日本人が苦手とされるSFだが、この作品にも払拭できない設定上の問題はいくつかあった。
この作品のアイデアは「君を愛したひとりの僕へ」シリーズと似ている。
これはアイデアの盗作ということではなく、日本人が考えるSF世界のレベル問題だ。
いったいどれほどタイムマシンを使ったSF作品があることだろう。
そしてこの作品もまた、決して変えることのできない過去を変えようとする物語だ。
そして「できないこと」という設定を単純に既存の事実として置いてしまうプロット。
過去に戻ったとき、同時に自分が二人いることに対する言及が成されない。他多数ある。
似たような作品をいくつも見たからか、冒頭のシーンで2058年、館長に違法侵入で捕まった主人公が「なぜ、クロノスジョウンターを動かそうとしたのか?」に答えはじめるところから物語が始まるが、それらの謎がすぐにわかってしまうところがこの作品の致命的な部分だ。視聴者には早々にすべて見通されてしまっている。
どうでもいいが、
花屋の女性、どこかで見たようなとずっと考えていたら、ホンダカーズの女の子だとわかってホッとした。
CMでは顔立ちに成長があるのでこの時はまだ10代だろう。それと比較して主人公とのバランスが悪いと思う。一番よくなかったのが年齢不詳の主人公と彼の走る演技。
黒澤明監督が野武士同士を戦わせるにあたり、フル装備で何百メートルも走らせてから戦わせることで、息遣いなどの迫力を出したことは有名だが、ただ走っているかのような演技は見苦しいだけだと思った。すべてが演技だけではだめだなと感じた。
そこが一つの大きな細部であり、神が宿る場所でもある。
何度もあった走るシーンに誰も違和感を覚えなかったのだろうか? ここだけでもクリアするだけで印象がかなり違ったはずだ。
最後に助けられた女性が、彼の会社の研究室に入社して彼を救うための研究を開始したという設定は面白いし共感できる唯一の部分だ。
その研究に活路を見出し没頭する姿を映像化するだけでよかったのに、なぜ邂逅するようなシーンで締めたのだろう? もったいないと思った。
しかし、作品を見せたい対象をティーンエージャーに絞っていたのであれば、その部分は取り消します。
日本を代表するSF 「隣人X」や「AKIRA」 伸びしろしかないので、作家の皆さん楽しみにしています。