ボーダー 二つの世界のレビュー・感想・評価
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共存は難しい
結論から言うと、良くあるといえば良くある話かなと思った。もののけ姫的な感じ?
森の中の動物や傘や湖の描写は主人公の純粋さ、特異な体質を受け入れている寛容さ、醜い容姿を誰も咎めない自分だけの世界という感じがしてよかった。気持ちいいだろうな。
周りとは異質な存在として見られていても人間社会の中でそれなりに人間として生きてきたティーナは、自分の正体がトロルだとわかった時安堵し、そして自分と同種のヴォーレが自分を受け入れてくれたことに初めは歓喜したんだろう。
誰だって自分が何者か教えてくれて、受け入れてくれる人が現れたらそりゃ嬉しいわ。
でもやっぱりトロルとして生きてきたヴォーレと、人間として生きてきたティーナには価値観に大きな溝があった。ティーナは人間のことを恨んではいなかったし、自分らしく生きて行きたかっただけだと思う。
いくらトロルが迫害された種別だとしても、育ての父親にアタリがキツすぎない?とは思った。そのまま病院にいたらティーナはおそらく殺されてただろうし、奪ったのではなくて育てることを申し出たから今あなた生きてるでしょ?思春期か?と思ってしまった。
虫を食べたり、生々しい描写があったり度々顔を顰めながら見ていたけど、これがちょっと風変わりな美女設定だったら、話に重みがなかっただろうと思う。演者さんすげえ〜に尽きる。
ティーナには争わず、森の中でひっそりと種を育んでほしい。
顔に驚く
こんな容貌の人がいるのだろうか?
と思いながら見て
視聴後は、まったく特殊メイクに見えない技術と、そのために使うキャストの忍耐と努力を思った。
虫。ほんとに食べさせられてないですか、とか。
あの湖に入って泳ぐのは大丈夫なのですか?底からなんか巨大生物とか来ませんか?とか。
児童ポルノについて。
今から30年(いや 40年?)以上前、まだ昭和だった頃、夫の同僚がハワイに新婚旅行に行ってビデオを数本買って来たのを(同僚夫婦やその他の友人とともに)見た事があった。
いわゆる鑑賞会だ。馬鹿げてる。
その中の一本に児童ポルノがあった。
そういう事がまだ、はっきりいうと
ピンと来ない(まだ自分に子どもがいなかった事やそういう事実の細かい部分に思いが至らなかった)まま じわじわとした嫌悪感が残った。
無粋な事を言えない状況、っていうのがある、というのも今思えば。と言う事になるけれど。
つまりそれに正しく反応するには若輩者過ぎた。
今の時代、見つかったら犯罪。だし、今も持ってたらそれが犯罪ですが処分されたでしょうか?
若さの無知というか、昔は海外の無修正モノをやたら重宝したり見てみたがったりするやつは一定数 いた。
うちの夫はその類いを隠れて見るのではなく(もちろん子どものいない場所で)
そのまま見てしまう人だったので、目にするたびにその外国人の異様に長〜〜い性器とか、あと犯罪でしょこれ、みたいなやつとか、精神的ではなく肉体的に 吐き気がした。
もちろん収集癖なんかなくて 中学生が海外無修正のグラビア雑誌を珍しがって借りてくる程度の興味だし、当然小児性愛傾向は皆無だったのでそれ以外は普通のオトナの裏ビデオっぽいものだったんだけれど、それに真剣に意見する私には少し腹立ててた気がする。
なんだよ風紀委員の優等生が、アホな事ぬかすな、みたいに。
なので
そういう物の存在は知ってた。
北欧の自然は美しくはあるが、暗い。
ヘラジカ キツネ 苔蒸す湖
大木 小さい虫
税関(?)で 違法品を鼻で嗅ぎ分けるその顔が、
これは美醜の問題ではなく 品種の違いなのではないか?と気づくのに、同種の人が現れるまでかかってしまった。
だが、彼は男ではなく 彼女は完全な(人間で言うところの)女ではない。
ん?
となるとどうなる?
と、肝心な部分が完全ぼかしで想像するしかないわけで
これは 話の根幹に関わる部分が訳がわからなくなるんだけれども、実際には 相当ぼかされてても まあ理解はした。
異種
これに、今盛んに言われてスポーツ界では問題も露出し始めているジェンダーに関しては混同してはいけないだろう事はわかる。
彼らは異種じゃなく人間ですから。
ヨーロッパあたりでは 人間以外にも ドワーフ、エルフ、ゴブリン、トロール と言ったような生物学的に違うのがいる(らしい)。
魔法使いから言わせたら、私たちはマグルですが。
地球上には、もちろんいっぱい動物は生息してるけれど、
その他の つまり言葉を話し知恵を持つタイプのものでさえ
人間以外もいる、というもの。
それらを 人間が そのものずばり 人為的に淘汰して来て今があるのだとすれば、残った僅かな異種からすれば復讐の対象であると言うのは理解する。
彼女は 人間か非人間かというよりも前に
善であった。
それは彼女を育てた両親の誠意の賜物であろうと思う。
人間か否か
スウェーデンの税関職員ティーナは何らかの罪に関する事柄を匂いとして嗅ぎ取るという特殊能力を持っているが、と同時に自分の容姿にコンプレックスも抱いていた。
いつものように税関職員として違法物所持を検挙するが、それが児童ポルノだったことからルート摘発のために捜査に協力をする。
そんな折、いつもの税関にて自分と非常に容姿の近い怪しげな男ヴォーレから何かを嗅ぎ取るが、成り行きで親しくなって行くうちにヴォーレに恋心を抱き、さらに自分のルーツを聞かされることでティーナの運命は翻弄されていく。
前半の動物と触れ合うティーナを見ていると、もっと牧歌的なストーリーなのかと思ったが、ヴォーレ登場後の展開がまさかのクライムサスペンスとは恐れ入った。
もちろん動物との触れ合いもある意味伏線なんだが、ティーナやヴォーレがまさに人間ではない種族であり、ティーナ自身の生態や出生の謎までがサブストーリーの展開と上手く重なることでより見応えのある作りになっていると思う。
もちろん予算的な都合や原作との兼ね合いもあるだろうが、後半からラストまでをより壮大なホラーやファンタジーなどの感覚で描かず、あくまでティーナとヴォーレの運命的な出会いと別れ、そして彼女たちの近辺で起こった幼児誘拐事件上のストーリーで描いている点がすごく面白くて好印象だった。
わりとあいまい
ゆるめのニュース系ユーチューバーでよく見ている人がいるんだが、あるときかれが言うには、なんかモノを紹介しようとして、対象をカメラにちかづけると(カメラに近づけたとき手がアップになるので)手指についての見た目をコメントするやつがかならずいる、とのことだった。
ゆび太いんですねとか、爪のびてますねとか、ゆびみじかとか、ゆびほっそとか、ほんとにどうでもいいことを言ってくる。そういうやつがかならずいる──とかれは苦々しく強調した。
たにんのからだつきが、じぶんとはちがっているばあい、しょうげきを感じることがある。顔はいうまでもないが、手や脚など、ふだん目につかないような部位を見て、形や色などにハッとするような違和を感じること──がある。
それを感じてしまうのはしかたがない。
じぶんの顔や身体ではない、たにんの顔や身体に慣れていないんだから。
だが、それを指摘するのはもちろん、見るのも失礼なことだ。見て見ぬふりがあたりまえである。
おりしも軽いエンタメニュースにこんなのがあがっていた。
『歌手のきゃりーぱみゅぱみゅが21日、自身のツイッターを更新。一部のファンに対して嚙みついた。
きゃりーぱみゅぱみゅはまず親指をのぞき4本の指にそれぞれ違う指輪をつけた画像をアップ。「重ね付けきゃわー」のコメントをつけてツイートした。これに対してフォロワーから「素敵」の声が上がる一方、「お肉ついてムチムチ」などのコメントも書き込まれた。
これに対して、きゃりーぱみゅぱみゅは再び投稿。「指輪とか靴とかアイテムを公開してるのに『指ムチムチですね!』とか『足首ないですね!』とか『扁平足ですね!』とか体型の事を指定してくるの本当にやめて欲しい。UPする気がなくなります、、、痩せてたら可愛いんですか?私は自分が好きな自分になる事が大切だと思います」と怒気を含ませてツイートした。』(2021/11/21中日スポーツより)
ひんぱんに見かける、よくあるニュースだと思う。
研修やセミナーでおこなうワークショップでまったく見ず知らずの他人と見つめ合って話すことがある。(サラリーマンならばみんな大嫌いな)ワークショップてやつは参加者に恥をかかせる仕組みなので、人前でなんかやったり、初対面の他人と共同作業をする──というようなトレーニングがよくある。他人と見つめ合ったとき、その異様に気づく。とうぜん相手もわたしの顔に異様を感じている。トレーニングは多様性を養っている。いうまでもないが多様性とはじぶんとはちがうにんげんを受け容れること。その度量がなければ仕事ができない。──だから職業人のセミナーにそれがある。
知ってのとおり、本物の他人とは、テレビやユーチューブなどに出てくる見慣れた著名人ではない。見たこともないにんげんこそが他人なわけである。わたしやあなたのように。
多くの日本人の周りにはじぶんと見た目が似通った日本人しか生きていない──こともあって、(日本人は)多様性の許容範囲が、おそらくこの惑星でも際立って狭いと(個人的には)思っている。
ためしに、前述したきゃりーぱみゅぱみゅのムチムチの指をごらんになるといい。そこには、まったく何の変哲もない手指──あたかも手指というものの最大公約数を具現したような、まことにふつうの手指が写っている。それをムチムチと言ってしまうのは、多様性の許容範囲の狭さの為せるワザ──としか言いようがない。
そんな視点があるなら、どんな他人も脅威でしかない。そんなにんげんにとって、見慣れていない誰某はすべていびつであり、敵対視にあたいする。他人=敵。それが多様性がないことの最大の弊害。弊害というか罪業だと思う。
よしんばそれがムチムチの指だったとしても指摘する必要はない。(いうまでもなく)たにんとはじぶんとはちがう姿形をしているものだ。人様の姿形をうんぬんするのは、そのことを知らないと言っているに等しい。
もしきゃりーの手指を異様だと認めるならば、もはやこの世界に異様でない手指なんてない。わずかな差違に過剰反応するなら、わたしたちは他者にまみえることができず、世界をみることもできない。
だれかの鼻や目や耳や手や指や、諸々の部位、目についた造形が、わたしたちの見慣れたそれとちがっていても、おどろいてはいけない──それを「多様性」と言うのだ。
なぜセサミストリートには毎回肌の色や年齢が異なるホストが出てくるのか。なぜ、わざわざ車いすのゲスト、ダウン症や発達障害の子供、マイノリティ属性をもったキャラクターを登場させるのか。(いうまもでないが)子供に「よのなかへ出たらおまえとは違う人ばかりだぞ」と教えたいから──に他ならない。
その「多様性」がやしなわれず誰に対しても敵視や嫌悪した結果、暴力や戦争に発展する──そう、人の歴史は言ってきた。わけである。
──とかなんとか言いつつわたしもレビューというかたちで、俳優の誰某の顔立ちについて言及することがある。多様性のないわたし。映画でそれ(多様性)をやしなっています──という話をしたまで。
そこまで言っておきながらナンだが、よのなかには、それとこれとはハナシがちがう──というのがある。
多様性はやしなうべき、だが(たとえば)移民の受け入れとか、断然反対である。リベラルと理想主義はちがう。国の方針を理想論で決めてはいけない。
反して映像作品は理想的であったほうがいい。人は不器量な俳優が出てくる映像作品に耐えられない。なぜ器量のいい人が俳優になるのか──説明が必要ですか?うつくしい人が俳優になるのは必然であって、そこは「多様性」なんて言ってられない。
絶賛された映画ワンダー君は太陽(2018)において、障がいを持って生まれたオギーの顔の造形は「かわいい」範疇にとどめてあった。
言っていることがわかるだろうか。Chbosky監督はリアルと観衆の共感をかせげること──そのバランスをうまくとった、わけである。
オギーがもっと醜悪だったら映画の評価はどうなっただろう?
博愛ってのはにんげんの命題だと思う。ただし博愛がたわむれならば、掲げるのは慎重にしたほうがいい。
2018年のスウェーデン映画。
美醜の命題に切り込むのかと思っていると、奇譚になっていく。原人風の造形がリアル。鼻の良さを買われて税関に就いているが、かのじょの嗅覚を逃れる異物はない。鼻孔をクイッという感じで動かすたび異形のものの野生がかいまみえた。
ベルイマンの国だから(って言い方はばかっぽいが)日本よりずっと映画はうまいし、落ち着いていて日本映画みたいなこけおどし感はない。(北欧は)わたしたちの大人っぽさよりも二回りくらい大人っぽい。
が、焦点が定まっていなかった。
多様性についてくどくど話したが、ファンタジーならば多様性の出る幕はない。相手がにんげんでないなら、美醜にたいする思いやりがいらないからだ。
映画はわざと醜い者の悲哀とモンスター奇譚を混同させている。それがけっこうズルい。(→与しなければ美醜差別と言われそうな気配のある映画になっているところがズルい。)
出生の秘話で幕引きするが、見た目に反して物語の印象も弱かった。と思う。
2015年16年にかけシリアをはじめとする大量の移民を受け容れたスウェーデンは今(2021)犯罪の激増に悩まされている。メルケルとおなじ末路。胸をはり高らかに共済をうたって難民を受け容れた──はいいが自国民が暴力にさらされ、財産が略奪され・・・。だが(難民を大量移入させたら)そんなことが起こるって、あたりまえに想像できたことだ。
それが国策なら博愛主義や融和政策にまさる破壊活動はない。
移民受容や参政権付与に与するれんちゅうってのは何らかの悪意がある──個人的にはそう信じている。
クライムサスペンス、ファンタジーそして私たちが生きる世界
北欧の奥深さというか、負の遺産を感じる作品。
最初は、孤独に生きる女性が人情に触れる話かいや凄腕検査官みたいだからクライムサスペンスか、と思いながら、森の生き物達が寄り添い集まってくる、北欧ファンタジーか、となり、なんとトロルの物語に。
いかにもティーナを利用してるとしか思えないようなローランドにはなぜ羞恥心を感知して鼻をピクピクさせないのか、など疑問に思いながらも、とにかくファンタジーとしてトロルの2人の話が進み人間が絡むと犯罪が存在する。空港検査官として、ここでは酒やなんかは大目に見てあげるけど日本より厳しくしっかり取締まりの児童ポルノ問題が重く絡んでくるあたりはさすがヨーロッパだ。近所の夫婦の分娩のため夜車を走らせるティーナ、それがトロルの未受精児にすり替えられて、最後は自分の子どもであろうトロルベビー、という小さな命という伏線があり、犯罪という伏線があり、なんとなく福祉国家でおおらかなイメージが日本にはあるスウェーデンで、サーミの血で紹介されたように、トロルにもマイノリティとしての検査研究検体それに起因する死亡という悲惨な歴史、マイノリティいじめ、差別、そして優生思想という人間社会にどこにもいつでもある魔物があるのだ。野生動物たち、美しい苔むす森、生きた昆虫を食べるトロル、。と様々な角度で、愛と生命について多角的に考えさせられた。特殊メイクがすごい。素朴な暮らしぶりも良くて善良そうな人達が個人レベルでは児童ポルノなどの卑劣な犯罪、社会単位ではマイノリティ差別迫害をしていて、かたや、圧倒的な自然の神秘に畏れとトロルの存在も感じる。ティーナが、自分がやっぱり妖精だった、違和感感じていた人間じゃなかったということに本能的に喜びを純粋に感じるあたりがとてもよかった。
久しぶりに本気で最低点付けたいと思ったわ笑
表面的に醜く「出来損ない」であるとはどういうことか、醜悪とはどういうことか。
この作品を製作するにあたり、その観点でシナリオを構築し映像として演出しなければなならい。
この映画の作り手は、これを観る多くの人が醜悪でおぞましいと思うであろう方向性を具現化する術を理解している。真実を語るために。
しかし、それは例え表面的にでも醜い「出来損ない」の概念を持つからこそ生まれる思考でもある。何が言いたいか。この作品はある種、ここに描かれる多くの表面的な事象が醜悪であることを雄弁に物語ってしまっているのである。
その概念を固定化する試みは、たとえば「盲目と思われる赤ん坊の姿」に対しあまりに無慈悲ではないだろうか。このクソ気持ちの悪い空想映画は、思慮深さと同情心を履き違えている。仮に安っぽくても思いやりがあったら、いくら真実を語っていようともあの姿を映像作品として残すことを躊躇うはずである。
ほんと誰だよ、こんな反吐が出そうなエセ芸術嗜好のヨゴレ映画をオールタイムベスト?にしてるアホは。久しぶりに本気で最低点付けたいと思ったわ笑(辛辣すぎるか。。)
予定違い
まさかのトロル!
容姿で色々抱えた主人公かと思っていたら
人間ではなくトロルだったんですね!!
初めてあの人が前から歩いてきた時から
2人とも顔そっくりじゃん、同じじゃんなってたら
同じトロルでした。
そしてまさかの、女性かと思ったら男性だし
男性かと思ったら女性だし、逆でした!!
だからずっと同棲してる人からの欲求を拒んでいて
わたしは子供ができないと言っていたんですね。
2人が出会えて幸せになってると思ったけど
人間への復讐心から
定期的に生まれる自分の子供を
チェンジリングして、人間の子供打ってた犯人でした。
だからにおいがしていたのか、どうなのか。
けど主人公はトロルだけど
人間の心を持ってましたね。
最後はあの赤ちゃんをさずかって
どんな日々を過ごすんだろう。
種の共存
いやはや別の種族への報復は悲しいですね…。
グロテスクは赤ん坊の目?や顔に傷があったあのシーンでしたが、いかんせん人類への復讐にしてはやることがしょぼいというか…。
スリリングでこの話どこにいくんだろうという間はすごく楽しかったです、
人を見た目で判断してはいけない
仕事を終えて車で帰宅した自宅🏡はマイナスイオンたっぷり✨の大自然の森の中🌲🌿。主人公ティナは森林浴が大好き!理性を保って真面目に生きている彼女は偉いと思う。それよりもあの犯人が許せない。映像はなかったけれど子どもの鳴き声だけでわかる。酷い人間だ。ティナはすごいスキルの持ち主なので、税関職員に留まらず、ぜひ特捜部Qで事件解決して欲しい。
枠が変わると視点が変わる
主人公が何者か分かった後と前で物語の見え方がかわる。
前半の何か分からない不快感を伴うシーンが理由を知った時点からは不思議と自然な姿に見えてくる。
この人(いや、この生物)はこれが自然な姿で1番良い状態なんだと人間という枠が外されたとたんに思えてしまった…
自分の潜在的な差別意識をこうも具体化させられるなんてと強い力を感じざるを得ない作品でした。
先入観とはこうも私たちの受取る感性や印象に作用しているのかと実感すると偏見を拭う事がいかに大変な事か考えざるをえない。
映画って綺麗に見栄え良く作られてるものが大半で、それを当たり前に期待して見に行く人が殆どだと思うので、お勧めするのに人を選ぶ〜見終わった後に独自の美しさを感じさせる良作だと思うけれど見てもらわないと説明できない。
人によっては嫌悪感だけで終わってしまう可能性を考えてしまう。この感覚も差別が消えない一因なんだろうな。
ああ〜でも、自然や異界の近さを感じられて思いの他楽しみました!
うお、すごい。映画館で見るべきだったー。
うお、すごい。映画館で見るべきだったー。
お食事
虫食べるのは無理でした。
食べ方も汚いし。
予想というか、思っていたのとは違う展開でした。
うーん…虫食べる必要あったのかな…?
何のボーダーか
本能と理性の境、善と悪の境、夢と現実の境、
タイトルから想像していた範囲を大きく飛び越えて
荒唐無稽なんだけどなぜか心にグッとくるっていう不思議な感じ。
特殊メイクで賞をとってるんですね。
見る前に知ってたら、そういう部分でも楽しめたかも。
まるで、エイフェックスツインのPVをみてるような…
感じの不思議な作品でした!
まさかの実写版〇ー〇〇
容姿が醜く、人の心を「嗅ぎ分ける」ことのできる女性が、自分の出生の謎を知る話。予告にもそこまではあったし、「ぼくのエリ」の原作者なのだから、何かしらファンタジー要素があるのは覚悟してた。
犬とかキツネとか出てくるし、匂いの話してるから、そういう方向に持ってくのかと思いきや、まさかの性別の話?と思ったら、まさかの実写版〇ー〇〇。ネタバレしたくないので書かないけど、ネタバレしないと説明もできない。
とにかく、途中から理解を超えてしまった。おもしろくなくての低評価ではなく、単純に理解を超えてしまった。
テーマが矮小化して埋もれた感。
寧ろ羨ましい、明日からこうも生きられる、でもしない、と愉しんだが、鑑賞後には何処か飛躍に乏しい不全感も。
シャマランにこの素材なら逸脱気味に飛躍し魅力的に失敗したろう。
具体的な事件の中にテーマが複雑に矮小化して埋もれた感。
年テン下位。及第点。
今一歩…
結局何を訴えたかったのか?自分たちと異なる人々=マイノリティの人たち、映画ではトロール、を差別してはならない、互いを認めるべきと言いたかったのだろうか。ヴォーレという、ようやくわかり合える、愛する仲間に出会えたティナだが、完全に裏切られ、本当の両親も精神病院に収容され、そこの守衛に育てられた真実を知り、失意でいるのつかの間、ヴォーレから子供が届くと母親の顔に変わり終わる、めでたしなのか。確かに化け物の様な顔なので、辛い人生を送ってきたことは容易に想像できるが、その描写がないため、育ての親へ辛く当たることや、彼女自身に感情移入できなかった。ヴォーレも人間に仕打ちされても感じないと言いながら、結局は子供を拐うなど復讐していることから人間への憎悪を感じるが、唐突感があった。彼らが不当な扱いを受けてきたことがもっとわかりやすく描いていれば、もっと訴えかけるものがあったと思う。虫食うシーンはグロい。
タイトルなし
風変わり·何か異質な容姿
より動物的な感覚を持ち
本能的に人間がもつ羞恥心·罪悪感·怒り
その感情を嗅ぎとれるという
税関職員ティーナ
『人と違うのは優れていることだ』
そう言うヴォーレと出会い
…
このあたりまで
狼人間なのかなと思って見ていた私😅
…
ティーナと私は素性を知る
種を存続させようと言うヴォーレ
誰も傷つけたくない純粋で優しいティーナ
.
"チェンジリング"
"児童ポルノ"ete.
決して許してはならない犯罪や
異質なものは排除する人間への警告か
北欧のダークなファンタジー
これは奇妙でかなり面白かった
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