Fukushima 50のレビュー・感想・評価
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戦いすんで日が暮れて
原発の事故現場とそこにいる者たちのシーン、その家族のシーン、そして政府と東電関係者のシーンの3つで構成される映画である。当然ながら事故現場のシーンが中心で、あの日あの現場で何が起きていて何が起きていなかったのか、何が解っていて何が解っていなかったのかを描く。
佐野史郎が演じた菅直人総理大臣はヒステリックだがエネルギーに満ちていて、理解できないことを理解しようとし、兎に角自分の目で見ようとした。そこには保身の気持ちなど微塵もなかったことを感じさせる。対応を散々批判された菅直人政権だが、あれでよかったのかもしれない。少なくとも「悪夢の民主党政権」が口癖の暗愚の宰相でなくて、本当によかった。
そもそも福島原子力発電所の事故が発生する5年も前の2006年に、原発の津波対策について共産党の吉井英勝議員が電源喪失の危険性を質問したとき、どの質問に対しても「そうならないように万全を期している」と、木で鼻をくくったような答弁を繰り返したのは、何を隠そう当時の総理大臣安倍晋三である。どうせならこの答弁の様子もどこかに挿入してほしかった。
その後は民主党の対応を批判し、オリンピック招致では「福島原発はアンダーコントロール」と嘘をつく。おまけに制御不能とわかった原発を、あわよくば外国に売りつけようとする。こんな人間が当時の総理だったら、東電の経営陣にいいようにあしらわれて、もっと酷い状況になっていたことは想像に難くない。
さて本作品は大作らしく、俳優陣は非常に豪華である。それぞれに印象的な台詞が割り振られ、どの俳優にとっても大切な作品となっただろうと思う。中でも吉岡秀隆が演じた前田の台詞が印象に残る。そして家族のシーンの中では前田の妻役の中村ゆりが非常によかった。この人は女の儚さと切実な表情を併せ持っていて、下り坂を転がりはじめた日本社会を描くのにもってこいの女優さんだ。ペシミスティックな作品が増えるにつれてこの人の出番も増えるだろう。
佐藤浩市の伊崎当直長、渡辺謙の吉田所長。ともにエンジニアであり、原発のスペシャリストである。前代未聞の事態に対し、これまでの経験と知識を総動員して、死も覚悟の上で事に当たる姿は真摯で、胸に迫る。一方で東電の本社は、原発をなんとか無事に残したいがために対処が遅れてしまう。ときに総理大臣のせいにしながら現場を待たせたり、逆に危険な作業を急がせたりする。最初から現場主導で対応していれば、原発はあれほど放射能を垂れ流さなくて済んだのかもしれないが、いまとなっては何も解らない。
東日本が存亡の危機にさらされたのは事実であり、被害を食い止めようと死にものぐるいで闘った人々がいたのも確かだ。そして、そもそもこのような事態を生じさせた源流には、原発利権に群がる人々の悪意があったことも紛れもなく事実なのである。もし原発事故の現場でモリカケ事件と同じように保身だけで対応されていたらと思うと背筋が寒くなる。いまごろ東京も人が住めなくなっていたかもしれない。
「戦いすんで日が暮れて」という言葉がある。佐藤愛子の小説のタイトルではなく、明治に作られた軍歌「戦友」の一節だ。もちろん当方は軍歌を礼賛することはないが、軍歌だからといってそれだけで否定する訳でもない。言葉は言葉だ。
戦場の只中で倒れた戦友に仮の包帯を巻きながら、折から起こる突貫攻撃に立ち上がり、友に別れを告げる。思いもよらず生き残った夕方、友を探しに戻るという歌である。戦場に喜んで行った訳ではない。国民の命を粗末にする政治家によって、御国のためという大義名分を与えられて行かされたのだ。それと同じ構図で、原子力発電のもたらす巨大な利益と、原発の技術はいつでも核兵器開発に繋げられるという醜い野望が福島の事故を生んだ。被害を被るのはいつも弱い立場の人々だ。
歌といえば、終盤で流れる女性ボーカルの歌が美しい。当方には「ロンドンデリーの歌」にとても似ているように聞こえた。今年も咲いた桜の花は美しいが、福島の事故現場では未だに放射能が溢れ、その処理が次第に手に負えなくなってきている。プルトニウムの半減期は数万年だ。海に流すのか土地を探すのか。かつて「万全を期している」と原発の安全性を主張した安倍晋三は、福島の悲惨な現状に何の関心も示さず、「アンダーコントロール」と言ってニタニタと笑っている。
戦いすんで日が暮れて。あの現場にいた人々はいま何を思うのだろうか。
"作品"としては素直に感動
当事私は中学生。
何が起きてるのか全く理解できないまま、東北からは程遠い地域にいたのでいつも通りの生活を。
テレビには毎日原子力発電所の映像が映し出されていたのですが、何が起きているのか。とにかく爆発?火事?と漠然とその時の様子を認識していました。
放射線は危ない、汚染地域に入れない、この程度。
今作はそんな当時の状況があまり理解できていない人程見て欲しいあくまで"作品"だと思いました。
というのも、SNSのレビューを拝見するも、賛否両論。本質を掴めていないだとか。専門的な解釈が曖昧だとか。名前がダサいとか、お涙頂戴作品には理解に苦しむだとか...
ただ、そういうのは到底理解するのに時間がかかるし、感情的な主張に過ぎない場合もあり得る。少しでもモヤのかかった記憶を今も漠然と抱えているのであれば、是非見てほしい。
時間の流れは早い。形として残すには妥当な作品だと私は考えている。
FKS50!!!???
う~~~ん
なんで50???
まあまあまあ。
なぜか時間が経つのが早く感じてしまいまして。(笑)
よくもわるくもキレキレで。(笑)(笑)
組織なんだから、きちんと事情を説明して、お互いコミュニケーションとろうよ??みたいな。(笑)
でもあの状況じゃ仕方がないでしょう。(笑)とか。
いやーーーー。
うーーーーーん。
何だろうな。
個人的には、津波パニックムービーとかならあれだけど。
ここまでドキュメンタリーチックというか。現実におこったことだと。
コメントしにくい。(笑)
これを作った目的というか??
オリンピックの為なのか。
そのための、おさらいムービーなのか。??
ドキュメンタリーではないし。フィクション??調だけど、いちおう史実に基づいてなのか??
まあ、まあ、まあ。
これって誰が得するのか??みたいな。(笑)
まあそんな適当なことが頭をかすめながら。
キチンと完観です。(笑)
現場の人々
復興オリンピック!!!!
津波がどーーーん。
爆発がバーーーン。(笑)
大変そうな、シーンがいろいろで。
うーーーん。
組織が崩壊している~~~とか。
まあ仕方がない。(笑)
今から9年前で。
大変そうなのか。
うーーーん。
感情重視な。
映画的デフォルメなのか、どうなのか。(笑)(笑)
映画の意味。
非常に意義ある作品。しかし「事実に基づく」と銘打つには…
あの事故を思い出すことも無くなった全てのひとが、再び事故の存在や人々の苦しみを肌で感じるように想起し、原発の是非を再考するきっかけとして優良な作品である。セットやCGの作り込みは素晴らしい。ときに目頭が熱くなることもあった。
だがしかし…
もっと鮮やかに「切り取るように」映すべきだった。あまりに大げさで仰々しいリアクション(これは多くの邦画に通ずる)や、製作者の恣意を強く感じさせる表現(完全無欠絶対悪の内閣や本社,東京に降り注ぐ死の灰のイメージ映像など)は本作のリアリティを失わせ、そう思わざるを得ない。
さらに放射線関連事故の最大の特徴である「後遺症」すなわち長期に渡って残る"禍根"に一切触れず、単純に美化していることもこれに付け加えよう。
これを庵野監督が撮ったらよりリアリティがあったのではないか?念頭に「シン・ゴジラ」があることを申し上げると、フィクションとの比較を愚行と指摘されかねないが、上記の点により「シン・ゴジラ」の方がリアリティがあると思えてしまう。「事実に基づく」と銘打つには、お粗末だと感じた。
知るべきこと。
やっと観られました。
東日本大震災の時ずっとテレビを見ていたし記憶にもまだ残ってるけれど、理解出来ていることは半分にも満たないのではとこちらの作品を観て思いました。
東日本全域が危険な状態にあったこと、現場で命をかけて守った方たちがいて今があることはこれからも伝えるべきことであり、欲を言えばその点において中学生くらいからの学生が見ても伝わるような作り方だと、災害や原発について考えるきっかけになるのではと思いました。感情的に怒鳴る総理や官邸の様子より、原発の仕組み、指示を受けた後の現場の様子ややり取りをもっと詳しく観たかったです。
映画のエンディングは美しく終わってますが福島の復興はまだまだこれからですよね。ありきたりなことしか言えないけれど頑張って欲しいです。福島の桃大好きです。
感謝!だけど2度と出してはいけない英雄(ヒーロー)!
事故の当時、現場の方々の命がけの仕事を
できる限り正確に再現しようとした映画だと思います。
前半の方は事故が起きて状態がどんどん悪化して
その間にも、度重なる大きな余震で
画面も揺れて危機感がどんどん大きくなって行く。
遠方に住んでいても当時を思い出して
胸が痛くドキドキ感が半端ないですね。
後半にだんだん自体が収束して行く過程は
前半に比べれば正直、尻すぼみな印象ですが
事実としてある程度収まっているから
こうして日本でまだ生活ができている訳で〜
現場で頑張られた職員の方々への感謝しかない!
日本人なら絶対観ておくべき映画だと思います。
で、月に8回程映画館に通う中途半端な映画好きとしては
安田成美さんの役は映画的に工夫されたのかな?
あまりに男ばかりで緊迫感が強すぎるので
観ている方が少しホッとする瞬間ですが
実際、現場には女性の職員さんもいらしたでしょうし
作業する人たちだって食べたり飲んだり
出したり〜〜
表には出ないけど
そこをコントロールするのも大事な役目。
で、現場の職員さんの中には
福島で生まれて育った人も多数いて、
その人たちの思い、原発は悪いことだけでなく
建設当時、出稼ぎに出るしかなかった東北の村に
原発という大きな雇用が生まれたことで
(大都市の人間があたり前に受けている)
安定した暮らしを手に入れた人たちが多数いた事も事実。
そして彼らの「郷土を守りたい」から命を賭ける!
その思いは日本全国の誰よりも強かったのでしょう。
でも、彼らは2度と出してはいけない英雄(ヒーロー)!!
自然災害は予測も予防もできないけど
人間が作ったものは止めることができる。
機関車が新幹線になった様に
木版印刷がパソコンになった様に
原発も再生可能エネルギーに
役目を終えたものはもう
切り替える時だと改めて思います。
星五つは映画の出来云々ではなく
事実をちゃんと記録に残そうとしたスタッフ陣の
心意気に五億点!!
@お勧めの鑑賞方法は?
兎に角、映画館で絶対観て!
事故当時の政府に改めて怒り&吐き気。
急に訪れた極限状態の中、命の覚悟を決めて必死に任務遂行、闘ってくれた職員の方々に頭が下がりました。
渡辺謙や佐藤浩市演じる「ついていきたくなるリーダー」の存在があるにしても、職員のプロ意識に胸が痛くなる程でした。
腹が立ったのは当時の政府、特に総理大臣と周りのイエスマンども。
タイミングも考えず視察だの、分かりもしないのに高飛車に幼稚な命令してきたり、とんでもない内容のダメ出ししたり。
切羽詰まってる現場の邪魔ばかりする能無しぶり。
くだらないパフォーマンスも品がない。
見ていてはらわたが煮えくり返りました。
現実の話、あの総理は形だけ避難所に来て、さっさと帰るところを避難者に一喝されてましたね。(ニュースで流してました)
当時の政府が自民党なら対応があれほど酷くは無かったはず。
しかし、自民党だとて原発をきっぱり止めようとしない。
利権?国民の命の方が大事でしょうが。
事故後数年、福島に住んだ身としては「原発を続ける選択」に納得いかないし不思議でならない。
事故原因で解明されてない部分があるのに、そんな不確かな原発を続ける神経が分からない。
福島に住んだことで少しだけに過ぎないが福島の方々の苦しくやるせない現実を見てきたので、原発だけは大反対です。
線量をいちいち計って安全な収穫物を出しても買って貰えない、離れた地域の会津の物すらです。
福島ひと括り。
空は繋がっているのに福島県だと。
作品に戻ります。
この作品は見て良かったです。
東京も危なかったんです、すんでのところで。
皆さんに見てほしい、どんな状況だったか。
俳優さん皆さんの魂の熱演、再現されたセットの臨場感。
涙は出ません、心臓がドキドキして心も平常ではなかったです。
時間的にはエンドロールまで1時間位に感じました、そのくらい夢中で入り込んでいたようです。
是非見て頂きたい作品です。
頑張れ、福島
現実の福島を語る気がない人々の金儲け
へー!ほんとうにこの映画みたいにハッピーエンドを迎えられたと勘違いしておいでなのですか?
各国の風刺画を、すこしでもエゴサーチされてますか?
イケズな諸外国から、あの原発事故のあとのオリンピックがどのように認識されてるか理解できてないように思えてならないです。
そういう認識は、風刺画によく表れます。原発事故のあとのオリンピックについての風刺画のうち、悪意と差別意識しかない隣国のものを除外し、うち一枚ピックアップしてマイページ画像として紹介します。
ふくいちが吹き飛べば、平和ボケしてる日本人ですら同じイメージを抱くものかもしれないです。
では、東電はこの良くないイメージの払拭のために具体的な信頼回復行動を何かひとつでも講じましたか?
答えは、ノーです。
フォローするとすれば、事故を最悪の形にまで発展させなかったのは見事です。しかし、「最悪のケースとはどういった状況だったのか」、「それを防ぐためになにをしたのか」。きちんとこれらについての説明責任を果たしましたか?
もし十分説明していたなら、こんな映画作らなくてもみんな理解してるはずですよね?
いまさら架空戦記みたいなのをこしらえて、実際に起こったことと異なるゴールを見せて、さらには中国から巻き起こったパンデミックのせいで公開前からオリンピック強行採択を忌避する意見すらある状態で「復興オリンピック」が叶ったと銘打つ本作をぶちあげてしまう始末。公開タイミングを見直す時間的猶予はあったはずです。「無理矢理でも実行する!」として公開に踏み切ったなら、今の政権が政策を採択する時とそっくりな姿勢に思えます。そして結果ごたごたしてしまう。
全てが現政権の行動原理とリンクしているように思えます。結局は利益を追求するあまり、時期尚早なものを強行したのではないかと。
もっともっと見ていたい
メッセージなきメッセージ。
多くのものがコメントしてるので特に何も語る必要はないと思う。
既に賛否両論が多いと聞く。
-そうだろう。
この映画を見るものは、それを語るのに中立性を拒否されるからだ。
と言うよりも中立でもっては語れない。それぞれがぞれぞれの立場でしか、その言葉を語ることができない。
エンターテーメントとしては非常によくできた映画だとは思う。それはそうだ、強く思う。
しかし、この映画のメッセージは何だったのか、語り出す一人ひとりがその中立性を拒否された中で語り出すしかない中、とにかくそれを覚悟した中で、この目の前の出来事を振り返り思い出し胸にこみ上げてくるそれぞれの慟哭を伝える言葉を探しているその中で、そもそもこの映画が伝えたかったものは何なのか。
固有の名を持った現場の一人ひとりの英雄譚だったのか、
何の名前も持たない「本店」の、そしてその名前さえも失っている官邸の痴愚さなのか。
この映画
園子温の『希望の国』や菅乃廣の『あいときぼうのまち』に果たして匹敵しうるのか。
そうは思わない。
大手配給会社がついているこの映画、一度として「東京」電力という「音」がなかった・・・。
決して言わなかった。いや、言わせなかった・・。官邸もまた然りである。
「声」を失わせたもの対する沈黙・・・。この映画は沈黙した。
当事者たちの本当の「声」が、喧しい画面の中で聞こえてはこなかった。
これが、この映画のメッセージなきメッセージだ。
この出来事に怯え言葉を失い逃げ惑った一人ひとりの声を拾い上げることをしていない・・・。
この事件は、事故ではないこの人為災害は、ある一つの特定会社の「家族」物語ではない。
そこにはあったのは、この映画のスクリーン外の「物語」だったはずだ。
Fukushima 50はイコール、ノン・Fukushima 50であったはずなのだが、それが何も伝わらない。
だから、やはり、この映画もまた
逃げごまかしながらしかエンターテイメントをつかむことしかできない「日本アカデミー」の象徴なのかもしれない。
言い過ぎだろうか。
近年まれにみる
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