男はつらいよ お帰り 寅さんのレビュー・感想・評価
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古き良き日本映画がある
昔、共働きで忙しかった両親は映画に行く暇もなかったが、男はつらいよのテレビ放送があれば可能な限り見ていたのを思い出す。
あまり興味の無かった私も一度見てみるとだんだんその面白さにハマり、いつしか両親と一緒に笑いながら見ていた。
そんな寅さんの新作を初めてスクリーンで見た。
最新の技術でCGの寅さんが出てきたらちょっと嫌だなと思っていたが、ほぼ過去の映画からのシーンのみで一安心した。
年末の紅白でAIで現れた美空ひばりのようにならないか心配だったからだ。
山田洋次監督だから、それは無いか。失礼しました。
この新作は過去のシーンを実に巧みに、効果的に、敬愛を持って使われており渥美清さんへこれ以上ない形での追悼を持っている。
ストーリーも人物も皆魅力的だ。
派手なアクションも、ビックリするような展開も無い。
だけど見終わった時に、あぁこの映画を見て良かったと心から思える作品になっている。
そう、古き良き日本映画が蘇ったのだ。
少しでも多くの映画ファンに見てほしい、そんな希少価値な日本映画を作ってくれた山田洋次監督に感謝したい。
それにしても、昔の俳優さんは皆目の輝きが違うなぁ。男女共にそれほど美形でなくても、目の輝きだけで格好良く、また魅力的に見える。
それと倍賞千恵子と後藤久美子の若い頃は可憐で可愛いすぎる。マドンナの女優さん達もほぼ美人揃いだが、二人は別格。銀幕のスターにうっとりするとは正にこのことか。
また満男をメインにこの次回作を望みます!
1月4日 15:57 ·
【2020・いま映画館で観られるお薦め作品】01(12/27公開)
やっと昨日(1/3)地元の映画館(ユナイテッドシネマ入間)で待望の『男はつらいよ お帰り寅さん』を奥さんと観ることができました。シリーズ全49作を全て映画館で観ていた私としても「予想していた以上」の内容でした。「笑える」のはもちろん、今回も「泣き」ました。
渥美清さんが「いつまで撮れるか?」と言われ始めた頃から<これからの寅さんシリーズ>は、「甥の満男が社会からドロップして全国放浪の旅に出る」ようになり、それを柴又の団子屋の二階にリリーさんと隠居している寅さんが、「今頃は満男はどうしているのかなぁ・・・」と心配しながら、さくら・博夫婦と共に「満男の帰りを待ちわびる」という次章シリーズを勝手に妄想していました(笑い)。
もちろん、毎回「満男が惚れるマドンナ」も登場します。そのような展開にすれば、更に60本目、70本目と『男はつらいよ』シリーズは続けていけると勝手に思っていました。
その私も、「過去の名場面から寅さんを抜き出し、時々亡霊として密かに満男を見守る」という描き方は考え付きませんでした。今回の50作目で、これまでのマドンナ全員を映しましたが、今回のような構成でも、まだ数本は「いける!」と思いました。
本作の満男と満男の高校時代のマドンナ泉ちゃん(後藤久美子)との<成田空港での別れのラストシーン>を見る限りでは、次回作は「有り」ですね!
20代ですが堪能できました
「男はつらいよ」シリーズ50年分の歴史的映像をぎゅぎゅっと詰め込んだ上で、寅さんの甥の満男が中心の新しいお話を紡ぐという凄い作品。桑田佳祐はお祝い感はあるけどそんなでしゃばらなくてよかったよなぁ、、吉岡秀隆が素敵な大人になってよかったねって思った。
映画館で初めての寅さん
2020年劇場鑑賞2作品目
志村喬が大好きで第一作は何度も観たが映画館で寅さんを観るのは初めてだ
倍賞千恵子も前田吟も浅丘ルリ子も昔は若くて輝いていて眩しい
懐かしいマドンナの人たちみんな美しい
若い頃より今の方がいいのは吉岡秀隆くらいだ
彼は三丁目の夕日もそうだったが小説家がよく似合う
後藤久美子と吉岡秀隆のキスシーンあり
後藤久美子からいくわけだが唇じゃなくて唇と鼻のあいだにキスしてるように見えた
変なキスシーンだがアレジには見せられないなあ
メロンのやりとりは何度も観ても笑える
特においちゃんがキレるところがいい
寅さんがリリィの肩を抱こうとしたら空振りするところとか寅さんが満男に「指一本触れちゃいねー」と言うところとか現在のリリィが鼻歌を歌いながらルンルン気分でトイレに行くところなどなど笑えるところ多い
全国的には休日じゃないせいか観客も高齢者が多かった
上映中携帯は切らないわずっとおしゃべりしてるわ前の椅子を何度も蹴るわ高齢者もモラルハザードが酷い
おっさんずラブ観にきた腐女子とどっこいどっこい
きっとおじいちゃんおばあちゃんと孫の関係で先祖代々子々孫々モラルハザードが受け継がれてきたんだろう
山田洋次も映画館でのマナー違反を奨励しているんだからどうしようもない
懐かしさは人それぞれ
30代半ばの自分にとって男はつらいよは、小学生の頃テレビでやってるのを親が見ていて、何が面白いのかさっぱりわかんないままぼーっとみてるものだった。
なんか、久々に親戚の叔父さんに会いたくなったような気持ちで鑑賞。
昔はさっぱり面白くなかったものが、わかるようになったんだなぁと。自分もある程度の男にはなったのかなぁと認識させていただきました。
個人的にメロンのくだりは秀逸。
結局何が解決するわけでもないんだけど、これぞ日本映画って気がしました。
人情と日本女性の美しさ
私は深川育ちなんですが、生まれがのどかな田舎だったせいか、ダボシャツに腹巻姿で威勢よく啖呵を切る寅さんはヤクザっぽくて苦手でした。でも今観ると、人気の高さの理由はよくわかります。
映像技術の進歩によって、歴代マドンナの輝いていた頃の姿が蘇りました。たたずまいも仕草も皆さんとても美しいです。
子供の頃遊んだ記憶も蘇りました。材木問屋や製材工場があったので、風が吹くとおが屑が目に入ったり・・・今は全部新木場に移転して、公園になりました。
授業中の先生の雑談で、「葛飾の辺りは昔江戸と見なされてなかったから、寅さんは自分を江戸っ子と呼ばないだろう?」わたくし生まれも育ちも葛飾柴又・・・
葛飾区だって明治から東京の一員(?)なのに、何だか気の毒になりました(確認したら、葛飾区だけじゃなく、江戸川区とか足立区とか、もですね)でもおかげで、あの名調子が生まれたんですね。
見たことない筈の回想シーンが懐かしくて楽しかったんですが、気になったのは現在のシーンです。
話はうまくまとめているのですが、女性のセリフのあしらいがまずいというか、現実離れしています。
敬語が馬鹿ていねいかと思えば、年長者に対してタメ口だったり、妙に馴れ馴れしかったり。「家族はつらいよ」のお嫁さん二人のセリフも違和感たっぷりでしたが、例えば、「ねえ私、そんな言葉使いをなさってらっしゃる方にお目にかかった事は無いわ」みたいになってます。
娘が浴衣姿を見せるシーン、満男は男手一つで娘を育てているのだし、「ほら、これおばあちゃんが縫ってくれた浴衣だよ」位が、親しみも下町感もあったと思います。
セリフが気になると話に入り込めないので、失礼ながら書かせていただきました。
まあそれはさておき、吉岡秀隆さんは父親役が似合うようになったんですね。桜田ひよりちゃんはべっぴんさんになりました、しみじみ。
夢みるロクデナシ
本来の男はつらいよの最後はリリーと寅さんが結婚して終わる予定だったそうですが、渥美さんはそれを拒んだそうな。寅次郎はどっかで野垂れ死にすることを望んだそうです。自分だけ幸せになっちゃいけない、いやね絵に描いたような幸せより、夢を追いかけている時こそが幸せなんじゃないか、そうだろ、オイちゃん。沈みゆく夕暮れのなかで、ポッカリ空いた心でそんな事を語りかけてくるようでした。ビートたけしさん同様、いつまでも売れなかった時代の仲間を想い続ける、そんな優しい、情の深さを感じます。合理化、効率化、スマートに、シュッと、ばかり優先する今の世のなかで昭和という時代は夢みるロクデナシがそこらでウロウロできたいい時代だったのかもしれません。不細工な寅さんが、不相応な美人達にアタックする姿自体が喜劇で、それを許してくれるほのぼのとした時代でした。寅さんはいつまでもバカでダメな、ヘタレな男に寄り添いたい、そんな温かい心の象徴であり続けたことに感謝したい気持ちになれました。なんだが心の汗のような涙がジワッとこぼれてしまう、とても癒される作品です。
ノスタルジー、ノスタルジー、ノスタルジー
ノスタルジーほど強烈に人の心を揺さ振り、掻き乱し、誑かす感情は他にありません。人をトランス状態に陥らせ、挙句に夢現にさせてしまいます。
本作は、没後23年を経た故・渥美清演ずる”車寅次郎“への、ほぼ四半世紀を経て繰り広げられる壮大なレクイエムにして、雄大な讃歌であり、ストーリーらしいストーリーのない散文詩であると云えます。
最早その姿を求めても届かず、叶わぬ想いほど、人を動揺させ、切なく、儚くさせるものはありません。約2時間に亘り、徹底した絶対的なノスタルジーを観客に只々訴えるだけの映画という、非常に稀有な構成の作品です。
思うに、『男はつらいよ』の実質的最終作『寅次郎紅の花』が制作され公開された1995年、80年代に絶頂を謳歌したバブル経済は、彼方此方に綻びが露顕し、破綻に向けた道程を確実に歩み始めていました。並行して日本人の自信と誇りが徐々に崩壊していく、将に繁栄から奈落に転落していく終りの始まりの時期でした。
奇しくもシリーズが始まった1969年は、翌年の大阪万博を控えた高度経済成長の頂点を極めた時期であり、その後2度のオイルショックでの停滞を経つつも、日本経済は概ね右肩上がりに順調に拡大発展を続けていた時代、これが『男はつらいよ』が熱烈に支持され、26年間に亘り公開された毎作が年間興収ベストテンにランク入りし続けたことと見事に照合します。
只管経済重視、効率重視の一律的でドライな価値観に基づく日常生活には、どこかでウェットな心のオアシスが希求され、それこそが伝統的日本的家族に根差した車寅次郎的生き方が永く広く愛された所以だろうと思います。
思えば渥美清氏の逝去は、それまでの日本社会を支配していた経済合理性一辺倒のパラダイムの終焉と、偶然にせよ一致しますが、その後経済の低迷によって国民が困窮化し、社会全体が混迷し統一的価値観が失踪し、完全に自信喪失してしまった日本社会では、車寅次郎を顧みる余裕は到底持てなかったでしょう。『男はつらいよ』にとってはヒットを続ける最中でピリオドを打つことが出来たのは幸福だったと思えます。
では今何故『男はつらいよ』なのか。
失われた20年を経た後も東日本大震災や人口減少、イスラム・中国・ロシアを巡る不安定な国際情勢によって紆余曲折がありつつも、令和の新時代を迎え56年振りの東京オリンピック開催を控え、経済面での落着きと新たな成長への期待が芽生えつつある今だからこそ、山田洋次監督は少し浮かれ気分の日本人への警鐘として、心の原点回帰を訴えたかったのではないかと愚考するしだいです。
上述のようなコンセプト作品の内容を評価して論じるのは無意味かもしれませんが、映画作品として捉えると、元々『男はつらいよ』は、主人公・車寅次郎の旅する日本各地の風光明媚な風景と土地土地での人との出逢いがアクセントになり、本来の物語展開の舞台となる柴又「くるまや(とらや)」と交錯する所で起きる騒動ひと悶着によって進行するパターンですが、今回は主役の寅さんが不在なので抑揚が出せず、従いアクセントがなくなり、その分を過去のフラッシュバックを挿入して、専ら室内での会話劇のみで展開することになっています。その結果、スジらしいスジのない散文詩的構成になってしまったのでしょう。
そのために、矢鱈と寄せカット、極端な人物の大写しカットが多く、またやや仰角気味のカメラ目線でのカットとなり、観客は常に少し見上げながら大顔が迫ってくるので、一種の催眠状態に漂わされます。
それだけだと浮揚感が強まり、更に過去の生前の映像が頻繁に挿入されることにより現実感が薄れてしまうところが、セットの設えや装飾に過去と現実の違和感が全くないので、自然な映像の流れとして受け容れられます。これは偏に美術スタッフに倉田智子氏が入ったことによると看做しています。彼女の力量は、多くの時代劇映画の美術実績で既に十二分に証明されていましたが、現代劇でも確かな腕前を見せてくれ、本作のテーマである「ノスタルジー」を見事に体現した最大の貢献者だと思います。
尚、日本社会が苦悩し続けた、この四半世紀ですが、ほぼ30年に亘りドル箱だった『男はつらいよ』に取って代わるシリーズや路線を見出せないまま、最も踠き苦しんでいたのは、他ならぬ松竹自身ではないかと思うしだいです。
昔のマドンナ達も総出演?
映画『男はつらいよ お帰り 寅さん』を見てきました。最初から、懐かしさのあまり涙、涙でありました。
無論、今回の作品は満男クンを中心に物語が展開します。あれから、一旦就職したものの、現在は小説家となっていた。またイズミちゃんとは結婚はせずにそれぞれの道を歩いていたという設定。そのイズミと、出版社が主宰したサイン会で偶然、再開するという展開です。
私が実際に映画館で初めて、寅さんシリーズを見たのは、確か『男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け』だったと思うが、私が見ていない頃の桜と博さんの馴れ初めの話も出てきます。現在の倍賞千恵子や前田吟と見比べると、当然ながら二人とも若いなぁ・・・。
満男が、すでに妻を6年前に亡くしている事をイズミに伏せておこうとするのですが、最後の方で、それを告白するのですが、それは余分なように感じました。
4Kデジタル修復っていう技術が使われているらしいのですが、昔の映像が現在の映像とまったく違いがわかりませんでした。
ただのモンタージュではない
観客は、見た目年齢層で60歳以上の方しかいませんでした。けど、席は半分以上が埋まっていました。
上映後、その多くの方が楽しそうな顔をしているのをみて、感じるところがありました。
男はつらいよは、子どもの頃、よく金曜ロードショーとかでやっていたので、それで観るくらいなものでした。なんか古くさいなーという食わず嫌いもあって、敬遠はしていました。「観たら面白いんだろうけどなー」って気持ちありますよね? 観るまでが、腰を上げるのが大変。
上映が始まったら、ただの再編集でしょ感があったのですが、なんか時間が経つにつれ、そういうのもどうでも良くなってきて。ストーリーに気持ちが入っていくんですよね。不思議です。
きっと、画の切り方も心地よいというか、異常なくらいにおさまりがいいですもんね。全員が見事に配置されている。特に柴又の家。これは中毒性があります。
あと、セリフが面白いですね。現代ではなく、昔の。あれだけの長ったらしいセリフを飽きさせず、且つこっちの気持ちがどんどん入っていく、渥美清さんてすげーんだなあって、感じました。
いろいろ嫌なところもありました。冒頭の本棚に桑田佳祐のアルバムがわざとらしく飾ってあったり、編集社に東京物語のポスターがわざとらしく貼ってあったり、女子高生の話し言葉が異常なまでに丁寧だったり。。。けど、そういうの全部踏まえて、山田洋次映画なんでしょうね。理想郷。そういう監督の色を出せるって、素晴らしいなあ。
ファンに甘えすぎ(全作みてからの感想追記あり)
男はつらいよは大好きだが、後半は観ていないので、
満男とゴクミのアレコレをほとんど知らない。
まぁ、それくらいの感じの人の感想です。
まず桑田佳祐が謎。
これ、完全に「新しい寅さんは桑田佳祐」みたいな演出になってるよ。
ひとつの画面に渥美と桑田ふたり出して、「乗りうつった」っぽいかんじにも観れるし。
まぁ、ここで江戸川の土手が映るんだけど、過去の映像なのね。なのに非常にクリア。
改めてフィルムのすごさを感じました。
で、そのあと満男が柴又に来て博とさくらと小林稔侍などと法要するんだけど、
この段階で「ここにいるはずの渥美清がいない。あれ、これで“男はつらいよ”が成立するんか!?」
と非常に不安になりました。
いや、そんなことわかってたでしょ?とおっしゃりたいのはわかりますが、
くるまやの奥の居間に集まる面々を、画としてみせられて、改めてそう思ったの。
これ、どうするの…って。
そうか、“過去のふりかえり”か…。
で、ですね、ここからこの作品の一番謎な部分に触れるんですが、
これだけの面子がそろったら
「お兄ちゃんどうしてるかなぁ」
「もうそろそろ帰ってくるんじゃないの」
みたいな会話があってしかるべきでしょ?
無いの。
誰も寅次郎に触れないの。
まるで、出演者が「渥美清は亡くなっているから…ね。」という暗黙の了解を観客と共有しているかのように。
この映画に登場する人がすべてそう。
あのリリーですら、うっとり寅次郎との思い出を語るのに、満男には
「寅さんどうしてる?」
って聞かないの。なんで!?
なのに、ですよ、
みんな寅次郎との思い出には浸るわけ。しかも「お兄ちゃんのために二階はキレイにしてある」とかいうわけ。
もう、どういう世界観なのかわかんないんですよ。
面白いシーンはすべて過去の映像。
なら、昔のを観直したほうがいいね。
であの観客に甘えた終わり方。よくないよアレは。
満男の涙って、観客への誘導っていうだけだよねぇ?
しかも「お帰り寅さん」って言ってるのに、帰ってこない~~!!(怒)
まぁ、新しく出るブルーレイと関連本とかで、松竹がもう一儲けしようとしたんだろうなぁ。
新しいファン獲得には多少貢献してるかもしれないけど。
これくらいの内容なら、地上波かBSかでやればよかったんじゃないですかね
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2021年8月14日 追記
全49作みたー! その後また「お帰り寅さん」みたー!
おいおいおい、それにしてもなんでこんな辛気臭い話にしたの!?
いやさぁ、まだ20代の満男と泉ちゃんなら
「この恋どうなる?」って興味もって観れたけど(とはいえ、そんな興味なかったけど)
50歳のオッサンとオバサンの恋物語とかどうでもいいし、
とにかくこの映画でなにを表現したかったのか、さっぱりわからん。
いつまでたっても親離れしない子供と、子離れしない親。きもちわるい。
こんなもんで「絆」とかいうつもり?
編集もきもちわるいし、やっぱ最後のマドンナ数珠繋ぎはひどいね。
こんな「ダイジェスト」でしか渥美清への感謝を表現できないのか!?
「まとめサイト」と変わらない。「30秒で泣ける動画」みたいな浅はかな作り。
なんだよこの終わり方!
怒りしかない。
ファンはこんなものを観たかったの?
もっと、驚くようなファンタジーを用意してよ!映画だよ?映画!
これは間違いなく50作中でワースト。
はみ出し者が許されていた世界
耳に懐かしい寅さんのテーマソングから始まるけれど
話は現在の大人になった寅さんの甥の満男さんと
その昔の恋人の話。
昔の恋人の困る様子を目の当たりにして
好きになった女性には弱かった
寅さんの
影響を受けて大人になった満男さんは
やっぱり寅さんみたいに世話を焼いてしまう〜
これって男の人のロマンなんだろうな〜〜
昔の恋人と再会し懐かしい昔話に花が咲く。
そこには過去作の名場面が所々インサートされており
寅さんを懐かしむという意味では
ファンには涙モノの一作でしょう。
で、月に8回程映画館に通う中途半端な映画好きとしては
これだけCGや画像合成技術が進んだ現代、昔の映像を繋いで
寅さんの新作を作る事もできたかもしれ無いけど、
それをしなかった山田監督と関係者に拍手!!
いない人はいないんだもの。
無理に生き返らせるのはやっぱ不自然だし
現代の話にすることで逆に
寅さんの様な
一種の「はみ出し者」が許されていた世界の
おおらかさや温かさが伝わってくると思う。
寅さんシリーズが全盛だった頃、
私は年齢的に親戚とかがウザい年頃だったので
いきなり帰って来てやたら拗ねて面倒を起こす寅さんが
ウザ過ぎて全く好きではなかったです。
でも、ここまで世の中がギスギスしてくると
逆にあの頃のおおらかさやお節介な世の中に戻さないと
人間、終わりかもしれない〜〜
「寅さん」は
そのための大事なお手本かもしれませんね。
余談ですが、さくらさんの家のお仏壇の前に
おいちゃん、おばちゃんの遺影があるのに
「寅さん」」の遺影はなかったとおもう。
(見落としかな〜??)
そこに監督や関係者の方々の「寅さん」愛を感じました。
遺影を置いちゃうと、
「寅さん」の心まで失われてしまった気がするもんね〜
もう一つ余談ですが私、吉岡秀隆さんの目が苦手!
この人、黒目が小さいのか瞼が動き過ぎるのか
ちょっと困ったな〜程度の状況でも
この世の終わりの様な白目をする時がある。
なんかあれが過剰過ぎて怖い〜
もう少し歳をとったら、
今と真逆の極悪人を演じてみたらどうかしら?
@お勧めの鑑賞方法は?
家でも観られるけど、映画館で見る寅さんは
やっぱ特別感があるね〜〜
寅さん、会いたかったです
"男はつらいよ" シリーズ第50作。
通常スクリーンで鑑賞。
寅さんの新作がスクリーンで観られるとは、なんて幸運なのだろう。その瞬間に居合わせられたことに感謝しつつ、この時間を噛み締めるつもりで映画館へ足を運びました。
ずっと泣きっぱなしでした。本作が公開されると云うことで全作を観た人間なので寅さんファン初心者ではありますが、すでにお馴染みの面々に懐かしさを覚え、シリーズ通してのキャストとスタッフ、そして新しい世代の力が万感の想いと共に籠められていて、常に涙腺が弛んでいました。
満男が小説家になっていたり、くるまやが喫茶店になっていたり(おいちゃんたち、本当に三平ちゃんに譲ったのかぁ…)と、22年と云う月日を感じさせられました。
とても驚いたのが、満男が泉ちゃんと結婚していなかったこと。上手くいったとばかり思っていたので、人生そうはすんなりいかないものなのかもしれないと思いました。
満男のサイン会にイズミが現れたことで思い出すあの頃のこと。そして、伯父さんと過ごした明るい日々の想い出。
お馴染みの面々の現在を描くと共に、様々な名シーンと共に紡がれていく足掛け50年分の追憶が泣かせに来る。
そこにあったのは文字通り、登場人物たちの人生そのものでした。本作のために撮った回想シーンでは無いことがすごく、シリーズ物だからこそ出来る芸当だなと思いました。
みんなの心の中には、美人に惚れ易く、底抜けに陽気で、バカだけれども憎めない、四角い顔のあの人の姿が。
寅さんが満男たちにもたらしたものは、少なからず彼らの人生に大きな足跡を残していました。それぞれの生活があり、それぞれの悩みを抱えながら、それぞれの人生を歩んでいく。
いろんなことがあった。これからだってあるだろう。でも大丈夫。何故なら、いつも寅さんがそばにいてくれるから。
満男の見る幻や回想シーンにしか寅さんは出て来ません。
もちろん、演者である渥美清が死去しているのだから当然のことです。しかし全てのシーンに確実に存在していました。
不思議な感覚でした。キャスト、スタッフはじめ、みんなの中に寅さんがいたからなんじゃないかな、と…。紛れも無く、主演は渥美清氏―寅さんなんだなと思いました。
本作にはシリーズで唯一、エンドロールがありました。シリーズ全体を総括し、上映時間50年の永い映画がここにフィナーレを迎えたような、そんな感慨に浸りました。
寅さんは今でもどこかを旅していて、みんなはその帰りを心待ちにしているんです。さくらだって、寅さんがいつ帰って来てもいいようにと、2階の部屋をそのままにしている。「ただいま」と言う元気な声に、「お帰り」と応えるために。
辛いことや悲しいことがあったら、こんな時寅さんならどうするかな。どんな言葉を掛けてくれるだろうか。そんな風に考えたらどんなことだって乗り越えていけそうです。
そう、私たちには寅さんがいる。「困ったことがあったら、風に向かって俺の名前を呼べ…」。その言葉の通り、何かと生きにくいこの時代にもう一度あなたに会いたいと願ったら、本当に帰って来てくれました。ありがとう。
寅さんの言葉、生き方、考え方、全てが沁みました。寅さんは今の社会をどう見るでしょうか。正しい答えを示すのではなく、寅さんなりのフィルターを通して世の中を見つめ、今を生きていく指針を示してくれるような気がします。
幸せを求めて生きることに、ふとすれば臆病になってしまいがちで、生きているのが嫌になることもあるけれど、「生まれて来て良かったな」と思える瞬間が来るまで、自分のために誰かのために、何が出来るかを考えていくしかないんじゃないかなぁ…。これからも頑張っていこう。楽しく、朗らかに。
[余談1]
桑田佳祐のMVじみたオープニングがイマイチでした。
本作唯一の不満です。
[余談2]
シリーズ全作制覇した翌日に観に行きたくて、仕事を早く終わらせようと意気込んでいましたが、そう云う時に限って残業になっちゃうんですよねぇ…。世の中そんなもん(笑)。
※2020年映画館初め
[追記(2020/07/21)]
実は初鑑賞で気づいていたのですが、あえて言及を避けていました。そんなゲスな深読みをしてはいけない、と思ったからです。しかし今回再鑑賞して、どうしてもその可能性が頭をよぎってしまい、書かずにはいられなくなりました。なんのことかと申しますと、さくらさん軽度の認知症説、です。
冒頭で、さくらの物忘れが多いことをしきりに強調している気がしました。そこからの発想で、実は寅さんは亡くなっており柴又に帰って来ることはない。寅さんがいつ帰って来てもいいように2階の部屋をそのままにしていると云うさくらの発言は、寅さんが死んだことを忘れているからではないか?
死んでいるとしたら、何故仏壇に遺影を置いていないのか。おいちゃんやおばちゃんのものはあるのにも関わらず。それは満男か博が、さくらが混乱しないように配慮して、わざと置いていないのではないか、と云う想像です。
[以降の鑑賞記録]
2020/07/21:Amazon Prime Video(購入)
2020/08/02:Blu-ray
2021/08/09:Blu-ray
※修正(2023/12/27)
寅さんは日本の宝物❣️
思わず爆笑したり、じ〜んとしたり…。最後は涙が止まりません😭
映画なのに、終わったとき思わず拍手しちゃいました👏👏👏
寅さんは日本の宝物❣️
早速、またもや「にわか」ですが大ファンになりました‼️
#お帰り寅さん
日本人の癒し「寅さん」、見て良かった。
山田洋次監督による国民的人情喜劇「男はつらいよ」(寅さん)シリーズの50周年記念作品。
寅さん(男はつらいよ)と言うと、おじちゃんおばちゃんのお正月恒例の娯楽映画で誰もが楽しみにしていたのではないか?
子供、若者にとってはあまり面白いものでは無かった。晩年釣りバカ日誌と二本立て映画になって、テレビで上映されたのを見て、どちらかというと、釣りバカの浜ちゃんの方が好きだった。でも、これを見たら、「寅さん」が、何とも言えなく懐かしく、じわ~っと、心が暖まり心が休まる、大好きな作品だったのだと判った。
昔を回顧するシーンが何度も登場し、歴代マドンナ役の女優の皆美しいことなんのって、日本の女優も捨てたもんじゃない。
若きし、さくら(倍賞千恵子)も、博(前田吟)も、可愛いし、イケメン。
ゴクミこと後藤久美子さんも国民的美少女で超可愛いかった、そして今は神秘的な東洋美人に変身(ちょっと声が低くて、、、イメージが違ったけど)。
渥美清=寅さんはイケメンじゃない(どっちかというとお笑い系の不細工なオッチャン)、
なのに、バカボンのパパのような不思議な魅力があり、何だかかっこ良く見えてくる!?見た目が約30年(40歳ぐらいから68歳ぐらいまで)ほとんど歳を取ってないのもすごい!
心優しく口達者、でもシャイで恋愛には専ら奥手で照れ屋。こんな叔父さんがいたらいいな~、いや結婚してもいいな~と思えてくる何とも言えない不思議キャラ。
笑いあり泣きあり感動ありで、今年初映画に選んで良かった。
少々厚いパンフレット1200円には、第1作目~第50作目の歴代マドンナが載っていて、読み応えがあり、お勧めです。
冒頭の桑田佳祐は要らない❗️と思う人は一杯いると思われるが…
偉そうな事を言わして貰っちゃうが、基本的に「寅さん」は渥美清である訳であり,唄が上手かろうが下手糞?だろうが…勝手に言っちゃうが,「寅さん」は渥美清の声じゃないと誰が唄っても文句は出るんだと私は思う&日本の映画ジャンル⁉️というものになってやいませんか⁈ (決して桑田佳祐ファンでも何でも無い事は断っておく)桑田佳祐だから許される処もあったと想われたんだが…
過去の寅さん好きにとっては堪らん懐かしのシーンも取り入れた事に寄って日本の“名作”の善さとして改めて思い知らされた❗️が…&一寸狡くない?過去の数々の名シーンを振り返り過ぎ⁉️(が一寸煩く感じたのも正直な処ではあるがしかし、(確かにそれだけ振り替えざるを得ない程、歴史のある作品な訳であり…)
一寸余談だが、初期の頃の倍賞千恵子は,非常に綺麗な人だったんだなぁ〜&後藤久美子も…
Zガンダムを見たときのあの感じ
過去の映像を使いまわして新作として売るあくどい商売と言ったら言い過ぎかも知れないけど想像した以上に何も残らない映画だった。「あの寅さんがCGで蘇る」なんて言うからターミネーターのようにCGの人物が動き回るかと思えば昭和レベルの心霊映像。そして冒頭の(音楽)寅さんの歌いまわしは客席から「シラー」って声が聞こえるぐらいどっちらけで桑田さんが気の毒なぐらい。寅さんのファン層は60代以上で音楽寅さんのファン層よりちょっと上なんだよね。まあ光男と泉の3文芝居は山田洋次監督の得意分野でここはホロっとさせるものの、結局ちっとも寅さんと繋がらない無理やりな予定調和でなんだかなーという。光男の娘の同級生として若手の新キャラが登場するのはまさか続編に含みを持たせたわけではないのだろうけど、初めてZガンダムを見たときの「お前誰だよ・・・」という失望を味わいました。
まあこういうのはファンが観るための映画だから外野がとやかく言うもんじゃないだろうけどね。
観てない人に簡単に言うと、STAND BY ME ドラえもん
満男〔さくらの息子〕が主人公で、そこに寅さんが絡んでると言う形で進む。
私は特に寅さんは見た事もなく、逆に古臭い〔実家近いので〕そんな物語は観たくない否定派です。
今回は50回目と言う節目と良い歳なので大人として楽しめるのかなと言う気持ちになって観たくなりました。
こう言う作りの映画って、昔の映像懐かしむ事が前提になって、現代に生きていないものが多いが、これは違った。片親ともで娘との距離感、親との距離感
そして、昔好きだった彼女にあったときの価値観。
そして、回想するおじさん〔寅次郎〕との距離感
良い感じだった。
故人の想いはよかったな。
こう言う下町育ちだっただけに何か馴染むんだよな。
満男の心模様も昔の彼女〔後藤久美子〕との距離感もお互いの家庭があっての距離感が何か痛かったなぁ。
最後には告げてからのキスだったけど、あのキスは
もしかしたらと思うキスだった。
因み桑田佳祐は、オープニングでなくてエンディングに出して欲しかった。その方がオマージュ感は有ったのでは?
それか桑田だけでなく、さくら他のメンバーとのコーラスにするとか。
これからもつくるのかは分かりませんが
満男の話でさくら死ぬ迄の話でも良いかな
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