ターミネーター ニュー・フェイト : 映画評論・批評
2019年11月5日更新
2019年11月8日よりTOHOシネマズ日比谷ほかにてロードショー
伝説の戦士が帰還した「追う・追われる」のスリリングな動的世界
振り返ればターミネーター映画は、面倒な流転を経てきたように思う。たび重なる権利の移行でシリーズは連続性を欠き、そこはパラレルワールドだと納得さえすれば、受容できるレベルで延命を続けている。そりゃ、各続編それぞれがアイディアに富み、褒めどころは決して少なくない(ことに「ターミネーター3」(03)のユーモアセンスは天才の仕事だ)。しかし生みの親であるジェームズ・キャメロンの示した世界観から、徐々に乖離していくさまは気がかりで仕方がなかった。
そのキャメロンが直に製作へと関与し、創造の中枢に深くタッチした今回の最新作は、彼が監督した「ターミネーター」(84)および「ターミネーター2」(91)のトーンを継受し、これらと同じ動線上を走るのだ。その象徴として、かつてターミネーターと死闘を繰り広げた抵抗軍の母サラ・コナー(リンダ・ハミルトン)が再び登場。また「追う」「追われる」という、第1作目が放ったシンプルでスリリングな動的興奮に満ちている。
“審判の日”を逃れた人類のもとに、変身機能と分身機能を備えたターミネーター・REV-9(ガブリエル・ルナ)が現れる。このモデルはスカイネット不在の未来で製造された、別のAI勢力による刺客だった——。映画はREV-9が標的とするメキシコ系女性・ダニー(ナタリア・レイエス)を救うため、同時に未来から来た強化人間・グレース(マッケンジー・デイヴィス)の戦いを描いていく。加えて伝説の戦士サラと、己れの役割を失い、人間社会に潜んでいた旧モデルのT-800(アーノルド・シュワルツェネッガー)が、彼女たちと共同戦線を張るのだ。
繰り返されるテクノロジーの暴走によって、宿命のごとく「1」のプロットを反復していく本作。そこに時代の流れと共に変質してきた、人間とAIとの関係を適応させ、従来のターミネーター神話を新たな形で展開させていく。しかも観る者が「これぞオレのよく知る『ターミネーター』だ!!」と感情を緩ませているうちに、プロットの大きなひねりが鞭となり、骨を砕くような衝撃で身体をつらぬく。
何よりもこの続編は、戦いによって自分の人生をターミネート(終わら)された者たちの、果敢な再生のドラマでもある。型破りなスーパーヒーロー映画「デッドプール」(16)で爆笑を極めたティム・ミラーの監督ぶりも、ここでは激しい機動力にエモーショナルをたたえた演出にモノを言わせ、同テーマにふさわしい人選だったと納得させてくれる。ああ、思い返せば35年前のキャメロンも、まさしくこうだったのだ。
(尾﨑一男)