ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッドのレビュー・感想・評価
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色濃く描かれるキャラクターとその日常。生み出される因果。
○作品全体
作品の中に積み上げられていく小さな物事がやがてすべて因果関係があったように作用していく。何気ないシーンや設定に対するこだわりがその説得力を生んでいるかのような作品だった。
例えばリックの過去の作品群。過去の栄光とだけするならば、あれだけ尺をとってその作品の一部を映像にする必要はない。「この過去作品の映像はなにか関係があるのか?」と疑問を持ちながら、膨大な情報量で作り込まれた過去作品を観客は見ることになるが、それだけでその作品群がリックを有名にさせてきたという根拠になる。また一方で過去の栄光にすがりついている今現在のリックという存在も浮き彫りにする。
クリフで言えば愛犬・ブランディだろうか。作品中、初めてブランディが登場するカットは少し特殊な画面だった。クリフが優しい声で自分が帰ってきたことを告げるところは、観客はクリフの帰宅を待つ妻に向けたものだと錯覚するだろう。しかしいつまで経っても部屋の中に踏み込んでこないクリフ。最終的にそのクリフを映したカメラは寝転がって愛犬を抱きしめる姿だった。きちんとしつけがなされているブランディとクリフとのやりとりは面白くはあったが、その一方で「中年男性が妻子を持たず、犬と孤独に暮らしている」というシチュエーションを浮き立たせる。
こうしたキャラクターを取り巻く何気ない要素たちがラストシーンでどれだけ大暴れをしたか、というのは一目瞭然だろう。キャラクターに付加価値を与える「だけ」のモチーフやシチュエーションは、色濃く描かれることによって「だけ」では終わらない要素として際立たされていた。
こういったリックとクリフが置かれた「落ちぶれ」としての状況や陰の部分の表現はいくつもあったが、「落ちぶれ」であるからと言って必ずしも作中で凋落の一途を辿るわけではない。事実、クリフ自身はフルタイムでのスタントができなくなったという「落ちぶれ」はあれど、組み手の腕が落ちているわけではなく、クリフなりの日常を生きている。リックもそうだろう。敵役ばかりになってセリフもドジることはあれど、ベテラン役者としてアドリブを駆使し、その役割を期待以上にこなすこともできる。誰しもがある日常のアップサイドダウンの中で、自分が気づかないうちに未来を変化させる何かを掴んでいる。そういったドラマティックでない風景について、ある種、執着するかのようにじっくりと時間をかけ、観客に意味のある風景ではないかと思わせる説得力がタランティーノ監督のもっとも特徴的な部分なんじゃないかと、本作品で改めて思わされた。
これがもし、それこそ「ハリウッド映画」だとするならば、「落ちぶれ」の描写はもっと極端で、ドラマティックなストーリーにあふれていただろう。リックは見せ場もなく、ヘタしたらギャグかと思うようなどうしようもないミスを見せていたかもしれない。クリフで言うのであれば、自分はまだできると思っているにも関わらず力は衰えているようなスタントマンとして描かれていたかもしれない。ブルース・リーにも負けていたんじゃないか。そしてリックとクリフ、二人の関係についても、もっとわかりやすく紆余曲折を構築するだろう。女性の存在が急浮上したりして、あからさまな喧嘩をして仲違いをする、そして仲直りして絆はより強固なものに…というような、退屈で見飽きた中盤の山場を作っていたかもしれない。
ただ、タランティーノ監督はそういうことをしなかった。誰しもある日常の中での山と谷を見せつつ、劇的でないままキャラクターたちの置かれた状況を変えていく。しかし変化するシチュエーションをじっくり、ねっとりと小物やキャラクターの表情で見せて、何気ないシチュエーションに意味を積み上げていく。こうして積み重ねていったからこそ、ラストの非日常に溢れたエキゾチックな雰囲気が際立つのだろう。
しかし、それでも、ラストの出来事を経ていてもリックとクリフの関係に変化を生じさせることはない…いや、もしかしたら事件後の二人の関係は今までと違う展開を見せているのかもしれない。しかし、それをわかりやすく作品中で映すことはしなかった。救急車に乗ったあたりでリックが「君を倍の額で雇い直そう」なんて言って、信頼関係はより強固に…という感動的な出来事にすることもできたはずなのに。ただ、タランティーノ監督はそれをしない。タランティーノ監督が最後に映したのはお隣のビッグネームと偶然知り合うことができ、親睦を深めようとするリックだ。まるでちょっとしたことをキッカケに始まる新たな交友関係の風景のように、日常にあるアップサイドダウンを切り取っただけのように、リックたちとその物語は終わっていく。その先にきっと待っているであろう、数々の因果が再び衝突する瞬間を予感させながら。
○カメラワーク
・回想シーンへの持って行き方が面白かった。普通なら現在のシーンと回想のシーンをつなげるときってフェードアウトとかオーバーラップを使って視覚的に時間を分けたり、もしくは「○年前」とかテロップを出してわかりやすくするはず。この作品で言えばアスペクト比を変えるってのも一つの手だと思う。ただこの作品ではまるで場面転換でもするかのようにパッと画面が変わるだけで、それが回想シーンだと気づくのはシーンが終わった後のキャラクターのセリフによってだったりする。もちろん全部がこういう分かりづらい回想シーンへの導入ではなかったけど、クリフがブルース・リーを殴っちゃうところなんかは、全然回想シーンだと思わずに見ていた。すごくシームレスで淡々と場面転換しているようでありながら、一つ一つのシーンが濃密なのがまた面白い。
○その他
・シャロンが映画を見に行くあたりの芝居の可愛らしさが印象的。体を傾けてポスターや劇場入り口を見たり、上映中のスクリーンへ目線を送るときのワクワク感のような肩の揺らし方。
・ブラッド・ピットの芝居がほんとにかっこいい。遠くを見ているような視線が、揺るぎない優位性のようで、クリフの腰の座った感じがよく出てた。かと思えば終盤でラリったクリフが銃口を突きつけられながら笑うときの笑い声。ケラケラと笑う声が凄い好き。
・西部劇映画で人質となった少女役、ジュリア・バターズの芝居もすごく良かった。リックと会話するシーンで見せた流し目と人質になっているときのあどけなく笑う表情。
ヴァイオレンスな雰囲気や描写、キャラクターの設定についてはもちろん承知しているけども、映像演出的な意味ではいまいち掴みどころがないなと思っていたタランティーノ監督。今作品でなんとなく掴めそうな気がする。そういう部分もあってか、タランティーノ監督作品で一番好きな作品と言えるかもしれない。
さすがのタランティーノ節。ただし手放しで楽しめない要素も
マーゴット・ロビー演じる女優シャロン・テートをめぐる史実を知ったのは、ビートルズに夢中で関連本も読み漁った十代の頃。カルト教祖チャールズ・マンソンが「ヘルター・スケルター」に触発され信徒らと事を起こした…とまあ、ビートルズつながりで知識があっただけだが、ハリウッド史の文脈で(フィクションを交え)描写された魅力的な彼女に出会い、歴史を学び直した気分になる。
レオとブラピのブロマンス味、マンソンファミリー拠点の農場をブラピが探るシークエンスの緊迫感、終盤のフィクショナルな飛躍など、心が躍り感嘆させられる充実作であるのは間違いない。ただ、ブルース・リーへの敬意を欠くエピソードや、女性への暴力をエンタメとして描くあたりが、ユマ・サーマンが昨年公表した「キル・ビル」撮影中にタランティーノに運転を強要され起こした事故を思い出させ、タランティーノは根が差別主義者なのでは、との思いを禁じ得ないのだ。
ハリウッドへのレクイエムであり、同時にアンセム!!
落ち目の活劇俳優と、彼に影のように寄り添う寡黙なスタントマンを主軸に、1969年のハリウッドが画面に蘇る。映画がTVに浸食され始め、通りを不穏な集団が闊歩する当時の雰囲気を再現しようとする監督、タランティーノのタッチは、愛情に満ち溢れていて、見ていてとても心地いい。それは、たとえリアルタイマーでなくても感じ取れるはずだ。実在するスターの意外な素顔、パーティシーンが醸し出す刹那的なムード、60'sファッション、人気のメキンカン・レストラン、車、整髪料、等々、登場する人物やアイテムが、映画好きは勿論、カルチャーに敏感な人のアンテナを刺激するに違いないからだ。また、この映画を見てロマン・ポランスキーとシャロン・テートについて調べてみたいと思う人もいるはずだ。狂気に巻き込まれた劇的に不幸なカップルのことを。それも含めて、これはタランティーノによる古き良き、もしかして、悪しきハリウッドへのレクイエムであり、同時にアンセムでもある。悲しいほどに無邪気で明るいシャロン・テート役のマーゴット・ロビーもいいけれど、前半は影が薄くて、後半俄然存在感を発揮し始めるスタントマン役のブラッド・ピットが、噂通り凄い。実年齢を超越しているマッチョな上半身を見れば分かる通り、彼はやっぱり究極のナルシスト。これほど俳優に向いている俳優はいない。是非とも、今後しばらくはこの生業を続けていって欲しいものだ。
とびきりと映画愛と共に、タランティーノの温かさと優しさが伝わって来る
セルジオ・レオーネの「ワンス・アポン・ア・タイム」シリーズを髣髴とさせるタイトルの一作が、彼を敬愛するタランティーノの手によって放たれた。両者のストーリーにさほど共通するところはないように思うが、ふと登場人物の思い出が脳裏を過ぎる瞬間、映像よりも音や声が先行して聞こえてくるあたり、細かなところで手法を踏襲している箇所もある。
とはいえ、本作の一番の見どころは落ち目のハリウッド・スターと、仕事がないのにジタバタしないスタントマン(モデルはバート・レイノルズとハル・ニーダムだろうか?)の腐れ縁とも言える絆だろう。レオとブラピが奏でる微笑ましいほどの関係性を見つめるだけでも最高の2時間半だし、今回のタランティーノは「弱い自分と向き合う者」への温かさと優しさが際立っている。そんな中、並行して描かれるシャロン・テートの日常がどう関わってくるのかにも注目。これ以上は口が裂けても言わないし、言えない。
つまらない
藤本タツキ、ルックバックのモデルになった映画と聞いて見てみたがつまらなかった。わたしの理解力がないのか何を言ってるのかよく分からなかったし何を伝えたいかもよく分からなかった。最後の30分ヒッピーに襲われるシーンはちょっとだけ楽しめた。結論藤本タツキ最高
鑑賞前に予備知識必須!
良くも悪くもタランティーノ監督の世界観たっぷりな映画でした!
本作はタランティーノ監督が子供の頃だった1969年のハリウッドの様子を、ほぼ全般で描いた作品となります。特にマシソン・ファミリーの事件を知らないと分からないことだらけになってしまうのでしっかり予習して臨むことがお勧め。
映画は161分でラストの数十分で強烈なタランティーノ節が炸裂でございます。当時の車や街の様子や服装、そしてヒッピー文化といったように、まさしく1969年の光と闇が描かれてます。
映画で中心になるのは、レオナルド・ディカプリオ演じる落ち目俳優リックとブラッド・ピット演じるスタントマンのクリフの友情を描いています。ちなみに二人は初共演みたいです。もう、映画の9割がたは二人の渋い演技を楽しむ映画なのです。なので、ファンにはたまらない作品となります。
タランティーノ監督が、この映画でどうしても描きたかったこと。それは女優のシャロン・テートでした。現実は、残念ながら惨殺されてしまいましたが、監督は彼女が生き生きと人生を楽しんでいるところを見てほしかったと言ってます。劇中では、彼女が笑顔で明るく楽しんでいるシーンが沢山出てきますし彼女の魅力がたっぷり描かれています。演じるのは、マーゴット・ロビーですが、いやほんとに似ている!そして美しいです。まさに監督有言実行です!そこにはシャロン・テートが生き生きと人生を楽しんでいる様子が映し出されていました。
劇中には、ブルース・リーも出てきます。なんで出てきたんだろうと思ってましたが、後で調べるとシャロン・テートやロマン・ポランスキーと深いつながりがあったんですね。そこまでは私も知らなかったですので、映画観る前にブルース・リーとの関係も調べておくと面白いかもです。
俳優といえば、何気にものすごいビックスターも出演し大変豪華な顔ぶれです。しかもチョイ役でしか出ていなかったりしますので、映画を観ながら見つけてるのが面白いかと思います。私は出演している俳優を事前に見てなかったので、あ!アル・パチーノやカート・ラッセルや!って心でつぶやきながら楽しんで観てました。
そしてやってくれますタランティーノ監督!ラストの数十分で大爆発!!!これですこれです、タランティーノ監督が描く世界は!実際、映画観てもらって体験してもらった方がいいかと思いますので多くは語りませんが、この感覚は、同監督作品の『デス・プルーフ in グラインドハウス』でも体験した感覚でした。いわゆる静から動へガツン!って変化する感じです!
ただ、この映画は恐らく万人受けしないだろうなって思う映画でもありました。
私は好きな映画でした
元になった事件のことを調べてから観ました。
最後に結構ショッキングなシーンがある割には、それ以外の部分がずっとほのぼのしている印象。
むかしむかし、から始まって、本当にめでたしめでたしで終わるような物語。現実はそんな風に終わっていないのがこの事件なので、全体を通して感じるこのほのぼの感はあえて強調されてるものなんだろうなと感じた。
1番印象に残ったのはやっぱり犯人たちをぶちのめすシーン。コミカルだけどちゃんと残酷で見ててスカッとする、丁度いい塩梅でさすがだなあと思った。レオ様は避難したのかと思いきや火炎放射器持ってきてめちゃくちゃ笑いました。自分がもし大切な人を理不尽に亡くした体験をもっていたら、きっとこの映画を見てめちゃくちゃ泣いて最後は笑って、こんな映画を作ってくれてありがとうと思うだろうなと思った。
シャロンが自分の映画を観に行って楽しそうにしているシーン、守られたのはああいう日常なんですね。あのシーンも好きでした。
こんなことができるのがやっぱり創作者はいいですね。観てよかった!
率直に言って期待はずれ
まずディカプリオとブラピを起用したことについて疑問を感じた。別に彼らじゃなくてもよかったんじゃない?確かに、ディカプリオの演技は素晴らしい。劇中劇のシーンで、セリフをとちる演技は、どこまでが演技かわからないほどで、子役の女の子との絡みはずっと見ていたいほどに相性がいい。
でも、彼がこの映画に残した足跡はそこだけ。プールにぷかぷかと浮いていただけで、恐怖におびえるでも、命がけで戦うでもなく『ジャンゴ』の時の怪演は見られない。
ブラピに至ってはそれに輪をかけて存在感のないスタントマン役で、腕っぷしに自信があること以外取り柄がない。
この二人が組んだことで『イングロリアス・バスターズ』と『ジャンゴ繋がれざる者』という大傑作をもう一度!という期待感が、これでもかとばかりに膨らみ切っていた。それなのに話題は、「時代背景を忠実に再現している」とか「売り出し中のブルース・リー」とか「シャロン・テート役のマーゴット・ロビーにセリフの少なさを質問した記者にタランティーノがキレた」みたいな、本編と関係のないものばかり。
ついでに言えば、字幕の担当は個人的にファンの松浦美奈さんだった。
これ以上ないほど自分好みの条件がそろった映画だったのに。結果は、何とも後味の悪いスッキリしないものに仕上がってしまった。
タランティーノは、本当に「10作撮ったら引退」するつもりなのだろうか?これが9作目になる。最後の一本はもう見たくない。出来がひどいことが今から予想できる。
最後に、何がダメだったのか一つだけ書いておく。
お話が、つまらなすぎる。
シャロン・テートが隣に住んでいる必要性なかったし、あたかも、当時の殺人事件の顛末を追ったような演出も…無関係だったし、クスリでトリップしたヒッピーが不法侵入し、同じくトリップした状態のブラピと飼い犬がそれを撃退するということだけ。映画の中で起きることといえば、本当にこれだけだ。
長いけど飽きない作品
タランティーノなのに、とても暖かい作品でした。
友情や挫折など感情表現が豊かに描かれ、古めかしい世界観という事もあって飽きずに見ることができた。
最後の事件もタランティーノらしくダイナミックで面白かった。
キャラクターに愛着が持てた作品だった。
ドックフードをボテッと落とすシーンが印象的だった。
また、解説動画を見るとその光と闇や、殺人事件の史実などもわかりより一層楽しめる仕様になっている。
かっこいい二人を眺めているだけの映画
最後だけおもしろかった
場面の切替やBGMはタランティーノそのものでしたがつまりどうしたいのかいまいちピンときませんでした。
タランティーノ映画は吹っ切れてないと面白くないです
かっこいい二人を眺めているだけの映画
感想メモ
ブラピとディカプリオの初の共演作
スタントマンにしては似てなくないか
落ちぶれたとはいえ元スター俳優の裕福な暮らしとスタントマンのキャンピングカー暮らしがかなり対照的に表現されている、スタントマンって給料どれぐらいなんだろうな
俺はリック・ダルトンだと演技で魅せるシーンはカッコ良過ぎて泣いた、ハリウッド俳優としての意地とプライドを感じたね
天才少女ちゃんかわいい
実際に、カルト教団がシャロン・テートというハリウッド女優を殺すというショッキングな事件があったらしい
ラストはそれに対するアンチテーゼというか、やり直しの物語
鑑賞時はその事件のことを知らなかったので、今まで話すこともなかった隣人が野次馬根性で話しかけに来たな〜、程度にしか感じなかったが、その背景を知ると、シャロンに会いに行くというラストは必然であると思う
カルトヒッピー達とのバトルをコミカルに表現しているのも意図を感じる、火炎放射器で丸焼き
迫力満点
オシャレなものだらけ。
クルマも服もBGMもちゃんと1960年代。
ブラッド・ピットがカッコ良かった。
レオナルド・ディカプリオの魅力も引き出されていた。
8歳の俳優も良かった。
ダコタ・ファニングの出演も嬉しい。
【暴力で現実を捻じ曲げるIFの物語】
最近映画鑑賞が趣味になった自分としては、ブラピとデカプリって共演してなかったの?!と、先ず驚きました笑。
このスター二人の共演を実現させてくれたタランティーノ監督に、大袈裟に脇を上げた敬礼を送りたいです!
無知を晒し恥ずかしいばかりなのですが、この映画を鑑賞するまで、シャロン・テート事件について、なんの予備知識も御座いませんでした。なので、僕のように事件の詳細自体を知らない人からすると、「ずっとなんの話しをしているんだ?」という意見になるでしょう。
そういう方々には、鑑賞後、僕のように解説動画をYouTube等で見る事をお勧め致します。作品への理解度がグッと上がり、作品への向き合い方も変わる事でしょう。
やはり、タランティーノ監督はキャラクターを描くのが非常に上手ですね。この映画の主演と助演の『リック・ダルトン』と『クリフ・ブース』。この二人がとても対照的に描かれていたのは、一目瞭然です。
華麗なる功績をTVシリーズに残し、良くも悪くもその過去が、現在の自分の俳優人生にまで尾を引いている『リック』。兵士としての役目を終え、スタントマンとして第二の人生を謳歌する『クリフ』。二人とも過去に素晴らしい業績を残しているが、二人の間には、過去に柵が有るか無いかの対比があると、僕は考えています。
序盤で『リック』を高級そうな車で送る『クリフ』。豪邸の前にある坂も緩やかに、丁寧に登ります。その後は『クリフ』がオンボロな私有車に乗り換え、豪邸前の坂を勢いよく、乱雑に降ります。
ここのシーンは凄く印象に残りましたね。
自分の持ち合わせている語彙力では細部まで表現出来ませんが、親友であり、そしてボスでもある『リック』を丁重に扱う、『クリフ』のプロ意識が伺えた瞬間でもありました。
二人から醸し出される渋い漢のフェロモン。内容を理解していなかろうが、この雰囲気だけでも溺れてしまえるくらいに、ブラピとデカプリの相棒劇は最高でした。
《何故このようなIF物語を作ったのか》
現実で起きたシャロン・テート事件も、創作物に敵対心を持ったヒッピーが事件を起こします。今作で起こる事件も同じ理由です。ですが、結末が違う。
今作はそんな悲しい事件を、創作の力を使って、血で塗り替えました。過激な暴力シーンが苦手な方や、現実世界に重きを置いている方等は、酷く避難される事でしょう。
しかし、完全に個人的な意見ですが、これこそが映画の真髄だと、僕は思います。
悲しい事件や、自分の身に起きた散々な出来事。それを創作物で気を晴らす。現実では暴力はしてはいけない事だけれど、創作にはそんなルールありゃしない。
このタランティーノ監督の姿勢に、僕は非常に感銘を受けました。
殺人や暴力をコミカルに描く“タランティーノ節”は強烈なもので、それまで真剣に見ていた僕も、ラストシーンでは思わず笑ってしまいました。
ヒッピー文化に対するアンチテーゼ。映画文化を肯定するタランティーノ。現実と創作を同じ世界に閉じ込める人々を好ましく思わない僕からすると、今作のハチャメチャにぶち壊すその様は、非常に見応えがありました。
なーるほどね
今日は平日休み
年を取ると休みと言っても、ゆっくり眠れず
いつもの時間に起きてしまう…
そして今日は激暑なので、ゆっくり家で映画を鑑賞。早めに起きたので長尺のこちらにした。
元々、こちらは公開時観に行くか悩んだ作品
ブラピ様やディカプリオ様が出演しているけど
SFでもなければ、ミステリーでもないし、
それに長尺過ぎる
と言うわけで観に行かなかったしだい。
皆様のレビューで事件の事は予習しておいた方が良いとの事で予習済み
予習しなければ意味合いが全然違いますね。
内容はやはり、SFやミステリーでもないので
好みではないですが、
お二人がとてもチャーミングでした。
予習しなくてもすごい面白かった
映画オタクが推す、
タランティーノのパルプフィクションを何気に見た数ヶ月前のこと。
その時映画を1週間で10本見たけど、
1番面白かったのがパルプフィクションだった!
ということで、もうひとつ見てみようと、
この映画を観た。
面白すぎて目が離せず、
やはりパルプフィクションを見た後の満足度を
得られた。
わたしは映画オタクじゃないので、
タランティーノが映画オタクでいろんな映画をパロディってるってことはきいていたけれど、何をどう、そうしてるのかなど、いっっさいわからずにみた。
ジャッキーチェーンしか気がつけませんでした笑
でも、そんなわたしでも、
そして眠い時間に見たのに目が離せなくて、、
タランティーノすごく好きなのかもと思った。
最後の終わり方もすきだし、
終わりの前の修羅場はすごすぎて1人爆笑
俳優たちがみんな魅力的にみえるのも監督の影響なのか否か。
他のタランティーノの映画もみてみようと思った。
最終的には大騒動の顛末
レオナルドディカプリオ扮する悪役俳優リックダルトンのスタントマンをブラッドピット扮するクリスブースが務めていた。リックは落ちぶれた現実を知り涙を流した。
レオナルドディカプリオとブラッドピットの共演作なのにどこか乗れない脈絡の無さが気になるね。俳優とスタントマンは一心同体の様な間柄だとは分かったけどちょっと退屈だね。
なるほど落ち目を日々受け入れねばならない現実。いろいろと匂わせて来るシーンはあるんだけどね。まあ最終的には大騒動の顛末で、それなりに楽しませてもらったよ。
底抜けに明るい画面と、切なさに満ちた二人
「シャロン・テート事件のことがわかれば面白く観られる」みたいな言説は、全くもって根拠のない妄想だね。なぜなら知ってても特に面白い事はない。ラストシーンくらいかな、意味があるのは。
むしろ1960年代のハリウッド映画をこよなく愛する気持ちが重要。特に「ローズマリーの赤ちゃん」を観ていた方が、思うところはあるのかもしれない。
私自身は、1960年代なら日本の時代劇の方が好きだ。洋画にも名作とされてる作品は多いけど、残念ながら懐古主義ではないので、今の方が面白い映画・魅力的な映画は多いと思う。
というわけで、作品の前半でノスタルジックな想いに浸れる訳もなく、相変わらずスタイリッシュな絵作りには惹かれるものの、特に面白いとは思わなかった。
ようやく面白いかも、と思ったのはスパーン牧場のシーンが完全にクリフをヒーローに見立てた西部劇だったあたりである。
それでも最後まで観ていられるのは、レオナルド・ディカプリオとブラッド・ピットの持つ圧倒的な「存在感」と、タランティーノがこだわりにこだわり抜いた美術ワークの素晴らしさ。この二点だろう。
めっちゃクオリティが高いから、面白いと感じなくてもダレずに観ていられるのは、良いことなのか悪いことなのか。
エンディングのマンソン・ファミリー襲撃は、クリフがLSDで見た幻覚である!と私は見ている。「シャロン・テートを救ったタランティーノのパラレルワールド」という意見もポジティブで良いと思うけど。
安物のLSDで見た安物の夢。その夢の中では、表舞台に立つことのないクリフは紛れもなくヒーローだった。
リックにも感謝されるし、ポランスキーとの交流から再びスクリーンでリックが輝くようになれば、まだまだ仕事も続けられるかもしれない。
そんな安物の夢でも、リックと二人、映画の中で活躍したいと願うクリフは可愛らしくも思えてくるのだ。
2回目の鑑賞。 出鱈目ならここまで出鱈目であってもらいたい。 でも...
2回目の鑑賞。
出鱈目ならここまで出鱈目であってもらいたい。
でも、水死事故って確か
『ナタ◯◯◯ウッド』で1981年だぜ。
シャロン・テート事件は覚えているが、良し悪しは別にして、1969年の夏は『月面着陸』に西側諸国(?)は湧いていた。
言うまでもなく、ポランスキーの門は開かなかった訳であり、アメリカ版『異人たちの夏』である。
『ヘルタ◯◯スケルター』を登場させないで、アメリカのサブカルとメインストリームをぶっ壊したって感じかなぁ。
僕はこの頃、アメリカへは行っていないので、この頃のアメリカ文化をテレビとか映画でしか知らないが、B級か退廃的な感じだった。そう記憶する。アメリカのニューシネマをサブカルと捉えれる事には賛成するが、ベトナム反戦から来るヒッピー文化からだけではないと思っている。つまり、この時点でアメリカの文化は戦争に関係なく、枯渇していると考える。それは何時からだ。1950年代初頭だと思っている。つまり、ビング・クロスビー、ジーン・ケリー、ジュディー・ガーランドの全盛は既に終わっている。そのつまらなくなった退廃的なハリウッドの姿だと思う。だから、ポランスキーの家の門が開く時。何故か涙がこぼれてしまう。
追記
イ◯ストウッドさんは使わずにマックウィ◯ンさんを使うのはやはり忖度かなぁ?
イ◯ストウッドさんとタランティ◯ノさんには共演、共作してもらいたいと思うけどねぇ。
余談だけど、この頃の日本人でいちばん有名な名前は『カトウ』だった。はずだ。『グリーン・ホーネット』と『宇宙大作戦』
でも、『宇宙大作戦』の『カトウ』は日本版だけだったかなぁ?
いずれにしても、映画の地盤沈下はTVの影響だと思う。
そして、今、TVをPCが凌駕して、AIだのCGだのと物事が全て『イット』になっちまってる。
『勝つか負けるか』しか無いスポーツを担ぎたす羽目にまで文化が沈下して、感情が二進法になってしまっている。一か八かじゃなくて、ZEROかONEの賭け事と同じだよね。作られる映像は『泣けるか』『ハラハラするか』だけ。
そうだよ。
BETばかりしてないで、たまにはBATを振らなけりゃ、
「フランク・シナトラ」さんと
「ジーン・ケリー』さんが泣くよ。
午後3時07分
午後5時33分
なんか早く鑑賞が終わったと思ったら、1.2倍速で見ていた。
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