ホーム >
作品情報 >
映画「大人のためのグリム童話 手をなくした少女」 大人のためのグリム童話 手をなくした少女
劇場公開日:2018年8月18日
解説
19世紀初頭に書かれたグリム童話に初版から収録されている民話「手なしむすめ」を長編アニメーション映画化。フランスの新鋭セバスチャン・ローデンバック監督が、ひとりですべての作画を担い、「クリプトキノグラフィー」と呼ぶ独特の映像表現手法でアニメ化した。世界最大のアニメーション映画祭として知られるアヌシー国際アニメーション映画祭で、審査員特別賞を受賞。日本でも東京アニメアワードフェスティバル2017で上映され、長編アニメーショングランプリを受賞している(映画祭上映時タイトル「手を失くした少女」)。貧しい生活に疲れた父親によって悪魔に差し出され、両腕を失った少女は、家を出て放浪する。不思議な精霊の力に守られた娘は、やがて一国の王子から求愛を受けるが、悪魔が娘と王子の仲を引き裂く。娘は生後間もない子どもを連れて王宮を後にするが……。
2016年製作/80分/フランス
原題:La jeune fille sans mains
配給:ニューディアー
スタッフ・キャスト
全てのスタッフ・キャストを見る
2018年8月27日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館
映画を観て驚く時、2種類の驚きがある。内容への驚きと「こんな表現の仕方があるのか!」という手法への驚きだ。映画の歴史もそれなりに積み重なり、さすがに最近は手法自体に驚くことは少なくなっていたが、これは久々に手法そのものの驚かされた。
クリプトキノグラフィーと監督が独自に名付けたその手法は、一枚一枚の絵はところどころ線が欠けていて不完全だが、それらの絵を連続させることによって初めて完成した絵が浮かび上がる。欠けた部分をそれぞれの絵が補うことで、人物が浮かんでくる。
一人で長編を作るためにデッサン量を減らすことにしたことから生まれた手法だという。
日本のアニメは作画枚数を減らすことで作業効率を確保したが、この監督はデッサン量を減らすことで効率化を図った。結果、効率だけでなく独自のテイストのアニメーションを生み出した。
映像が絵の連続であるからこそできる、新しい絵の描き方だ。
ネタバレ! クリックして本文を読む
映画.comのレビューには「印象」のアイコンがいくつも用意されているが、恥ずかしながらこの映画の印象を、三つ選べるとしても、何かに限定することができない。しかし、この映画には本当に心を揺さぶられたし、単純なようでいて奥行きがあり、時に官能的なビジュアルに魅せられずにいられなかった。
「クリプトキノグラフィー」という監督が編み出したアニメ手法については、ネット検索すると多くの記事が解説してくれている。専門的なことまではわからないが、とにかく最小限の線だけで、こんなに豊かな世界が作れること、残酷さも美しさも等価に描けること、作品を味わうのにいささかの不便も感じなくなったことに驚いた。誰にでもできることではない。本当に絵を動かせるひとだからこそ成し得た省略なのだろう。
そして、原作であるグリム童話から逸脱していくラストに込められた「解き放たれてどこまでもゆけ!」という想いに心底感動させられたのです。
2020年1月13日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:VOD
全てがリアルに描かれる日本のアニメとは対象的な作品でしたが、登場人物の感情や表情が凄く良く分かる作りでした。アニメーションは抽象的なのに、不思議です。音や動きなのでしょうか?とても芸術的だったのと哲学的だったので、セバスチャン監督の作品をまた鑑賞したいです。
そのような冠言葉をつけないとクレームがくるか。童話や伝承、昔話は時にグロいもので、加筆修正の歴史かもしれないが、本作はそういった流れと真っ向対峙する。残酷描写も性も穢れも示してくる。
どこで一旦停止しても絵になる絵本の世界観。省略やデフォルメで成り立つ表現手法。見えない意味をこちらであれこれ想像や解釈で肉づけするところに価値がある。色彩的な意味づけや模様、極端ですらあるカット割り、何かデフォルメされていてよくは見えないが、どうもこのようなことが進行しているようだと思わせるような表現、残像として頭に残る絵の数々、アニメーションでできることを追求してくる。
アニメが良いか絵本が良いか。その疑問は残る。