アンダー・ザ・シルバーレイク : 映画評論・批評
2018年10月2日更新
2018年10月13日より新宿バルト9ほかにてロードショー
この映画の謎とは、このわたしの人生そのものなのではないか?
予告編には「ヒッチコックとリンチが融合した『ラ・ラ・ランド』だ!」というコメントが載っていた。だが映画ファンならもっと別な名前を言いたくなるかもしれない。観ているうちにあの映画この映画と、かつて観た映画を次々に思い出すかもしれない。いずれにしても、映画がなければ作られなかった映画であることには変わりはない。アメリカ映画の偉大なる記憶をベースにして作られた、ダークなミステリー。
冒頭の数分、呆れるようなシーンが連続する。空から降ってくる動物の死骸、パーティでの喧騒、ドラッグ、タバコ、セックスなど、明るいファミリーの皆さんのためにはこの映画は作っていませんよと宣言しているとしか思えない、そんな製作者からのご挨拶である。ハリウッドの最新の技術と多大な資金とをつぎ込んで、でもこれはあくまでも個人映画であることを、あっさりと、でも決定的な形で告げるのだ。こんなシーンを冒頭にもってくる監督はまともじゃない。誰もがきっと、そう思うだろう。
だが、その徹底ぶりがいつしか「個人映画」の殻を溶かす。謎の顛末は強引かつ緻密に、主人公の視線に限りなく寄り添って語られる。ロサンゼルスの表と裏を主人公はさまよい歩き、走り回る。気がつくとわたしも、主人公を演じるアンドリュー・ガーフィールドのあのねじれた歩行と走行と一体になっている。なんということか、わたしが観ているのは明日をもしれぬ人生にあたふたするこのわたしの姿なのではないか? この映画の謎とは、このわたしの人生そのものなのではないか? そんな想いも頭の隅をかすめつつ、今目の前で展開されるあれやこれやに目をみはるばかり。さまざまな映画の記憶や様々な人生の記憶が入り混じり、あらゆるものが鮮明にそこにあるにも関わらず、すべてが謎に包まれている。ああ、映画を観るとはこういうことなのだ。この感じ。答えはない。そこには巨大な疑問符が浮かんでいるだけなのだ。その周りをいつまでも歩き続けていたいと思う。
(樋口泰人)