ボーダー 二つの世界のレビュー・感想・評価
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境目の匂い
思いがけず具体的で正直な映画だったので、こちらも真剣にならざるをえなかったが、結果的にその価値はある作品だった。
問われたのは結局、観る側のセンスのボーダーだったように思う。
本作に限らず、世界では同種を存続させるために自我がゆき過ぎ、異質なものをいじったり力づくで排除しようとする行為がくりかえされるが、毎回どうしたってムリがある。やっぱり歩み寄って認め合えた方が気持ちがいい。そのためにはどこかで過去の歴史の呪縛も乗り越えなければならないだろうが、とにかくいつだってマジョリティのすぐ隣にマイノリティが存在し続けることは変わらない。そしてその中間もあれば、自分の立場が途中で変わることだってありえる。
自分とちがう生き物、見た目、意見。これらが自分自身の存在を脅かす敵とすぐ判断するのは、自分にとっても危ういことだ。
そんなことを考えつつも、映画は容赦なくこちらのセンスのボーダーを試す。目の前には、私の常識、美観、それこそ五感のすべてからはみ出したもので埋め尽くされる。沸きあがる不快感は、たしかに嫌悪へ変わるだろう。(そしてヴォーレの姿にAphex Twinがチラつく。)
なるほど嫌悪感とは、理解を超えた未知への自然な防御反応で、それ自体は責められない。しかしその矛先が実は、単に他者の生きる姿でしかないことが難しかった。私のこの一方的な感情の判断が、彼らが人目を忍んで生きなければならない理由にはならなかった。最大にして乗り越えるべきボーダーは、やはり各個人のなかにある。
それでも。彼らが長い寂しさから解き放たれ自由に馳ける姿はどこか懐かしく、荒々しいが羨ましい、つまるところ私にとって新しい美しさだった。モデルのようなスタイルもいいが、野性味ある素直な裸体も妙に落ち着く。
そんな新たな感覚を認める前に、自分を守って相手をバカにしていないか。
勝手に覗いた他人のセックスを笑ったりしていないか。
この瞬間までの自分を疑うとき、価値観とは強固にするのではなく、より柔軟に広げたり更新されるべきものだと知った。
私自身がひとつのボーダーから開放された瞬間だった。
思いもよらぬ世界観
僕はこの原作を読んでいて、初めてフライヤーを見て、ティーナの異形さに衝撃を受け、そして作品を観て、原作とはかなり異なる展開だが、ジョーカーの根底にも流れている、僕達の世界の危うさとか醜い部分を感じざるをえないような衝撃を受けた。
僕達のエゴは、既に多くのものを破壊し、多くの種を滅ぼしてきた。
自分たちと異なる人種を受け付けず、排除しようとする者たちは一向に減る気配はない。
トロルは北欧の独特な民族的な世界観の産物だと思うが、もし、ネアンデルタール人やデニソワ人が発見されたら、僕達ホモサピエンスの末裔は、これを観察のために閉じ込めたり、実験に使ったりするのだろうか。
いろいろ考えさせられる作品だ。
そして、この作品のティーナもヴォーレも、容赦がないほど可愛らしさなど排除され、ロード・オブ ・ザ ・リングのトロルとは全く違って、僕達の人間社会とは相容れない異形さを呈している。
因みに、小説のヴォーレは、生きるために人間の赤子をさらうのだが、映画は人間に対する復讐心として、その動機付けが語られ、幼児ポルノは人間の醜い部分として付け足されて比較対照的に描かれている。
他にもいくつか異なる場面はあるが、分かりにくかったという印象を持つ人のために、少し説明すると、ティーナには自分のヴァギナが裏返って男根のようなものが出来て生殖します。また、ヴォーレの人間に似た無精卵は、更に人間の赤子にそっくりになる性質があって、それをヴォーレは、本当の赤子と取り替えるのです。
小説では児童ポルノマニアに売るのではなく、子供を欲しがっている人に売ってお金をかせぐという設定だったように覚えています。反社会的に描く方が、鑑賞者にうったえるものが大きいと考えたのかもしれませんが、こうした片隅で生きるものが怒りを抱いて、復讐心を持つという設定より、オリジナルの切なさの方が僕は好きだったので、ちょっとだけマイナスにしました。
でも、興味深いの作品だった。
北欧作品が大好きなので 公開を楽しみにしていた作品 大地を...
北欧作品が大好きなので
公開を楽しみにしていた作品
大地を覆いつくす優しい苔
緑豊かな苔の合間から
低い空をめがけ伸びる針葉樹
太陽を浴び尽くし焼けた葉を流すせせらぎ
所々に残る白き水の結晶たち
北欧の閉ざされたイメージの風景に
異質に映る彼と彼女
そこに重なる……
作品を観る前に勝手に想像していた
展開や関係性は見事に外れて
想像の斜め上を行く
世界観にすっかりやられました
この世界観に織り込む闇であったり
現実と非現実の交錯させる
描写がとても新鮮だったし
オープニングの対比というか
自我の目覚めの描き方も
分かりやすく素晴らしかった
この世界観を噛みしめながら
エンドロールをみていてさらに驚き
オスカーのノミネートの意味は
そういうことだったのか
またやった!ジャンル映画の新境地開拓!
「ぼくのエリ 200歳の少女」の限定再上映に続けて見ました。
まずは映像の美しさだ!
「ぼくのエリ」は辺り一面の雪景色がとても印象に残っているが、
本作「ボーダー二つの世界」では、森林の緑!緑!緑!の美しさがとても印象に残った。
また、ところどころで差し込まれる停泊中のフェリーの映像。主人公の勤務先だが、その情景はまるで主人公の船出をずっと待っているような演出でとても好きだ。
そしてジャンル映画としての新境地開拓!
伝説上の存在であるトロールの語り継がれている特徴「特徴的な鼻と嗅覚」、「人間の家に忍び込み、子を取り替える」などはキチンと抑えつつ、うまく人間の日常に溶け込せている。(「ぼくのエリ」でもヴァンパイアの特徴はしっかり抑えつつ、芸術的であり文学的でもあり、リアリティをももった演出になっていて、ジャンル映画としてのヴァンパイア映画において革命的だった。)
ボーダー(境界線)というテーマがもたらす文学性!
主人公は性別や人というあらゆる境界を越えていく。
人間の価値観をもったトロールが、人間の価値観とトロールの価値観の境界線に立った時、観ている側のこちら側の価値観まで非常に揺さぶられる。
正しいこと、悪いこと、気持ちの良いこと、気持ちの悪いこと、その境界線を引いたのは誰なのか?
なんの疑いもなく人間の文明社会に生きている私にとって、この作品が突き詰めるテーマなど考えたこともない視点で正直驚いた。自分が今まで信じてきたものは果たして本当に信じられるものなのか。
トロールに対しては(当たり前だが)人間の価値観が一切通用しない。トロールと人間に境界に立った時、どちらが正しくてどちらが悪いのか判断することなど不可能なのだ。ラストで主人公が人間側に立ち、ヴォーレを倒す展開にならなかったことが素晴らしい。
こんなことを想像できてしまう作者の視点はとても貴重である。
そして、その映像化作品を妥協せず無修正版のまま配給した日本の映画業界は「ぼくのエリ」の時より少し前進したんじゃないかと嬉しく思っている!
*「ぼくのエリ」では作品の非常に重要なシーンでボカシを入れて配給されてしまい、あらゆるところから大ブーイングを浴びていたが、本作ではリベンジ果たしましたね笑
子孫繁栄
どうしたって醜いその姿形、人の心を嗅ぎ分け隠し事を暴く日常、明らかに異質な彼女の正体とは。
知りたいことを全てきちんと示してくれる映画で良かった。
子孫繁栄、自分たちの種族を絶やさない、という本能について真正面から考えさせられる。
カゲロウやセミなどを見る度に、「なぜ子孫繁栄のためだけに生きているのか」と昔から疑問に思っていた。
その答えを少し実感できたような、理屈でまだ説明できないけれど、この映画の中で確かにその感覚を飲み込めた気がする。
子供の頃から疎外され孤独だったティーナ。
共に過ごす人を見つけてこの世界に馴染んだ生き方をしてみても、拭えない違和感。
長年積み重なったそれらがヴォーレと出会ってスッと消えたときの「しっくり来る」感覚にほっとした。
ヴォーレの不気味そのものな言動に対する嫌悪感は相当なもので、最初はこの人が敵か何かかと思った。
執拗に気にしていた彼の匂いは、思えば今までの何よりも特別なもので初めて嗅ぐものだったんだろうな。
遺伝子レベルで惹かれ合う二人の生々しい描写には思わず釘付けになる。
熱いシーンなのにゾワゾワしてしまう。
見てはいけないものをまじまじと凝視してしまったようで、謎の背徳感が生まれた。
そしてまさかの生理現象。この手の気持ち悪さが好き。
このままロマンスとして進むのかと思いきや、サスペンスの方向にまた流れていく物語。
バラバラに思えたエピソードの重なり方がとても上手くてゾクゾクした。
宙ぶらりんのまま終わらせないで〜と思っていたけどしっかり回収してくれる安心感。
冒頭と締めの対比も好き。
自分の正体を知り、やっと生まれたアイデンティティをどう扱い持って生きるのか。
今まで常に持っていた倫理観や価値観をどう変化させて生きるのか。
やっと自分だけの生き方を決められる時に下した選択。悩み苦しみぶつける様は、まるで遅めの思春期が訪れたようだった。
ごちゃごちゃした問題はたんまりあるけれど、結局シンプルな愛情に勝るものは無いのかも。どうかどうか幸せに。
映像のインパクトが強い映画だった。
スウェーデンの美しい自然とその中で走り回る裸体、強調される動物の存在、もちろん諸々の造形も。
もしかしたら今この地球にもひっそりと紛れた異種のモノがいるのかもしれない、なんて考えるとときめくものがある。
彼らが怒りや憎しみのために生きていなければいいけれど。
この星を支配していると思い込んで人間なんて隙を突かれると弱いもの。
境界 - 避けられない痛みと御伽話と
ミステリー、ファンタジー、ホラー、サスペンス、全てがジャンル映画の枠を超えているように思えた。『ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女』にみた新たな北欧映画の境地がこの映画にも。北欧ファンタジーノワール(サスペンス・ホラー)とでも表現したら良いのか... トロル(北欧の伝承に登場する森の妖精)の寓話と現実の世界と(或いは妖精と人と、善と悪と)の「境界」を物語として描き、その美しい映像の中にある「避けられない痛み」が波のように押し寄せて来る。正直、かなり衝撃を受けた。劇中で象徴として現れる「雷」が鳴り始めた時、トロルと同じように観客もゾクッとしてしまったのではないかと思う。主人公ティーナがすべての異形なモノ、価値、差別、倫理の境界(ボーダー)を越える時、胸の奥がツンと痛んだ。
Hiisit = an unfertilized egg
この作品は、自分が何者かを知らずに育ったトロールと呼ばれる一族のある女性の物語で、大人向けのファンタジーともfairy taleとも言われている映画で、トーベ・マリカ・ヤンソンの描くムーミントロールは、設定や内容の受けとめ方が異なる。
冒頭で若者が税関で足止めを食い挙句には、彼女に投げかける言葉.....。
Ugly bitch.
I can't stand that kind.
話が進むにつれて、スウェーデンの自然と彼女の風貌がなぜか溶け込むようで、動物たちとの触れあうさまを観ていると、その姿かたちを超えて、彼女の純粋なこころが美しくさえも感じてしまう。
しかしながら、その反対に人間という生き物の醜さがさらけ出されている。
途中、同じトロールのヴォアが出てきてからは、テイストが変わり、生々しく、凄惨な部分も出てくる。
Who am I ?
You're a troll......Like me.
............
You're crazy.
スウェーデン映画はSami Blood (2016)以来久しぶりとなっているが、この映画もある意味、社会福祉の成熟した北欧の国でまさかの少数派民族を差別していた歴史があったことを思い出させるものとなっている。確か、ドラゴンタツーの女も生産国の一つにスウェーデンもあったか?
この映画を通じて若干、ギミックの稚拙な部分も散見するが、逆にどうやってこのシーンを撮ったのかわからないところもあり、個人的には、不思議というか主人公のティナ役のエバ・メランデルの女優魂が、垣間見ることが出来る。ラストのシーンはどうやって撮ったのか謎と言えて、知りたい気持ちが強く感じる自分がいる。
全体を通して、映像は青味がかかり、薄暗く、重くのしかかるように描かれているが、ティナの純粋な心根に触れると、人のこころの醜さは改めて外見を超えていると再確認ができる。
カナダの新聞紙Toronto Starの記者がこのように言っている。「我々が、いつも持っている物差しが、それにそぐわない人々に対してどのように接しているか潜在意識のメッセージとしてそれが我々を悩ますものとなっている。」この人の言うところの意味はあながち間違ってはいない気がする。
単純に良い映画、悪い映画と片付けられないものとなっているのかもしれない。
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