この世界の(さらにいくつもの)片隅にのレビュー・感想・評価
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勇気を出して言うと、個人的には最初のバージョンの方が好きです。
原作にあって劇場アニメでは割愛されていたリンさんのエピソードを復活させ、ほかにもシーンを足したり再構成したりすることによって、確かに印象の違う別の作品ができあがったと言える。前の劇場版は何度も観ているし、原作も複数回読んでいるので、内容的には既知のものばかりなはずなのだが、ここまで受け取る側の気持ちが変わるのかと驚いた。
なにが違うって、同じシーンはたくさんあるのに、どれもが同じようには感じられなくなったのだ。今回の映画の方が、より複雑な心理や裏事情が渦巻いていて、深みを増したということはできる。ただ、そのせいもあって(自分の受け取り方としては)、悲喜こもごもの喜の部分を素直に笑えなくなってしまったのである。こっちのバージョンは、笑いと悲しみが裏表にあるのではなく、裏も表も渾然と混ざり合っているのである。
こっちが「完全版」というわけではない、と監督が発言しているので、こちらの作品も評価しているし意義深いと感じていますと断った上で言うのだが、一本の映画としては前作の方が好きだった。なぜなら、すべてがグレーに見える本作の辛さや世知辛さより、コントラストがくっきりしていた前作の方がより新鮮に感じられたからだったのだと思う。
あと今回のバージョンでは、周作も哲もずいぶん株を落とした印象がある。それはより「女たちの物語」であることを志向したのが理由である気がしている。そして男たちの意地や面子はなんともくだらない。これもどっちがいいとか上とか下とかの話ではなく。
より複雑に、より大人に、よりリアルに寄せてきた長尺版
原作に登場する白木リンのエピソードが通常版で割愛されたのは、まだヒットどころか製作が実現するかどうかもわからない脚本作りの段階で、遊郭の女性という子供向きではない要素が客層をせばめるリスクと考えられたからだろう。しかしロングランヒットで世間に支持されたおかげで、長尺版をより大人向けの内容に描き直すことが可能になった。
リンのエピソードが加わることで、すずの内面、周作との夫婦生活も複雑さを増した。ただその一方で、通常版ではファンタジックにぼかしていた要素に、長尺版ではリアリズムに寄った説明が加わった部分もあり、このあたりは評価が分かれそうな気もする。
ともあれ、今回の「片隅」が、単に引き延ばしただけでない、新たな魅力を獲得した愛すべき「世界」であることは間違いない。のんの声、コトリンゴの歌は今作でも活きている。
個としてのすずが、よりダイナミックに立ち上がってくる
3年前、私は主人公すずさんのことをすっかり理解し尽くしたつもりになっていた。あの頃の自分に言ってあげたい。人の内面はもっと広くて深く、そう易々と把握できるものではないのだと。これは「もう一歩」だけ心の内側に踏み込んだ物語だ。
オリジナル版では、すずさんというキャラクターがあえて柔らかいタッチで描かれていたように思う。それゆえ観客は、当時を生きた名もなき人々の人生や青春や愛すら彼女の輪郭に重ね、過ぎ去りし日々に想いを馳せることができた。一方、本作では、もっと描写やエピソードを尽くしてじっくり心の言葉に寄り添うことで、「個としてのすず」がよりダイナミックに立ち上がってくるようになった。すずさんだけではない。リンとケイコも同じ。ある意味これは「3人の女性たちの物語」なのだ。作り手と観客が深い絆で結ばれたからこそ成し得たこの異例の試み。私はいつしか心底圧倒され、すずさんのことが益々好きになった。
この世界の片隅に
戦争が行われていた時代を過ごした女性の生涯を描いた作品です。
この作品のいいと思う所は、キャラクターの緩さにあるかなと思いました。
戦争というととても重たく苦しいものというイメージが強いからです。
この主人公のどこか抜けたような緩さが観ていて心が和む感じがしました。
広島の方言もまた良いなと思いました。
強い言葉でもそこに温かみがあるような。
主人公がおっとなる人の昔の思い人に遭遇して、心の葛藤がある部分もこの時代だからとかではなく、向き合うべき所に向き合う強さがあるのかなぁ。
そこからお互いがもっと関係を深めていくきっかけとなった。
後半にかけて、物語が段々とシリアスな雰囲気に変わっていきました。
どんな時代でも世界の片隅では、日々が続いてそれが誰にでもある。
この世界の片隅に色んな人温かみがあったり、悲しみがあったり、全てが分かるわけでないけど、
そんな時代の中で生きる人の力強さを感じる作品でした。
なるほどねぇ、この世界の片隅にも、裏があったのだ。
さらにいくつものでない版を1度だけ観て、3年後なので、記憶違いがあったらゴメンナサイなんだが、
間違いなくリンである。
前作(ややこしいのでこう表記させていただく)において、どこか匂わしていた、
いくつかの謎の残り香は、この女のものだった訳だ。
彼女の存在のおかげで、実にいろいろな意味が裏返り、そして、納得いくものになる。
周作にとっては、すずとの縁談も、そもそも、出逢いの籠の中の思い出も、
納屋での一夜の件も、あまりに完璧すぎた、良き夫としての行動も
すべて裏があったのだ、と言うことになる。
つまり周作は、リンとの別れの条件として、存在するはずのない、初恋の相手を引っ張り出してきたのだ。
住所もわからぬ、実存するかもわからぬ、初端から、見つかるはずのない女性を条件とし、
見つからない事が前提の、すずさんだったのだ。
ところが、運命の悪戯か、すずさんは見つかってしまう。その時の周作は、どんな顔をしただろう、
まさか、見つかりましたハイ、リンの事は諦めます、すずさん愛してますとはならない。
成長し、着物を被って誤魔化していたとはいえ、相手がすずだと、わからなかったくらいだもの。
その内側には果たして、どんな気持ちが渦巻いていたのか。
そしてその気持ちから、どうやって変化していったのか。
しかしこれで、前作で感じた違和感は、すべてほどけた。
まさかあの、夢で見たような思い出話だけで、ずっとすずに恋心を抱き続き、いきなり縁談というのは
どれほどの一途な純愛男子なのか、イヤイヤしかしそれでは納屋の一夜をセッティングする理由とは矛盾する。
それともその愛は、妻の思い人と今生の別れを優先させてやるほど、聖人的な自己犠牲も厭わない鋼の愛情なのか? なんなのだ。
…なるほどなあ、裏があったのだ。
自分自身にウシロメタイ気持ちがあったからこその、贖罪でもあった訳だ。
まぁ、、良いさ。
結果的に、桜の木の下で、あの挨拶ができた2人だもの。
そこまでのどこかで、周作のなかで区切りがつき、本当の夫婦になれたんだろう。
これだという切っ掛けになるエピソードは、たぶん、ない。
なんでもない日常生活の積み重ね。
その重みが、その意味が、この映画の本質だもの。
夫婦生活の積み重ねで、いつしか、ふたりは本当に夫婦になったんだと思う。
紆余曲折があったからこそ、遠回りをしたぶん、ふたりは出逢ったのだし、
すずさんは生き延びたのだし、
辿り着いた愛情は、より深くなったのだろう。
人生なんて、結果論的に、なるようになるし、なにが幸いするかなんて、誰にもわからない。
監督がインタビューで「すずさんにそこまで日本を背負わさなくても良い」と語ったように
戦時中の、そして戦後も続く、日常の積み重ね。
淡々と積み重ねられる、人々の生活を描くだけで、この映画の主題も、
戦争というものの本質も、人の強さも、弱さも、
苦しさも、楽しさも、とてもやり切れない悲しさも、
すずがただ1度だけ見せた怒りも。
わざわざ日本を背負わさなくても。
それでも、すずは生きていかねばならないのだし。
それは誰もが同じなのだし。
すずが言わなくても、他の誰もが、言葉は違えど、同じ思いであったのだろうし。
そして、戦争の罪深さは変わらないのだし。
「戦争映画」から「すずさん映画」へ
元々短編を繋いで一本にしてるので、前作も違和感があったんですが、以前にも増して不自然さを感じました。
何故かというと追加したシーンが「戦争映画」の要素ではないものが多かったんですよね。遊女の生い立ちや病気や純愛は戦時ならではのものではなく、偶々すずさんが知ることになったお話であって。
その分「すずさん映画」としては色濃い作品になりましたが、そこは好き嫌いですね。
前作の方がシンプルに楽しめたので、☆を落としましたが、名作であることに間違い無いです。
時代
初回版は観てませんが…
戦争アニメ主人公すずの生き方を
描いた作品
お金も物質もなく国からの配給
で暮らす日常
私たちは経験の無い時代
主人公すずのおおらかさが
素直さが私たちを惹き付ける
親に国に言われるまま何一つ選択できない
…時代
戦争中食べて行くのが大変なことで
それだけで一日を費やす
電化製品もなく洗濯機もない
でも不自由な生活だけどそこには
笑いがある
皆で囲む食事がある
周りの人と助け合っていく
空を見上げて
雲を見ることが好きで
絵を描くことが大好きなすず
すずの声をのんが担当してますが
初めは物足りなさを感じていたけど
あの柔らかな声が適任でした
原爆のこともありましたが
悲惨さは余り強く出していないので
…よかったのかな
すずとリンの対比が見事
短縮版と比べてやや大人向けな印象。
短縮版では優しさや助け合いといった言葉で表されがちな「強さ」に焦点が当たっていたが、それとは全く別の「強さ」を持つリンの物語を追加したことで、すずが大人へと成長する経過をよりリアリスティックに描いている。居場所が見つかるまでの厳しさを余すことなく提示したことが、この作品が単なる戦争映画で語ることができない所以であろう。
全ての物事には、面があって裏がある…。 ただのディレクターズ・カット版ではない、全く新しいもう一つの「片隅」がここに…。
2016年公開のアニメ映画『この世界の片隅に』に、40分にも及ぶ新規映像を追加して制作されたディレクターズ・カット版。
○キャスト
北条すず…のん。
新たなキャストとして、遊郭で働く病気の女性、テルちゃんを演じるのは『言の葉の庭』『君の名は。』の花澤香菜。
本作のランタイムは168分。これはおそらく、日本アニメーション映画史上最長の作品だと思われる。
片渕須直監督曰く、元々の絵コンテはこの長尺版のものだったらしい。しかし、予算の都合上30分ほどカットしなければならず、なくなくコンテを削って作り上げたのが2016年版。
つまり、2016年版ではなく、この長尺版こそが『この世界の片隅に』という映画の本来の姿なのである。
本作を鑑賞してみて驚かされた!😲
だって、40分の追加映像によって、全く違う映画に生まれ変わっていたんだもん。
16年版はすずさんとその家族に焦点が当てられており、過酷な時代を懸命に生き抜く彼らの姿が描かれていた。
しかし、この19年版では、遊女として働くリンさんのエピソードをふんだんに増量。
彼女のエピソードが追加されたことにより、すずと周作、そして北条家の背後に横たわる暗い影が浮き彫りになってくる。
2016年版がレコードのA面だとするならば、本作はまさにB面。16年版が太陽ならば、本作はまさに月。
人気の”生命”の強さが打ち出されたA面に対し、このB面では人間の”情念”の強さが打ち出されている。
過酷な運命が描かれているものの、どこまでもカラッと明るい作風だった16年版とは打って変わって、本作にはドロッとした冷たい暗さが物語の根底に流れているように思う。
物語の結末が変わった訳ではない。
しかし、この新規エピソードは映画全体の印象をガラッと変化させてしまった。
なんの陰りも見えない幸せそうな家族にも、外からは決して見えない秘密が存在している。現実は綺麗事だけでは済まされない物事に満ち溢れているということを、我々は嫌というほど知っている。
その嫌な部分をあえて取り除いている16年版の方が、確実に観やすい映画ではある。
しかし、このやるせない秘密と、それを胸に秘めたまま前へ前へと進んでゆくすずと周作の姿を描いたこの長尺版の方が、鑑賞後の胸にズシンと残ることだろう。
『この世界の片隅に』が、日本映画史に残る傑作なのは間違いないし、その素晴らしさはこの長尺版でも全く損なわれていない。
ただ…。
やはり、3時間弱というのは長すぎる…。
テレビシリーズでやるとか、前後編に分けるとか、なんかそういう対応策はなかったんじゃろうか?
たしかに、16年版よりも本作の方が物語の骨子はしっかりしている。すずさんの心情も、本作の方がより強く観客に伝わったことだろう。
ただ、丁寧に作りすぎているせいで、16年版にあった勢いが削がれてしまっているように感じた。
このリンさんのエピソードは、原作に描かれているもの。
重要なエピソードなので、映画の中に組み込みたいと思った片渕須直監督の気持ちもわかるが、やはり漫画と映画は違う。
漫画ほどゆったりと進むわけにはいかない映画という表現媒体においては、原作のエピソードを取捨選択するという行為が必須。
16年版はこの取捨選択が非常に大胆に、かつこれ以上ない程的確に行われていた。
それに対して本作はちょっと欲張りすぎてしまっている。
リンさんのエピソードは原作漫画に任せておいて、映画は16年版を完成稿としてしまってもよかったのではないだろうか?
16年版も本作も、両方とも同じレベルの感動を与えてくれた。
だったら、40分も尺が短い16年版の方がより優れた映画であると言えるような気がするし、おそらく後年まで語り継がれるのは16年版の方な気がする。
映画には、丁寧さよりも勢いの方が大切だと私は思うのだが、世間一般ではどうなんだろう…?🤔
リンさんというピースで、よりこうのふみよ先生の作品感は増す
鑑賞当時にレビューする習慣がなかったので後付けですが。
さらにいくつもの、は前作で泣く泣くカットされたすずさんとリンさんのエピソードを多く含み、作品の印象もあるいはすずさん周作さんの印象もかなり違います。いずれにしても心に後から後から染み込んでくる凄い作品です。
こちらだけ観たひと、原作とこちらだけ読んだ観た、という方の感想も気になります。
画竜点睛を欠く おむすびコロリン!
ほぼ、良いのだが、原作にはあって、アニメにはないカットがいくつかある。ネタバレになるので言えないが、アニメを見た方は原作を読んでもらいたい。
また、この作品のテーマは、この原作者の他の作品を読んで見るべきだ。涙だけで済ませてはいけない。
我々は原作からカットされていた一人なのだから。
旦那が無駄に(笑)いい男、よく見ると展開が少女漫画(笑)
素晴らしい作品であることに疑いの余地はない。コロナ禍の今見ると、緊急事態が音もなく日常になっていくことの恐ろしさがリアルに伝わってくるし。
ただ誰も言っていないようなので書くけど旦那(周作さん)が無駄に(笑)いい男なんだ…子供の頃たまたま出会って見初めて、成長して凛々しい軍人になり「結婚してくれ」とやって来る…完全に女の幻想の世界やな(笑)結局この男がよかったから嫁ぎ先に残る決意をしたんじゃないんかい、昔はもっと最低な男いっぱいいたやろ、とか意地の悪いツッコミを入れたくなってしまう。結婚後も乱暴だった小学校時代の同級生が嫁ぎ先にやってきて「昔からお前が好きだった」「そんな、私はもうあの人を愛しているから何を今さら!」という超メロドラマ展開…このヒロイン、これも少女漫画によく出てくる「ドジで一生懸命な女の子」だしね…こんなんで「昔の女性は家庭に縛られて悲惨でした」とか言われてもなー。
極めつけは遊郭の女性、白木リンとの関係。夫・周作は結婚とともに遊郭通いをきっぱりやめ、妻一筋になったという(というより、遊郭のリンに入れあげるのを止めるため、親類縁者が持ち出した結婚だった)。えー、ほんとかよ、男って甲斐性があれば二人三人ぐらい同時に愛せる生き物なんでっせ?しかもそれが咎められなかった時代、結婚した後もこっそり通ってたんじゃないのかなぁ?花見ですれ違っても「お久しぶり」って挨拶するだけって、逆に怪しくないか?
せっかく夫婦の夜の営みのシーンまで描くぐらいなら(笑)、夫の体から遊郭の香りがしてくるとか、そこまで際どく描けばよかったのに。嫉妬に燃えていたら原爆が落ちてリンは死んでしまいました、とかいう展開の方がよほど怖い。
だが例の小学校の同級生が向かう先は生きては戻れない海戦で、夫が逞しい肩で庇ってくれる先では砲弾で何人もの人が亡くなっている。これでは胸キュンどころでない…実家の親も原爆で死んでしまうし…
結論として、旦那がちょいと女性にとって都合のいい設定だったもので、戦争の悲惨さを見る作品としては甘すぎ、胸キュン作品として見るには不謹慎すぎる、どっちつかずなモヤモヤ感が残る…ちなみに…旦那役の声優は細谷佳正、やたら色っぽい。やはりこの「いい男」、完全に無駄である…
すずさんの(さらにいくつもの)心情
Netflixで鑑賞。
原作は未読です。
遊郭で働くりんさんとのエピソードなどが追加されたことによって、すずさんの内面がさらに掘り下げられ、女としての葛藤や夫への複雑な想いなど、その心の襞が克明になりました。
すずさんの人間性がオリジナル版よりも奥深さを増し、彼女の存在が一層明確に立ち上がって来るようでした。
特に印象的だったのは、休暇で陸に上がった水原さんとすずさんが過ごした一夜の場面。オリジナル版とは全く違った意味合いを持つシーンになっていて、大人の男女の機微がより濃厚に漂うシーンに変貌しているなと思いました。
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