもかかわらずあくまで冷静にお客様は神様という三波春夫イズムを発揮する総料理長オペロイ、何やら怪しいパーティを主催する謎のロシア人ワシリー他様々な登場人物を立体的に描写、実話と言いつつかなり大胆な脚色を施していると思われ、至る所に含蓄のあるセリフが吐き捨てられていて、世界中で起こっているテロ行為の背景にあるもの、テロ行為の後に遺るものが何かを流血とともにスクリーンに投げつけてくるバイオレント極まりない作品でした。
重苦しくショッキングな作品
容赦ない
克明
12年前の出来事らしい。
作中で語られるエピソードの真偽は定かではない。ほぼ創作なのかもしれないし、入念に取材した賜物なのかもしれない。
ただ…テロという未曾有の暴力に蹂躙されていく様には背筋が凍りつく。
あまりに理不尽な銃口から逃れる術がない。
たったの4人。
もしくは6人。
思想を刷り込まれ、銃という殺戮兵器をもたされた駒たちに、いとも容易く平和は破壊されていく…指先一つ、数秒引くだけで。
どれほどの恐怖に耐えたのだろうか?
物語は一切緩む事なく、猛獣と対峙する檻の中を描き続けているようだった。
硬直、緊張、どの言葉を使っても足りないように思う。制作サイドの断固たる決意の上にこの作品は成り立ってるように思う。
残さねばならない。
過去にしてはいけない。
ムンバイに降りかかった狂気は、今も尚、その火種はあちこちにあるのだと。
そんな事を思う。
インドでは絶大なる支持を受けた作品なのではなかろうかと思う。
直面してるからこそ、組織の構造にまで言及するのだろう…。実行犯は皆若く、等しく貧困で極端な思想に管理されてる。
親に愛され、自身も家族をあいしているようだ。とある地域では思想による統制でもなされているかのようで、親の世代にも「聖戦」としての正義が植え付けられているようだった。この作品では、その実行犯を被害者とも描いている。
もっと根深い。彼らの世界を狂わされた狂人がいるのだと。この事件の主犯は不明のままだそうだ。
作品としては若干長い。
途切れぬ緊張感故の演出もあるのだろうが、俺はそう感じた。
ただ、その執拗な、地を這うような重い空気感が、作品におけるリアリズムの要と言えなくもない。
印象的だったのは、エンディングだ。
再建し式典までやってるそうだ。
日本だと壊して数年空き地とかになりそうだと思うのだが、恐れ入る。
何人も人が死に、夥しい量の血が流れた場所だ。曰く付きの事故物件だ。誰がそんなとこに泊まろうと思うのだろうか?
ところがどっこい今もホテルとして営業を続けてる。いつの映像か誰かも分からないんだが、風船と紙吹雪の中で、満面の笑顔で万歳するおじさんがいる。
日本では不謹慎とか、叩かれまくりそうだが、それを甘んじて受けてでもやらねばならぬ事がある。
俺には強さに見えた。
テロには屈しない。
俺たちはこのホテルで戦った。
このホテルこそが、その象徴である、と。
強い。
なんと強靭な民族であろうか…。
そして、映画館を出た時の平和が…なんの疑念も躊躇いもなく満喫している平和が…その違和感が猛烈で…垂れ流される安寧な時間が哀れで…若干、行き場を失う。
日本はマヌケなぐらい平和だな。
それを国家として維持してくのは、きっと想像を絶するのだろうし、奇跡の産物なのかもしれない。
テロの背景にあるもの
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