窮鼠はチーズの夢を見るのレビュー・感想・評価
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大倉忠義と成田凌のラブシーンには想定外の付加価値が
生来が流されやすい性格で、頼まれたら断れないサラリーマンの恭一が、以前から彼のことが好きだったという渉から、「あなたの体が欲しい」と言われ、承諾する。そんな風に始まったセックスが回数を重ねるうちに違う何かに転嫁して行く工程や、それでも人間は生まれ持った性格と性分からは脱却できない宿命等、描かれるのはすべて、ゲイという形を取りながら、セクシュアリティに関係ない人間本来の生々しい姿だ。人はなぜ誰かを好きになるのか?またはなれないのか?誰かを愛することは同時に自分を愛することではないのか?そんな思いに至らせる本作は、行定勲監督が「劇場」でも試みた、結果が見えない恋愛の魅力的な停滞感を描いて、観客を終始幻惑する。大倉忠義と成田凌が互いに贅肉のない肉体をぶつけ合う様子は、人と人との距離が開いてしまった今観ると、想定外の付加価値が付くことは言うまでもない。
曝け出した大倉忠義、いじらしさ全開の成田凌に感服
表題の通り。本能を曝け出してみせた大倉忠義、7年も一途に思い続けていた役どころを見事に演じ切った成田凌、それを見事なまでのラブストーリーとして130分にまとめあげた行定勲監督に喝采をおくりたい。
「BLもの」と分類してしまうのは、浅薄な考えではないだろうか。相手が誰であろうが、好きになってしまったらどうしようもない、理屈じゃないんだということを、キャスト陣が生々しく、そして説得力をもって体現している。
また、この2人の恋路を際立たせているのが、吉田志織、さとうほなみ、咲妃みゆ、小原徳子ら女優陣。彼女たちの時にいじらしく、時に激情にかられた眼差しが、今作をよりリアリティ溢れるものにしている。
とても出来の良い本格的な恋愛映画。大倉忠義と成田凌の演技はかなり良い。
私の認識では、行定勲監督作品は、興行収入や作品の完成度においても「世界の中心で、愛をさけぶ」(2004年)、「北の零年」(2005年)がこれまでのピークでした。
当時は、かなりのヒットメーカーで期待も大きかったのですが、なぜか作風が独特なものになって行き、それ以降は残念ながら、たまにしか「見て良かった」と思える作品に出会えない状況でした。
そんな行定勲監督が瞑想期間を経てようやく「答え」が熟成されてきたようで、本作では、かなり人間描写や映像表現もしっかりしていて、(15年前とはまた違った形で)行定勲監督が復活してきたように感じました。
本作では、主演の大倉忠義と成田凌の演技が特に良く、切なくも愛おしい恋愛模様をリアルに表現しています。
しかも、覚醒した行定勲監督も容赦なく巧みに描写し続けています。
それに応えるように、大倉忠義は自然体ながらも、ある種の色気のようなもので空気感を醸し出し、成田凌はこれまでに見たことのないような可愛らしい仕草などを見せていました。
2人の他に4人の女性陣も登場し、通常の恋愛映画よりも人間模様が興味深くなっています。
最初の2人の再会のシーンから自然で、最後まで無理のない上質な完成度の作品でした。
題材から万人受けする作品とも思いませんが、出来の良い映画であることは間違いないと思います。
最後がとくによかったです
過去に原作を読んでとても面白かったと感じた記憶があります。
映画も面白かったですが、メインキャストさんが逆のパターンで見たいなと思いました。
二人が惹かれ合いつつも、なかなかくっつかないところや、最愛の人と出会うとその人だけ枠外になってしまうといった台詞がとても好きです。
作品として認めざるを得ない
最後の海辺での回想シーンでイマガセが主人公大友に話した言葉は、この作品をわかりやすくさせるために敢えて挿入したと考える。
それがないとこの作品の真意は伝わりにくいのかもしれないが、それがあることで考察するものが消え、同時に作品というより主張を聞かされているように感じる。
その主張とはLGBT法の成立を後押しする動きであり、作為的工作に他ならない。
さて、
人気女優が「脱ぐ」という演技を求められるのと、男優が男との濡れ場を演じるということはもしかしたら同等に値するのかもしれない。それほど強いインパクトがこの作品から感じられた。それは一つの新しさとそのタイミングの到来と、おそらく成功を物語っている。
この作品において大倉忠義さんと成田凌さんの演技は素晴らしく、よくぞそこまでやったとエールを送りたい。
特に大倉さん演じる大友という人物を、ある種「虫唾が走る」ほど共感できないまで徹底した演技は見事というほかない。
「愛してくれる人には弱いけど、それを信用しないで、自分に近づいてくる人を次々狩りまくる」
このような人物を作品として俯瞰しているから虫唾が走るのだが、実際は割とどこにでもいるように思う。
そして、大友が婚約者タマキに対し、「ごめん、どうにもできなくて」というシーンがあるが、そこまで同じことを繰り返してしまう大友という人間に対して、殺意さえ覚えてしまう。
逆に言えば、大友という人物設定をそこまですることで、彼を「変わった人」に分類できる余裕が視聴者に生まれ、同時に男同士の恋愛を他人事で見られるのかもしれない。
また、秀逸というのか工作巧みと言えばいいのかわからないが、男同士の恋愛をカテゴリ分類することなく、あくまで個人と個人の恋愛に的を絞っているところが、これを作品にしている。それはゲイバーに行って自分の性癖が変わったのかどうか主人公が確認するが、そこに答えは見つからなかったというシーンに現れている。
また、
このタイトルだが、まずナツキが男同士の恋愛について、ドブにハマるネズミとして例えている。これは社会的烙印のことだ。そのネズミは当然主人公である大友のこと。
そしてチーズは、タマキが大友に渡したチーズケーキだろうか。言葉として2回登場するので、関係していると思われる。それはおそらく主人公のどっちつかずの思考のことを示唆しているのだろう。
そもそも大友は、自分自身のことも、相手の気持ちなど何もわかっていないしわかろうともしない人物だ。大友は、社会的烙印というのは理解している。同時にイマガセを本気で好きになっている自分もわかっているが、その世界にハマりながら、タマキでないといけない気がするという従来の固定概念にどうしても引っ張られることが、このタイトルの意味していることなのだろう。
この虫唾の走る性格の大友に「心底惚れるって、すべてにおいてその人だけが例外になる」という恋愛における真実の言葉が、この作品を作品足らしめている。
だから人は迷い、葛藤し、苦しんでもがきながら、同じことを繰りかえすのだろう。
LGBT法との関連は否めないが、ひとつのタブーについて踏み込む機会を捉え、それを見事に演じ切り、一つの作品に仕立て上げたのは秀逸というほかないと思った。
なかなか面白かったですが
BL作品は初めて観ました。
成田凌の演技とかすごく上手いし、思ってた以上に引き込まれるようなそれはありましたが。
後半、大伴がただただ最低なヤツやなあと、一人の男として思うばかりでした。
人の心を傷つけてばかりだなと。
(自分はノンケの男です)
ラストでやっと、一人の人を心から愛せるようになったのでしょうけど…。
まあでも、なかなか面白かったので星4つです。
愛に性別は関係ない
愛してるから苦しく、不安で、寂しくて…でも、一緒に居られるだけで幸せで…
2人の演技がとても良かった!
成田凌の可愛さは反則でした。
印象に残った言葉
「心底惚れるって、すべてにおいてその人だけが
例外になっちゃうってことなんですね」
濡れ場多すぎ
役者さんの演技は素晴らしかった。
しかし、濡れ場あんなに必要?あんなになくてもよくない?AVかよ。
パンパンしなくてもよくない?朝チュンでもいい。
普通のシーンに安心するほどにHなシーンばかり。少々げんなりした。
1回観て、2回目も観ようと思ったけど、濡れ場のシーンがきつすぎて断念。
正解をすべて与えてくれなくてもいい。
Hなシーンよりも、二人の個々の生活スタイルをもっと見たかった。
原作にもないけど、映画には入れても良いんじゃないでしょうか。
2人のラブストーリーが軸としても
いい年の大人が、恋愛どっぷりで生きてきたわけではないだろうに。
ラストは原作よりも映画のほうが好きです。
心底惚れちゃうって大変
剥き出しの好き、を目撃するたびに、わたしはちゃんと本当に心底好きになったことあるのだろうか、とふとドキっとしてしまう。
ほかのことを失うほど、好き、に溺れたことは、平穏さと安心を求めてガードをつくってきた私にはないかもしれない。
『心底惚れるって、全てにおいてその人が例外になっちゃうってこと』っていう言葉が印象的だった。
2人の信頼関係と禁断の恋に魅せられて
本当に見ていいんですかと。内容もビジュアルも。大スクリーンで見るそれに何ともリアクションが取りにくくて。音もリアルでそれ以上やめてと言いたくなるほど。でもそれが空間を取り巻いて面白い。今ヶ瀬が甘え上手過ぎて。大伴のツンデレ感に攻め入りたくなって。総じてLOVE。
今ヶ瀬の“愛“に翻弄されて、
2019年。行定勲監督作品。原作は水城せとなの同名コミック。
刺激的な映画でした。良かったです。
主役の2人
大倉忠義と成田凌が入魂の体当たり演技。
2人が、そして2人の愛が男と男とかでなく、美しくて切なくて、
胸に迫りました。
愛を知らなかった恭一(大倉忠義)が、一途な今ケ瀬(成田凌)の愛を
受け止めて、受け入れて、覚悟を決める・・・
それまで流されるまま誘われる女の子を受け入れていた恭一。
何かが変化する。今ケ瀬と触れて大きく変わる。
2人の再会は、事件でした。
大学の後輩・今ケ瀬は、恭一の浮気調査の資料を持って現れた。
彼は興信所の探偵でした。
妻帯者の恭一は会社関係の女性と不倫していた。
その事実を突きつけられて動揺する恭一に、今ケ瀬は、
揉み消す条件に、「一晩付き合ってくれたら・・・」と言う。
大学の時から「ずっと好きだった!!」
そう、今ケ瀬はゲイなのです。
男性同士のラブシーンがけっこう過激です。
大倉さんと成田凌の裸の絡みシーン、凄く多いです。
女の子が見る映画ですよ。
(男から見たらキモいかも!今時の女子はこう言う映画、好きです)
(なんでだろう?男と男が愛しあう・・・とても新鮮!)
(それもトビキリの美形の男子たちが・・)
(密やかな楽しみ・・・嗜好品ですね、世の中が豊かになった証拠かも?)
大倉さんって関ジャニ∞だとは知ってますが、ドラマも映画も全く観てなくて・・・。
新鮮でした。上品で美しいですね。この映画にぴったりです。
(冷酷になれない優柔不断の優しさが・・・とても似合う)
成田凌は兎も角、拗ねる!嫉妬する!策略する!画策する!
そして脅す!!そう、脅すんですよ!
でも捨て猫(ネズミか?)みたいにいじらしい。
一途だもの、恭一だけを見ているもの。よそ見しないもの。
(可愛い男は、成田凌の独壇場かも)
振り向かそうとすると、するりと逃げて・・・
つかもうとすると、振り払われて・・・
恭一にとって、今ケ瀬は「愛の終着駅」なのでしょうか?
余韻の残るラストでした。
許せねぇ
主人公〜!正直何度主人公である大伴をぶん殴りたくなったか分からない。色んな人たちを巻き込んでおいて結局また「待つ」のかお前は…!な〜に灰皿キレイキレイして綺麗なお部屋で満足気にしてるんだよ!!!さっさと今ヶ瀬迎えに行けよ!!!泣いてんだろ!!!
いい!
すごい。役者ってほんと…。すごいとしか言いようがない。
大倉成田はもちろんだけど、女性陣もすごく良かった。さとうほなみさんいい味出してた。
ラストがイマイチよく分からなかったというか、なんでそうなった?というか、ある意味突然綺麗事で終わったなというかでなぁんか疑問だったけど、着地点はまぁ好みだと思うから仕方ないのかな。
しかし恭一(大倉)、「受け身で言い寄られると断れず」って生優しいものじゃないわこれは。ただのセックス好きでは?解説等のその表現が気になった。
ジャニーズ出演作にありがちな、エンディングに当然のようにジャニーズが流れることもないいい作品。(別にそれがダメなわけじゃないけど、この作品には合わなかった気がするので。)
切ない
主演の2人の演技上手で切なくて美しくて
でも汚れてて… 引き込まれました
男同士でうまくいかなかったのではなく
好きすぎて嫌なくらい愛してしまう自分に相手にお手上げになって去ったのだろうなって
涙が出ました
観るの抵抗あったし始まりからの20分くらいやっぱりやめよかな思ったのに
もはや今鑑賞後作品にもこの俳優さんにもはまってしまいました!
恋愛だ
恋愛中、嫉妬したり独占したくなったり
比べて傷ついたり駆け引きしたくなったり
恋愛の8割辛さと2割の幸せの中毒性が全部詰まってる
男とか女とかじゃなくてとにかく恋愛だ
余韻の凄い映画
大倉くんも良いし、成田凌がかわいすぎる
演技うまいうまいとは思ってたけどここまでとは
表情、仕草、話し方全て無駄のない演技
女優さんも主演の俳優を食わないキャスティングと演技で主演の2人をより一層際立たせていて絶妙。
濡れ場は凄い
お二方とも恐らくノーマルな方だと思いますが、濡れ場のシーンはとてもリアルで度肝を抜かれました。
ただ肝心のストーリーはというと、観る側に委ねられる部分が大半で最終的に何を伝えたい映画なのかよく分からず
その上シーンの切り替えも早いので、これはどういう事なんだろうと考えてるうちにストーリーはどんどん先に進んでしまう
少年漫画のように心の声まで何でもかんでも描写しろとは思いますが、あまりにも細かい描写が無くただのAVと揶揄されても仕方ないのかなと
まぁ色んな捉え方ができるのを楽しめる人には良い映画なのかもしれないですが、出てる役者さんの人気で映画の内容以上に評価が上ブレしてる感じは否めません
『窮鼠はチーズの夢を見る』から見る性の描き方
男同士の触れ合いが多いが、この映画は同性愛映画の色彩が濃くないとされてきた。そして観客層も女性が圧倒的に多い。本レポートでは映画にある性に関する諸表象を分析し、この映画はボーイズラブ映画ではなく、純愛映画として製作されたことを論じたい。
本作の主人公、大伴恭一は今ヶ瀬に出会うまでは異性愛者で、表情があまりなく、恋愛では流されやすい、女性を断らない。彼は浮気がばれても言い訳をするし、そのうえ世間の目を気にする人である。今ヶ瀬渉は男性が恋愛対象であって、彼には恋愛依存症の部分があり、スマホを見るなどの行為から恭一に対して異常なほどの執着心が垣間見える(注2)。
一つ懸念されるのは、男と女、この映画では果たして対等に描かれたのかということ。ここで、映画で現れる四人の女性像を挙げておく。大伴恭一の元妻、知佳子は、裏切られる立場でありながら恭一を裏切る立場でもある。映画の中での二人の関係は穏やかだった。瑠璃子は大伴の不倫相手で、傷つくと知りながらも大伴に好意を寄せ続けていた。夏生は大伴の元恋人で、映画では唯一強気で恋敵に立ち向かう人である。そしてたまき、健気で女性らしく、大伴のことがとてつもなく好きで尽くせるタイプである。恋人がいる知佳子を除いて、ほかの三人はみな大伴のことを非常に好きである。大伴の女遊びができる土台が彼女たちによって作られている。言い換えれば、大伴の「流され侍」という性質は女性たちの「好き」に甘えられて育った性質である。この作品では、女性像がステレオタイプにはまっており、男主人公たちの恋の犠牲になっている。
映画では、「流され侍」と呼ばれるだけあって、恭一は女性に流されつつあった。映画のはじめでは不倫相手に好意を寄せられただけで相手の家に行って関係を持ってしまう。その不倫が今ヶ瀬にばれたとたん、今ヶ瀬にゆすられて、流されてホテルにも行ってしまう。恭一の「流され侍」という性質がこの映画を読み解くキーワードである。恭一がただそれぞれの相手にリアクションをしていれば、自然に流れができるのであった(注3)。
映画のはじめでは大伴が異性愛者で、妻だけでなく、不倫相手も女性である。だが、今ヶ瀬に出会って、迫られて、「この人を受け入れるかどうか」を考え始め、性的指向が変わり始めるととらえられる。何気なく二人がソファでテレビを見ながらポテトチップスを食べるシーン、耳かきのシーンも、あまりに日常的なためか、男女の恋愛映画では見ることが少ないが男同士だと恋愛の始まりだと解釈できる。
さらに露骨にリアリティを感じられるシーンとして挙げられるのは、タイ料理屋で三人が対峙し、恭一が今ヶ瀬を振ってから、夏生とホテルでの場面である。恭一が夏生に今ヶ瀬への思いを吐露したが、夏生が「まさか立たないことの言い訳じゃないよね」と呆れるように言うセリフが強烈である。女性に興奮しない、あるいは今ヶ瀬を思っているからこそ性的指向が男性に変わったとも言えるのではないか。
今ヶ瀬と別れてからゲイ・バーに行くシーンも象徴的である。性的指向が男性になったとすれば、女性には恋愛感情、あるいは情欲を向けにくくなると考えられる。そこで思いつくこととして、自分と同じ性的指向である人たちを探す、あるいは、今ヶ瀬の世界を体験しに行く。だが、そこでは相変わらず男性同士のキスを見て、違和感を覚える。このシーンから見れば、恭一が今ヶ瀬のことで性的指向がわからなくなった。あるいは、恭一は男が好きという指向に変わったのではない、彼は男の中で今ヶ瀬だけが好きである。ここも純愛映画らしく思える。
3.2男の同性愛者の特徴
映画では特に「ゲイ」という言葉は出て来なかった。冒頭の今ヶ瀬の恋人が後ろから抱き着く動作をはじめ、
今ヶ瀬の萌え袖やほほに手を当てる仕草などは役者がどうやってゲイを捉えるのかを伺える。中に特に大事にされていたのは目である。目には湿度がある、うるうるとした目が度々役者のインタビューや対談で語られた(注4)。
3.3性描写について
原作以上に、映画ではたくさんのラブシーンがある。映像では音も加えられて視聴者に訴える。映画の中では恭一と不倫相手のシーンにとどまらず、男同士の触れ合いが丁寧に映されていた。特に、潤滑剤を垂らすシーンは、邦画ではおそらく初めて描かれたのではないか。原作マンガでは廉価版オリーブオイルを使ったが、映画ではおしゃれな瓶を使った。原作者曰く、マンガよりは「+アルファ」である。ここで、ラブシーンが増加される意味について考えたい。一つ考えられるのは、二人の肉体関係についてのリアリティを観客に感じさせたいのだろう。なぜなら、この映画では、肉体関係を持つことは恭一が今ヶ瀬を受け入れてくれたことを意味しているから。
4.二人の恋を見る「世間の目」
このような場面が映画の中にいくつかある。一つ目は今ヶ瀬が初めて大伴に「俺と付き合いますか」と問う場面、これに対して大伴は「なんで俺が男と付き合わなければならないんだよ」と答える。大伴の中にも、自分が普通で、普通の男は男とは付き合わないという異性愛規範が刷り込まれている。二つ目は二人がマンションの屋上でじゃれ合っている時に、洗濯物を干しているおばさんが二人を怪しげな目で見ている場面である。この以外も、夏生がタイ料理屋で二人を笑うシーンなど、映画ではたくさん表現されていた。このような「世間の目」の描き方は世間のマイノリティに対する差別を提示している。「世間の目」も、二人の恋愛を阻む大きな阻害として描かれる。
5.まとめ
行定勲監督はインタビューでは「BL、LGBTQ的な映画と思ってほしくない」と言い、監督自らもこの映画をLGBTQのカテゴリーから外した。理由として述べられたのは、この映画で描かれた恋愛を他人事のように感じてほしくないからである。画期的なのは、男同士のラブシーンが主流映画館で上映されたことと、映画の中で性的マイノリティ群体??やマイノリティとしての難しさがストーリーに組み込まれることであるように思う。だが、位置づけが結局純愛映画である。だが、このことは決して悪い結果をもたらしたのではない。二人の主人公は矛盾に向き合い、愛の為に努力を惜しまない。二人の恋愛により感情移入できる描き方を丁寧にされたように思う。この映画も、世論の性的マイノリティ群体??への理解を助ければと願う。
注
1公式サイトから引用 映画『窮鼠はチーズの夢を見る』公式サイト|2020年9月11日(金)公開 (phantom-film.com) 2020年8月8日アクセス
2公式パンフレット 「原作者・水城せとなインタビュー」
3『窮鼠はチーズの夢を見る』夏休みイベント、主演大倉忠義の言葉。夏休みイベントは動画や活字で残っていますか?それとも、参加して現場で聞いた言葉ですか?また、イベントの日時や会場を記してください。
4(同上)、今ヶ瀬を演じる成田凌の言葉。
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