マチネの終わりに

劇場公開日:

マチネの終わりに

解説

東京、パリ、ニューヨークを舞台に音楽家とジャーナリストの愛の物語を描いた芥川賞作家・平野啓一郎の同名ベストセラー小説を福山雅治、石田ゆり子主演で映画化。パリでの公演を終えた世界的なクラシックギタリストの蒔野聡史は、パリの通信社に勤務するジャーナリストの小峰洋子と出会う。2人は出会った瞬間から惹かれ合い、心を通わせていくが、洋子には婚約者である新藤の存在があった。そのことを知りながらも、自身の思いを抑えきれない蒔野は洋子へ愛を告げる。しかし、40代の2人をとりまくさまざまな現実を前に、蒔野と洋子の思いはすれ違っていく……。蒔野役を福山、洋子役を石田がそれぞれ演じ、伊勢谷友介、桜井ユキ、木南晴夏、風吹ジュン、板谷由夏、古谷一行らが脇を固める。監督は「容疑者Xの献身」「昼顔」の西谷弘。

2019年製作/124分/G/日本
配給:東宝
劇場公開日:2019年11月1日

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(C)2019 フジテレビジョン アミューズ 東宝 コルク

映画レビュー

4.0美しい音色、美しい景色、美しい大人

2019年11月6日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

泣ける

興奮

幸せ

全編に渡ってクラシックギターの弦の響きを堪能できる。とても美しい音色、、、。

どう見ても福山本人が弾いているとしか思えないショットがいくつかあったが、調べると少なくとも「幸福の硬貨」は福山が弾いているとのこと。相当練習したのだろう。ただただ、すごい。

普段アコギを肩からかけてギターをかき鳴らす姿を見慣れているからか、足を足台に載せギターを立てて弦を弾く姿は新鮮であった。ただ何故か違和感はなく、そして凛として美しかった。

パリやマドリード、ニューヨークに東京。舞台となる街が美しい。
蒔野と小峰がパリで食事をするレストラン、小峰のパリのアパート、ニュヨークのセントラルパークなどなど。大人の二人にぴったりの美しい街並みです。

そして福山と石田ゆり子。石田ゆり子は上品な美しさ、知的さ、そして可愛らしさがあり、とても魅力的。 福山は最初はどうかなと思ったが、やはりかっこよかった。こんな美しい50歳。。理想です。

映画としてはちょっと拙速&ご都合主義にみえたところあり。
「えっ?福山、惚れるの早すぎでない?」
「石田ゆり子もいつのまにそんなに惚れてたの?」
「最後は急に環境揃いすぎでない?」 など。
映画の尺に治めようとすると、どうしても「時間」を描ききれない部分は致し方ない面も。
ただこの映画の全体評的には、こんなことは不問にしてもいいと思えるほど大したことではなくなる。 (小説では自然な感じになっているのかな。読んでみるとするか。)

さっそく、家でサントラCDを流しています。
クラッシックギターの音色がほんといいです。福山が弾く「幸福の硬貨」も入っていました。
余韻に浸るのに、こちらおすすめですよ。

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momokichi

4.0大人のための、しっとりとした意欲作

2020年9月16日
PCから投稿
鑑賞方法:試写会

正直なところ、原作小説は発売して間もないタイミングで購入したが、当時の自分にはフィットしなかった。読むと眠くなるので、寝付けない夜には抜群の効果を発揮した。それが不惑を迎えるか否かのタイミングで読み直したら、思わずスルスルと読了してしまった。
そんな頃に映画化が発表されたわけだが、世界的なクラシックギタリストとパリの通信社に勤務するジャーナリストが壮絶なすれ違いを繰り返し、運命に翻弄されていく。この設定に説得力を持たせるのが福山雅治と石田ゆり子である。6年間でたった3度しか会わなかった男女の心の移ろいを丁寧に演じている。東京、仏パリ、米ニューヨークの彩り豊かな街並みも、作品を1つ上のステージへと導く役割を果たしている。大人が見るべき、大人のためのしっとりとした意欲作といえる。

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大塚史貴

2.0演技力不足

2024年8月6日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

原作を読了後、主演の役者さんが好きなので、アマゾンプライムで視聴しました。

小説と映画が違うものになるのは当然ですが、ややがっかりしたところを記載しておきます。

まず「マチネの終わりに」というタイトルには、人生の後半に入る時期という意味があると受け止めていました。ところが主演のお二人の年齢は、とっくにその時期を通り過ぎています。一般人よりはお若く見えるお二人ですが、やはり画面で大写しになるとアラフィフというのは隠しきれず、突然燃え上がる恋愛を演じるのは無理な年齢だなと感じました。

それでも役者さんの演技力があれば、そうした心情を観客に感じさせることもできるのかもしれませんが、お二人とも繊細な演技よりも大袈裟なわかりやすい演技を得意とする役者さんです。本作にはあっていませんでした。10年前に演じてたらよかったかもしれません。

でもこの二人だからこそ興行収入が期待できると、企画が通ったのでしょうね。もったいないなあ。

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もりのなぎさ

5.0マチネという物悲しさを抱え込んでいる「私」への赦し

2024年5月20日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

知的

恋愛映画を好きになれない理由は、大きなトラブルとそれを乗り越えて掴んだ幸せというお決まりのパターンかロミオとジュリエットのパターンで、その型にミステリーや戦争やSF、ファンタジーをミックスさせるしか新しさを加えることができなかった長い時代があったからだ。
これもまたそのような作品かと覚悟して見た。
しかしこの作品には「過去を変える」という真理が組み込まれており、起きた現実を変えるとか、その代わりになる何か特別なものを手に入れるというような概念がなく、自然で美しく、多くのシーンで流れるマチネの響きが、最初からどこか物悲しく、切なさを包むこむように流れていて、作品の世界観に引き込まれた。
伏線も用意周到に張り巡らされており、強いて言えば最初の二人の出会い方だけが「特別」に感じてしまった。
そのある種の違和感を覚えるほど「特別な出会い」というものは人生のどこかにあるのかもしれないし、多くの人がそういった体験をしていると思った。
フィアンセのいるヨウコに、マキノが特別な気持ちを感じてしまっていることに最初に気づくのはマネージャーの三谷早苗だ。
ヨウコとリチャード、マキノ、サナエ この人間関係に大きな亀裂を与えたのがマキノのがしたヨウコへの告白だった。
当時彼女はフランスでジャーナリストをしていて、テロ事件に巻き込まれる体験とそのとき受けたマキノの癒しに、ヨウコの心が大きく揺れ動いた。
そこにあったのは非日常的暴力であるテロという出来事、そしてその真逆に位置するマキノの奏でる音楽という癒し。
フィアンセの仕事は株式投資だが、おそらく作者が思うこの仕事は、一番愚かでくだらない仕事。すべては「お金」しかないという発想だからだ。
このことを脳裏の奥で感じていたヨウコは、マキノの真理をついた言葉と音楽によって、私にとって選択すべきものは何なのかを決めなければならないという衝動に駆られたのだと思った。
「正しいかどうかではなく、出会ってしまった」
ヨウコはマキノの告白と自分の現実を鑑み、大きく転身する決心をした。
これも伏線だと思うが、ヨウコのいたビルがテロ攻撃を受け、エレベータの中でもがいていたシーンには、彼のマチネとテロの音が混在していた。
心の変化とはそれほど大きいという見方、または、二人の行く末の暗示かもしれない。
マキノは「ギターを弾くのが嫌になった」のは、技術ではない何かが彼には欠けていて、音楽家として彼はそれに気づいていたものの、それを埋めるものが何かわからなかったのだと思う。
それこそが恋。またはその喪失。もう一度彼女に会いたい。この思いが彼の演奏を飛躍させたが、マドリードでヨウコが来なかったことで演奏が大きく乱れてしまう。心こそが演奏家の大きな原動力なのだ。
テロで傷ついたヨウコの同僚にギターを聴かせて気持ちを落ち着けたことも、投資などというビジネスより音楽の力の素晴らしさを伝えている。
ヨウコがすべてを片付けて日本へ戻ってきたタイミングで、マキノの先生が脳出血で倒れる。タクシーに置き忘れたスマホ。
三谷はしてはならないことをするが、のちに彼女は「正しく生きることが私の人生の目的ではない。私の人生の目的がマキノです」と強く自分の主張をヨウコに伝えている。
そして三谷がマキノとヨウコの仲を引き裂くロジックはよくできている。
そうして4年が経ち、先生が死去、そこには髭を生やしたマキノと妻早苗と娘の姿。
先生のためのアルバム作成と聞かされたヨウコの結婚。早苗の表情。
相変わらずギターの技術は素晴らしいものの、埋められずにいる心の隙間が演奏に出てしまう。
リチャードとよりを戻したヨウコだったが、彼の浮気はあからさま。
「演奏家との浮気を僕は許せない」
ヨウコはすぐに離婚訴訟に入る。
ここでマキノとヨウコがもう一度再開してゴールインできるみたいな見せ方で視聴者を引き込む。
ニューヨークでのコンサートの準備。早苗がヨウコに会い、当時のことを告白する。同時に夫にもメッセージを送信して事実を告げた。
これがなければ物語にはならないのだが、早苗にも良心の呵責があったが、何よりもマキノの音楽に張りがないことを早苗自身が一番よくわかっていたのだと思う。早苗の目的である彼の目的の音楽のために決意したのだろう。
彼の音楽が完成するには、ヨウコの力が必要なのだ。
「いまさらそんなことを聞かされても……」
ヨウコの心中は察するに余りある。庭石と同じくらいの大きな石の上に座って嗚咽する。
彼女にとって石は想い出の象徴。マキノが話した「思い出が変わってしまう」こと。ヨウコは、当時一切取り合おうとしなかった自責の念に堪えられなかった。信じることをしなかった後悔。
そして日本で同時に雄叫びを上げながら一粒の涙を流したマキノ。
コップを割る「空想」は、心の中の何かを破壊した象徴。
それはもしかしたら、あれ以来ずっと後生大事にしてきたヨウコとの思い出だったのかもしれない。もやもやし続けてきた4年間。
妻によって明かされたその原因。もうどうしようもないという怒り、悲しみ、そして今の現状。これらがピークを越えて爆発した時、マキノはすべてを受け入れるしかないというように赦したのかもしれない。赦す以外彼にできることなど何もないと、作者は考えたのだろう。
月に一度会う約束の息子とリチャードとのハリボテの時間の後、早苗からもらったままのアルバムを聴くヨウコは、彼のメッセージに彼の真意と彼が話した「過去を変える」話を思い出し、コンサート会場へ向かう。マキノのヨウコに対する思いは、ずっと、ずっと変わってなどいなかった。ヨウコだけが勝手に拒否したのだ。
ニューヨークでの撮影がマチネの練習の最後のシーンだったのだと思う。俳優である福山雅治さんはミュージシャンだ。この的確な配役でもマチネの練習は大変だっただろう。このシーンのマチネが最も張りのあるリズミカルで力強い音を奏でている。
スタンディングオベーションで見た観客の中にヨウコを見つけ、台本にないアンコール曲を弾き始めた。
「マチネの終わりに」「幸福の硬貨」を「大切な友人のために」
この作品が伝えているメッセージは「人はみな変えられるのは未来だと思っている。だけど過去も未来によって書き換えられている」ということ。そしておそらく、それにはタイミングがあるのだということ。
起きた出来事は変えられない。でも変えることができるのは、その出来事に対する思いであり見方であり考え方だ。苦しみぬいた過去に対する見方を変えることで、その出来事はまるで違ったものに見えてくるという真理だ。そしてそのタイミングがあるということ。
最後に二人はセントラルパークで偶然再会する。
マキノが彼女に駆け寄ろうとする瞬間にエンドロールとなる。
その後どうなったのかは、視聴者に委ねている。
早苗は自分自身を断罪し、ニューヨークで二人が再開する手はずを整えた。それは、おそらく早苗がマキノのコンサートを始めてニューヨークで見たときからすでにそうなるように仕組まれていたのかもしれない。
彼女は子供を連れて実家に戻る。そして二人のことは運命に委ねた。それが彼女のした贖罪だった。
マキノはその言葉をよく理解できていないながらも、その気持ちだけは伝わったのだと思う。
この作品は、表面上に「運命」的なものを匂わせておきながら、そこに介在する人間の「意志」、特に出来事に対する認識は変化するし変えられるということを説いている。
このように運命に翻弄されているように思える人生だが、翻弄しているのは自分自身の勝手な認識と思い込みだけで、その思い込みから解放されて再会した二人にはもうわだかまりはなく、でも取り戻せるものもないのかもしれないが、そのすがすがしさはマチネから爽やかなオーケストラの曲に変化させることで表現している。
見ごたえがあり、音楽の世界観があり、なかなかすばらしい作品だった。

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