旅のおわり世界のはじまりのレビュー・感想・評価
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前田敦子が素晴らしい
ウズベキスタンについてよく知らなかったので、楽しみにしていた。どこまでこの国について知ることはできたかは怪しいが、主人公もまた異国の地を知らない人物であるから、主人公と同じ目線で映画を堪能できた。
テレビ番組のロケ一行は珍しいものを探してウズベキスタンをさまよう。幻の魚を求めて人工的にできた湖を訪ね、移動遊園地で乗り物体験するなど、よくあるレポート番組のロケ風景は何か空虚さを感じさせる。前田敦子演じる主人公が、道に迷った途中で見つけたヤギを放してやろうと提案する。むやみに現地の生活に踏み込むべきなのだろうかとも思うが、あれはなんだったのだろう。ミュージカル女優を目指している主人公が劇場で突然歌い出すシーンと大自然背景に「愛の讃歌」を歌うシーンは見惚れる。前田敦子はとても絵になる女優だなと思った。テレビで彼の危機を知るシーンは、『ニンゲン合格』を思い出した。
モヤモヤ
ウズベキスタンの人の良さは伝わるけど、偏見のようなものがあちこちに感じられる。女性リポーターの行動があまりにも突発過ぎ。襲われない方がおかしいじゃん。また撮影クルーの無計画さにもビックリ。イッテQ等でもこんな訳ないでしょと突っ込みたくなる。
そして何よりも、この歌を前田さんに歌わせるのは酷。
色んな口コミで、この映画の評価が高いのが不思議なくらいです。
黒●清監督って誰?架空の悲劇はルール違反。演出家として最低
女性ではなくて子供でしょ?
ウズベキスタンの言葉の字幕はなぜ出ないのだろう?
架空の企画でブラックなんだろうが、この映画自体がブラックな映画と感じるが。
サマルカンドやウズベキスタンまで行って『ヤギを開放する』って発想が貧困。ヤギなんて繁殖力が高いどこにでもいる害獣。だし。何も無い所でヤギ死んじゃうよ。
バイコヌール宇宙基地へロケットの発射を見に行く予定だった。でも、ロシアとウクライナの争いで渡航出來なかった。カザフスタンだけど、打ち上げるロケットはロシア製で駄目みたい。
高い経費使ってタシケントやサマルカンドへ行かぬとも葛西や横浜や霞ヶ浦辺りにセット組めば綺麗な景色取れたと思うけど。それに役者さんなんだから、もっと台詞を入れて、元歌手何だからウズベキスタン語で歌うとか、やっぱり、引退した元AKBを複数人出せば良い作品になったんじゃないだろうか?元AK●のミュージックビデオで良いと思うけどなぁ。誰だか分からない男優よりも可愛い元A●Bの方が良い。可愛いいは差別じゃない。ヒゲはやしたダサい男はいらない。それは差別である。
柄●明さんのせがれさんなんだ。親の七光りなんだろうが、こんな映画に出る為にタシケントまで行かないとお金稼げない!なんと可愛そうな役者さんたち。
僕的には
前田さんをセンターに据えてウズベキスタンで『恋のフォ●チュンクッキ●』が見たかった♥あの手作り感覚のダンスで。若しくは現地のウズベクの人達に踊って貰うとか。発想できないかなぁ。
ウズベキスタン旅行気分で鑑賞。
地味な話だし大きな起伏はないが、ウズベキスタン旅行気分で観るのがおすすめ。
背景の美しいモスクやバザールの街並みを見るだけで楽しい。
異国で言葉が多少通じなくても、現地の人々がいい加減に見えても、そこには彼らなりの生活や正義がある。
遊園地のシーンは実際の撮影も過酷だったと思われる…レポーターも女優も大変なお仕事だ。
撮影において葉子を労わるのが普段はいい加減(に見える)な現地の方というのも人権や健康を軽視しがちな日本のテレビ局の労働状況をよく表している。
前田敦子さんの演技は悪くないが、もうちょっと歌唱力のある人を起用してほしかったなと思うのが正直なところ。
この脚本で前田敦子主演には無理があったのかも
正直、期待はずれ。前田敦子のTVレポーターぶりは板についてる感じで、通常との落差をつけた演技も悪くは無いと思うし、唄だってまあ下手では無いのだが。また、他の出演者である加瀬亮、染谷将太、アジャス・ラジャポフもそれなりの良い味を出していたのだが。
結局、このシンプルなストーリーの映画を成立させるのに必要と考える圧倒的な歌唱力、主演女優としての魅力やオーラが自分には感じられなかった。ただ前田敦子の主演が前提ということである様なので、脚本の捻りや工夫が足りないということとが言えそう。ロケーションは珍しく興味は持てたが、折角のウズベキスタン全面協力も物語に十分に活かせていない印象。
残念ながら前田敦子歌唱では得られなかったが、エンディングのタイトルバックでの神埼悠美・バイオリン、高木理枝子・ピアノによる「愛の讃歌」には、感動させられた。
黒沢清・脚本監督の2019年公開の日本・ウズベキスタン・カタール合作映画。音楽は林祐介、撮影は芦澤明子、編集が髙橋幸一。配給は東京テアトル。
出演は、前田敦子、染谷将太、柄本時生、アジャス・ラジャボフ、加瀬亮。
海外情報番組の裏側。
ウズベキスタンを舞台に、テレビ番組のレポーターの
仕事ぶりをドキュメンタリータッチで綴った映画。
テレビに映らない裏の部分は、こんな感じなんでしょうね。
派手な展開もなく、淡々と進んでいく作品でしたが、
興味深く、退屈せずに見ることができました。
主人公は、あまりかしこくないって、設定なんでしょうか。
無謀な行動の連続に、少しイライラ。
現実では、こういう人間は、レポーターなんて
つとまらないでしょ。
あと、前田敦子さんが、歌うシーンが出てきますが、
あれはいらないんじゃあないかな。特に、1回目の妄想シーン。
ファンにはいいだろうけど、これじゃ彼女のプロモーション映画みたい。
ウズベキスタンのことは嫌いにならないで下さい
カンヌ監督黒沢清×元AKBセンター前田敦子in ウズベキスタン
歌手志望のTVリポーターが主人公で前田敦子
加瀬染谷柄本はテレビ番組スタッフ役
あとはウズベキスタン人の皆さん
ウズベキスタンにクレイジージャーニー
言葉の壁の問題にぶち当たると僕はいつも子供の頃に読んだ聖書の絵本に登場する神が破壊したバビロンの塔を思い出す
短期滞在なので現地の言葉が殆ど喋れないのは仕方がない
だが現地の実情を事前によく調べもせずに思いつきで「行っちゃえ行っちゃえ」のノリで海外へ取材に行くTV局関係者に呆れる
当然うまくいかないのでスタッフのイライラは募る
茹でたてのほうれん草を水道水で冷まして水を切り醤油をかけて食えとそのまま出された感じの自然な作品
ドキュメンタリータッチではないが特にこれといって手の込んだ演出は感じられない
B'zが若い頃にニューヨークで敢行した『film risky』の要素は全くないので前田敦子のPVとは思えない
カンヌ受賞作はつまらないという意見はよく目にする
だからこそカンヌをとるような監督の作品はつまらないということになる
観客の多くは所詮ド素人だがカンヌの審査員長は芝居の玄人でしかも超一流のセレブなので当然視点が違って当たり前なのだ
日本の常識は世界の非常識
または世界の非常識は日本の常識
アメリカでは即戦力を求められるが日本は未経験の素人を熟練されたベテランに混ぜて育てていく方針
下手くそがだんだん上手くなっていく過程を日本人は楽しんでいる
その対象になっている1人が今回の作品で主演を務めた前田敦子
何故あの辺りの国々はスタンが多いのか
ソ連が崩壊して独立国として一気に増えた
スタンといえばスタン・ハンセンだが関係ないのか
ウズベキスタンの大自然で『愛の讃歌』を歌う前田敦子か良かった
エディット・ピアフや越路吹雪の方が良いに決まっているがそういうことではない
前田敦子の代表作といえる
ウズベキスタンの街を前田敦子がリポートするロードムービー。 大小様...
ウズベキスタンの街を前田敦子がリポートするロードムービー。
大小様々なトラブルがありながら進んでいく。
途中、前田敦子が突然劇場で歌を歌いだすシーンがあってのけ反ってしまったが、結構上手かった。
前田頼みのアイドル映画ではなく、きちんと演技できているのは高評価だ。
【”貴方たちはウズベキスタンの事をどれだけ知っているんですか?”異国の地で日本流儀でTV番組を撮影しようとしたクルー達が経験した戸惑いと、見出した新たな世界を抑制したトーンで描いた作品。】
ー中央アジア、ウズベキスタンで”幻の怪魚”を探す日本のTVクルー(染谷翔太、加瀬亮、柄本時生)とリポーターの葉子(前田敦子)。
だが、異国の地で日本流の仕事の進め方は通用せず、徐々に焦りを募らせる。
葉子も、倦怠感を募らせ、見知らぬバザールに自らカメラを持って出かけ、彷徨いながらも、”ナヴォイ劇場”に辿り着き、夢と現実が交差する不思議な経験をする・・。-
■黒沢清監督の作品は、不思議な余韻を齎してくれる作品が多いが、今作はその中でも異色の作品。
-ウズベキスタンとの国際交流25周年を記念した共同作品という位置づけもあるだろうが、日本流儀を押し通そうとする染谷翔太を始めとする日本のTVクルー達のある意味、無礼な態度に対し、ウズベキスタンの人々が自分たちの流儀は曲げないが、優しく描かれる。-
・作中の人物で、プライベートも含めて最も迷える人物が前田敦子演じる葉子であろう。彼女が異国で言葉も通じない閉塞感の中、偶然辿り着いた”ナヴォイ劇場”で、自らの夢である歌手として、「愛の讃歌」を歌い上げるシーンは幻想的でもあり、印象的な場面である。
<葉子が異国で様々な出来事や東京に残してきた恋人を案じる中、徐々に自身を見つめ、本来の願望に目覚めていく過程は唐突な感もあるが、印象的なシーンでもある。>
簡単な英会話くらいは身につけなきゃ・・・と思った
ユーラシア大陸のど真ん中にあるウズベキスタン。ロシア語のような雰囲気もあるが公用語はウズベク語。歴史をみても、イスラムやモンゴル帝国に占領され、やがてはロシア、ソ連に組み込まれていった国。サマルカンドなんてまさにドラクエの世界・・・
怪魚探しがメインであろうTV番組のクルーたち。劇場の中の壁の装飾なんて「うちの番組はそういうの求められていない」と片づけられるし、ふしぎ発見やなるほどザ・ワールドとは違い、深夜枠のマニアックな番組なのだろうか?敗戦後の日本兵の話なんて興味深いところなのに。
中心となるのは葉子役の前田敦子なのですが、撮影隊は加瀬亮、染谷将太、柄本時生という豪華な布陣であり、彼らは裏方に回っても演技力抜群だ。まぁ、前田敦子あってこその作品だろうし、レポートする中身も面白いものじゃない。裏金使って協力してもらうというのはヤラセ番組の皮肉としかいいようがないのです。
全体的にドキュメンタリー風の成長物語なのですが、黒沢清がそこで終わるわけがない。終盤の展開には異国の中での疎外感や言葉の通じない恐怖が感じられる。彼女の恋人が東京湾の消防士をしていることも不安定要素の一つであり、男が多いバスの中や暗い路地なども恐怖感を煽る。それでも彼女自身の懸命に生きていくことがそのままタイトルの“旅”であり、ウズベキスタン人の優しさに気づくことが“はじまり”でもある。
不思議な感覚に陥る劇場にも生きていることの喜びを感じるし、ラストの「オク」によって繋がっていることの満足感が得られる仕組みになっていた。ただ、「愛の讃歌」ばかりじゃ飽きがくるなぁ・・・前田敦子好きの人なら満足だろうけど。
あくまで、映画に対する評価です。
前田敦子がウズベキスタンにテレビのロケに出かけたという映画です。
ストーリーは、メッタメタ。
最後まで、完成品のテレビ番組を観客が目にすることすら、ありません。
彼女たちが追っている(のか? とても本気には見えなかったけど……)幻の巨大魚というものにもお目に掛かれません。
あんなチャチな漁具で怪魚が捕れたりしたら、それこそ怪奇現象です。
このようにストーリーは破綻していて、期待をことごとく裏切ります。
前田敦子は扉を開けても閉めないし、思いつきで勝手に行動するし、席を譲られてもありがとうも言わずにムスッと座るし、人から何かしてもらってもまったく感謝もしないし、と、早い話、すんごく嫌な女を演じています。
もしもこれが彼女の本性でなく演技なのなら、きっと演技なのでしょう。
しかし画像の端々に「人としての本性」が漏れ出てくるのを感じ、私はわびしく観ましたけどね。
ミュージカルでもなかろうに、唐突に劇中で「愛の讃歌」を歌い出しますが、これが彼女の発声にも声量にもまったくマッチしておらず、音程も狂っていて、一言で言って惨めな出来ばえ。
この人が歌手であったことすら疑わしく、いたたまれない思いでいっぱいになりました。
というわけで、大ファンの人たちが★をたくさんつけてくれるといいですね。
これが巨匠だそうです
黒沢清監督はトウキョウソナタだけは良かったです。
そのほかの監督のしごとはすべて「細かすぎて伝わらないモノマネ」のようです。
なんかがあるのは、わかります。
ただし、その「なんか」が果たして巨匠の才能によるものなのか、弱点なのかが、わかりません。
ときどきものすごい短絡があります。
クリーピーでも予兆でも岸辺でも散歩するでもダゲレオでもリアルでも、その短絡を見ました。
なんて言ったらいいんでしょうか。
あぜんとする/絶句する/あっと驚く/拙いとしか思えない「省略」をやってくれます。
あるとき彦一は「怖くておかしくて悲しい話をしてくれ」とせがまれ「鬼が出てオナラをして死んでしまった」と話します。不平を言われると「鬼が出れば怖いだろ、オナラをすれば可笑しいだろ、死んでしまえば悲しいじゃないか」と釈明します。
鬼が出れば怖い/オナラをすればおかしい/死ねば悲しい──これらの直線的な表現方法が、黒沢清監督の映画に、たびたび出てきます。ただし、それが、なにかの含みなのか、まんまなのかが、解りません。ものすごく解りません。
たとえば散歩するで主人公らが教会に迷い込んだときおもむろに東出昌大扮する牧師が出てきていきなりコリント人への手紙を話すシーンがあります。あたまん中はてなだらけになります。
今回これを見て、黒沢清監督には無いと、個人的には決着しました。この監督は、トウキョウソナタを撮り得たわけですが、それは度重なるラックか、青天の霹靂のようなものだと思います。
愛の賛歌はジョークでもセルフパロディでもタイアップでもありません。監督は、かんぜんなる真剣度で愛の賛歌を選んでいます。「巨匠」の肩書きが、それを許していると思います。
舞台で歌うことを夢見る女性とか、山羊逃がすとか、びく落として引き上げて200㎝の魚捕まえるとか、コンビナートの火災とか、中学生の想像力が監督に憑依した感じ。
どうなっているんだろうか。
ムスリムたちの風景に一ミリもなじまない風体で世迷い言をぬかしまくるひたすら不愉快な女と、どこまでもAwkwardなできごとで成り立っている試練の映画でした。現実世界以上の気まずさが間断なく襲いかかってきます。
これを技巧や手法だと解釈するなら虐待も猫かわいがりであり、いじめも「おごりおごられるかんけいでいじめはなかった」ということになるんじゃないでしょうか。
おわりもせず、はじまりしない、旅のおわり世界のはじまりでした。
この監督は、元ネタのないご自身の妄想を真似ているのであって、そもそも「細かすぎて伝わらないモノマネ」ですらないということが、わたしにもようやく解りました。
あまつさえ、映画の拙さを許し得ても、他国で、醜態をさらしているのは、許せません。よそ様の生活圏をひらひらのスカートで闊歩しやがって。びくびくしながら街を歩きやがって。途上国を瞰下している先進国のつもりなのかなあ。
と・ん・で・も・ね・え・ぞ。
個人的に、今この国に、年毎でベスト10つけられるほどのまともな映画はそろわないと思っています。その証拠に、「巨匠」を入れとかないとマズいと判断した権威主義のキネマ旬報がこの映画を10位として、体裁を整えたわけです。
ちなみにひたすら同衾する映画が1位です。日本アカデミー賞では官房長官に23回質問した人の原案に基づく映画が作品賞です。なんでも花畑にする親の七光りカメラマンがわが国最先鋭の監督さんです。知らなかったわけじゃないですが、もう外国との対比ができなくなっている業界だとは思っています。
世界の果てで、自分のはじまり
黒沢清監督と前田敦子の3度目のタッグ作。
その内2作が主演で起用しているのだから、“現代のクロサワ”と呼ばれる鬼才が如何に女優・前田敦子を高く評価しているかが分かる。
自分もアイドル時代はさておき、女優としては惹き付けられる存在。『苦役列車』『もらとりあむタマ子』『イニシエーション・ラブ』『モヒカン故郷に帰る』『町田くんの世界』…。主演/助演問わず。
今もアンチ派には徹底的にフルボッコにされているが、その実力や魅力は着実に磨かれている。
本作も然り。
舞台で歌う事を夢見る葉子は、TVのバラエティー番組のレポーターとして3人の撮影クルーと共にウズベキスタンへ。
自分の本来の夢とは違う望まぬ仕事。ワガママ言って拒否はせず、要求されれば何でもやるが、少々投げやりイヤイヤ感が。
夢はあるものの、本気でそれに向かおうとしているのか。
自分の生き方も明確に見出だせない。
恋人との結婚も考えているが、本当に望んでいるのか。
典型的な優柔不断ヒロイン。決してイラッとさせるムカつくタイプではないが、心を開かない性格のようで、時々言動が分かりかねる事も。(迷子になる事2回、警察に身柄を預けられる事1回!)
そんなヒロインがこの旅の中で異国や人々と触れる。
トラブルやある悲しみを経て、再認識していく。
成長していく。
心の底から解放されていく。
それらを繊細に演じている。
また、アイドル時代でも沢山披露したであろう“バラエティースマイル”、よくぞ回った3回転!(完全に某人気バラエティーの“珍獣ハンター”と“アクティビティ”みたい)
久々に歌声も披露。元多人数アイドルグループの絶対的エース!
ロケも相まって、さながら“前田敦子のウズベキスタン紀行”。
前田敦子のPVでもあった。
撮影の目的は、巨大湖の幻の怪魚探し。
TVで放送されたらついつい見てしまいそうな面白そうなネタだが、黒沢清がすんなりバラエティー番組なネタを撮る訳がない。
メインは先にも述べたが、ヒロインの彷徨。
淡々と展開していき、“見る”より“感じる”タイプの作風。
作家性の強い黒沢清らしい作品ではあるが、好みは分かれそう。
でもちゃんと、海外ロケを行うTVバラエティーの苦労も。
トラブル続き、尺が足りない、イイ画が撮れない、何より現地の人との考えや価値観の違い。
大変だなぁ…。
そうやって我々は、TVで楽しませて貰っている。コロナが終息したら再び、TVバラエティーで海外旅を。
撮影クルー役に加瀬亮、染谷将太、柄本時生ら実力派。
現地通訳/コーディネート役のウズベキスタン俳優、アディズ・ラジャボフが好助演。
異国の地で五里霧中だった葉子が自分の夢をはっきりさせたのは、買い物の最中、美しい歌声に導かれナヴォイ劇場を訪れてから。
撮影NGの場所に入ってしまい、警察に身柄を拘束される…否、これは誤解で、ただ事情を聞きたかっただけ。心を開かないから、相手に伝わらない。話さないと分からない。
東京から届いた大事故ニュース。恋人の身を案じる。
それらを経て、葉子は確かに変わった気がした。
何をしたいか、何を伝えたいか、何が大事か。
日本とウズベキスタンの国交25年、日本人が建設に関わったナヴォイ劇場70年記念作。
双方の良さだけを伝える“接待映画”ではなく、双方の融通の効かない点や苛立ちも包み隠さず描き、そういったものもあって双方の交流がより魅力的に描かれている。
異国同士の交流。
葉子が解放したヤギの姿。
圧倒的なウズベキスタンの大自然の美しさ。
葉子自身も解放され、それらに抱かれ心の底からの歌声…。
世界の果てで、自分のはじまり。
前田敦子の演技すごい!ウズベキスタンが分かる!
前田敦子さんの、この映画の独特な雰囲気に合った絶妙な演技、素晴らしかった!!なかなか心を開かず、現地で打ち解けようとしない旅人を見事に表現。ナボイ劇場や最後の高原でのあっちゃんの歌、感動する。
旅のおわり世界のはじまり…という意味は見ていくとジワジワとわかる感じがする。旅人である葉子に警察官が、きく、なぜ話し合おうとしないのか、話し合わないと分かり合えないのでは…と。世界のはじまりのきっかけを与えてくれるような言葉であり、ウズベキスタンの警察官が紳士的で優しい!
こんなに現地の警察官って優しいのかな…って警察署の場面では一瞬思ったが、この映画を、通して、一貫して現地の人たちが、あたたかい!プロフのお母さんも実は暖めてプロフだしてたし、ヤギのお母さんもヤギを再び捕まえてないし、あの湖の気分屋漁師もめちゃくちゃいい人じゃん!?ウズベキスタンの人たちの優しさが本当に伝わる映画!!
取材の気持ちをつまらなくさせてたのは、分かろうとしない日本人の側の問題だと、だんだんと気づかされる…
そのウズベキスタンの人たちの優しさがあったからこそ、葉子は、自分の世界をみつけ、世界をはじめられるようになったと思える!!ウズベキスタンを好きになれる!!
異色観光映画
洒落た映画タイトルをつけていますが、私の観終わっての感想からだと“世界の果てまで跋扈する恥かしい日本人達”というタイトルをつけたくなりました。
ホラー映画ではない黒沢清の作品でしたが、前田敦子の役柄がまるまるホラー映画の様な挙動不審、徘徊癖、情緒不安定、な演出だったので、逆に何故ホラー映画にしなかったのか不思議で、普通のドラマとして見るとあの主役の行動だけが気持ち悪過ぎました。その他が全てモキュメンタリー的な自然体の演出だったので、前田敦子の演技というより物語上での行動だけが際立って異常に感じてしまい、黒沢映画としては今までと違う路線での失敗作(ヘンテコリンな魅力はありましたが)という印象で、私的にはノレませんでしたね。
しかし、ウズベキスタンの風景や映像は非常に美しく観光映画としての価値はありましたが…
山頂の景色は、登った人にしか見えない
旅をする時って、楽しいようで、どこか一歩引いた目線で世界を眺めてしまう。自分が、目の前にいる人達とは何か別のものに所属し、別の場所を目指している人間であると、ある意味線引きをすることでもある。
何にでも「No Thanks」で片付け、好意のお弁当にも鼻から見向きもしない葉子の旅路は、「本当は私は歌手なのに…」と、目の前の仕事を心の中で遠ざけてきた、今までの生活と重なる。物見遊山的な人生。
加瀬亮に「君撮るの面白いよ」って言われるほどテレビリポーターとしては優秀だし、結婚までいきそうな恋人がいるなど、
しっかりと自分の人生を歩んできた軌跡はあるのに、自分で「本当にやりたいこととはどんどんズレていって」と、世界に線を引いてしまう。
しかしそんな中、警察のおっちゃんやテムルが心の扉をノックしてくれたおかげで、
実態を知ろうとしないままレッテルを貼っていた外国の街並みにも、血の通った同じ人間の営みがあることを実感する。
価値が無いと決めつけていた周囲に、自分の知らない可能性があることに気づく。…その後日本に帰れる状況なのに、残って仕事に励んだってことは、そういうことでしょう。
そして恋人の生死が確認されたことで、自分の人生の中で「愛」が確信のあるものと気付く。
(テーマ曲が愛の讃歌なのは、人を愛することって、唯一、自分の内側から確信を持って溢れ出るものだからじゃないか?仕事や夢や物事の価値判断なんかは、色んな主観や要因で変わってしまうけれど)
ほんで、山羊のオクーちゃんが、山のてっぺんに向かって生き生きと駆け上がっていく様子を見て、確信する。
かつては、「自分でロープを断ち切ることもできた。本当は何を望んでいるの?」と尋ねたりもした。でも、監禁されたり野に放たれたりされた、オクーちゃんの人生は、オクーちゃんにしか分からない。
同様に、自分が歩んできた旅路は、自分しか見たことのない景色なのに、 それを見たことのない誰かに良いとか悪いとか決められるのか、と。ましてや自分が決められるか、と。
山のてっぺんは、登るために価値があるとされる目的地ではなく、登ってきた瞬間にだけ鮮明に感じられる景色(世界)である、と。
2回見て、このくらいの理解。映画のタイトルそのものが、ネタバレ。
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