この世界の(さらにいくつもの)片隅にのレビュー・感想・評価
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完成版。決して戦争映画ではありません。
前作に新規カットを多数加えた完成版というべき作品。
追加点も随所随所のエピソードを補完する形で導入されております、前作視聴済みでもまるで新作映画のように楽しめました。
主人公やその周りの人は軍人でなく、かつ一度も戦争を否定も肯定もしません。
ただの壱市民の生活視点から戦争の悲惨さやその中での幸せ、いろいろなことを考えさせられるまさに今の時勢に見るべき映画です。
また見に行こうと思います。
時代の空気感まで感じられる完全版
3年前に公開された「この世界の片隅に」には、やむなくカットした場面があったらしいが、本作はそのカット部分を復活させた完全版である。カットされていたのは、主に遊郭に迷い込んだ主人公・すずが出会う白木リンに関する物語で、彼女はすずとの友情を育んだのみならず、すずの夫とも浅からぬ縁があり、さらにはすずとの本当の出会いは幼い頃まで遡るという話になっていた。このエピソードを加えたことによって、話に重みが加わったし、交わされる各キャラの人間性が際立つことになったと思う。上映時間は 180 分近くに伸びていた。
これは,見る人が試される映画だと思う。問われるのは,この映画の価値をどこまで認識できるか,ということである。まず,驚いたのは戦中の広島と呉の風景が見事に描かれていたことである。どちらも,原爆と空襲で灰燼に帰しているので,写真すら残っていないはずである。それが徹底的にリアルに再現してある。どれほどの熱意を持って,どれほどの調査をすればこの風景が描けるのかと,気が遠くなりそうな思いがした。
徹底的に描写されているのは風景ばかりではない。当時の風俗から食事のマナーに至るまで,徹底してリアリティにこだわってある。例えば,食べ始める時には右手で上から箸を取り,左手で下から支えてから右手をくるりと回して下手に持ち替える訳だが,そうした所作を省略せずに丁寧に描いてある。こうしたこだわりによって,当時の生活や価値感は観客が肌で感じられるほどになり,ひいては,架空の主人公の存在がリアリティをもって感じられるようになるという仕掛けである。
物語は非常に起伏に富むものであり,数多くの痛みを伴った話である。だが,脚本は実に淡々としている。客を泣かそうと思えばいくらでもできるはずなのだが,そういう作りになっていないのは,きっとこの映画を泣けるだけの映画にしたくなかったのだろうと思う。実際,見ている間に客が集中しているのは,主人公すずが今何を思っているのだろうと推量することであり,物語をすずの目を通して見るようになってしまっているのに気付かされる。恐らく,これこそ監督のやりたかったことなのだろうと思う。当時の人々が常識的に持っていた価値感を,決して年寄りの説教のように高飛車に教えるのではなく,その当時の生活をリアルに見せることで客に感じさせようとしているのが痛いほど良く分かる。
こういう作り方の映画において最も肝心なのは,主人公の実在感である。いかにもホントに目の前にそういう人がいるようなリアリティがなければ,この試みは成立しない。従って,主人公を演じる声優の配役には非常に神経を使ったはずである。絵柄では幼げに見えるが,主人公は 19〜20 歳の約2年間を映画の中で過ごしているのである。その点,主役を演じたのん(元能年玲奈)は,実に見事にその役割を果たしていたといえるだろう。というより,彼女のこの演技がなければ,この映画そのものが失敗していたのではないかとさえ思えるほどである。持ち前の天然性を感じさせながら,決して激することなくこの役を演じ切った彼女の声の演技には本当に感心した。
音楽は,少し力不足なのではないかと思った。淡々としている場面には過不足はないのだが,空襲など動きの激しい場面では物足りないものを感じた。また,歌い方が囁くような声だったので,囁き声が蛇と同じくらい大嫌いな私には全く嬉しくなかった。
監督は,ジブリに長くいた人だそうである。魔女宅の監督として指名されながら,スポンサーの圧力で宮崎駿に代わられてしまったという経歴は,察して余りあるもので,それでも宮崎駿を支援して魔女宅を作り上げたという人柄の良さは,この作品の綿密な作りにも通じているのだろう。私が生まれるほんの 10 年ほど前の話なのに,この時代感は私の中にはないものであり,この映画を見ることで教えられたことが沢山あった。日本人が 74 年前まで持っていた価値感が,決して現代に通じないということではないと強く感じさせてくれるこの映画に出会えたことは,非常に大きな収穫だった。今の日本人に是非見て欲しい映画だと思うばかりでなく、被害者意識を見る者に押し付けないこの作りは、海外での公開に非常にふさわしいと思う。
(映像5+脚本5+役者5+音楽3+演出5)×4= 92 点。
やっぱりいい映画でした!
プロローグでコトリンゴの悲しくてやりきれないが流れた時から目頭が熱くなってしまいました。ハルミちゃんの手を引き不発弾が爆発した時の色んな線香花火が燃えていくことで表現するシーンやすずが右手があった時のことを年月日とともにコマ送りのように回想するシーンなどは悲しさを的確に表現しております。
一方、憲兵に軍艦の写生で捕まった時に家族が神妙な表情で憲兵を見送った後にすずが諜報活動で疑いを受けたことで大笑いするシーンなどは思わず吹いてしまいそうでした。
遊郭で出会った白木リンが空襲でなくなったことや飯塚弁の貧しい娼婦テルが肺炎で亡くなったこと。
テルに暖かい南方の景色を雪の上に描いたシーンなどは涙、涙でした。
最後はすずに対して冷たく接していた義理の姉がすずにモンペを縫ってくれたことは見てて嬉しかった。
見終わった後、何とも言えないほっこりする感情や戦争のために命を落とした人達のことなどで胸が熱くなりました。
やはりひと思いに称賛はし兼ねるのです
この映画は前作から何度も見て見るたびに
「きちんと感謝して丁寧に生きよう」と
思わされる素晴らしい映画だと思います。
ただ、やはり二次大戦及び太平洋戦争中に日本がアジア諸国でやったことを
全部スルーしてあの時代を捉えることに抵抗感があります。
そこにただ生きていた庶民はただの被害者なのかもしれませんし
何も知らなかったのかもしれません。しかし
日本は被害者である以上に加害者でもあります。
その側面を丸々描写なしで切り取った映画を称賛はできません。
あの時代を表現する以上日本の加害性に言及することから逃げないのが
表現者としての責任ではないのかなといつも感じます。
さらにいくつもの感動が…
単なるディレクターズカット版では無くなっている。
すずさんの心の動きが更に 観ている側に伝わってくる。
前作(?)は映画館で観て、Blu-rayで観て、テレビ放映で観て、と何度も何度も何度も観ている。
ここまで繰り返して観た作品は近年に無かった。
そして また映画館に観に行こうと思う。が、出来る事ならIMAXで観たかったなぁ。
5点満点付けたのは初。
見ようか迷いましたが
見て良かったです。
戦争の話なのでもう少し重たい話かなと思いました。
しかし、自然の描写が美しく魅せられました。素朴で純粋な気持ちが伝わってきました。
桜の花びらが舞うなか、紅を差す姿が
儚げで深く心に残りました。
絵がすごいのは言うまでもなく
極音上映でわかる音の奥行き。
前作をこわいと感じたのはこれだったか。
監督自らが音響監督をされているところからも並々ならぬこだわりがあるんだろう。
前作で感じた違和感は全くない。すずさんの心情、行動はより自然なものになって、のんの声とともにより存在感が増した。
周作さんとの夫婦具合も同じく。
りんさんのエピソードが加わることで、周作さん萌えが増し増し。くぅ〜
相変わらず素晴らしい
【完全ネタバレではないが、描写に関する記述あり】
まず、自分の人生でもトップクラスの映画。
何が素晴らしいって、描写が緻密かつ中立。
人々の暮らしをこれでもかと言うくらいリアルに描いている。
自分は、戦争世代の祖父祖母の昔話好きな人間であり、そこかしこにちりばめられたネタやこだわった描写がよくわかる。
戦争を知ってる世代が見たらもっと気づけるのでは?
瓶つき精米、くず落としの穴、落とし紙、陶器のアイロン、灯火管制と、それをやめる描写、建物の防空迷彩、着物の女性が「細袴穿いてるから」木に登れる・・・
兵器関係も緻密に再現している。
焼夷弾ひとつとっても、不発時含む作動、ストリーマーに火が点く現象、刻印まで完全に。
色付煙は、軍艦が自射弾を識別するため(識別できないと射撃修正できない)だし、大和の手旗も意味がある内容を打っているし、あの時限爆弾シーン前に投下される爆弾には時限信管の識別塗装、米軍機の機銃掃射時に曳光弾の混入率まで再現(笑)
これを聞いてオタクだ右寄りだと言う方がいるでしょうし、勝手にどうぞという感じですが、描き手側は中立です。
だって右寄りも左寄り作品も、自分に良いようにオーバーに表現したり、嘘を混ぜ混むが、この作品は真実のまま描いているだけだもの。
そこが凄いんですよ。徹底して真実のままに日常を切り取っている。受け取り方は我々に任されている。
私がこの映画を見て感じたのは「人生なるようになるし、どうにもならないこともある。戦争しなくても死ぬときは死ぬ。過ぎたことは覚めた夢と同じ。価値観や気持ち、秘密や過ちは人それぞれ。しかし芯を持って生きねばならない。」
ということ。
右寄りの方、日本が核武装すれば、強硬な政治をすれば、領海侵犯は即撃沈すれば、戦争はなくなりますか?
左寄りの方、自衛隊なくせば、米軍撤退すれば、オスプレイを締め出せば、戦争はなくなりますか?
この作品の人間関係や当時の風習にあれやこれや苦言を呈する方、それは価値観の押し付けになってませんか?
難しいですが、人生は「許しと思いやり、ただし芯を持つ」ことだと自分では思っているので、人間関係が多少拗れる描写も含め、しっくりくる映画でした。
だってああいうの現実にもありますもんね。
すずさんの歌うような広島弁がいい
美しいアニメーションとすずさんの歌うような広島弁に引き込まれてしまって、当時にタイムスリップしたのではと錯覚するような感覚だった。すずさんの描く絵がすごくいい。海を飛び跳ねるうさぎの絵は、頭の中にずーっと保存しておきたいね。
一番印象に残ったのは、すずのセリフではなく、玉音放送を聞いた後に小姑の桂子が言った「あー、終わった終わった」この一言が自分には一番響いた。戦争で家族を失い、家も失い、涙も枯れ果てたころに終戦の知らせを聞いて、憤りを通り越えて馬鹿馬鹿しくなったのだろう。桂子の心の中では、「あー、この馬鹿馬鹿しい戦争を始めたやつはどこのどいつなんだろうね。責任とって、腹でも掻っ捌いてんだろうね」と言っているんだと思う。
アメリカに戦争を仕掛けることの無謀さを大半の日本軍幹部が認識していた。にもかかわらず、売国奴と呼ばれることの恐怖に打ち勝つことができずに、ずるずると無謀な戦争に突き進んでいった。そういった時代の空気を桂子は、わかっていたんだろうね。
映画としては、168分の長さを全く感じない素晴らしい出来だった。何でもないエピソードが、最後には一つにつながっていく気持ちよさ。美しいアニメーション。市井で生きる人々の温かみ、力強さを感じた作品だった。
押しつけがましくない戦争映画
「さらにいくつもの」ほうで初見でした。
かなりのボリュームなので寝てしまうかもしれないかと不安でしたがそんなことはなく。
静かに過ぎていく日々の中で、突然の空襲などのギャップがすごくて引き込まれます。
静かに泣き続けました。
またお芝居がみなさん本当に素晴らしい。
オープニングでキャストさんの名前が出るので、見ている間に気になってしまうかと不安でしたが大丈夫でした。
今回の追加分はりんさんのシーンだそうですが、私もりんさんが大好きになりました。
りんさんに魅了されない人はいないのではないでしょうか?
映画を見た後、劇場でたくさんの人と映画を見ていることも、とても幸せなことなんだと思いました。
切ないシーンも多いですが、笑えるところもあり、戦中・戦後の時代の人々の生活を身近に感じることが出来る、素晴らしい映画です。
家族とは幸せとは人間とは
2020年一発目に鑑賞した映画!『この世界の片隅に』におよそ30分の新たな場面を追加し、より前作よりも登場人物や当時の背景を深く掘り下げた完全に新作と言っても過言ではない出来に、前作でも号泣したのに今回は劇中で2回ボロ泣きしてしまった!
日本の戦争映画やアニメと言えば関連付られるのが蛍の墓や、はだしのゲンの2つ。如何に当時は悲惨で惨いかとこれでもかと描写された作品に対してこの作品は、反戦映画とはひときわ違い舞台が戦時中に設定された以外は、対極的に家族や、戦時中の日常生活の大切さ、そして何より重要なのが絶望のどん底にある時への逆境の克服。言わば破壊と再生がテーマであった。
主人公「すず」のフィルターを通し見る世界では、時に過酷な状況に希望を無くすことがあったとしても、愛する者たちと共に笑うことが如何に世界をより良い場所に見せてくれること気付かされ、異常な環境で常にその中で凪の様に佇む彼女の普通さこそが改めて戦争への悲惨さや今の暮らしの尊さを感じ取らせてくれ
彼女の生きる。のどかな暮らしが、この世界の片隅に確かに存在していたという「現実」が確かに自分の中に根付き、その場所に住む人達、自分自身がこの世界の中心で、物語の主人公であり、何があってもそれを守り、生きていくことの大切さを失ってはいけないはずなのに、今自分たちが生きているこの現代では、それらを忘れがちなのに気が付いた時は悲しかった。だからこそ当時の何気ない暮らしの当たり前にある日常を描いているこの作品は人の感情に敏感に触れ心を震わせてくれたのだと、改めて当たり前にあるこの日常や尊さを人は人間は忘れがちであることを深く思い知らさた気がした。
過去と比べることで今現在自分たちが持っていることに感謝の念を持て生きるという面で、日本人いや人間本来の姿がこの主人公の「すず」なんじゃないかと思う。そして何より、過去こそが今現在の自分たちを形作ってきたのだから、、、
いまだにこの映画を見てから気持ちを克服、消化することが出来ないでいるが、すずさんのように自分も穏やかに日常を毎日に感謝し家族を隣人を思ひ笑顔を忘れないでいようと見習いたいと深く感じた作品であった。
前作と今作はどちらがが良いのか
私にとって、この作品は、浜辺で見つけたサクラ貝のように、ずうっと取っておいて、時々取り出しては見たくなる、宝物のような映画です。
勿論、この感動は人に伝えたいです。
この世界(それは日本だけに限らない)のどこにでも居る普通の人々の平凡な幸せ、戦争はそれを奪ってしまうのだということ、しかしそんな状況でも生活は続いていくのだ、ということに愕然とします。
食料や物資が日毎に入手しにくくなっていく中でも、献立やらその他雑事に頭を悩ませ、些細な事に一喜一憂する、そんな当たり前のことに気づかされます。
今作を観た人が低めの評価をするとしたら、それは前作と比べて、ですよね。私はどちらも良い、と考えます。前作では、無名の誰かにも一人一人の人生があったのだ、と解らせてくれ、反戦のメッセージがストレートに伝わりました。
今作では、視点がいくつか増えた分、すずの心情もより深く掘り下げているので、焦点がぼやけてしまうことはないです。
話がそれますが、近頃よく巨大地震のシミュレーションとやらで死者1万人などと学者が言いますが、人命を数字だけで考える、あれには苛立ちを覚えます。仕方ないけど。
本作についてはこれ以上語らなくても、これはまさに「観れば解る」映画なのですが、あと少しだけ。
この映画は多くの人に観てもらいたいし、社会科の教材にすればいいと思います。
しかしもし、道徳の教材にするというなら、それには賛成しかねます。
政治家の中でも特に右寄りの人達は、古臭い家制度を重要視しています。女性活躍とは、家の中で女性が大いに働いて、家計を切り盛りし、病人や高齢者の世話をする事を指すのか、と思ってしまいます。
下々の者は互いに助け合って身の丈に合った生活をし、どんな苦難にも笑って耐えなさい、などという間違った思想教育に、この美しい映画が利用されませんように。(これは仮定の話で、もしそうなったら悲しい、という意味です)
そう考えると、今作でのすずは、ただおっとりして、気立てがいいだけではなく、感情を露わにする激しいところもあったりして、より好感が持てます。
さらに濃く、深く
16年公開の本編の記憶が薄れていてどのシーンが追加になったか曖昧だけど、片隅に生きる人たちの人生がさらにいくつも差し込まれ、すずのストーリーがより重量感を増して描かれていたように思う。リンさん、岩井七世さんだったんですね!絶望と小さな希望。
『この世界の片隅に』を観たのは2017年1月7日だったので、それか...
『この世界の片隅に』を観たのは2017年1月7日だったので、それから3年が経過した。やはり観ていて辛くなり、怖さを感じる。しかし、戦時中であっても、「日常」があるということが伝わってくる。オルテガの「私は 、私と私の環境である。」という言葉を思い出す。私は、自分の生まれた時代、住所を生きるしかない。私はここで何を生き継ぎ、どこへ行くのだろうか。ところで、すずとリンは互いに「分身」のような存在かもしれないと思った。
命ある限り、何度転んでも立ち上がる
前作を映画館で観た時の、深い感動が蘇るとともに、
前作では感じなかった何とも言えない”重さ”が伝わってきました。
それはきっと、より複雑な人間模様と、すずさんやりんさんをはじめとする登場人物たちの心情をより精緻に描写してくださったからかと思います。
そのような描写があったからこそ、いつの時代であっても変わらない人間の本質を感じたように思います。
笑ったり泣いたり、戦ったり破れたり、喧嘩したり仲直りしたり、時には止まって、そしてまた起き上がったり、そうしている内に人たちは繋がって、自分たちの居場所や大切な何かを探して見つけていくのかと思います。
前作と変わらない、温かさやほのぼのとした感じもあって良かった。
命ある限り、何度転んで躓いても立ち上がって歩み続けたい。
さぁ、私も明日から頑張って働かんと。
戦争に対する憎しみで腸が煮えくり返りそう
通常版も観ていたので前半は退屈半分、懐かしさ半分、と云った感じ。
中盤のリンさんの追加のくだりは、それほど必要性を感じなかった。エンディングのクラファンサンクスの部分だけでも充分だったので、蛇足感がある。
そして、不発弾以降は悲しみと怒りと憎しみで感情が飽和して良くも悪くもキツくてキツくて仕方が無かった。
観終わってからも、感情が昂りっぱなしで叫んででもアウトプットしたいくらいだった。
一人で観に行くんじゃなかった。
追加シーンにやや蛇足感あり
元々が超ハイクオリティな作品である上、追加シーンも全く手を抜かず作られており、良く出来た作品なのは間違いないのですが…
リンと習作の関係はあまりにも出来すぎていて、本作全体のリアリティとのバランスが悪かった気がします。ここだけあまりに創作物っぽ過ぎるというか。
もちろん本作自体、別にドキュメンタリーではありませんし、元々バケモノなどのファンタジックな要素もあるにはありましたが、前作ではその辺は本当にふんわりしたレベルに留まっていて、そのバランスが絶妙でした。追加シーンによってせっかくのバランスが崩れたように個人的には感じました。
このシーンや濡れ場があるからこそ生まれたリアリティ(主にすずの人間らしさ)もありますし、追加キャラのテルは遊郭の苦しみをよく表していました。
ので、追加シーンを一概に駄目とは言いがたいのですが、一本の映画として見た場合、どうしても冗長さを感じざるを得ません。
他の人に薦める場合、個人的には前作を選ぶかな、と。
リンとテルちゃんの言葉
前作では予算的に無理ということでカットさらた場面が加わり、戦争の悲しさだけでなく、当時の貧困の酷さ、女性の苦しみ、がより理解できました。リンとすずが子どもを生むことについて話し合う場面で、リンが「男の子でなくても女でも売れるからいい」と言ったのにはショックを受けました。どれだけ過酷な生い立ちだったのかと。「小学校は半年しか行かなかったからカタカナは読めるけど平仮名はわからない」という言葉にも泣きました。テルちゃんも風邪を引いても病院には行かせてもらえなかったから死んだのでしょう。
当時の日本には何百何千の単位でリンやテル、すずやヨーコが居たと思います。物語自体はフィクションですが描かれる事柄の多くは事実と思います。まさに さらにいくつもの片隅に です。
「ここに居らして貰ってよかですか?」
前作に新カットを追加され、より原作に寄り添った内容になっている作品である。ネットで調べると原作にも無い独自の視点も織込まれていて、片淵監督の力の入り様がヒシヒシと感じられる渾身の一作である。それは単にリメイクしたというよりも、前作との伝えたいベクトルの違いを見事に表現されていて、同じストーリー展開なのに印象を角度の変化付けすることにより、印象や拡がる感情をより多層的に複雑化したリアリティを落とし込むことに成功した構成なのである。
実は、今作品を鑑賞する前に心に重石が乗っかかったような暗い気持が支配していた。それは、義姉からの慟哭と同一の罵倒シーン。あのアニメキャラ及び画の世界観との激しいギャップから繰広げられる不条理な出来事を又目に映さなければならないのかと暗澹な心持ちだったのである。ストーリーが進んでいき、確かに加えられたシーンや、特に『りん』のキャラクターの広がりのある展開は前作にない、アダルティで艶を混ぜた“文学”としての要素をグッとサルベージさせた展開で、より奥行きさを増した物語により傾倒していく自分を自覚できる。短いカットだが、夫婦のベッドシーンがあったりとその辺りのリアリズムを追求している覚悟も又深みのある演出に新鮮さを得る。前作でのボカした解釈(主に周作とりんとの関係性)もキチンと説明されていて、逆にこの辺りが趣向の分れるポイントかと思うが、丁寧な仕上げとしての好感を抱かせてくれる。しかしそれよりもその説明シーンを描く事で、主人公の多角的心情の表現を演出できたことが今作のキモなのではと強く感じる。周作の心情ははっきりとは表現していないが、この三角関係の深淵を想像する或る意味手がかりを提示することで、物語の奥深さをより一層構築できた作りなのである。
そして、問題のクライマックス・・・。あの胸を掻き毟るような不条理は、唯々登場人物達への同情に心が支配されてしまい、揺さぶられることしきりである。そうなったらもう作品への没入感が100%越えになってしまうのは避けられず、そこからのかなとこ雲と原爆雲との前後半の対峙の演出の見事さや、悲痛や困難さの負の感情を鮮やかに転換させる展開に、唯々滂沱の涙以外に心のダムを決壊させる感情を表現出来ないカタルシスの到来である。勿論、前作と同様、広島で拾った女の子のストーリーも相も変わらず感涙なのだが、今作はスタッフロール中のりんの物語も又、卑怯だと叫ぶほどのトドメの涙を止めることが出来なかった。正直に真面目に暮らしを営む。勿論、そこには嘘もあり、隠しておきたい真実もある。綻びに人は傷つき、そして途方に暮れる。しかしそれでも毎日は続く。戦争だけでなく、自然災害も“台風”という理不尽な力で苦しめられる。でも人間はそれを上手く手懐けるアイデアも持ち併せている事実を、今作品はメッセージとして発信している。アニメーションという手法を取ったその着想に又、敬服させられる作品なのである。でも、幸せな人生を、一部の恣意で犯してはならない、その想いだけは決して忘れないように胸に刻むのである。パーフェクトな作品、感謝である。
全185件中、81~100件目を表示