ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへ

劇場公開日:

ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへ

解説

初監督作「凱里ブルース」で注目を集めた中国の新世代監督ビー・ガンの第2作。自分の過去をめぐって迷宮のような世界をさまようことになる男の旅路を描いた。途中に3Dのワンシークエンスショットが入るという演出があり、物語の中盤で主人公が映画館に入り、現実と記憶と夢が交錯する世界に入り込むと同時に、観客も3Dメガネを装着し、その世界を追体験することができる。父の死をきっかけに、何年も距離を置いていた故郷の凱里へ戻ったルオ・ホンウは、そこで幼なじみである白猫の死を思い起こす。そして同時に、ルオの心をずっと捉えて離れることのなった、ある女性のイメージが付きまとう。香港の有名女優と同じワン・チーウェンと名乗った彼女の面影を追い、ルオは現実と記憶と夢が交わるミステリアスな旅に出る。2018年・第71回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門に出品。日本では、同年の第19回東京フィルメックスで学生審査員賞を受賞。

2018年製作/138分/G/中国・フランス合作
原題:地球最后的夜晩 Long Day's Journey Into Night
配給:リアリーライクフィルムズ、miramiru
劇場公開日:2020年2月28日

スタッフ・キャスト

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受賞歴

第71回 カンヌ国際映画祭(2018年)

出品

ある視点部門
出品作品 ビー・ガン
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(C)2018 Dangmai Films Co., LTD - Zhejiang Huace Film & TV Co., LTD / ReallyLikeFilms LCC.

映画レビュー

3.5見たこともない3Dワンカットの使い方

2020年6月30日
PCから投稿

変な映画だなあと思うし、とても気取っていて、その気取りがダサいとも思う。ムードに溺れている。有り体にいえばカッコを付けている。正直、美男美女が終始、重い過去を背負った深刻な顔をしていて、しかも描写が観念的なものだから、たまにはなにか面白いことでも言ってくれよという気にもなる。

と、随分を悪い書き方をしてしまっているが、作品がつまらないわけじゃない。むしろ作り手が妥協することなく美意識を貫いていて、他人のヘンな夢にでも巻き込まれたような酩酊感がある。しかも終盤60分の3Dワンカットで、確実にギアが上がる。ワンシーンワンカットの長回し(もしくは疑似長回し)にはいろんなタイプがあるが、ここまであからさまに3D映像の持つ「不自然さ」を前面に打ち出した例もあまりなくい。ビー・ガンの狙いを理解できたとは思わないが、終始、脇の下にススキの葉でも差し込まれてちょこちょことやられているようなヘンなムズ痒さは、唯一無二の世界観なのかも知れないと思う。

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村山章

4.53Dメガネをかけさせる動作も演出

2020年3月30日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

世界的に注目され始めている中国第8世代のビー・ガン監督の作品を初めて観たが、非常に新しいことをやっている。映画の途中から3Dになるのだが、これが非常に効果的。主人公が映画館でメガネをかけるのを合図に観客も同じように3Dメガネをかけるよう、冒頭で指示されるのだが、映画の途中で観客に何らかの行動をさせるということ自体が演出として効いている。要するに、観客に主人公と同じ行動を取らせることによって、主人公との一体感を増幅させ、主人公の体験を観客のものとするように身体を同期させているわけだ。基本的に、映画は観客に指示できないメディアだが、3Dメガネを使えば行動を指示できるというのは、大きな発見ではないか。
その3Dのシーンは約60分1カットの長回しなのだが、これが白日夢のような幻惑的な世界で、3Dによる奥行きの違和感がうまい具合にリアリティを喪失させる役割を果たしている。3Dであることも効果的だが、それだけにとどまらず「3Dメガネをかけさせるという動作」も効果的に用いた斬新な発想が本当に見事だ。

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杉本穂高

4.5完全無欠の時間を

2023年11月5日
iPhoneアプリから投稿

ジェームズ・キャメロン『アバター』のような、映画のスペクタクル性を倍加する技巧としての3Dが導入された映画は多々あるが、受け手の主体的な介在を促す意味での3D映画はゴダール『さらば愛の言葉よ』以来ではないかと思う。

実際、ビー・ガンはキネマ旬報WEBの「中国映画が、とんでもない!ビー・ガン監督インタビュー」というインタビュー記事において、『さらば愛の言葉よ』をきっかけに3Dという技術の「映像言語」性に気が付いたと述べている。夢を単なる虚構=他人事として消費してほしくないというビー・ガンの企みは3Dという映像言語を通じて鮮やかな成就を迎えているといえるだろう。目下、3Dは浮遊という非視覚的(=感覚的)な問題を視覚的に解決する唯一の手段であるように思う。

さて、夢という題材を、断続的で暴力的な不条理・狂気を通じて描こうとする映画作家は多いが、ビー・ガンは夢をできごとの緩やかな連続体と定義する。そして劇中に語られていたように、ビー・ガンにとって夢は記憶の変形体だ。記憶は小さな点のように想起され、そこからじわじわと拡がっていくものであり、その「じわじわ」という連続性を損なわないためにワンシーン・ワンカットという過剰にも思える撮影スタイルが必然化する。カットという断絶が一つでも存在するならばそれは厳密には(一つの)夢とはいえないからだ。このことは『凱里ブルース』における45分にもわたる長回しの終結(=カット)が、主人公の、凱里という異空間からの脱却に重ねられていることからも明らかだろう。

夢の中では時空に明確な順序がない。ゆえに永遠を示す時計と儚さを示す花火が相入れる。特に、歌謡ショーの待合室でいつまでも燃え続ける花火はあらゆる物理学的矛盾が溶解する夢という地平の特異性を耽美に表している。

先述の通り、『凱里ブルース』では45分の長回しは最終的に断絶を迎え、それによって主人公は現実世界へと帰投したが、本作ではカットが最後の最後まで途切れず、主人公は終ぞ覚醒を迎えない。いつまでも終わらぬ夢に耽溺するという幕切れに、私はどこか不健康なものを感じてしまった。しかしこれも上述のインタビュー記事を読んで考えが変わった。

彼は述べる。

「今起きている変化については、僕ではない誰かが表現してゆけば良いと考えています。僕はそこにかつてあったものや、記憶や脳裏に残像として残っているものに価値があると思い、映画の中に取り入れてきました。それが自分に出来ることだと思いますし、作品を通して、自分が生活していた凱里の姿がおぼろげに立ち上がってきたと感じます(同上)」。

つまり、そもそもビー・ガンははじめから「現実に帰投すべき」という現実次元の倫理に依って映画を撮っていない。彼は自分の作家としての領分にきわめて自覚的な作家だといえる。だからこそ同一の主題を同一のメソッドで撮り続ける。文学で言うところの村上春樹のようなことをやっているわけだ。偏執ではなく練磨。そうであれば我々も安心して彼の提供する夢幻世界に没入することができる。その果てに彼が言うところの「甘美で完全無欠の時間」が出来することを心待ちにしながら。

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因果

5.0圧倒的な映像美

2021年2月12日
PCから投稿

圧倒的な映像表現。
音が作るイメージ。
それを逃さないように見ていると、映画にのめり込まれる。
知らない映画の世界を見たい、その興味だけで映画館へ行き、得られた最大のインパクト。
私が観たのは2D。
知る限り日本で3D上映はあまりされなかった(2020年)。
まだ知らない世界を残している。
コロナが明けたら3D上映観れたらいいな。

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