天気の子のレビュー・感想・評価
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男の子視点の新海節、女性視点では…
新海節とも言える男の子の視点、心の描き方は流石という仕上がりです。
地方の島出身の家出少年が新宿・歌舞伎町で100%晴れ女とボーイミーツガールという作品。
作中にはそろそろ毎回お馴染みになってきたスターシステムで「君の名は」の登場人物たちがちらほら出てきましたので、前作も観ている方はそんな所も楽しめるかと。
映像の美しさに関しては元々定評がありましたが、ジブリ解散の時期と前作の製作時期が重なったことから元ジブリスタッフをかなり抱えての今作への着手は作中の至る所に伺えます。
背景の描写やヒロインの弟とかはもろジブリ少年だし、警察官とか中年の描き方も素晴らしい。
ポスト宮崎駿ではなく、ここからは新海誠としての作品に期待したいですね。
最大の懸念というか疑問はヒロインはいつ主人公のこと好きになったのかという点。
最近の新海作品はそこがいつもご都合主義というか、主人公好き→ヒロインも好き→何かトラブルが起きて、解決して両想いでめでたしめでたし、このパターン。
女性キャラの視点が欠けている気がする。「秒速五センチメートル」の時はヒロイン視点で語られているのだが…。
女性はその辺りどう思っているのかなー。
私はこの作品をビル4階分の巨大スクリーンが名物のグランドシネマサンシャイン(池袋)で観ましたが、大正解でした。
4Kで高精細なだけでなく、巨大スクリーンで登場人物の景色を見上げるシーンでは自分もまるで景色を見上げているような錯覚を覚えました。音響設備もさることながらこの没入感は通常のスクリーンでは想像さえできないでしょう。
これからは作品に合わせて劇場選びも作品を楽しむ上で重要なポイントになるでしょうね。
「平成のレクイエム、令和の黙示録」
「平成のレクイエム、令和の黙示録」
これは「敗北の平成」へのレクイエムである。そして「昭和」へのノスタルジー、始まってしまった「令和」という時代の黙示録だ。つまり2019年の日本の気分がきわめて精緻に映し出されている作品である。
課題先進国の今を切り取った作品として、どの程度の普遍性が世界に認められるのか。アカデミー賞の評価を待ちたい。
「天気の子」は「景気の子」
全編にわたって東京に降り続く雨は「敗北の平成」失われた30年の日本の停滞そのものだ。「景気の気は気分の気」というが、好景気を「晴れ」、不景気を「雨」と置き換えればわかりやすい。
冷戦終結後のグローバル化に翻弄される日本。音を立てて変化する世界を前にすでに大人たちは当事者能力を失ってしまった。昭和の残照から平成に生きた人々は現実を直視せず現状維持で逃げ切りを図っている。彼らが使う「終活」という妙な言葉はこれまでのニッポンの店じまいを意味するのかもしれない。
「夢よもう一度」トーキョー2020は「陽菜」。
みんなに100%の晴れが続いた時代。東京タワー、新幹線、万博、テレビ、冷蔵庫、洗濯機、マイカー、エアコン、電子レンジ、ビデオデッキ。記憶の中ではバブルまで甘い。
なかでも国民の集合的記憶として無条件のポジティブイメージが与えられているのが1964東京オリンピックだ。だからこの物語の舞台は代々木になる。陽菜がひとときの晴れ間をもたらすチカラを得るのもこの場所である。代々木は再びハレの舞台としての神通力を求められているのだ。
奇跡的に再開発を逃れて老朽化した姿を残すビル。存在そのものが昭和へのオマージュだ。時空を超えて今にもショーケンや水谷豊が飛び出してきそうに思える。帆高が陽菜を追いかけて階段を駆け上る。その姿はかつての日本の青春時代そのもののようでまぶしい。「君の名は」といい新海誠は記憶のダブルミーニングに長けている。
「夢よもう一度」2020東京オリンピックにはわかっていながら、期待をしてしまう自分がそこにいるだろう。
分厚い雨雲のすきまに一瞬の晴れ間がさす。トーキョー2020は「陽菜」である。「陽菜」は光であり、成長であり、再びの「太陽の塔」なのだ。
「帆高」は戦後日本人の集合意識である。
神津島から東京へ出てきた中学生「森嶋帆高」は、高度成長期以来、日本中から都会を目指した若者である。帆高が島で全力でつかもうとした「光」。フルスピードで追いかけるものの「光」は島から海の向こうへと逃げていく。帆高が追いかけた「光」は日本が、日本人が、戦後(もしかすると明治以来)追い求めてきた「経済的成長」そして、その果実としての「物質的豊かさ」なのだ。2019年の日本で「光」を求めるピュアさにリアリティを与えるには「島」から来るぐらいの設定が必要だったのだろう。
「須賀」という世代
フェリーで出会い、東京で帆高の面倒を見ることになる須賀という男。晴れを知りながら、自らは果実を手にすることができなかった間に合わなかった世代である。だからイマドキ自分と同じように「光」を追いかけ大都会に迷い込んだ少年をほっておくことができない。現実に「成長」はもはや幻とわかっていながらも、少年の姿にかつての自分を投影してしまう。フェリーではたかっておきながら二度見でもするように連絡先を教える。さらに天野陽菜の登場で、もう一度「自分」も「晴れ」を追い求めてみようかと思ってみたりする。だから、少年に対してとる態度は決して一貫していない。わずわらしい警察沙汰から免れようとドライに利己的に接する一方、発砲した少年を逃がす手助けまで行ってしまう。土砂降りの現実の中で、もがき葛藤する令和の大人の姿を垣間見ることができる。
戦後日本 アメリカはどこにある。
陽菜と帆高の出会う場所が「マクドナルド」である。アメリカは戦後日本の新たなアマテラスであり、ガーディアンであった。だから、陽菜はマクドナルドとともにあり、帆高にとってはセーフティーネットとなっていた。ビッグマックはそのシンボルなのだ!しかし、帆高も陽菜もマクドナルドから放り出されてしまう。
マクドナルドの外はむきだしの性や暴力が支配する弱肉強食の世界だ。少年はひょんなことから手にする暴力装置を陽菜を守るために使ってしまう。グローバル資本主義の下でわれわれはどのような選択をするのだろうか。何をどのように守るべきなのだろう。銃を手にした少年はさながら核を手にした日本に見える。
成長をみんなで追い求め続けた結果の荒野 2019年の日本
作品に登場する人物の背景は戦後日本のアンチテーゼの様だ。シングルファーザー、ネットカフェ難民、児相、風俗、ブラック就活。「標準世帯」や「終身雇用」などどこにもない。
1973年の「日本沈没」で小松左京は近未来の日本を描いた上で沈没させた。しかし「天気の子」では具体的な未来が描かれることはない。今あるものが沈んでいく。それでも東京タワーは残り、スカイツリーは沈む。すでにオリンピックよりも先にリメイクを終えたスカイツリーの存在はフェイクということだろうか。平成のチープさが浮かび上がるノアの洪水とバベルの塔を足して2で割ったような絵面である。田端は代々木の逆サイドにあるもう一つの聖地として「アララト山」になるのだろう。
「天気の子」は令和の黙示録である。
2020東京オリンピックや2025大阪万博は日本に一時的な活況をもたらすだろう。しかし、誰もが気づいている。ろうそくの火が消える寸前の炎ということに。老若男女が「晴れ女」にすがったように、一瞬痛みを忘れる延命治療のようなものだ。100%の晴れが続くことなどこれから先は無いし、これまでだって本当は強烈な光にはその分影があることに気が付かないふりをしていただけなのだ。
帆高は最後に代々木会館の階段を駆け上り、鳥居からダイブして陽菜を追う。
「もう二度と晴れなくたっていい! 俺は陽菜がいい!」2人は翼が溶けたイカロスのように2019年の東京にゆっくりと落ちていく。われわれはもう飛ぶことはできないのだろうか。
「愛にできることはまだあるかい 僕にできることはまだあるかい」
「愛にできることはまだあるよ 僕にできることはまだあるよ」
☆世界経済に占めるGDPの割合
平成元年 米国 28% 日本15%
平成31年 米国 25% 日本 6%
☆世界の時価総額上位50社
平成元年 日本企業32社
平成31年 1社 トヨタ 人口減少 増えているのは国債のみ
この先は個人的な幸福の追求しかないのだろうか。
かつての夢の焼き直しではない、新しい天と新しい地。まるっきり新しいシンニホンをわれわれは創ることができるのだろうか。「天気の子」は令和の黙示録である。
何かを変えたいと思った帆高と陽菜の物語
天気の子2回目観ました。1回目は公開初日に足を運び感動したのを覚えています。2回目は登場人物の心情や細かい描写を観察しながら鑑賞しました。
まず、「この映画は天気を通して何を伝えたいのか?」というテーマで考えてみました。天気というのは、雨が降ったり止んだり、晴れたり雪が降ったりと本来人間がコントロールできないものです。
今回の作品では東京が異常気象に見舞われ大雨の日々が続きます。これは、帆高と陽菜の心情を表していると私は想像します。島から離れ、なんの当てもなく東京に来た帆高。母親を失くし、中学生でありながら(帆高には18歳と嘘をついていた)弟と二人で生活をするためにアルバイトをする陽菜。2人とも何か希望を持てない日々を送っていた。そんな心情が異常気象に映し出されたのかと思います。
そんな中、陽菜は特殊な能力を持っていました。「どんな大雨でも晴れにする」能力です。その能力で帆高と陽菜は、「雨で困っている人たちのところで晴れにする」サービスを提供します。困っている多くの人たちを助けて、感謝されます。帆高と陽菜は人助けをして、初めて自分の生きがいを見つけることができたのだと思います。
この作中で、帆高が「僕たちは世界の形を変えたんだ」というセリフがありますが、天気を変えることで多くの人を助けたことから生まれたセリフだと思います。本来、天気は人間がコントロールできないもの。それを変えて、多くの人を助ける。言い換えれば、「人生や運命も自分の手で変えることができるんだ」というメッセージが込められているのだと思います。
2016年に公開され新海誠が監督をつとめた「君の名は」と今作「天気の子」を比較するレビューがネット上に多く見られます。僕の感想としては、構成はほぼ同じという印象を受けます。人生にとって大事な人と出会う→その大事な人と会えなくなる→再び会いたいと願い行動を起こす。二作ともこの流れで展開されます。異なる点といえば、東京に対する印象が違うという点です。「君の名は」では東京は憧れの都市という視点で描かれていますが、「天気の子」では「東京って怖い。」という視点で描かれています。この設定が作品のコンテンツを大きく象徴しています。「君の名は」まっすぐ明るい未来に向かうイメージ。「天気の子」は暗闇から抜け出すイメージ。その点が大きく違う点でしょう。
超絶スマッシュつまらない
この映画を悪くいうと、反論が100倍来そうだから本当に迷った。
しかし、私と同じように「あれ?これつまらないの自分だけ?」と思って低評価を探しまくっているレビュー難民がいるはずだ。そんな人の為に書こうと思う。
最近はちょっとした小遣い稼ぎに、観てもいないのに「最高!最高!」とひたすら褒めちぎる偽物レビューも多いので、決してサクラに惑わされてはならない。
自分の感じたことこそ真実で、それが全てだ。
まず圧倒的に中弛みする。本当にダルダル。
賛否両論だとかそんなレベルじゃない、結末どうのじゃなくて、最後まで観るか悩むほどにダレている。時間の無駄感がすごい。
前半80点中盤評価に値しない後半30点映画。
前半は、日本人のミュージカル好きの心を捉えて、音と映像の融合が素晴らしかったと思う。
雲間から光が差し込んで、東京の街並みや、あらゆる人々の生活を次々と照らしていく様は多少力技と言わざるを得ないが、生理的感動を引き起こすには十分な演出だった。
このシーンは泣いてしまった。
ただ、穂高くんが家出をする意味がわからない。顔に傷があったことから、何か訳あり感をもたせるものの、特にそれについて語られる事もなく…家出をするほどの強い動機は感じられなかった。東京に行き場がなくて、街を彷徨う様も「東京ってこえー」という、一度は口に出したい田舎者の憧れの言葉を繰り返してるだけで、東京の冷たさを表現するのには無理があるか。東京の怖さはその無関心さにあり、チンピラに絡まれる事ではない。
船を上から大写しにする場面は、「血と骨」の朝鮮から出稼ぎにくるシーンが頭に浮かんだけど、まぁ関係ないですね。
後はですね、ここが真の賛否両論なのかもしれませんが、知ってる風景と広告が出過ぎ。本当に出過ぎ。気が散って散って、物語に入り込めない。
映画としてのエンタメ性がないんですよね、つまらない高校生の日記をダラダラと見せられているような。もう少しファンタジーあってもいいじゃん、っていう。
「トランスフォーマー」でも唐突に中国産の牛乳を飲むシーンは、やはり興醒めでしたからね。
これがもしかしたら今時の若者には「あ!ここ知ってる!」って現実とのリンクや身近な感じが刺さるのかもしれません。
西野◯奈の歌詞のように、読書感想文を読んでるようなあの感じが良いのかも。
表現って何なんでしょうね。
個人的にショックだったのは、サリンジャーのライ麦畑でつかまえて、が出てしまったことです。あれを見たら凄く期待しちゃいますよ…
サリンジャーを汚された感さえしました。
中盤に入ると、弛みはじめます。
アパートに遊びに行くシーンで、狭くてもボロくても出来る限り可愛くしている、ささやかな乙女心を表したつもりなんだろうけど、
なぜか下手くそと感じました。同じような描写ですと「ジョゼと虎と魚たち」のようなトキメキといじらしさには敵わなかったな、って感じでした。
弟くんはせっかく良いキャラなのに、途中から「先輩」と呼びはじめて、キャラの押し付けにウンザリしました。
不要な設定が多すぎましたね、「レオン」で殺し屋がミルクが大好きで泣き虫って設定が滑っていたのと同じものを感じます。
後は、私自身が性描写が少し苦手な事もあり、一回だけならまだしも繰り返し繰り返し出現する性描写には、ゲップが出そうになります。
さて、いよいよクライマックスです。
最初に登場したときは「若い子なんだな」ぐらいに感じたヒョロい穂高くんの作画が、更に崩壊していきます。線路を走るところではペラッペラの紙人形のようになった穂高くんがペチペチ走ります。
新海監督の作品は人間に体重が感じられないとは前から気になっていましたが、今回はその極値をいってました。
「トレインスポッティング」や「ミッションインポッシブル」のような強い疾走感が大好きなので、あの吹けば飛ぶよなペチペチ感は見ていて辛かった。実写とはもちろん違いますが、そういうと「トトロ」で、メイがトウモロコシ持って走るシーンはしっかりと体重を感じられましたからね。
あとこれは有名な映画評論家の方も書いていましたが、銃というメタファーって必要だったのか?ってことです。
天候を変えまくったせいで、国家の弾圧で追われる、とかならワクワクもしますが、
銃?銃なの?そこが問題の頂点にあるの?
急に極大から極小の世界に戻されます。
これじゃ焦点が散らばると思われても仕方ない。テーマが置き去り感が凄いです。
ヒロインに会いたいあまりに暴れる穂高くんは、思春期の熱意というより、狂人に見えます。いや、それは狙ったのかもしれません。恋とは狂気なのだと。
でもね、正直引きました。うわぁ…って感じ。
しかし二人が絡まりながら抱き合いながら落ちていくところは素晴らしかったです。
セリフなくてもいいぐらいよかった。
最後、ラストシーンですが「それから3年雨が降り続けた」のとこは、なぜか吹き出してしまいました。しかし、これエヴァを彷彿とさせるな。セカンドインパクト以降、年がら年中夏になってしまった世界、失われた東京。
それでも普通にお花見を楽しもうとしたりする人間の強さ。
ディストピアって、何故か憧れますよね。
この新しい世界のシーンはとても良かったです!
というわけで、散々なこと言ってますが
実は2回目観たら面白いんじゃないかな?と思いました。やはり知ってる街やいつもの広告をダラダラ見せられるのは、気が散ります。
2回目なら慣れて、そこを気にせずストーリーに没頭できるのかもしれません。
ありがとうございました!!
良くも悪くも新海ワールドって感覚
瀧くんや三葉の大人になったあと、…
晴れ女とされていた天野春菜。
しかしその正体は人間の姿でいると、晴れることがなく雨が降り続ける、まさに天気の子。
しかし、天に向かって祈りを捧げると
そのある1点の地点のみ晴れる不思議な能力の持ち主だと思われていたが…。
「君の名は。」新海誠が織り成す、
新たなるジャンルのファンタジーにも思えた。
気になる方は1度視聴された方が納得が行くと思います。
少年少女たちよ
天気の子に出てきた帆高、陽菜をはじめとする少年少女たちの行動がどれも生き生きしていた
帆高と凪の陽菜が人柱になったときの行動が感動的だった
凪
カナとアヤネの力を借りてまで救いたい大切な人がいる
帆高
いろいろ罪を犯してまで会いたい人がいる
二人の愛はそれぞれ別だけど願いは一緒だった
本当の感動はこのことだと思う
誰にだって愛にできることはあると思う
「俺はただ、もう一度あの人に会いたいんだ」
と叫ぶ帆高や
「姉ちゃんを返せよっ」
と叫ぶ凪。
これを見て私は、いつの間にか泣いていた。
かれらの言動が、行動が、私の心を動かした。
怖いという恐怖心にも負けないくらいの愛があるっていいな。
それくらい愛せる人が欲しい。そんな人の大丈夫になりたい。
何回見ても感動的な映画。
『意味のない人なんていないんだ』と思い直させてくれる映画だった。
彼らがくれた勇気を自分のために使いたい。
愛にできることはまだあるよ。僕にできることはまだあるよ。
綺麗な皿に盛りつけられたサラダ(味付けは塩のみ)
賛否両論との前評判を把握して鑑賞しましたが、
全体的に薄味で、特別不快な点もなければ掘り下げたくなる要素もない映画。ただし、絶秒なバランスゆえ総合的には面白く感じる。
空・雨・光の描写は美しく、この映像は映画館でぜひ体験すべきだと思う。
東京の街もかなりリアルに描かれているのだが、ここまでリアリティのある風景がくると登場人物(人間達)とのアンバランスさも感じた。
Vanillaの求人トラック、ヒロインの売春未遂、実は15歳だったなど、本来なら悲壮感を感じる部分に全く重みがない。何のために必要な描写なんだと思えるほど薄いのだが、よくある事だし悲壮感を感じない(感じさせる必要がない)という表現なのかな?とも受け取れるが、大人・子供の比較対象となる須賀も同様の薄さなのはいただけない。
ストーリーのキーとなる人柱・東京水没でも同じことをやっているので、結局全体的に薄っぺらくなっている。
これらが続くので、クライマックスのー世界なんてもともと狂っているーという台詞は上滑りした印象で、映画の中で一番冷めてしまった場面だった。
ここまでくると、サリンジャーや時代遅れを感じるリーゼントの警察官、深みのないSF・ファンタジー感などは流せてしまう。
帆高という10代の男の子の純粋さ・一途さ(悪く言うと青臭さ)の描写は好感を感じたし、銃をメタファー的に使っているのも悪くない。
童貞臭いとも称されるが、性的要素・視点が大変薄いため、宮崎駿の女性描写に不快感を感じるタイプの女視点でも、不快感はなかった。(あぁ、またこれね、はいはい…と流せる程度)
天気・雨を用いたコンセプトは良いと思うが、もう少し神秘性の描写に重きを置いてもよいのではないだろうか。
映像6、音楽2、シナリオ2の作品だと思うが、全体が絶妙なバランスでまとまっている不思議な作品。
私は好みではないが、新海さんの感性に大勢の人が惹きつけられるのは理解できる。
続編に期待してしまう
ストーリー自体は単純明快で、驚かされることもなくエンディングを迎えました。
異常気象が永遠に続く事と引き換えにヒロインを救う穂高の決断に対しては、特に異論はないです。
そしてヒロイン救出後から永遠と降り続く雨。
数年ぶりに再会した2人のシーンで物語は終わりますが、
「僕たちは、きっと大丈夫」
このラストのセリフが気になりました。
若さ故の安易な決断、そして根拠のない希望。おそらく今後数年, 数十年、同じように雨しか降らない天候が続くなら、
「彼らは、きっと後悔する」
私はこのように思いました。
あの決断を後悔し、絶望し、それを乗り越えて最終的に新たな決断をする、そんな続編を期待せずにはいられない作品でした。
わかりやすさとメッセージと
君の名は。より面白かったです。
東京のリアルな景色、警察に追われる、あたり、親近感がわいて、観ることができました。
物語も起承転結がしっかりしており、非常にわかりやすかったです。
自己中心的な行動に対しても、若さと、その行動に対してしっかり向き合って生きていく、というメッセージとがわかりやすかったです。
作画が安定しているのも安心して観れました。さくがのおかげで感情移入できるし、伝わりやすくなる、アニメ映画のお手本のようだと思います。
今日、📺で監督の作品の作り方を見た。
絵コンテの作り方はど素人の絵も書けない私にはわからないけど
以前から監督が独自の動画を作りキャラクターのセリフを全て入れたのを見て
役者は声を入れる。のは聞いていたが
今日、監督のセリフを入れたのを見た。
セリフは勿論、声のトーン笑い声までも
監督が入れた通りだった。
声優(役者)声を演ずる人がいる意味のない監督一人で作れば?
と思ってしまった。絵の動きなどすごく手の込んだ作品とだけはわかった。
まず、なぜ東京に家出したのか知りたい。
前作に隠されてるとか、深く観ればわかるのですか?
最後、同じ強度にしか見えない違う建物で同じ生活をしてる。
見て疑問だけが残りました。
東宝のマイレージが貯まって無料で見れる1作品として見ました。ポイントもお金も使わずに見てよかったです。
他に無料で観た作品はこんな事を思ってません。
終わり方にびっくり
家出少年帆高が東京で家や証明書なしに職を探すところと、親無し姉弟の陽菜が離れ離れにならないよう自立していきていこうとする様がとても必死で危なげで目が離せなかったです。
そんな中晴れ女の仕事を始め上手くやっていくのですが、晴れ自体のもつ力が上手く表現されていてとても3500円ではなく数億円以上の価値を感じました。
最後の普通の物語だったらヒロインが助かったかわりに雨ばかり3年もふって都市が水浸しなんてバッドエンドだろと感じましたが、地震ばかりの日本で考えてると大なり小なり頻繁にどこかで起きているし予知出来ていないし、人智ではまだまだ解明出来ていない神の領域なんだろなとありえそうに思えてしまいます。
何らかの現象を後で納得できる形で原因づけることはすると思いますが。
少し気になるのは最後取り返しがつかないと言われた帆高が保護観察ですんなり親元に戻っていることや須賀や夏美の罪はどうなったのか、帆高の家出した具体的な理由とか陽菜と凪は何故親戚や役所等の大人の手を借りず生きていこうと思ったことです。
金曜ロードショーを待つべきだった。
面白くない。
見る価値もない。
得られるものもない。
これがこの映画に抱いた感想。
久々に雨を題材にした作品ですごく期待したのに。
冒頭で、主人公がライ麦畑でつかまえての小説を読んでいたり、リアルな背景、物の描写があったので
「お!少しずつ伏線が回収されていくのかな?」なんて期待したのに、結局最後まで淡々と自己中な恋愛話を見せられただけ。
賛美両論に別れる映画を…なんて言っているけれど、犯罪要素があるから とか、 軽い性的描写があるから、という理由で批判される訳では無い。
そんなこと言ったら、多くの映画(特に海外のものなど)はどちらか、もしくは両方の要素を含んでいるものが多い、だけど批判されずにむしろ多くの人に受け入れられる、なぜなのか?
面白いから。
見た後に、あぁ、なるほどな。と少なからず考えさせられるものがあるから。
王道を責める戦隊モノでも、得られるものがあるから。
だけど、この映画には上の要素が一切ない。
それで、批判されたい とか言ったらもう本末転倒。
ただのネタ切れの言い訳。
そもそも、主人公に感情移入が全くできないなんてもう問題作だと思うし、オリジナリティーが全く感じられない。空から降ってくるところなんて、もろにジブリだし(もうここまで来たら、パクってでもなんでもいいから見ている人が入り込めるような前の作品に出てきた人物を見て盛り上がるだけの作品じゃなしに、今回の作品に心から感動できるようなものを作ってくれたら何でもいいと思えたが。)、警察がありえないほど無能だし、大人は犯罪の手助けするし。
音楽も別に要らないなぁ、って所で入れてくるし
主人公達が勝手に盛り上がって、私達は置いてけぼりな感じがして全然感動できませんでした。
すごく残念です。ほんとうに。
何かを得るためには、何かを失わないといけないんじゃなかったの?それを無視して愛を掴みに行って東京は水没?笑
そんな映画、共感出来るわけない笑
書く題材がないのなら、少し休憩した方がいいと思う。このままじゃ、回数を重ねる度に見る人はどんどん少なくなると思う。
私は、来年何か公開されたとしても見ずに金曜ロードショーを待つと思う。
「ライ麦畑でつかまえて」の意味する本当のところ…
この映画の全体的な印象については後程書くとして、まずはThe Cather in the Rye(ライ麦畑でつかまえて)についての考えを述べたいと思います。
映画の前半でネカフェで泊まりこむ、帆高の夕食(カップ麺)の蓋を抑えるのに使われていたのが、このライ麦畑でつかまえて という、アメリカ合衆国の作家J.D.サリンジャーが書いた小説。
村上春樹が翻訳したバージョン(劇中で登場したのは装丁からして村上の翻訳本)もあり、結構人気な作品。
もちろん、この本の内容を知らなくても、何の問題もなく映画は楽しめるのですが、ライ麦を読んだ方は、帆高の人となりについて、少なからず理解ができるようなシーンとなっています。
「ライ麦畑でつかまえて」の主人公は、帆高と同じ17歳の高校生で、学校で成績が振るわないことと、学内の人間関係のもつれから、親の承諾もなしに学校を辞め寄宿舎から出てきてしまい、その後いろんな社会のしがらみにあい、そういった世知辛い社会の中で、青年期へ向かう少年の気持ちを描いた作品です。
まさに帆高の心情・行動ともリンクする作品で、帆高の愛読書という設定に納得がいくわけですが…
ここからは、私の個人的な深読みとなるのですが、このライ麦の本当の伏線は、帆高だけではなくて須賀圭介にあるように思うのです。
それは、後に須賀があっけなく「おっし、少年、採用!」と簡単に決めてしまった時に気づきました。
冒頭の島からフェリーで出てくるシーンですが、天候が悪くなるのでデッキから艦内に入ってくださいという放送が流れている中、一人逆行してデッキに出ていく帆高。
そして、突然の大雨で船が傾き、あわやという時、須賀が帆高をつかまえて難を逃れるという場面ですが、あれ、須賀ってたまたまあそこにいたわけではないですよね(笑)
須賀がやっていることこそ、まさにライ麦畑のキャッチャー(捕まえ役)じゃないですか。
恐らく帆高の姿に何か危険を感じて(場合によっては自殺するのでは?と感じたのかもしれません)いつでも助けられるようにしていたんだと思います。
大きな絆創膏を貼って、何か思いつめたような雰囲気が漂ってましたからね、帆高は…
また、その後帆高が言い出したとはいえ、食事を御馳走になり、ビールまでたかってしまう須賀…
これも、実は須賀の狙いで、後に帆高が須賀を頼って来やすいような配慮だと思います。
命を救ってあげた上で、何もお礼もさせてもらえず、その上頼ったのではあまりにも…という感じですもんね。
帆高の決心へのプライドを保つことで、いざとなれば頼りやすいような須賀の配慮なんだと思います。
その証拠に、実際に頼って来たとき…
「おっし少年、採用!」
~中略~
「で、君、名前なんだっけ?」
あっけなく採用を決めてしまう。
これって、もう最初から助けてあげることを決めていたんだと思います。
須賀も若い頃に「ライ麦畑でつかまえて」を読んでいて帆高の様に真っ直ぐに生きていたのではないのでしょうか。
そして大人になって、だんだんズル賢くなり、また苦悩も持ち合わせていて、このあたりが須賀が意図せず涙を流していることにも繋がるんだと思います。
須賀の描き方は実に秀逸ですよね。
新海誠監督、10代より自分に近い須賀の方が、はるかによく描けていると思います。
さて、最後に映画全体としての感想で締めくくろうと思います。
全体としては正直に言うと、なんだか気持ち悪さが残る映画でした。
その気持ち悪さは、どこから来るのかというと…
まず陽菜が人柱になることで、帆高は社会に対して感情をあらわにします。
そして、最大多数の最大幸福で出来ている社会に対しての反発の様に描かれています。
社会を救う為に、陽菜という人柱を神に捧げて助けを求めたが、それを帆高が救うという、まるでヤマタノオロチ的な展開の話の様な印象を受けてしまいがちですが。
実は、そんなヤマタノオロチ的な展開にはなっていないんです。
そう、陽菜は社会を救う為に、社会から求められて人柱になったわけではありません。
陽菜は自分の母親に晴れを見せたいという極めて個人的な欲求から晴れ女になってしまったのであって、社会が求めていたわけではない。
そして、社会(警察)が帆高をつかまえようとするのは、陽菜が人柱となるのを妨げるような行動を抑制しようとしているのではなく、帆高が法律を犯しているからです(拳銃所持・発砲)また、家出で捜索願いが出ているからでしょう。
これに対して帆高が社会に怒りをぶつけるのは、まったくの筋違いで、本来怒りの矛先は、社会ではなく、晴れ女=人柱という神のルール、その不条理さに対して向けられるべきなんです。
そこには、まったく触れないどころか、「僕たちは選んだんだ」と言ってしまうあたりが、どうしても気持ちが悪いんですよね。
あり得なさ過ぎて
前作の、君の名はを観た人は期待感いっぱいで観ると思いますが、個人的な感想としては、新海監督のファンなだけに、今回の作品はキャラクターの設定に無理があって、正直共感したくても出来なかったところがあります。少年が簡単に拳銃を手に入れてしまう所や発砲までしてしまうところとか、主人公の少女が雨の人柱に簡単になってしまう所など。ストーリーの急展開は新海設定だとしても、前作の様に「もしかしたらあり得る」的な大切な共感が得られなかったです。それと曲の入るタイミングがちょっとミスったように思えました。また絵の緻密さがちょっと緩いかもしれないです。新海ファンなだけに、ちょっと残念。もっともっとゆっくりでハートフルなストーリーこそ、新海ワールドだと思うのです。
世界か彼女かの選択って・・・
この映画の結末についてですけど、「世界か彼女かの選択で彼女を選んだんだよ!」って言ってる人が多いのですけど…この話って「選んではいない」よね?
ラストのすったもんだは結局、主人公が自分で家出して銃を発砲した件でしょぴかれるかどうかの問答でそこから逃げて彼女を奪還することが争点になっているので、なんなら彼女を取り戻したら東京が水没するなんて多分誰も知らなかったはずですよね。
つまりコレって「自分がやった一般的にはよくない行いを周囲が無条件に赦してあげる話」じゃないですか?
新海監督は「主人公が社会と対立する話を描きたかった」と説明しているみたいです。
「だとしたら天気ネタとか巫女の設定とかあんま関係なくね?」って気もするんですが…。
何より気になるのが、この話に感動している人や作者が、青春のヒリヒリとか思春期の葛藤とかそういう部分を「社会と対立」とかいうような言ってみれば幼稚な思想をノスタルジーとごちゃごちゃにして論じられている点です。
社会と対立すること=魅力的で青春的なんですかね?
社会悪に立ち向かうことは確かにかっこいいかもしれませんけど、守るべきルールを守ることに反することってカッコよくないしなんならダサいと思いますよ。
少なくとも映画としてその辺を魅力的に見せたいなら、組み伏せられる社会が多少なりとも悪く見せないと。
この主人公が如何に叫んでも大声出して喚き散らしても「まあ家出した挙句、街中で銃ぶっ放したらそうなるよね」としかならない。
「対立した社会」に対して主人公が一方的に赦される話って理想的な他者が出て来ないと成り立たないし、そういった深夜アニメの延長青春映画って多い気がします。この映画も含めてなんか評価が高いものもチラホラあるし…。
おそらく、この映画にイラっとしてる部分って(自分も含めてですが)、最後に警察に追われるところで銃を使う、という部分において、「誰かを救うためなら仕方がない」となんとなく不問にしてることのような気がします。
「誰かのためにやったんだから良いじゃないか」っていうのも、この場合、少なくとも「家出をした」っていう件は、穂高くん本人の落ち度ですよね?警察に追われてる中身は「彼女のために選んだ、もしくは否応なしにそうせざるを得なかった」ことではないのです。
原因と結果を省みないで「ノスタルジーとか若者が走ってるんだから尊いって一方的な決めつけ&暴力的な映像美=感動」って姿勢に心底げんなりするんです。
一個人の我が儘で警察に追われて銃を向け、その場に人がいたら?とかそういう視点を排除することで成立する感動って倫理的にもどうなんでしょうか。「賛否が別れる」「私は楽しめたんだからいいじゃないか」で済まされるのかな。
自分はこの姿勢にかなりの不快感を覚えました。
哲学がない。これにつきます。
アメリカ映画はお金がかかってるから素晴らしいんじゃないんですよ。こういう倫理的な問題とかに関しては独善的な着地をまずしない。
全てとは言いません。面白いモノも多くありますが、主に大資本の日本映画はこういった姿勢を学ぶべきじゃないのかな?
既視感は拭えない
単体で見れば面白かったかもしれない。
ただ、「君の名は。」で見たよそれって
展開がどうしても多くて。
設定が変わった「君の名は。」を見てる
感じがどこか拭えませんでした。
あと、どうも説明不足で世界に入り込めない
設定があったり、ファンタジーと現実の
混じり方が今一つだったり。
あくまで個人的な好みですが、主人公だけが
ファンタジーの世界観に居て、それを
現実が邪魔をする展開がどうにも萎えて
好きではない。
音楽、映像はほぼ文句なし。
声優も、本田翼の下手さ加減以外気に
なりませんでした。
後ほど、新海監督の込めたメッセージ的な
モノを見て「なるほどー」と思う部分も
あったけど、そう後付けのように解説
しないと伝わらない作品は、果たして
どうなのか?と言う感想も。
もう少し分かりやすくでもよかったのかな。
でも前作のインパクトが強過ぎたなー。
期待値は超えて来ませんでした。
この狂った令和を生きる人々へのエール
この映画は表面上、「君の名は」のような恋愛映画に過ぎない。
しかし、そのメッセージ性の深さは比べ物にならない。間違いなく新海誠監督の最高傑作だと思う。
この映画を語る上で外せないことがある。「天気」って現実でいうとなんだ?人々を傷つけ、苦しめる台風、暴風、洪水。僕は天気を「人々が生きていく上でぶち当たる問題、天に課された課題」と解釈した。
問題を解決してくれる人がいたらそりゃ誰でも感謝するし、人によっちゃ大金も払う。でも、そんな生き方を続けて生きていると人間なんて疲れちゃうし、壊れたり自殺しちゃう人もいる。
周りによくいない?鬱になったり自殺しちゃったりする社会人。
少女が昇天するのは自殺、死の暗示だと思う。
そんな少女を主人公は助けに行く道を選んだ。当然、命は救えても天気は元に戻ってしまう。
でも主人公はそれでいいと言った。これはつまり世の中の問題を解決するより自分や大切な人間を守ることが大切という暗示だと思う。死んじゃったらどんなに偉い人間だって何も残らない。それよりどんなに醜くても生きていることが尊いんだ。
3年後、狂った天気の中でも電車の代わりに船を使い、人はそれなりに適応して生きていた。どんなに問題が困難だろうと案外どうにかなるもんだし、人間は意外としぶとい。生きてさえいりゃなんとかなる。
おじいさんも言ってたじゃん。800年スパンで見りゃ、最近の異常気象なんて大したこたないって。
戦国時代や戦時中に比べりゃ令和なんて狂ったうちに入らないんだよ。全然、乗り越えていける。
少女は3年の間、天気が晴れることを祈り続けてたんだ。まずは自分や身近な人を大事にして無理し過ぎず、人々の幸せを祈って生きていけば、きっと天気=課題は自分の成長の糧となり、新しい道もひらけてくるんじゃないかな。
これはこの狂った令和(笑)を生きる僕たちへのエールだ。
大人と子どもの目線、簡単にどちらが正解か決められますか?
中二病の極地とも言える主人公。無謀な家出なんてしちゃうし、突発的に銃を撃ってしまうし、指輪なんか買っちゃうし、本気で晴れ女の伝説なんか信じちゃって、陽菜が人柱になってしまったと思い込んでしまうし…。
大人目線からしたら、こんな感じ。どおーしても冷ややかな目で感じてしまう。私も痛いなーコイツって思いました。まだ島の少年っていう設定だから、この痛々しさ、共同体からの解放されたい願望が許されてるかもしれないけれど、それでもイタい。
それでも主人公からしたら、そしてファンタジーの世界からしたら、真剣そのものの事実ばかり。
主人公の真剣さと、刑事や圭介の冷ややかな指摘とのギャップが、見る側に余計に痛々しさを与えるけれど、それと同時に、単なる現実/空想、正解/不正解で物事を二律背反で分けてしまっても良いものか?!と疑問を投げかけられたような気もした。
本当に大人や社会の目線だけが正しいのか、私たちが当たり前と思ってる現実だけが正解なのか…
「帆高と陽菜の目線だってもしかしたら、現実かもしれないでしょ?」「人間って、大人って、本当にそこまで偉いもんですか?」「思ってるよりも世界は複雑で狂ってまっせ?」と投げかけられたような気もした。
現実からこぼれ落ちる陽菜を救おうとするのは、まさに途中で出てきた、ライ麦畑でつかまえて、ですね。キャッチャーインザスカイとでも言いますか。
全体的に、言わんとすることかが世界観から浮ついていなくて良かった。
それに比べて「君の名は。」はモチーフ重視で空振りだったかな。
アニメだから、モチーフや世界観が面白い方が興行収入に繋がるのかもしれないけど、個人的にはこっちの方が良かったです。
作り直して欲しい
大好きな女の子のためなら、世界なんてどうでもいいっていう子供のわがままさやそのまっすぐさは良かったと思います。
ただ、そこまでの気持ちに至るまでの二人の心の触れあいが弱い。非常に弱く、また主人公は後先考えなさすぎ、周囲の人間がどう思うのかどういう影響が起こるのか一切考えているようには見えない。
ていうか16歳で警察に捕まるっていう結構なショックを受けても、平然と警察から逃げ出し女の子の元へひた走るって、...おいおいちょっとは落ち着きなさいって。
助けるなら一度捕まって反省して自分の気持ちと向き合ってからでも遅くはなかったような気がするんだけど。
とにかく、この主人公には共感できなかった。
以下、見終わって疑問に思う点。
読んでもらいたくて書いてないです。
映画見ながらツッコミした私の記憶です。
ヒロインのお母さんは病気で入院中、お父さんはどこ?生きてるの?
生活費はバイトで足りてるの?
バイトを首になって、売春か水商売に応じるくらい切羽つまっているっぽいのに、やることがうまくいくかどうか博打な天気の巫女ってそれで良いの?
ていうか、お母さんと晴れの日に散歩したかったんだよね? 何で行かないの?ちゃんと行ったの?
それにラストシーン、自分たちの影響で東京が3年かけて水に沈んで、多くの人が住む土地を失っていくのを間近で見ているのに、同じ思いを共有できる唯一の存在である共犯の男の子と3年も音信不通でいられるってどういう神経?
メールは無理でも文通とかそれぐらいはしたら? 二人でいれば良いって選択したのに離れても苦しくないの? ていうか、主人公が空に来て手を繋ぐ時、その結果起こることに対して何も考えなかったの?
何ならラストの犯罪者集団の中では、唯一の無罪な一般人なんだから主人公のいる島に一緒に行けばいいのに。何でバラバラに?
そもそも、主人公がヒロインを好きなのは一応伝わってきたけど、ヒロインの方ははっきりとはわからないまま。...ちゃんと好き同士なんだよね?
主人公は何で家出したの? 住んでる島ってどういう場所? 東京に行くとき何で雨を楽しんでたの?
何で光追っかけてたの? 追い付いてたら何かあったの?
最後間際のシーン、世界よりも大切な女の子いるのにモブの子の告白にドキドキするって、お前なんなの? ていうかこのシーン必要?
そもそも、あれだけ盛大かつ多重に罪を犯しておいて保護観察処分はリアリティに欠ける。どう考えても少年院か、施設送りです。
やり過ぎです。
最初から最後まで主人公が大切にしたい物が見えないし、信念とか悩みとか抱えている物が色々と最後までわからない。どこまでも薄っぺらなキャラクター。何て言うかサイコパスな感じ。
本田翼さんの役のキャラが思っていたよりずっと良い。
けど、途中就職活動で悩んでいて、その就職の答えは明示されずに終わるのがモヤモヤ。ていうか、あれだけ道交法違反等々やれば学校は退学処分ものだよなぁ。
天気の巫女ってのがいる世界なのはわかった。それはわかったけど、途中で出てきた透明のでっかい物体や触ると消えちゃう不思議物質はなんだったの?空にいる魚の仲間?
途中のお寺のおじいちゃんが詳しく説明するかと思ったら、天気の巫女の紹介だけって。...おーい、置いてけぼり。
せめて主人公かヒロインは詳しい内容に触れておいて欲しかった。
で、その説明内容も祈りすぎると巫女は消えちゃいます、巫女が消えたら晴れますって、薄っぺらいなぁ。
それなら雨が降り続けるのは何で?
途中、関係ないのかもだけど、彼岸がどうのこうのって別のキャラが意味深に言ってたから、巫女との関わりとか何かあるのかと構えてたけどこちらも最後まで何もなし。
後、ヒロインの弟と人気声優使ったキャラクター2人がメインのシーンは全部カットでも物語にまったく影響ないと思う。いらない。新海誠もしょうもないことするなと見ていて呆れた。キャラクター名もカナにハナザワ アヤネって。オタクがこれで喜ぶと思ってんの?
馬鹿にするなよ。(気づく俺も大概だけど)
これがなければ時間が20分近くは稼げるから、主人公とヒロインに関してもっと掘り下げできたんじゃないだろうか。
主人公へのアドバイザー役なら、家出少年を拾ったあの二人で十分だろう。
2時間は正直あっという間でした。
けれど、これだけ消化不良で残る物、消化しないといけないことが残っていると面白いとは言えない。
全部を解決しても陳腐だけど、これだけ残すのもいかがなものかと。
新海誠監督でなければ、見向きもされない駄作だと思います。
期待しすぎたのかな、、、
『君の名は。』から3年
凄い期待して待ち望んだ次作だったから
楽しみにしていたけど
うーん、二番煎じかなっというのが率直な感想
前作ほどストーリーが作り込まれていない気がした
たくさん伏線がある割に
駆け抜けるようにラストへ
全体的にこれじゃない感が残念
主人公の帆高くん、陽菜ちゃん、凪くん
それぞれ個性豊かで興味をそそる人物なのに
なんか今ひとつ感情移入できない
帆高くんは何故、東京に憧れたの?
離島での生活で何があったの?
天野姉弟は何で子供だけで生活することになったの?
色んな話が出てくるのに解決はされず
モヤモヤしたままラストを向かえる
拳銃、拾うの意味あった?
帆高くんもわざわざ警察に追われて
大変な目に遭ってまで
陽菜ちゃんに会いに行ったのだし
最後、晴れにして良かったのでは?
須賀さんの
「お前ら如きが世界を変えられると思うな」
ってニュアンスの言葉も腑に落ちない
映像のキレイさはさすがだなーっと思いつつも
やはり話にインパクトが無かった
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