グッバイ・ゴダール! : 映画評論・批評
2018年6月26日更新
2018年7月13日より新宿ピカデリーほかにてロードショー
毒のある描写の端々から感じられる、フランス映画激動期への憧れ
ジャン=リュック・ゴダール。言うまでもなく「勝手にしやがれ」や「気狂いピエロ」で見せた即興演出や同時録音が既存の映画手法をぶち破った“ヌーベルバーグ”の旗手である。でも、「アーティスト」でアカデミー賞に輝いた同じフランスの監督、ミシェル・アザナヴィシウスは、母国映画界の伝説的アイコンを敬うでもなく、むしろ、そのちょっと恥ずかしい素顔を暴露しながら、フランス映画がまさに波のようにうねっていた時代の空気を画面に再現する。
1967年。ゴダールは悩んでいた。映画界に旋風を巻き起こした勢いはすでになく、次に何を撮るべきかが決まらず迷走していた彼の前に現れた新しいミューズ、アンヌとの恋に、彼女の若い肉体にのめり込んでいた、とアザナヴィシウス(脚本も兼任)は描く。当時ゴダールは37歳でアンヌは19歳。微妙な年齢差ではある。そろそろ老いを感じ始めた映画監督と、とても純粋な駆け出し女優の恋愛風景は、かなり生々しい。ゴダール・ファンのために詳細は控えたいくらいに。
ゴダールの迷走ぶりは、1年後、パリで起こった反体制運動、いわゆる“5月革命”に影響されて、さらにめちゃくちゃになって行く。今、映画が取り上げるべきは政治なのだ! 恋愛はトリュフォー(“ヌーベルバーグ”のライバル)に任せるのだ! と言い放ちながら、やっぱり、アンヌが他の監督と仕事すると聞くと、嫉妬に狂うゴダールなのだった。
映画の基になっているのは、アンヌ本人、つまり、女優アンヌ・ヴィアゼムスキーの手記だから、概ね事実に沿っているのだろう。そんなお墨付きの下、天才監督の私生活とその素顔に肉薄する映画は、事実とフィクションの割合はさておき、後に長く語り継がれる名匠を生んだ時代の混沌を、だからこそ夢と可能性があったフランス映画激動期への憧れを、毒のある描写の端々から感じさせる。
今年87歳でまだギリギリ現役のゴダールが、去る5月に開催されたカンヌ映画祭に新作を出品し、スマホのFaceTimeを使った画期的な記者会見を行ったのはご記憶のはず。そんな風に今も新しいことに挑戦し続けるゴダールにとって、過去の自分を扱った映画なんて興味の対象外だったらしく、「愚かな、実に愚かなアイディアだ!」と一蹴。アザナヴィシウスはそれをオリジナルポスターのキャッチフレーズに流用。まさにフランス人の手加減しないエスプリの凄さを物語る、新旧監督の攻防ではないか!?
(清藤秀人)