天気の子のレビュー・感想・評価
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コンセプトが謎
天気の子、という神がかり的な能力
そこに家出少年とのボーイミーツガール、都会でのアドベンチャー
中途からの逃亡劇風味
コンセプト的にとっちらかっているように感じた
どれか一つに焦点を当ててストーリー的にシンプルにしたほうが面白かったのではないかな
演出的に成功していた前作『君の名は』に対して、全体的に盛り上がりがいまいち
白け感すらある。
『君の名は』のMV的演出の挿入は画期的だったのに本作では生かされていない。
"落下する少年少女が空中で手を握る"という
『エウレカセブン』以降割とよく見るシチュエーションを着地点にして映画として体裁を整えたような印象
SFというよりファンタジーなので、もっと突き抜けた展開、演出もできただろうし
"人柱"を中心にしたはなしでもよかった
もっとオカルト、民間信仰の部分で掘り下げたほうが面白かっただろう
テーマ的に"雨宿り"なら、もっと冒頭からそこに焦点を当てるべきだった
主人公二人の境遇の描写、対立する存在、避けられない運命などが演出的に足りていないので
作品として感情移入ができず、盛り上がりに欠ける。
『君の名は』のキャラクターがすこし登場しているが、
ただそれだけ。
個人的に木村良平の小物キャラが大好きなのでここは良かった
うーん・・・そもそもどのへんの視聴者をターゲットにした作品なんだろうか
一般層、ライト、新海誠ファン、オタク
迷走している感が否めない。
映像美だけの、感動ポルノ
映像美は素晴らしいが、脚本、演出が全然 機能していないのが、なんとも言えない。
思春期 真っただ中の、お子様 性欲男子なら、共感できるのだろうけれども、
彼らを痛めつけるべき、冷たく、邪悪な社会構造そのものは、
別になにも 悪くないのですね。
銃を拾った主人公が、その暴力性に狂う展開があるのかと思えば、そうでもなく、
ファンタジー設定にも、なにも共感性もなく、ただただ、設定されたとおりの人物がいるだけで、
そこに、なんのドラマ性も、成長感もないのですね。
描かれている社会は、お子様には厳しいのかもしれませんが、
オトナからしたら、至って普通の社会そのもので、
それを冷たいとか、辛いと感じるには、主人公たちが あまりに幼いからでしかないのですね。
彼らの年齢設定は、そのためだけのものであり、なんら必然性がないのですね。
その幼稚性により、この世界の東京は水没する訳なのですが、
古典由来の下敷きは、わからないではないのですが、
ただただ、主人公たちの成長もなければ
それを「天気の巫女の宿命」と、その犠牲性にだけ 委ねるには、
人物のヒロイン性も弱ければ、そもそも、設定そのものに 無理があるのですね。
水没させられた一般人や、脇役たちには関係なく、そのまま死亡した人々の無念や
災害の残虐性は描かれることがなく、
一部破壊された都市機構としか描写されません。
この作家にとって、災害とは、あくまで、設定でしかないのですね。
実際の災害の悲劇性と、この魅力のないヒロインを天秤に懸けるほどのドラマテックな展開も、まったくありません。
物語の山場に、こういった曲を流しておけば、観客は感動するだろう、というのは、
作家の怠慢であり、傲慢であり、安易な手法でしかない。
物語にテーマ性がなく、ドラマが生まれないのは、そもそもの脚本と演出に素養がなく、
作家性の欠如としか言いようがないと思います。
非常に優れた商業作品なのでしょうね。 私には理解できない。理解できるが、大勢の観客を下に見た
残念な作家性しか見えなかったのです。
流石の映像美
ですが、少し設定が気にはなる(笑)
ラストに関しては、私は相当大人ですが、それもありだと思いました。
大人は大人の都合を子供に押し付けても良くて、子供が子供の都合で動いたら、ダメとすることには疑問しかない。
大人でも子供でも大きな決断をしたら、それに伴う犠牲と責任があるのは当たり前のこと。それを教えれない周りに問題があるように思います。
それでも良いんだよ。は、優しさじゃない。無責任なだけ。まぁ、サポートする気があるなら良いとは思いますが。
この映画は確かに穴だらけです。ただ、私が気になるのは、大人と子供はいつから?どこから?この隔たりができ始めるのか、、、大人になる過程で確かに世の中の見えないルールに押し込められて妥協して諦めて合わせるようになるのは確かです。でも、この子達の心までわからなくなるのはなぜだろう。自分が諦めて合わせて生きてるから、お前たちもそうしろ!と、なぜ言ってしまうのか。ほんとに大人はあの子供に銃を向けるのだろうか?そんなに汚く見えてることに悲しくなりました。
あと、結果的にはあの男の子が天気の子だったのかな。。。あまりに、彼女の主体性が無かったことが、やはり男性目線でしかないのかな、、、と。
理屈っぽい(笑)
「すずめの戸締り」を観に行こうかどうか迷ったので視聴しました。
新海監督の世界観は、民俗学や神話を知らないと、なんだかよくわからないですね、やっぱり。
宮崎駿監督の世界が右脳的だとしたら、新海監督の世界は左脳的。理屈っぽいと感じます。
宮崎監督の世界は、だから前知識がなくても直感に訴えかけてくるのに対して、新海監督の世界は、ある程度知識がないと何が言いたいのかわからない。
天気の巫女などというものが、日本の歴史に存在したかどうかはわかりませんが、「一年神主」と似たようなものでしょうか。
その年の豊作を祈る神主であり、その年の終わりに殺される。それが「一年神主」だと柳田翁は書いています。
自然に抗って天気を操るため、生贄を差し出す。その生贄が天気の巫女だということでしょう。
縄文海進の時代、東京のほとんどが海の底でした。
それは大自然の意志であり、もし縄文時代に「天気の巫女」がいたとして、押し寄せる波を止めることはできなかったでしょう。
縄文人たちは天候に抗い、巫女を生贄として止めようとしたでしょうか。
それともごく楽観的に、陸へ陸へと移動したでしょうか?
発掘調査によれば、後者だ、ってことになると思います。
だから、穂高は陽菜さんのために東京を見捨てたのではなく、「人間が生贄を捧げて自然をゆがめる」ことをやめ、自然のなりゆきに任せたということなのでしょう。
だとしたら、ストーリーに破綻はありませんが……感動しづらい話だなぁ(^^ゞ
「若者が頑張った!!」っていう話に、こんなめんどくさい理屈はいらない……。
うーん…
体調悪いってか病み上がりってか病み途中(?)ですが、(あくまでライトに)酷評しに参りましたw
(先々週?地上波で観てからだいぶ時間が経ってしまった、、その間(かん)、大好きな佐伯ポインティさんのゲーム実況とサブスクのアニメチャンネルばかり観てた…w)
『君の名は』について、職場の大学生の子が「映像はすごい綺麗ですよー、ストーリーはどってことないですけど」と評していたことがあって。
そのあと私自身鑑賞して、まぁほぼおんなじような感想を抱いたのですが、この『天気の子』に関しても同じような印象でしたね…。
なんだろう、タイトル「うーん…」にしたけど、あえて付けるなら「最新の映像美と古典的なキャラクター」、かな。
私はどうもこの監督の性別役割分業観が苦手なのだ…(細田守は全作品は観てないけどここまで酷くはない気がする。ただ、シンプルにつまらなくて中途挫折したりした(何かあの歌姫と野獣のやつ))
宮崎作品もシータがシチュー作りに精を出したりするけど、シータはラストでムスカ相手に啖呵切ったり、耳の真横を拳銃で撃たれてもひるまない強(したた)かさがあるじゃん。それに何よりミヤさんは世代が世代だし、あれ'8~90年代の作品だしな。
あーた若いのにどうしてそう古いの、、。←これが、私が新海作品に感じてしまうことなんよなー。
ま、もっとも、不況ですし。コロナ禍で物価高で"異常気象"ですし。先が見えない時代は保守的なものが好まれますから。こういうものがウケるというのはワタクシも肌で感じますがね。
圭介の声、最初いい声だなー、誰だろなーと思ってたら小栗旬でしたか。あんまり好きではないんですが、この圭介の声に関しては渋くて自然でいいなと思いました。
あとは森七菜ちゃん!こんなに上手い子だったんですね。夏美役の本田翼は…前から演技が大根と聞いてはいたんだけど…よく言えば自然?w ミヤさんとかが起用したがりそうな自然(素人っぽ)さだと思うんだけど。
森七菜ちゃん演じる陽菜が、しょっちゅう"ウフフ"って笑うんだけどその笑い方も気になる。ドラえもんなの?w
全編を通して「今、胸見たでしょ」「どこ見てんのよ」ネタがあるのもキッツい。何、らんま1/2の時代を生きてらっしゃるの??もう令和ですことよ…!!
『天気の子』で検索すると「気持ち悪い」って出てくるので、よかったそう感じるのは私だけじゃなかった…と先刻、ホッと胸を撫で下ろしたところです。
あとねー、先もある程度、読めちゃうんだよねー。序盤で取材した占い師の「(晴れ女は)能力を使いすぎると~…」のくだりで"あぁ、ラスト付近で陽菜が消えちゃって主人公が追っかける感じねOK"って思ってたらその通りになるしww
(※占い師と夏美のやり取りは、スピ好き女への揶揄とも取れるがある程度面白かったです)
まぁ映像は(ぐぅ)綺麗ですし、田端?駅前が聖地巡礼で賑わったのはよかったんでないでしょうか。
見終わった後すっきりしない
見終わってもすっきりしない。ノベルゲームがトゥルーエンド直前のバッドエンドシナリオで終わってしまったような感覚。素人考えですが、主人公はヒロインを選んだがヒロイン本人のポジティブな意思で犠牲にとか、そもそもヒロイン自体が人間ではなく元から消える運命の存在だったような終わらせ方の方がすっきりできたように思う。後は一番の見せ場のシーンが某有名アニメ映画そのまま過ぎる事も気になった。オマージュなのだろうが流石にそのまますぎるように思えた。俳優女優がメインキャストを担当していたので棒読みを覚悟して視聴したがそこは心配なかった。部分的に棒読みはあっても基本は普通に聞けるレベルの演技だったと思う。オマージュをやるために後からシナリオを考えたのだろうか。あのエンディングのせいで主人公もヒロインもサイコパスのように感じた。
雨の描写が美しく心地いい
明日「すずめの戸締まり」を観に行くので予習で鑑賞。オカルト要素を加えた青春ラブストーリーとして無難に楽しめた。
気になった点は2つ。
1つめは、ひなの特殊能力の入手経緯だ。ファンタジーとはいえ、鳥居をくぐるだけで能力得たのは簡単すぎて唐突に感じた。割と簡単に誰でもいけそうなとこにポツンとあるのも違和感。
2つめは、雨が脅威に感じなかったこと。雨のせいで狂ってる世界と言われてもピンと来なかった。もっと大洪水で人々が流されたり、災害級の描写を見せられてたら脅威に感じたかも。
ストーリーの面白よりも絵の美しさが心に残る。雨粒の描写が綺麗なのと音がリアルで、雨嫌いの私でも心地いいと感じた。どしゃぶりの日に観たかった作品。
タイトルなし(ネタバレ)
最後って東京は水浸しやけど、好きな子と会えるからおっけーです!やし、やっぱ俺たちが世界を変えてたんだ!っていう万能感感じてるのかな
人柱として消えた後は晴れて主人公は悲しんだけど、周りはハッピー
連れ戻した後は雨土砂降りだけど人柱の話を知らない人々は状況を受け入れてるのかな
おばあさんの住まいが変わってるシーンが胸糞感じたけど婆さんも納得してる感じだった。もっと悲しんでたらさらに胸糞だった
銃が活躍するのに違和感だけど私たちの住んでる東京じゃなく海外だと考えれば納得
警察は無能すぎる
やたらと未成年を強調されてた。無力感感じる
映画館で見たらすごいんだろうな
やたらと挿入されるデカBGMの主張でかかった
結末は好き僕的にはハッピーエンドじゃないので
どんだけ住む場所減ってんねん!崩壊起こるのでは
映像綺麗
新海誠版「まごころを、君に」
この映画自体が「晴れ女の能力」であり雨は「涙」だと思う。
実社会の雨(涙)(辛さ)を映画、アニメ(この映画も含む)で埋め合わせすると一時的に偽物の晴れを手にいれることは出来る。
けれど現実は薄まっていき、偽物の雨が降る。
それら全てを理解し受け入れたうえで尚もそのままで良いという決意。
偽物の雨を降らせ続けてでも日本を照らす作品をつくり続ける決意。
ある意味、新海誠版「まごころを、君に」だと思う。
賛否両論あるが結局、新海誠は何を伝えたいか
109シネマの新海誠映画祭にて初めて鑑賞しました。
賛否両論ありますが私独自による総合的に評価します。
まずは美術面
水の表現や都会の表現、そして太陽と空の光や明るさは本当に美しかったです。
音楽では心うつ歌詞と音色であり映画中の音楽を入れるタイミングも良かったと思います。曲については素晴らしいの一言。
次に内容面
おそらくここで賛否が分かれました。評価する人も批判する人の言い分も分かります。
わたしの感想としてはあと本当に少しだったかなって感想です。
多くの人が最後の話の終わり方に納得いかない人でありわたしもそのうちの1人でした。最初は言い訳してるのかなと。主人公たちは変わってしまった世界を生きます。わたしの心の中ではもっとお互いが相殺して、晴れ女がこの世界にいるなら雨男の存在もいてお互いが中和されて、、晴れと雨を繰り返すことができる世界で平和に暮らして欲しい。そんな願望はことごとく打ちのめされました。
結末に関して批判された理由は前半の盛り上がりが強すぎたがあまり後半のインパクトが少し弱かった。前半は物語の結末を予想させるような伏線がとても多く主人公たちはどうなってしまうのか。とてもハラハラし緊張する場面が多々ありました。家出してる身でもありいつ捕まるかも分からない、とてもすごい緊張感でした。しかし結末は2人は3年後に再会することで終わってしまう。そして陽奈さんを取り戻したことで東京は沈没。世界は変わってしまった。
新海誠はこの映画で何を伝えたいのか。
なぜ映画では帆高が家出の理由を明かさないのか。
なぜハッピーエンドではなく狂った世界で生きることで話を終わらせてしまうのか。
私が思った疑問点です。
しかしここにほんの一部ですが答えがあるように思えました。
・現代を生きる若い人たちは大人がいなくても生きていけると思っています。私もそう思っていました。しかし主人公たちは生きていけなかった。家出の理由を明かしていないのは帆高という人間は映画を見ている若い人たちにも当てはまるからではないだろうか。家出の理由はそれぞれ色々ある。帆高というキャラは今を生きる若者と同じかもしれない。
・世界と陽菜の選択で陽菜を選択し狂った世界をいきることになりましたがなぜそれで終わるのか。世界を犠牲にしてなぜ生きるのか。映画の中では須賀さんは世界は元々狂っている、おばあさんは元々は東京のここも海だった。そのように帆高に伝えます。人は多くの選択肢の中から一つの選択を選び時には大勢を巻き込むことがある。そうでなければ人は生きることができない。ある意味自然の形である。帆高は東京という犠牲で1人の人を救うことになった。映画では規模の大きい話ではあるが私たちの生活の中でも誰かを犠牲にして何かをすることもあるはずである。報酬と代償は切っても切り離せない。新海誠はこの部分を伝えたいのかなと感じた。
的ハズレかもしれないけれど、新海誠はもしかしたら私たちには気付けないことを伝えているかもしれない。
あくまでも私の推測ですが多くの考察をする人間がいるということはもっともっと深い映画であると思います。
綺麗な映像、ひなさん可愛い!
圧倒的な映像の綺麗さ。見蕩れてしまう。
話の流れもキャラクターもいい。音楽も挿入するタイミングとかもいいと思う!
最後の選択で、してしまったことへの自責とかとかある中での「大丈夫」。めんどくさい慰めとか、責任逃れのような言葉じゃないこの一言。最高。
色々と書きたいこともあるけれど、リバイバル上映だしこのくらいで。
少し見栄を張る年上(仮)のみんなの笑顔が好きなそんな陽菜さんが好きです!
自分のことを考えずにただただ陽菜さんを助けようとする帆高がカッコイイ!
凪とか、おっさんとか、なつみさんとかも好き!
世界なんかより、自分の愛する人を選ぶ。良き!
God of the wether☀️☂️
新海誠IMAX映画祭にて初鑑賞!
昔から神話が残されていて、人類が完全に理解できていない不思議な天気がテーマになっているのが良かったです!
空は広大で、
本当の雲の大きさは想像することしか出来ない・雲に何かが隠れているかもしれない
という空の不思議について描かれているのも好きでした。
ただ単に晴れ女という解釈ではなく、龍の神様が関わっていることも、日本の文化らしく印象的でした!
空を目指して飛んで浮遊するシーンや、雲の中にある不思議な世界が幻想的で美しい世界でした☺️✨
※
個人的に気になる部分はありましたが、細かい部分にツッコミしなければ、一貫性のあるストーリーで良作だと思います!
1回目で心に響いたので2回目鑑賞
ネタバレ含みます。
新作公開にあたりリバイバルがやっており、新海誠監督の映画は映画館だと魅力的100倍のため再度鑑賞してきました。
まず、印象を一言で伝えると「暗い」です。
また皆さんがコメントする現実的でない部分については私の脳内で割愛しながら鑑賞しております。(アニメだし構わない)
「秒速5センチメートル」や他の映画をまず観て「天気の子」を鑑賞、その後に「君の名は。」を観ました。
「天気の子」が断トツで1番好きです。
まず、音楽と映像が綺麗なのが良いです。
元々ミュージックビデオのような見せ方があるのが新海誠監督のひとつの特徴だと思いますが、RADWIMPSの音楽が大切なシーンを確実に盛り上げ、没頭させてくれます。
映像は実在する風景をそのまま実写のように使い、ドローンで撮影したようなダイナミックな視点で描かれるので、空気感が伝わりその場にいる様な気分になります。
ストーリーについて:
居場所がないと感じている孤独な子供たちが出会い大人の作るルールから逃げ、ワクワクした感情と不安が入り混じった大人にはない純粋な気持ちが描かれており、最初から最後までちょいちょい泣きそうになるんですよね。
雨の日が続き、「当たり前が当たり前でなくなった」時、晴れの日への憧れが強くなる。
それは日常の小さな幸せや喜びが如何に大切であるか、考えさせられました。
私たち社会人も、自分達が生きる意味や、社会での存在意義を考えることがあると思います。
自分達の生きる「狭い世界」で何者でもない自分自身が、人に喜びを与えることが出来てこの上ない幸せを感じていたとき、自分の命を犠牲にしていることを知る。
人は、自分の幸せだけを願って生きていくというのは簡単ではないと考えておりますが、そこに「あなたが絶対に必要なんだ」と曇りのない言葉をかけてくれる人がいる。
世界が敵に思う日があっても。
様々な出来事は当人にしか理解は出来ないもので、そのような細かな心理描写がちくちくと心に刺さりました。
ぜひ映画館で。
『PLAN75』の主演にサクラさんを使ったのは、あの映画の監督がこのアニメを見て『彼女を使えば、売れる』と思ったのだと確信が持てた。
二回は見たくなかったが、レビューを書く為にもう一度見た。全く評価出来ない。細田守監督作品と比べられる事があるが、新海誠監督はジブリの亜種でしかない。そして、今回はサマーウォーズをリスペクトしてしまった。いや、あのサマーウォーズの入道雲をパクったと言える。もっとも、サマーウォーズだって、ファンタジーなら、ラピュタのパクリだっただろうけど。サマーウォーズは純粋にSFをしている。そこに評価出来る点がある。つまり、新海誠監督の作品は何処まで行っても、ファンタジーを脱していない。つまり、出鱈目な話を、観客が喜ぶ様に作っているに過ぎない。どちらも、予定調和だろうが、この映画は、ストーリーの流れに緊張感が全く無い。素直な子供に見せるのは良いだろうが、ライトノベルの様な稚拙な話になってしまっている。言い方を変えれば、子供だましの映画と言える。
『君の名は』も見たが、大林宣彦監督の転校生のリスペクト作品に過ぎず、使い古されたファンタジーになってしまっている。
閑話休題 雨が降って、東京が水没する。つまり、東京の治水をもう一度考え直すべきだと僕は感じた。それをこの映画が強くうったえているなら、少し評価したが、多分『地球温暖化による海面上昇』を言いたかったと思うので、気象の科学を全く無視した稚拙なファンタジーになってしまっている。だから、見る価値はないと僕は評価する。
圧倒的映像美と人生と葛藤する主人公
まずはじめに、今作は愛に生きる人向けの作品でした。
「銃」この存在がこの映画がハマるかハマらないかの分かれ道だと思います。
銃をただ単に悪の象徴と捉えてる人はこの映画をただの非行少年の映画としか捉えられません。
この「銃」は愛する人を守るための物です。アメリカでは護身用として扱われるものですが、ひとつ間違えれば身を滅ぼす存在でもあるものです。
ラストの象徴的なシーンで、帆高は警察に、また恩人でもある須賀さんに銃を向け「ぼくの何も知らないで、知らないふりをして、ぼくはただ陽菜さんに会いたいんだ」と言います。
ここで帆高は、須賀さん(現実の親のような存在)に銃を向けてまで、陽菜さんを救いたく、陽菜さんに会いたく、なにをしてでも会わなければと思ったのです。
「知らないふりをして」この言葉はこの後須賀さんを大きく変えます、須賀さんにとってもう会えない妻、という存在は自分にかりそめの姿を与えていました。だから、「あなた泣いていますよ」のシーンで須賀さんが自分の気持ち、感情に気が付かなかったのです。そこで、再び帆高に「知らないふりをして」と言われ、自分の気持ちに気付いたのでした。
注目すべきは須賀さんの反応ではなく、先述した帆高の感情にあります。帆高は親のような存在である須賀さんにまで銃を向け、自分のやりたいこと、やらなければいけない事を貫き通します。これは現代の若者にある熱い恋、いわば素晴らしい青春をここで、描いているわけです。
だから、今作は私小説のように、多くの大人を巻き込まないように描いているため、ある程度の批評を貰うわけです。しかし、やはりその私小説感がこの映画の本質であり、これ以上にない最高の作品に出会えたなと思いました。
18歳の感想
先に言いたいのは公開前にレビューをした輩はこれからそのようなことはしないでくれよってこと。まぁね見てからの低評価レビューなら誰だってしますしね(ファンとしては悲しいけど)、ラストに対する否定的な意見だったら監督のしたいことが叶った気もして嬉しい。
感じたのは「圧倒的爽快感」
やはりまだ若いからだろうか、あの様な主人公の言動は気持ちよかった(自分がどうするかはわからない)
他の人のレビューとかを見ているとラストに否定的なのは結構大人の人が多いイメージ。
線路を走るところからじわじわときて廃ビルで帆高が須賀に銃を向ける最高点に至った。(それは鳥居をくぐるまで続く)
映像と音楽は言わずもがなかな。あと、ファンサービスも嬉しい。ただ、RADWIMPSは初めて(!?)すごいと思った。確かに君の名は。でもよかった。けど、君の名は。の時は「ボーカル曲以外は別にRADWIMPSじゃなくてもできたのかなー」なんて思ったけど、今作を見たらその考えは覆った。というのも君の名は。と天気の子で全然音楽からうけるイメージが違ったからだ。(何を言ってんだ?と自分でも思う笑)漠然とだが、君の名は。では和風、古風のイメージを、天気の子では現代風のイメージをうけた(舞台がそうなのだから当然か笑)
あと、映画をみて細かいところがスッキリしなかった人は小説を読んでみるといいかも。
まとめると、君の名は。以前とも君の名は。とも違う「第3の新海誠作品」を見た気がした。個人的には君の名は。より好きだ。
他の人はどんなふうに見たのかをもっと知りたいのでよかったらコメント欄に感想をお願いします!
それにしても感じたことを文章にするのは難しい…
嫌だ
親の立場なので、どうしても主人公の行動を賛美して同意することができない。
家出、知らない人の家に住み込み、ネット使ってお金儲け、拳銃発砲、拳銃を人に向ける、警察から逃げる…
映画だから、とはいえ倫理的にどうしても無理でした…。
面白い‼️
もうあまり覚えてないが、「君の名は。」もなかなか壮大なストーリーだった。
今作も、都内23区が舞台とはいえ、ラストでは約3年間雨が止まず、都内各所は水没してしまうというオチだった。
帆高と陽菜の展開については、ネット等で色々賛否が書かれていたが、いわゆるラブロマンスということでまあ悪くないと思う。
ストーリーの本質としては、むしろ須賀の過去、つまり亡くなったという設定の妻、明日香が実は陽菜と同じ
「晴れ女」だったのだが、娘の為に人柱になったのでは⁉︎ というのが真相であり、実は帆高と須賀は同じ境遇に合っていたのだ、ということではないだろうか。
まあ、伏線や謎解きがある方がストーリーとしては面白い。
とりあえず、須賀役の小栗旬は、俳優として素晴らしいが、声優としてもなかなか良かった。
作品の没入感を損なう展開がなければ…。
最初に観た時「これで終わり?あっけないな」。
そう感じた。消化不良とも言える。
ただ同時に「もう一度観たい」とも思った。
恐らくこの作品が何を伝えたいのかを掴みきれていないと直感的に感じたんだと思う。
「天気の子」のテーマは2つ、「天気」と「少年少女のハードモードな現実」。
1つ目はいちいち説明するまでもなく、現代に生きる人ならすべからく直面している問題。
エンディングの描き方から察するに、恐らく新海監督は「気候変動には対処しなきゃいけないけど、抗ったとしても否応なく訪れる変化」だと感じているんだと思う。
最後に須賀が言った「世界なんてどうせ元々狂ってる」というセリフも、変化すらも世界のありようの1つであるという風に聞こえる。
だから、陽菜を生贄に天気を正常に戻すなんてことを是とせず、変化を受け入れその中で強く生きていく人々の姿が最後では描かれている。
2つ目はフィクションなのでかなり誇張されていると思うが、これは誰しもが経験していること。
思春期・青春時代は、大なり小なり悩みを抱えてるし、誰にも理解してもらえないという孤独や、それを他人に話したくないし、弱みを見せたくないという気持ちもある。
自分じゃどうしようもない不都合な現実に押しつぶされそうになることも、そこから逃げ出してしまいたくなる時もある。
穂高の過去が描かれないのは、観客一人ひとりが自己投影出来るようにするためじゃないだろうか。
「帰りたくない」「ただもう一度あの人に会いたい」
特に高校生は初めて自分の人生について真剣に悩むタイミングだし、異性との関係性についてもそう。
親との摩擦もあるし、自分の望む未来に手が届くかどうか不安でたまらない。
そんな不安と葛藤の中で、まずは今したいこと、今好きな人を大事にする。
大人からすれば非合理的な選択でも、青春なんてそんなものじゃないだろうか。
そう肯定してくれている気がする。
須賀や夏美は何も事情を聞かずにただ受け入れてくれる、そんな救いの存在として描かれている。
そして、現代の東京を舞台として描く上であまりにも非現実的な銃の存在は、そういった「負の感情」の発露として描かれているんだと思う。
終盤ビルで穂高が大人たちに銃を向けるのはそういうことなのかな、と。
2つのテーマは普遍的だし描き方も不親切なわけじゃないのに、なぜ「面白い」と感じなかったのか。
それは終盤がツッコミどころ満載だったからだと思う。
陽菜が消えるまでの中盤は面白いと感じていたのに、終盤に差し掛かると茶番にも思える演出が多発する。
警察署からいとも簡単に逃げおおせてしまう、線路を走る穂高、それをただ見てるだけの作業員たち、なぜかあのビルにいる須賀、その後の全員揃っての一悶着。
穂高が逃げ出さないと話が始まらないし、最後の一悶着は青春群像劇の演出として、こっ恥ずかしくはあるけど、まあ許容範囲内だと思う。
でも、他三つはクライマックスに向かって「穂高と陽菜はどうなるんだろう」という期待感や不安感が煽られたというより、「ここ走るの?」「なんで見てるだけで止めないの?」「須賀さんなんでここが分かったの?」というように「え?なんで?」が連発して、作品への没入感が大きく損なわれてしまった。
そして、置いてけぼりのままクライマックスが終わってしまう。
「陽菜と世界、どちらを取るか」という繊細な問いかけがなされているのにそれに集中出来ない。
また、この天上での問いかけは物語の核心に触れる部分なのに描かれる時間が短かったように感じる。
これが「天気の子」が面白くなかった・面白みに欠けたと思われてしまう理由ではないだろうか。
クライマックスでは既に穂高の心は決まっていて、陽菜を連れ出して自分の結論を伝えるだけ。
穂高はそれでよくても、観客は「一人のために世界を、世界のために一人を、犠牲にしていいのか」と悩みたいのだ。
葛藤した上で出した未来が見たいのだ。
現にこの結末は賛否両論、議論を生んでいる。
もう少し物語を味わう時間を与えてくれてもよかったのかなと思う。
とは言いつつ、新海監督が言うように「前を向いたまま止まらずに転がり続ける少年少女の話」という話としてみれば、細部に少しチープな箇所はあるが悪くないように思う。
「世界を犠牲にしてでも一緒にいたい人がいる。
そんな人となら様変わりした世界でもきっと大丈夫。」
躊躇なく世界を代償に出来てしまうのも若さならではという感じがする。
穂高が陽菜に「もう晴れ女なんかじゃない」「青空よりも陽菜がいい」と言い切るシーンも男らしくてかっこいい。
前述した個人の悩みを断ち切り、穂高にとって須賀と夏美が救いだったように穂高が陽菜に救いを与えている。
「自分のために祈って」というのも「世界のために犠牲にならなくちゃいけない」という現実に対しての救いであり、「そんな不都合な現実はクソくらえだ」という反抗を肯定している。
というかやっぱりここだけ観ると良いな…って思っちゃうだけに、直前が不親切なのが非常に惜しい。
*須賀があのビルにいたことについて、非常に興味深い考察をなさっている方がいらっしゃいました。
URLが貼れなかったので、タイトルだけ記載します。
何か問題があればご一報下さい。削除します。
『「この設定に気がついたか気がつかないかで作品の見え方が違う」天気の子』
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